「な…っ」
スカートが捲れ上がるのも気にせず足を使ったせいだ、相棒は裾をぱたぱたと払い直している。
「…それはそれで正攻法であると、あたしは思うな」
「そ?どっちでもいいよ。これにあうー?」
紺色のワンピースに白のエプロン。足元には脱ぎ捨てた帽子が転がっている。くるりと一回転したライチがポーズを決めた。
「メイド服、モエモエじゃな〜い?」
「そうだな、ライチ以上にその制服を着こなせる人間はいないだろう」
「あきゃ!褒めてもなにもでないぞ〜う♪」
どの時点で、どうやって入れ替わったのか、元居たメイドをどうしたのか、様々な謎はあったが二度目メイドが入ってきた時、その振る舞いの乱雑さが目に付いた。実際見てはいなかったが、ドアを閉める音がそうだった。もっとも、気が急いていたらしいカラサワの眼中にはなかったようだが。
カラサワは観念したようにため息を吐いた。その目は完全に落ち着きを取り戻していた。
「大したものだよ…。私は君達を低く評価し過ぎていたようだ」
「おじさん、気づくの遅いんだよ。それでよくしゃっちょなんかやってられるねぇ。ボク達の真の強さは、ここまでに止まらないよ。それは満月の美しい夜、」
「あたし達の仕事の邪魔をした代償は払ってもらう」
「ボクが喋ってたんだ!」
「ライチ、黙ってろ」
「いやだ!茶っぱよこせ!!」
「どうでもいいがそれでで怒っても様にならないぞ…」
明らかに不服そうなライチが制服を脱ぎ始めた。いつもの衣装を下に着込んでいた。
ははは、と至極楽
しそうな声を上げたのはカラサワだった。あの時ドン引いてた彼とは対照的な反応に、JRの二人は一度動きを停止した。
「君達コンビは実に、いい。代償とやらはお茶の葉だけで済むのかい?」
「まさか」
その問いにすぐに反応したのはジノだった。自分達はまだ馬鹿にされている。相手に勝算はないというのに。
「では何が望みだ?金なら払おう」
「うわ、その台詞、でたー」
完全に余裕を取り戻したカラサワは、窓の外を向いて、もう太陽が僅かしか見えぬ水平線を見た。こちらに背を向け、その様子から殺される心配など皆目してないようである。
靴を履き替えたライチが腰を低く構え、円を描く体勢に入った。
「ではまずお詫びとして───」
カラサワが足を鳴らした。
「これを受け取って貰うとしよう」
ジノは、カラサワの行動の意味が理解できず、危険と判断した。槍を握り戦闘の体勢に入った。後ろの少女もそれは同じはず。だがそれは盛大な叫び声で裏切られた。
「うわぁうわぁうわぁなんだコレ!?」
振り向くとそこには先ほどと変わらぬ姿勢を取り続けるライチがいた。
訝しんだジノは、体勢を変えずに横目でライチの様子を確認する。何をひとりで遊んでいるのだろうか。
「動かな…ぇえマジ〜!?体が動かないんだよノンちゃぁぁぁん!」
「口はとてもよく動いているようだが」
「信じてよぅ!」
目だけで彼女を見ていたジノは、カラサワの動きに注意を払いつつ、顔ごとそちらを向いた。
ライチの体は、口と、目とほんの指先が僅かに揺れている程度で動かない。
カラサワが笑い始めた。今度は卑しく、いぎたない笑い声だった。
ジノがまた向き直り、低く唸った。
「ライチに何をした」
ジノの問いかけには答えず、カラサワは側にあった引き出しを開けた。
「わ、わ、わぁ!なんだなんだ!!」
ライチの体が己の意志に反し、直立の姿勢を取らされ、そのまま移動をはじめた。ジノの立つ場所からは手が届かず止めることができない。
「心の醜い人間にしか操れぬ、鎖さ」
ライチがカラサワの側に移動した。引き出しから出した物は、リボルバー回転式の銃だった。ライチの顔がみるみる青ざめる。
「ね、ねぇカラサワのおじさん!もちろんそれは金属だよねぇ?金属以外でできた銃なんてないよねぇ!?それでボクを撃つの?やめた方がいいんじゃないかなぁぁぁ!!」
