夕暮れ時
西の空を見ると胸が痛くなるのは
藍色と朱色と金色が織り成す空が
あの人を思い出させるから。
画像は、ペンタブとフォトショの練習として描いたものです。
…というワケで、3月1日は吉祥寺まで行ってきました。
最近若さのカケラもなく、都会に出るついでに他で遊ぶ元気がなかったので、午後までゆるゆると家で過ごし吉祥寺へ直行しました。
でも、ライブハウスの前にあった日本一小さいんじゃないかと思われた三越がでっかいヨドバシに変身を遂げていたので、ライブが始まる前の数十分をそこで時間を潰せたのが良かったッス!
…ここで吉祥寺のオサレショップとかに入らない(入れない)あたりがワシら夫婦らしい。
お酒もご飯もウッーウッーウマウマー゚+.(・∀・)゚+.゚でしたし、程よく酔ったところで始まったライブも良かったのです。
真実、癒されているはずでした。
はずでした…が…
何かこう、ふっと不安になるのです。
癒されているはずなのに、心拍数が上がっていくのです。
それが、心地良い上がり方ではなく、心臓が締め付けられるような感じで。
「フ…酒のせい…かな…」
なんて軽く流すことは出来ませんでした。
そういえば、ちょっと前にも似たような感覚を抱いたことがありました。
H.Kさんのライブ(アイアンメイデンのコピー)に行った時です。
アイアンメイデンはteko殿が持ってるのを数曲聴いたことがあるだけで、ライブでは全く知らない曲ばかりでしたが、知らない曲でも自分のソウルに「クッとくる」曲なら何でもノれる私。
ヘドバンまではいかないけど、体を揺らして音の洪水に身を委ねていました。
…が、ステージで髪を振り乱してギターを奏でるH.Kさんの姿を見た時に、
突然。
ふっと、不安になってきたのです。
手を伸ばせば触れるところにいる人が、妙に遠く感じてとか、
自分はこんなところで何をやっとるのかとか、
色々考えれば考えるほどに不安になっていくのです。
最近、音楽を聴いていても素直に泣くことも出来なくなりました。
昔はよく泣いていたのに。
音楽で眼がゴロゴロするまで泣いたのって、恐らくダルクファクトを聴いた時が最後だったんじゃないかなぁ…
teko殿のMIDIにH.Kさんの生ギターが乗っかってるヤツのですが、
初めてそのMP3を聴いた時に…まだイースをやったことがなくてダルクファクトのダの字も知らなかった私が、
雷に打たれたみたいに全身痺れて、頭が真っ白になって、PCのモニタの前で涙が流れるままボーッと聴き続けていたのです。
次の日も仕事中ずっと頭の中でギターがギュインギュイン唸ってました。
思い出すと、その時の私は癒されたいと思っていたワケでも、実際癒されたワケでもなくて、
純粋に、全身で感動していたのだと思います。
「《感動》などという言葉を不用意に使ってはいけない。人間の感動の構造は実に単純なのだから、感動を至上の目的とする者は真の芸術家ではありえない。」とラインベルガー教授(小説のキャラクターですが)が仰ってました。
でも、あの時の私は間違いなくよく頑張った!感動した!
…なんか混線しているようです。
間違いなく感動していました。
結局何が言いたいのか自分でもよく分からなくなってきましたが、
技巧がどうのとか、そういうのを超越して、ただ純粋に感動させてくれる新たな何かに出会いたいと思っているのです。
癒しは、もういらない。
そういえば、新人ギタリスト(笑)として樹原涼子さんの弟さん…じゃなくて息子さんがごきげんバンドデビューを果たしたのですが、
teko殿に感想を求めたところ、「まだまだ修行が必要だな。あと、エレキはちょっと樹原さんの曲には合わない気がする」…だそうです。
確かに、演奏自体は良くできてるな〜とは思いましたが、聴衆をグイグイ惹きつけるだけの魅力ある演奏ができるようになるにはこれからまだ練習とステージ回数を重ねていくしかないんでしょうね。
若人の成長に期待するとしましょうか。