今まで、「メタボ攻略」と宣言していましたが、検査の結果では、血糖値の他は、薬を飲んでいる限り、問題なさそうなので、「アンチエイジング(年相応に)」を宣言することに。

メタボ治療薬を服用しつつ、「らくらく」「なめらか」「ダイエットパワー」「フォースコリー」「COQ10」「ブルーベリー&カシアス」「DHA」「パーフェクト野菜」などを毎朝1錠 。3年以上続けています。

体重68s→62s台、体脂肪率26%→22%台、血糖値は下がりつつあるが、基礎代謝量、筋肉量、骨量は減り気味。どこかおかしくないか。

詳しくは、私の必勝ダイエット/4月ネタ [2012年04月08日(日)] を。個々のサプリについてはクチコミパークを。

身体的、地域的、文化的、精神的な活動面はブログの他自己紹介欄を。

(初回ブログ⇒今年の美容⇔健康への取り組み [2012年01月12日(木)] )

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黙想 [2013年01月18日(金)]
今日は大変な寒さですね。土曜の例会の資料作りも思うように進みません。

ブログの更新もなかなか出来ません。

今日の黙想で、最も共感するイエスの弟子の話に出くわした。多分詳しく説明しない方が良く解って貰えるのではないか。

≪十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。

そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 

さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」

トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」≫(ヨハネ20.24-29)

  我が家の玄関前脇の佇まい
                           
                           年末に撮ったものですが、このところ撮って居なかったもので間に合わせに載せました


posted at 13:29 | 絆/癒し/赦す/喜び… | この記事のURL
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「天の階(きざはし)― ……」(Megumiさんの短編小説)を読んで [2012年12月12日(水)]
DHCブログ仲間のMegumiさんから、コメントのやりとりの中でこの小説(10頁)を紹介された。
早速目を通させていただいた。

文学は全くの素人なので、まともなコメントは出来ないが、この年(78才)になるまで、聖書に親しんできた者として、聖書的視点に立った或る一つの感想を記してみた。

この小説をご覧になりたい方は、http://novelist.jp/member.php?id=36772 へ。
Megumiさんのブログからも辿れるかも。

題名「天の階(きざはし)〜蒼穹のかなたに見たものは〜」

■作品のあらまし/江戸時代、異人との間の混血児として生まれたがゆえに 虐められてきた富松。

だが、迫害を受けたがゆえに、誰よりも優しい心を与えられた。

幕府による激しいキリシタン信徒弾圧に耐え、最後まで信仰を捨てずに貫いた男の生き様を描く。

正義感の強い江戸娘お璃久の目を通して、薄幸でありながらも運命に屈せず生きようとした富松の姿を描く。(著者の作品紹介より)

■聖書的視点に立った或る一つの感想/富松は、イエス(神又は御霊と言っても良い。)に支えられ、導かれて、ヤコブのように「天の階」を駆けあがり、永い眠りについている。

イエスの再臨により永遠の命に復活し、イエスに召された人たちと共に新しい天と新しい地に。

お璃久、夫−卯吉、お璃久と卯吉の子〈妊娠中〉、富松の子−お勝達とこの人達を取り巻く江戸の地域社会は神様の摂理の内に、それなりに恵まれた生涯を送るに違いない。

もし、お璃久、卯吉、お璃久と卯吉の子、富松の子−お勝達が富松の影響を受けて、イエスと出会い、交流をもつことになったとすれば、富松と同じ人生を送ることとなるのは間違いなかろう。

■天への階段(ヨハネ1・51)□□□□□□□□□□□

1:51 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

このような光景を、信仰によってきょうも見ることができる。イエスは自ら、天の御国をすべての信仰者に開かれた。

彼が啓示された神秘と栄光の場所を、人間はじっと見つめる。彼がそこへの道であるため、人間はまもなくそこへ入る。

人はヤコブのはしごの意味を知っている。天と地の間にはきよい交流がある。(創28:10-22)

