広島の中学生が作った「平和の歌ねがい」を広め始めて6年、今では「ねがい」は1609番までの歌詞が増え、世界一長い歌として日本テレビの木曜スペシャルでも紹介され(2007年11月)、錦野旦さんが当時の1022番までをうたってくださいました。また本人の1023番もねがいHPに収録されています。そんな私の今の夢はねがいでつながったケニアの子供たちのためにケニアに学校を建てることです。
「ねがい」ウェブサイト http://www.jearn.jp/2003conference/negai/index_j.html
ケニアグッズのフェアトレードショップ(ケニアの学校建設のため)
てづくりコネクション→ http://tedukuriconnection.web.fc2.com/

 
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ひょうたんつながり [2010年06月27日(日)]
 

故郷の海と山

ケニア行きを両親に理解してもらうことが今一番の難関でした。両親は80歳過ぎ、アフリカのことは遠くて、大変な生活をしている人々がいる。というぐらいの理解でしかないかなと思っていました。手紙で私たちの決意を伝え、電話でも母とはよく話したものの父からはひょっとしたら勘当されるかもと思いながら、故郷に帰り、一生懸命写真を見せながらケニアのことを話しました。

ケニアのヒョウタン

父はある写真に大変興味を持ちました。それはケニアでヒョウタンの中にミルクを入れて、保存しているものを現地の奥さんが抱えている写真でした。

父は自らヒョウタンを作りそれを丹念に磨き、色を塗り、絵を描いてもらったりして、素晴らしい芸術作品を作るのが趣味です。それを品評会に出して、日本一の大きさのヒョウタンという賞を得たこともあったのでした。

お化粧したヒョウタン

それで日本のヒョウタンはモノを入れるにはもろくて、液体など入れられなくて観賞用なんだそうですが、ケニアではそれを立派に容器として使っている。。それが興味を引いたようでした。そしてヒョウタンの歴史も知っていて、ヒョウタンの故郷はアフリカだと言って、ぐっと身近にアフリカを感じたようでした。

それからはワールドカップもアフリカチームを応援するし、ひょっとして私が来年ケニアの生徒を家に連れてきてもいいと聞くと、「もちろんだよ」と言ってくれたではありませんか!!

ああ!やはり私の親だ!と一挙に不安が氷解しました!

posted at 22:14 | ふるさと | この記事のURL
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マスダールシティーって? [2010年06月10日(木)]
 
カタールのドーハに行ったとき、石油は水より安く、近代的な高層建築が次々とできて行ってく一方スーパーでは輸入の野菜果物ばかりでこれは持続的な発展に逆行するなと思ったんですが。。

今日こういう記事を見つけました。「マスダールシティ」UAEアラブ首長国連邦の首都アブダビにある近未来都市だそうです。UAEといえばドバイが有名で、ここも近未来都市然としていて、一部ではバブルがはじけた?ともささやかれていますが、このアブダビでは2006年より、マスダール計画なるものが始動しています。

これは世界初の「環境都市マスダールシティ」を作ろう、という試みであり、2015年完成予定。アブダビ政府が中心となって進めている経済開発プログラムで、持続可能な社会の構築を目指すため、最先端のエネルギー技術の研究開発を近未来都市を作りながら行うようです。2006年5月に発表された10年にわたる計画では、予算総額は数千億円規模だそうです。

アブダビは逆説的に、潤沢なオイルマネーによって、自らが石油依存型から抜け出す広大なプロジェクトを始め世界のイニシアチブをとるべく動きだしているそうです。さて成功するでしょうか?
http://abudhabist.com/?p=50
You Tubeにも紹介されています。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v..



posted at 19:07 | ESD | この記事のURL
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ジュネーブとアウシュビッツで人権について考えたこと2 [2010年06月05日(土)]
 

雨に煙るポーランドの旧市街

ここでの見聞で『人権が侵されることは→支配者の思い通りに動かせる社会→いつでも戦争できる体制→戦争をすればお金が儲かり景気が良くなる。』という構図が読み取れた。

これは現代でも大いに教訓にすべきことである。社会が効率よく運ぶために不必要な人々は排除される。派遣の労働者、外国人労働者、政府に抵抗する人々、障害を持つ人々、高齢者、落ちこぼれの子どもたち。そしてその人たちの人権意識を麻痺させ、社会への批判を封殺する。単に景気を良くする効率のよい社会を作るというのはそこにつながるのではないか。そして行きつく先は戦争。。その犠牲者は社会の弱者であり、システムの上にのった人はお金儲けができる。。。そういう仕組みが今回のアウシュビッツ訪問でくっきりと見えるようになった。