「動くな」
カラサワの一言に、ジノの髪が揺れた。跳躍の体勢を取ろうとした体が、突然の制止に震えたのだった。銃を持った腕がライチの頬に真っ直ぐ伸びている。
「ぅ…く、くぇ……ちかっ…」
「武器を捨てろ」
ジノはカラサワの言葉に従い、すぐさま前方に槍を放った。
「そいつから銃を離せ。撃ったらただじゃ置かない」
「なるほど。それはどのように?」
カラサワは発砲した。即座に照準は変更され、銃弾は太ももを掠め、細い切り傷のようなものを作った。
ひっ…という小さく息を吸うだけの悲鳴が聞こえた後、ライチはがっくりと頭を垂れて、微動だにしなくなった。当然、弾丸も金属でできている。彼女はそれらに触れることができない。
「おい、この娘、動かなくなったぞ。一体どうしたのだろうな」
「……貴様」
銃口は未だにライチに突きつけられている。カラサワのその笑みには狂気を感じた。
ジノが一歩踏み出す。
「私は動くなと言った筈だが。お嬢さん?」
奥歯を噛み締めるジノの眼は、怒りの炎で冷たく燃えたぎっていた。
「相棒は人質。お前は窮地。さあ、どうしてくれようか」
先程まで余裕でいられた要因は、ライチを縛めている目に見えない鎖だった。それを自分は見抜けなかった不甲斐なさに、ジノの怒りは己にまで及んだ。
「元々の目的は、お前達を殺すことだったが、最強と名高い情報屋がこうも簡単に捕まるとは…ただ殺すにはあまりにもつまらぬだろう?」
カラサワがジノに銃口を向けた。この狭い部屋では、避けられない。それどころか、下手に動けばその銃口は再びライチに戻り、トリガーを引き絞られるだろう。ジノは動かなかった。
「…──」
「ほう。声も出さずに痛みに耐えるか」
肩を狙われた。本当になぶり殺しをするつもりらしい。
カラサワは、構えた銃はそのままに引き出しから今度はナイフを取り出し、その光沢を確かめた。刃渡りだけで20センチは越えている。
「心配しないでくれ。こう見えて、過去戦いの前線に居たことがあったんだ。ナイフ投げは得意な方だったな」
「……そうか」
成程、妙に隙のない動きをすると思った。
はっきりとした理由もわからずに、ライチに警鐘を鳴らしはしたが、こうなっては無意味だったように思う。
「ナイフで死ぬのが一番美しいのだよ。銃のような煩わしい音もせず、急所さえ外さなければ声を出すこともなく息絶える。
ああ、お前は先程も声をあげなかったな。さあ、言い残した事はないか?今なら聞いてやろう」
夢中になったように一気にまくし立てるカラサワを見る眼差しは、燃えたぎる怒りの炎を静かに湛えていた。
「深淵を見ようとすればするほど、深淵はお前を飲みこもうと口を広げて待っている」
「……ご忠告、感謝しよう」
「貴様はあたしの相棒を傷付けた」
「あとは天で恨め」
カラサワがジノにナイフを投擲した。どうにかかわさなければ──…それは動くことを許されないジノの左の胸に、深々と突き刺さるだろう。
だがしかし、ナイフの軌跡は彼の理想通りにはならなかった。
カラサワの目の前を巨大な何かが横切り、研ぎ澄まされたナイフはそれに阻まれたのである。
どこからか飛び出してきた凄まじい運動エネルギーを持って回転しているそれは、低めの金属音を響かせナイフを叩き落とすと、弧を描き、ジノに向かって突進した。
だがジノはそれが飛び出してきたのを視認するとほぼ同時に足元で転がっている愛槍を素早く拾い、その物体を槍の先端よりやや下の場所で叩いた。
ナイフを弾いて落としたその正体は、斧の刃部分だった。だが今それは、ジノの槍と一体化し、ポールアックスとして存在した。
「…ンちゃ…ん…」
息も切れ切れなライチの右手の前には、一際煌めく黄金の円があった。自由が利かない右手を、精一杯動かして描いたようだ。斧が飛び出した出口はそこだった。