祈りは昇っていき、答えは仲保者であるイエスという道を伝わって降りてくる。主を見る時、人はこのはしごを見ることになるのである。

イエスのうちには光の階段があって、それが至高者のいます御座への道筋を照らし出す。

この階段を用い、祈りのメッセージを上へと送り届けよう。とりなしの祈りをもって天へと駆け上るなら、人は御使いの役に参加することになり、契約による祝福をしっかりととらえることになる。

それから人は、いただいた祝福の賜物を分け与えるため、再び地上に降りてくるのである。
これはヤコブが夢の中で見た光景であるが、それが今や輝かしい現実となっていることを知ろう。

■「摂理」については、「絆/癒し/赦す/喜び…」(アーカイブ。11/21)を。

■ 新しい天と新しい地(黙示録21:1-8)□□□□□□□

21:1 わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。

21:2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。

21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた<太>。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、

21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」


21:5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。

21:6 また、わたしに言われ。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。

21:7 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。

21:8 しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」


 □ 悪から新しいものを造るには、無から造るのと同じ力が必要である。

イエスはすでに働きを開始し、幾世紀にもわたって、人々の心や社会の秩序を新しくしてこられた。

彼は少しずつ人間の政府の全機構を新しくされるので、人間の性質は恵みによって変えられるようになる。しかも、体が新しくされ、主と同じ栄光の体となる日が来る。

イエスの力によってすべてが新しくされる神の国に所属することは、なんという喜びであろうか。私たちは死んで滅びるのではなく、いっそう栄光ある生命に向かって急いでいるのである。

悪の力があるにもかかわらず、イエスはご自分の目的を達成しておられる。こうして私たち、そして私たちにかかわるすべてのものを「新しく」しておられる。それだけでなく、神の手から最初に出てきた時のように、すべてのものを美しく輝くものとしておられる。
posted at 17:05 | 絆/癒し/赦す/喜び… | この記事のURL
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正しい者/イザヤの預言 [2012年12月05日(水)]
朝夕、暫く黙想の時を持つ( 詳しくは、「気分をアゲる方法」ブログネタ/アーカイブ [11/29] を。)。折しも総選挙の時期。イザヤの言葉は今の日本に何かを訴えているような気がする。

イザヤ書  33:7 見よ、アリエルの人々は巷で叫び/平和の使者たちはいたく嘆く。

33:8 大路は嘆き、荒れ果て、道行く者は絶える。人は契約を破り、証人を退け/人を 人 と思うこともない。

33:9 大地は嘆き、衰え/レバノンは辱められて、枯れ/シャロンは荒れ地となり/バシャ ンとカルメルは裸になる。

33:10 今や、わたしは身を起こすと/主は言われる。今や、わたしは立ち上がり/今や、自らを高くする。

33:11 枯れ草をはらみ、わらを産め/火のような霊がお前たちをなめ尽くす。

33:12 もろもろの民は、焼かれて石灰となり/切られた茨が、火に燃やされる。

33:13 遠くにいる者よ/わたしの成し遂げたことを聞け。近くにいる者よ、わたしの力強い業を知れ。

33:14 シオンで罪人は恐れ/神を無視する者はおののきに捕らえられた。我々のうち、誰 が/焼き尽くす火の中にとどまりえようか。我々のうち、誰が/とこしえに燃える炉の中にとどまりえようか。

33:15 正義に歩み、正しいことを語り/虐げによる利益を退け/手を振って、賄賂を拒み/耳をふさいで、流血の謀を聞かず/目を閉じて、悪を見ようとしない者

33:16 このような人は、高い所に住む。その高い塔は堅固な岩。彼の糧は備えられ、水は 絶えることがない

【イスラエルの預言者】 預言者は、単に将来のことを告げるのではなく、特別に神から使命を受けて、その考えを人々に代弁した。彼らのことばだけでなく、行ないも生活も、すべてが預言でした。

