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症例3〉神経線維腫と脳腫瘍 [2009年11月06日(金)]
■M.K嬢、17歳半、未婚。
■臨床診断:増殖が早く、肉腫タイプの転移の多い神経線維腫。また脳腫瘍もあり、このた
       め左半身が麻痺。

■生検および手術 
1)1941年2月、手術で鼻の下部の腫瘍を切除。
2)1943年3月、再発の腫瘍を手術で切除。
3)1945年6月、再び再発腫瘍を切除。
4)1949年6月、前頭部と頭頂部から、1つずつ計2つの腫瘍を切除。
5)1959年2月、ジャガイモ大の、大きな腫瘍を肺の中葉と共に切除。母親は「心膜の周辺
 もやられているので見通しは暗いと」と告げられた。
■インディアナ大学医療センターのレポート
 病患者は1943年3月6日、最初にジェームズ・ホワイトム・リレイ病院に入院した。「上唇が腫れる」と訴えていた。上唇は2歳の頃から少しずつ大きくなってきていたのだった。過去にガンはなく、また家族にもガン患者はいなかった。
 検査では上唇を取り囲んで、軟らかい腫瘍があるのが判った。以前にこれを切除しようとしたための傷跡もあった。知能検査ではIQは112だった。
 1949年3月9日、腫瘍を切除。この手術でその下の骨に圧迫萎縮が広く拡がっているのが発見された。組織病理学的診断では、唇の叢(そう)状神経繊維腫で、レックリングハウゼン病タイプの病状は認められなかった。手術後の経過はよく、同じ月の18日に退院した。
外来患者として6ヶ月ごとに診断を受けていたが、1945年2月までは腫瘍の再発はなかった。しかし腫瘍は大きくなり続け、同年6月25日再入院。同年29日に、手術で可能な限り腫瘍を切除した。
 組織病理学の報告は「増殖が速く多分、肉腫になって行く神経線維腫」だと述べている。翌月の8日に、「1ヵ月後に来院して診断を受けよ」という指示を受けて退院。しかし、1ヵ月後に患者は来なかった。
■インディアナ州エバンズビルのボーン肺結核病院の肺手術レポート
 胸腔に、小麦色の澄んだ胸水を少量認めた。腫瘍は容易に発見できるもので、胸膜の下にあって腫瘍の内側で、後ろ側にある脊柱と結びついていた。大きさは10センチ×6センチ。表面は軟らかく、22番の注射針で刺すと漿液血液状の黄色い液体が出た。
 メスの鋭い先と鋭い尻を使って胸膜を分け、腫瘍の下側を切り離した。黄色くて少し硬い腫瘍の表面を横切って、胸膜を完全に切り分けた。腫瘍の下側で、内側の厚くなった部分は腫瘍の本体の中に消え、腫瘍の内側の方は、退化した様子で黄色っぽくなっているのだった。
 腫瘍の下側の端は、脊椎の胸膜の下側に入り込み、見えなくなっていた。腫瘍のその他の部分は、明らかな付着箇所の後ろから掻きと採り可能な限り元に近いところから切除し、残った箇所は焼灼(しょうしゃく)した。
 付着箇所は脊中から発し、厚くなった神経の幹のようになっていた。基のところではこの神経の幹は異常に硬くなっているように観え、次第に太くなって腫瘍の中に溶け込むにしたがい、軟らかくなっていた。
■顕微鏡検査
 一部は硝子質化した外観を呈し、一部は少し長くなった紡錘状の細胞で覆われ、ところどころが繊維状のマトリックスになっていた。細胞の大きさ・形も様々で、中には染色に対し違う反応を示す細胞もあり、また、これらの数もバラバラだった。多くの細胞核がほとんど巨大化し、黒ずんだ色に染まった。1つの特別な場所には、たくさんの結節腫細胞があった。
■病理学的診断
 標本Aは血液色素の食作用を伴い、脳神経から発し、悪性化が早い嚢(のう)腫性神経節神経線維腫。「我々はこのような診断結果と患者これまでのガンの病歴から診て、将来あちこちに再発が起きると信ずる判断に傾いた」
 12人のガンの専門医が母親に「よくなることは無い。自分たちに出来ることは何も無い」と告げた。
■1950年6月20日ゲルソンクリニックでの初診時の状況おおよびその後 
 全身に小さな腫瘍が12あり、1つは顎の骨の左上部に、1つは眼の骨(眼窩)の上部外側にあり、まぶたを圧迫。1つは右側頭部、1つは左上腕、そして右下腕と左の腰の骨、腹壁などにそれぞれ2つずつあった。
 右耳の聴力は低下、右目も一部は閉じ、これは内側に出来た白内障のためだった。
 1ヶ月以内にほとんどの腫瘍は触知できなくなり、2ヵ月後には全ての腫瘍が消えた。3ヶ月目には大きく目立っていた傷跡のほとんどは、ウンと小さくなった。肝臓検査の結果は正常ではなかったので、「治療はずっと手を緩めずに続けるよう」に、助言した。しかし結婚後、私の助言に反し、2年間は全く食事療法から離れていた。
 ほぼ2年間は全て順調だったが、1955年12月、右腕が震え字が書けなくなった。そして目眩(めまい)がして階段を下りられなくなった。家の中や道路で何度か、よろけて転んだ。その後の数ヶ月のうちに視野−特に右目の視野が狭くなった。頭の中には「しめつけらるような感じ」や圧迫感を感じるようになった。
 1956年5月15日、眼科医が脳腫瘍が相当に進んでいるのを発見。盲目になるのを避けるために、「圧迫を減らす眼の手術をすぐに受けよ」と勧告した。そして4日後の同月19日、患者は母親と私のクリニックに再び戻って来た。
 3日後の同月22日、先の眼科医は「深刻な状況だから、すぐにも減圧手術をしないと盲目になる」と言った。母親の同意も得て、「私のクリニックでは手術しない。その代わり長期にわたるが、特に集中的な治療を使用」ということになった。
 同年6月22日。先の眼科医は「びっくりするような改善だ」と述べた。これと同時に、体全体も歩行も書くこともその他の行動もみな、改善された。そして患者自身および母親からの、何通もの手紙は「そういういい状態が続いている」と言って来ていた。
 翌1957年5月の終わり。母親から電話がかかって来て、「患者が突然意識を失い、強いテンカンの発作を起した」と言って来た。土地の2人の医者が「腫瘍が再び大きくなった」と診断した。私の解釈では最も考えられる理由は、体が毒された(中毒症)か細菌感染だった。
 私は「昼も夜も2時間おきにコーヒー浣腸をし、可能な限り大量の野菜・果物ジュースペパーミント茶を摂らせろ」とアドヴァイスをした。2日で患者は完全に回復した。そして母親は「メイドが週末にレバージュースを作った後、ジューサーのグラインダーを掃除しなかった」のを発見した。その結果、グラインダーには子牛のレバーのカスが2日半残って発酵し、それが月曜日に有害作用を起したのだった。
 私が受け取った最も最近の手紙は、同じ年の7月末のもので、「患者がさらによくなっている」ことを伝えていた。
■1956年5月22日眼科医のレポート 
視野:右目−20/100
   左目−20/40−1
瞳孔不動症、右目の瞳孔が左目より大きい。
右目−視覚異常。角膜反射−左目は正常とみられる。
凝視の場合に必ず回旋眼振があり、最初の位置でも色々な眼振がある(検眼鏡検査)。
努力して凝視すると時々、思い通りで無い動きを生じる。これは多分、脳幹のトラブルを示唆するもの。眼振は左側における方が右側へ向かう時より、ずっと早い。右目への動きには、より多く回旋的の動きが伴う。
内部/右目 白内障が起きかけている。白内障でなければ視神経炎の曲光度は1.5から2。
   左目 視神経炎の曲光度3。
 私の考えではこの視神経炎は頭蓋内の圧力の増加が原因であり、それは頭蓋内の組織の回復を示すものである。
視野と機能の検査をするために、注意深く、かつ個人的な試みもした。しかし、患者の充分な協力が得られず、確たる検査が出来なかった。