「…ちっ!!」
カラサワは素早く銃を構えるも、ジノが先程落ちたナイフを負傷した左腕で拾い、さらに投擲する方が早かった。狙いを全く違えることなくナイフは銃口ぴったりに突き刺さった。
ジノが間髪入れずに踏み込むと、カラサワは迷うことなくあっさりと銃を捨て、傍らに刺してあった細長い剣を取りに壁まで走る。
それを見たジノは瞬時にライチの側に寄り、彼女の肌すれすれに素早くその刃を振った。見えぬ鎖の縛めは解かれた。
直後、背後で空気を切る音がした。確認するまでもなく、あの細い剣の音である。ジノは振り返るより早くポールアックスを振るい、その鋭い一撃を受け止めた。休む間もなく放たれる突き攻撃は、全て心臓を狙うものだった。細い刀身は僅かな隙間を縫い、針に糸を通すような正確さをもっている。ジノが間合いを取るために素早く数歩下がると、相手は流れを渡してたまるかと言わんばかりに詰め寄ってくるのだ。
相当強い。そして慣れている。最前線に居たというカラサワの話は、本当のようだった。
それでもジノは全ての攻撃を見切った。このスピード戦の中、大きな図体をした槍は下手に攻撃に出られない。一つ一つの突きを避けて、受けて、好機を探っていた。
ジノは殊更重い突きの後、横からの薙ぎ払いも受け止め、見計らって攻撃に転じようとした。その時に生じた僅かな隙を、敵は見逃さなかった。
カラサワその刹那にジノの左肩を素手で殴った。
鋭い痛みにジノが顔を歪ませ、一瞬他の動きを停止させると、カラサワは容赦なくその腹を蹴飛ばした。
壁に叩きつけられた肉体と内蔵は悲鳴をあげ、たまらず血を吐いた。見上げると、勝ち誇った目をしたカラサワが佇んでいた。後ろに見える空は、もう闇の色だ。
「お前は強いが、最強ではない」
鼻先に剣が突きつけられる。
「他人を守ろうとする人間は、いずれ他人に滅ぼされるのだ」
あぁ。
ジノは思った。
カラサワが剣を振りかぶる。
「死ね」
この男は、淋しい人間なんだ。
「あたしは…死なない」
ジノはそう言って、目を合わせた。カラサワはそれに怯んだように見えたが、奥歯を噛み締め、剣を振り下ろすべく再び柄に力を込めた。
だから気づかなかった。
小さくか弱い肉体が、切り札となって『最強』を守ろうとしていることを。
「ボクが殺させない」
次の瞬間カラサワは崩れ落ちた。
指サックのついたライチの手には銃が握られており、その銃口にはヒビが入っていいる。手袋をつけた左手には、銃に突き刺さったというのに刃こぼれひとつ起こしていない銀色の彫刻が美しいナイフが光っている。
「…ノンちゃ…!!だいじょうぶ?」
ライチはそれらを足元に放り出し、友人の顔を覗き込んだ。
「あぁ…」
「わわわ、血ぃいっぱい…全部ノンちゃんの?」
「……貧血を起こ
しそうだ。今夜は肉かな」
ジノの軽口に安心したように、ライチはいつもの笑顔に戻った。
その左肩を見て、応急処置を始める。
「カラサワに…何をしたんだ?」
ライチは自分の左手が入るだけのサイズの円を描いて、中から包帯を取り出した。包帯巻きは、あまり得意じゃない。
「んん〜?銃とナイフを印踏みして、カラサワのおじさんを撃っただけだよ。弾は別モン、ライチさん特製安眠弾!」
「…この間街で買った弾だろ。特製とか見栄張るな」
「…………えへっ」
印踏みは、ライチが習得している特殊な魔術である。印をしるされた物体は一度ライチの手にかかったものとして、何物であっても彼女に扱えるようになる。最も、極度のアレルギー持ちのライチは、金属のみにしか使わない。
そして、いつものような会話をいつものように交わしているうちに、ライチの手当ては終わったようだ。ありがとう、と礼を述べようとして、ジノは自らの肩を見やった。
「…………」
酷い巻き方だった。