盛んに活躍した時期は、紀元前八百年から四百年ころで、政治の腐敗や道徳的な堕落を責めることより、その原因となっている偶像礼拝をきびしく責め、まことの神礼拝に立ち返るよう力説した。

【イザヤ書】 イザヤの働きは約六十年間で、改革者ヒゼキヤを含む四代の王にわたった。
主としてユダに遣わされた預言者でしたが、北王国イスラエルに対しても語った。

イスラエルとユダの、内乱の恐ろしい時代に生き、紀元前七二二年のアッシリヤによる北王国滅亡を、目のあたりにした。 その滅亡から得た身の引きしまる教訓を忘れず、ヒゼキヤに、エジプトとの軍事同盟をやめて、神だけに頼るよう絶えず勧めた。
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□ 摂 理 / 自然、歴史、文化などを形成し、支配するもの [2012年11月21日(水)]
「郷土の歴史文化掘り起こし隊」の活動の一環として仲間の一人と「聖書勉強会」をはじめている(経過の詳細は、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊」(アーカイブ)を。)。

ブログに出てくる皆さんの思い、悩み、出来事などと神の摂理とどのように関わっているのだろうか。聖書辞典で調べてみた。結論はお一人お一人で出して頂くしかないが、神仏を全く認めない方には関係のないことかも。

■ 摂理とは,万物の創造者である神の間断なき主権的活動のことであって,造られたすべてのものに対するいつくしみのゆえに(詩145:9),全被造物を保持し(ヘブ1:3),すべての出来事,状況,人間と御使いの行動を統治,支配し(創45:5‐8),自然界,道徳界,精神界のすべてのことを御自身の目的達成のために導きかつ用いられること(エペ1:9‐12)を意味する.

■聖書は,神の主権的な支配が次の領域や事柄に及んでいることを教えている.

(1)宇宙(詩103:19,ダニ4:35,コロ1:17).(2)自然(詩104篇,135:6,マタ5:45).
(3)動物(詩104:21,28,マタ6:26).(4)国・民族(ヨブ12:23,使17:26).

(5)人間の誕生と生涯(詩139:16,イザ45:5,ガラ1:15‐16).(6)人間の栄枯盛衰(詩75:6‐7,ルカ1:52).(7)偶発的に見える事象や事柄(箴16:33,マタ10:30).

(8)神を信じる正しい者たち(詩4:8,5:12,63:8,121:3,ロマ8:28).
(9)神の民の必要の充足(創22:8,14,申8:3,ピリ4:19).

(10)祈りに対する答(Tサム1:19,U歴33:13,詩65:2,マタ7:7,ルカ18:7‐8).
(11)悪しき者の摘発と処罰(詩7:12‐13,11:6).

■このような摂理の信仰は,この世界と神との関係に関する一定の見解に基づいている.それは神を,世界に関係していると共に,世界を越えた存在と考える.

神は全く同時に,内在的であると共に超越的であり,この世の中にあると共にこの世を越えており,私たちの人生にかかわると同時にそれを支配,統治する存在として考える.

一般に「有神論」と呼ばれているこのような世界観は,次の諸説とははっきり区別される.
(1)汎神論.(2)理神論.(3)宿命論.(4)自然主義,ニヒルな思想.

■なぜ義人を苦しめている悪者が栄えるのか,悪者の栄えはしばしのことであり,神はやがてこの世に介入され,彼らに報いられる(詩37篇,50:16‐21,73:17以下),神がそのようなことを許されるのは,時には信者に悔改めの機会を与えるためである(ロマ2:4‐5,Uペテ3:9,黙2:21),神は終りの日に最終的な審判をもって悪者を除かれる(ロマ2:3以下,12:19,ヤコ5:1‐8),と教えている.