判明したこと
1)頭蓋内の組織の回復による視神経炎(頭蓋内の圧力増加が原因)
2)瞳孔不動症
3)間欠性の複視
4)時々起こる不整合運動
5)右目の角膜無感覚症 

診断:脳の腫瘍が拡大し、小脳および脳幹へも移転していると診られる。
深刻な状況で、すぐに最大限の処置が必要と思われる。
1956年6月22日眼科医のレポート 
視野:右目−20/100(白内障)
   左目−20/25−1
眼振はあるが、それほど目立たない。今日は不整合な動きは発見できず。
瞳孔不動症はある。しかし左目の角膜反応は正常。角膜反応は右目の方が、より、ハッキリしている。
右目は曲光度が1上昇、左目は2上昇。前に診られた左目の出血がなくなったと言う事実は、注目すべき変化である。
まだ時々複視あり。患者の両目の屈折の相違が原因と感ずる気に私はなっている。
左目の視野が20/40−1から20/25−1に向上したことは、驚くべきことである。
全体として、顕著によくなっている。
■1956年10月26日眼科医のレポート 
診察日は1956年10月19日。
視野:右目−20/200
   左目−20/20−2
角膜反射−正常。
右目の鼻側角膜は耳側より敏感ではない。
瞳孔不動症−右目3mm。左目4mm。
内部(検眼鏡検査)−右目視神経炎の曲光度3。左目3、出血は認められず。間欠性の複視。
問題点:
 左目の視力は明らかに向上したのに、視神経炎は前回の検査時より進んでいる。
 視神経炎が進んだことに関しては他のケースでも、私は(ゲルソンの意味=訳者)一時的なそういう現象を診ている。これは傷跡での充血・腫瘍が体に置き残したもの好転反応(フレアー・アップ)≠フ繰り返し、いわゆるアレルギー的な治癒反応などを示唆するものである。
■1950年6月21日X線検査レポート 
 背骨の検査では、骨や関節にける病変の証拠は認めず。
■1950年12月20日X線検査レポート
 頭蓋骨の検査で骨の病変は認めず。
■1955年12月7日X線検査レポート
 胸・髄軸・側面のX線検査。小さな条痕様の影が横隔膜の上側にある。X線検査の結果は、以前に胸膜の肥厚があったことを示す。左上葉に小さなカルシウム沈着が観られる。右の第6肋骨に手術跡あり。他に病理学的な状態は認められず。
■1956年5月22日X線検査レポート
 頭蓋庫打つ・骨軸・側面・基底のX先見さ。頭蓋全体を通じてかなり深い指状突起窩がある。周辺の蝶形骨大翼の一部を含め、側頭骨垂体部の頭上に転移を示す欠損が認められた。
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コメント
おじゃまします
Posted by:テレフォンセックス  at 2010年08月13日(金) 20:39

メル友が見つかるサイトになっています
Posted by:完全無料メル友サイト一覧〜安心なサイトです〜  at 2010年08月13日(金) 17:27

メル友サイト初心者でなければ、大概の人が知っていることですが、ほとんどの無料メル友サイトに同時登録というシステムがあります。
Posted by:無料メル友サイトの罠  at 2010年08月09日(月) 18:56