■なぜ義人の生涯に悲惨な出来事や災害が襲うのか
旧約聖書は,悪者をさばく終りの日がくる時,主は正しい者の義を光のように輝かせ,彼らを支える(詩37篇,マラ3:13‐4:3).苦難は信者の成長のために主が与える訓練である(詩119:67,71,箴3:11以下).苦難に懸命に耐えるなら,神に栄光を帰すことができ,ついには神の祝福を受けるようになる(ヨブ1,2,42章).神との交わりは人間にとって最高の祝福であるので,それにあずかる者はこの世における外的な困窮によって最終的に打ちのめされることがない(詩73:14,ハバ3:17‐18),と教えている.

■新約聖書によると,初代のクリスチャンは,苦しみにあずかることはイエスを受け入れた者であることに不可避なことと受け止めると共に(ヨハ15:18以下,使9:16,ピリ3:10以下,Tペテ4:12‐19),彼らに約束されている終りの時の朽ちない希望(Tペテ1:3以下)と,苦難に打ち勝たせるイエスの力(Uコリ1:3以下,12:9‐10)とを知っていたので,あらゆる境遇に対処することができ(ピリ4:11‐12),苦しみの中にあっても圧倒的な勝利者として生きることができた(ロマ8:35以下).

■神の摂理に対する信仰は,イエスを受け入れる者に、どのような時や状況でも、謙虚に神により頼む信仰と忍耐と希望とを与える(詩40:13以下,60篇,ヤコ5:7以下,Tペテ5:6‐7). ∈新キリスト教辞典(いのちのことば社)要約∋

■ イザヤ45:19 わたしは隠れた所で、地の闇の所で/語ったことはない。…………………わたしは主/正義を語り、公平を告知する者。

45:20 国々から逃れて来た者は集まって/共に近づいて来るがよい。偶像が木にすぎないことも知らずに担ぎ/救う力のない神に祈る者。

45:21 意見を交わし、それを述べ、示せ。だれがこのことを昔から知らせ/以前から述べていたかを。それは主であるわたしではないか。わたしをおいて神はない。正しい神、救いを与える神は/わたしのほかにはない。

45:22 地の果てのすべての人々よ/わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。

45:23 わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば/その言葉は決して取り消されない。わたしの前に、すべての膝はかがみ/すべての舌は誓いを立て

45:24 恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。主に対して怒りを燃やした者はことごとく/主に服し、恥を受ける。

■因みに、ブログを拝見していて、気になったことやそのことについて聖書ではどう考えているのか調べたことを『絆/癒し/赦す/喜び… (アーカイブ)』に記してます。ご関心のある向きはご覧下さい。
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□人の死/聖書の示すこと。 [2012年10月18日(木)]
近頃、死について触れるブログもチョクチョク出てくる。

聖書の勉強会(詳しい経過については、「自己紹介欄」「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)を始めた者として、調べ整理してみた。

死は,自然に,偶発的に,あるいは自覚的に、あらゆる生命現象に1回かぎり訪れ、何ものもこれから逃れることができない生の終末である.

人間は,死を目撃しながら,必ず経験しなければならない死が何であり,また死後どうなるのかについて何も知らされていない.これが死への恐怖をもたらす.

旧約聖書では,死がもとからあった自然なものであるというよりも,死は宣告されたものである。
人間は神のかたちに創造され(創1:27),神との交わりのうちに完全ないのちが与えられていた.しかし人間は,善悪を知る木の実を食べてはならないという戒め(出34:28、申4:13,10:4)を破ることによって,不従順と自己に頼るという傲慢の罪を犯した.この原罪が人間に死をもたらした

人間の死は,罪に対する神の罰である(創2:17,3:19)

人間は,神を呼び求める以外になすすべがない(詩6:5,13:3,116:3‐4).イスラエル人は,ただ神の力のみが「死」と「よみ」の力にまさっていると信じた(詩16:10,49:15).

イザヤの預言は、神が「死」に対して完全な勝利を収め,人間を死の支配から救って決定的に解放することが告げる(イザ25:8).そして,死人の生き返り,永遠のいのちの新しい展望が開かれる(イザ26:19).

これは,新約に至ってイエスによって成就する。

神と人間の関係は,罪の結果,敵対関係となった(ロマ1:18‐21,5:10).人間を破滅に至らせる神との抗争がやんで平和が訪れるためには,なだめの供え物がなければならない(ロマ3:25).

それはイエスの十字架の死と復活によって果された.イエスのなだめの供え物としての死が神との平和を確立した.人間は,罪人であり,神の御前では死んだ者であるが,イエスを信じることにより,死からいのちへと移される(Tヨハ3:14).

イエスは,最後の敵としての死を滅ぼす(Tコリ15:26)

第1のアダムがその罪によって全人類に死を来らせたように(ロマ5:12),イエスは,第2のアダム,いのちを与える霊として,その恵みのわざによって死を滅ぼし,永遠のいのちを人類にもたらした(ロマ5:17,Tコリ15:45‐47).

イエスを受け入れる者にとって死がすべての終りでない。イエスが死人の中からよみがえられたからである(Tコリ15:20).イエスは,死者の中から最初に生れた方である(コロ1:18).

人間は,死んだ時に地上の肉体を脱ぎ捨て,それから復活の時に新しいからだを受ける.人間の卑しい朽ちるべき肉体は終り,復活のイエスと同じ霊のからだ,神の子の姿となる(Tコリ15:42‐44).イエスと共に神の国を継ぐ者とされ,イエスと共に存在し続ける.

やがて,新しい天と新しい地を見る.その時は「以前の天と,以前の地は過ぎ去り……もはや死もなく,悲しみ,叫び,苦しみもない.なぜなら,以前のものが,もはや過ぎ去ったからである」(黙21:1,4).イエスを信じる者にとって,死ぬことは益である.

終りの時は運命ではなく,神の恵みとして与えられる.この恵みに感謝し,神の前に立つためにはこの世と妥協せず(ロマ12:2),上にあるものを求め(コロ3:1)、祈り(マタ6:9−13、ルカ11:1−4)つつ,救いの完成を信じてイエスと共に生きる.

因みに、ブログを拝見していて、気になったことやそのことについて聖書ではどう考えているのか調べたことを『絆/癒し/赦す/喜び… (アーカイブ)』に記してます。ご関心のある向きはご覧下さい。
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□ダンベル、リュック …… □懺悔・悔い改め ← 後期高齢者(喜寿)の繰言 [2012年08月13日(月)]
■ダンベル、リュック&プチサイクル□□□□□□□□□□□□□□□□
ダンベル7型×7-10回 リュック13sを背負い10段昇降×3−6回 プチサイクル8q30分

これらを週2回程度を予定しているが、最近は週1回も厳しい。(詳しくは自己紹介欄を)

朝3時頃この運動をしていると、胸中に懺悔・悔い改めの念が去来した。

■懺悔・悔い改め□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
懺悔・悔い改めは、約55年前受洗したときに激しかったが、その後は折に触れて去来する。

イエスとの霊的交わりの中でその働きにより惹起されるものなのか。魂の救いの完成は人間的には狂気の沙汰であり、不可能としか言いようがない。

イエスは言う。「神にはできる/ルカ18:27/マルコ10:27」。

絶望(死に至る病/キルケゴール/岩波文庫)することなく、望みを持って耐え、イエスの足跡を共に歩くと言うことか(再臨を待つ/これも狂気か)。
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□コメントへの応答が出来ない  □罪に目覚める時 ←後期高齢者(喜寿)の繰言 [2012年07月04日(水)]
■コメントへの応答が出来ない□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
土曜日にコメントをいただき、

折り返し、返事を、随時、入れようとするのですが、全く入りません。

続けて努力します。旨く入るかな。

■罪に目覚める時(イザヤ6・5)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
チェンバーズ(詳しくは、自己紹介欄を)によると、

『神の臨在にはいる時、自分が罪人であることを明確に悟る。そして、罪がある特定の形をとって生活にしみこんでいることを知る。

ひとたび神の臨在にはいるなら、罪の自覚が一点にしぼられ、「私はこの点で、またあの点で罪人だ」と言うようになる。

私たちが神の働きにゆだねた時、神の御霊は私たちに心の奥底にある罪を示される。このようにして、神は私たちの罪を取り扱われる。

人間はある特定の罪に気づくという経験を通らなければならない。人が自分の罪を自覚した時、このように言う。「私はどこでどう間違ってしまったのかわからない。しかし神の御霊がある特定の罪を私に示された」と。』

 此処にイエスの十字架の死と復活の意味(贖罪による救い)があるのだろう。
 私たちがある特定の罪に気づいた時にきよめの火は適用される。

※イザヤ6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は/王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
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□DHC相談室担当医ブログ □ 悲しみの火の中で ←後期高齢者(喜寿)の繰言 [2012年06月27日(水)]
DHC相談室担当医ブログ□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
くめたさんの 今月の糖尿病検査結果 [5/23ブログ]を拝見していたら、大変お詳しいのでコメントを入れて質問しようかと思っていたが、DHCのDrブログや相談室担当医ブログに気づいた(今頃気づくのが可笑しいのだが、目には入っても、ポチッとする気にならなかった)。

 両ブログともやや専門的ながら良く整理されているので、勉強してから質問しよう。年寄りの恥の上塗り。

■悲しみの火の中で(ヨハネ12・27−28)□□□□□□□□□□□□□□□□□
 チェンバース(詳しくは自己紹介欄の好きな本欄を。)を読んでいたら、当たり前のことなのかも知れないが、改めて気づかされた思いがするので次に要約する。

 ≪ 悲しみや困難に対する、イエスに倣う者の態度はどうあるべきか。それらのものが臨まないようにと願うのではなく、神によって造られた真の自己が、悲しみの火の中にあっても保たれるようにと願うべきである。イエスは悲しみの火の中で自己を見出し、そこから救い出されたのではなく、そこを通って救い出された。

 私たちは、悲しみなどなければいいと言う。しかし悲しみは現実にある。そして、私たちはその火の中で真の自己を見出すべきである。もし悲しみを避けようとするなら、私たちは愚かである。罪や苦しみ、そして悲しみは人生につねについてまわる否定のしようのないものである。

 成功することの中で真の自己を見出すことができると思うな。自分自身を見失うだけである。真の自己を見出す道は、悲しみの火の中にある。これ以外の道はない。聖書を見ても、人のつねを見ても、それが真実なことがわかるだろう。

 悲しみに出会った時、悲しみの火の中を通り、自己を見出した人のところに行くのではないだろうか。このような人なら、十分な時間をさいてくれるだろう。悲しみの火の中を避けて通った人のところに行くなら、相手を見下し、相手などしないだろう。

 もしあなたが悲しみの火の中で真の自己を見出したとしたら、神はあなたを他の人々を養うために用いられる。≫

※ヨハネ福音書 12:27-32 「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。 父よ、御名の栄光を現してください。」

 すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
 
 そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
 
 イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。
今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。 わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」

ご健勝をお祈りします。
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□1週間の生活のあらまし □先祖のこと ←後期高齢者(喜寿)の繰言 [2012年06月07日(木)]
■ 1週間の生活のあらまし □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

T 月曜〜金曜 

@ 黙想  朝→スポルジョンの本(「自己紹介」欄の「好きな本」欄)
       夕→チェンバーズの本(仝上)

A 例会(土曜)の資料作り/都合のつく日

B 庭の草取り、庭木の剪定(1日/1〜2時間)/都合のつく日

C メタボ治療薬服用/サプリ摂取(詳しくは、ブログネタ(4/8「私の必勝ダイエット」)か自己紹介欄を。)

D 日用品の買い物同行/車(pm2:00〜5:00頃)

E  食器洗い、ゴミ袋づくり、軽い体操、入浴(am2:30頃〜5:30)

U 月曜 かかりつけ医診察/処方箋の発行(第3月曜)、検査(3ケ月毎)
     歯科医/歯の洗浄(3ケ月毎)
 
  火曜 英会話クラブ(隔週/休部中)

  木曜 眼科健診(4ケ月毎) 

V 土曜 郷土の歴史文化掘り起こし隊(第2土曜)/聖書勉強会(第1,3,4土曜)

W 日曜 千葉教会(偶数月第1日曜)

■ 先祖のこと □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

T 遠い先祖(神社/古事記。片岡神社(先祖の氏神))

U 近い先祖(お寺/般若心経。智香寺(先祖の菩提寺。浄土宗。茗荷谷)。西門院(母方出の僧が住職。真言宗(高野山)

V 最も遠くて最も近い先祖(教会/聖書。青山教会(祖父、父が創立に関わる))

W これらのご先祖を尊敬し、感謝しなければならないと思っている。。

X いろいろな機会や形でこれらのご先祖とより深く接し、交わっていく内に、最も遠くて最も近い先祖の中に本物の「道・真理・命」を見るようになっている。

このことは、遠い先祖や近い先祖が、いい加減だとか、取るに足りないと言うことではない。

それぞれのご先祖が真剣に子や孫や家族、子孫、一統のことを思い、命がけで守ってくれたことを疑わない。

それにも拘わらず、さらに大きな力、愛の力によって、咎を赦され、守られ、導かれていることを思わされる。

遠い先祖や近い先祖を尊敬し、感謝しつつも、世界のギリシャ神話、ローマ神話、古事記その他の氏神をまとめ、歴史を支配する最も遠くて最も近い先祖に希望を託している。
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●CT,MRI等の検査結果 ●「求めなさい。そうすれば与えられる」 ←後期高齢者(喜寿)の繰言 [2012年05月22日(火)]
●市立病院内科で5/7,10に受けた結果を訊いた(5/21)。
 ○胃の内部に小さいポリープがあるが問題のあるものではない。1年後位に内視鏡検査を受けるように。その他の検査は問題ない。

 ○メタボ治療薬とサプリの関係について、訊いたところ、サプリについては詳しい知識がないので、はっきりしたことは言えないが、原則として必要ないのではないかという。

 ○私としては、DHCの「らくらく」「なめらか」「DHA」「パーフェクト野菜」「ダイエットパワー」は毎日継続。問題は、今まで摂っていた「フォースコリー」と「ニュースリム」の扱い/勉強中。

 ○DHCの「すいすい(ブルー)」「濃縮金時ショウガ+濃縮黒酢」「クエン酸」「ブドウ糖」「カルシウム各種」「コラーゲン」「熟成黒ニンニク 」「DNA」「ナットウキナーゼ」「醗酵黒セサミン」「コラーゲン」「ヒアルロン酸 」については、身体の様子を見ながら、適宜摂ることとしたい。

○詳しくは、「私の必勝ダイエット/4月ネタ」[04月08日(日)] 、自己紹介欄を。


●娘が「与えれば、与えられる/リーマンさん/褐o済界」と言う本(A5判)を置いていった。

 イエスの言葉「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7。私の理解では、イエスとの霊的交わりを求めなさい。そこから全てが始まり、全てが与えられると言うことか。)

チェンバーズの言葉『大多数の人は、自分の思うままの道徳を持っているため、福音の必要を感じない。神が人のうちにご自身を現されるまでは、人はその必要を覚えない。

 イエスは「求めなさい。そうすれば与えられます」と言われた。しかし、人が求めない限り、神は与えられない。神は与えるのを差し控えているのではない。これが、贖いの原則にしたがって、神がものごとを引き起す方法である。

 私たちが求めることによって、神は仕事をプロセスをもって進められる。そして神は、私たちのうちに存在しなかったものを造り出される。』(チェンバーズについては、「自己紹介」欄の「好きな本」欄を。)
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