アウシュビッツの生きのこりポーランド人のスモーレンさん

しかし当時の修羅場の中でもスモーレンさんのように抵抗した人もいたのだ。彼によると「抵抗というのは必ずしも武器を持って戦うということではなく、収容所で秘密裏に書いたメモを外に運び出す協力者、ポーランドの学校がドイツつの支配下で廃止されたがそれでも秘密に教えることを続けた教師たち、ユダヤ人をかくまった一般市民など、虫けらのようにナチス翻弄される人たちばかりでなかった。実際現在90歳まで生きていらっしゃるスモーレンさんにお会いして、アウシュビッツの悲惨さとともに、勇気のある人々の姿が浮かび上がってきた。最後のお別れのときのスモーレンさんの握手はとても力強かった。まるで「今日のお話をしっかりほかの人たちにも伝えてよ」とでも訴えるかのように。

地下壕に入ろうとするパルチザンの兵士の像

ジュネーブとアウシュビッツがここでぴったりと一致した。それは人権を守ることがどれだけ大切であるかということだ。子どもの権利、弱い立場にいる人たちの権利、それを守ることこそ戦争に進まない道である。社会の効率化、景気ばかりにこだわる社会の在り方は危険である。『共に生きる社会』これを目指してこそ、真の平和が生まれる。
posted at 15:37 | 外国 | この記事のURL
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ジュネーブとアウシュビッツで人権について考えたこと1 [2010年06月04日(金)]
 
ジュネーブの国連子どもの権利委員会で行われた審査は事前の子どもたちの研修の成果が発揮され、委員さんたちが、真摯に新自由主義が及ぼす、競争主義や貧困に苦しめられているこどもたちの状況改善を求める質問を日本政府に投げかけていたのが印象的であった。これこそ子どもたちの意見(悲鳴)を受容することが大切であるという精神であると実感した。

兵役義務が終わって歌って喜ぶポーランドの若者たち

それに対して、日本側の答弁が形式的なものに終始し、血が通っていないことを見せつけられた。しかしながら子どもたちの直接の訴えがこのように国連で反映されることで日本の教育の現状が少しでも改善されることを祈るばかりである。

「自由への道」と書いてあるアウシュビッツの入口

アウシュビッツは今までいろいろ授業でも取り上げてきたが、実際足を運んで、実物を見て、中谷さんやスモーレンさんのお話をうかがって、さらに深く考えさせられた。ユダヤ人がなぜ狙われたのか、中谷さんは『システムを維持するため』と言われた。最初その意味がわからなかった。

人間の尊厳も保てないトイレ

1920年代後半の不況下のドイツでヒットラーが合法的に首相に選ばれた。当時の社会を立て直すため何が必要か、それは不必要な人たちを排除して効率的な社会を作り、景気を向上することであった。そのターゲットがユダヤ人!今までユダヤ人が宗教的にも人種的にも憎まれていたためターゲットになったと思っていたが中谷さんによるとユダヤ人をターゲットにすることが一番社会をおさめ、お金を儲けるのに都合がよかった。

まずユダヤ人をゲットーに隔離して、彼らの財産を没収した。これでかなりのものがナチスの手に入る。次にドイツ社会の不要な人々(政府に抵抗する人々、身体障害者など)を収容所に入れ、働けるものは働かせそれで得た収入をナチスが没収する。次にユダヤ人を大量に(130万人のうちの110万人はユダヤ人)送り込み。彼らの持っている、衣服、靴、身の回りの品からひいては髪の毛、金歯を奪い取り、それを売る。これでナチスは莫大な富を得、社会の景気を上向きにした。髪の毛を毛布に加工してそれを売ることまでやった。(原料は秘密にして)
後半では収容しきれないほどの捕虜収容者が来るのでユダヤ人同士に管理させ、直接殺戮に手を下す作業もユダヤ人に任せた。このシステム作りで社会を階層社会(ユダヤ人が一番下)として固めていった。
posted at 16:08 | 外国 | この記事のURL
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ジュネーブ国連へ To the UN in Jeneva  [2010年06月03日(木)]
 
国連子どもの権利委員会の本審査傍聴にジュネーブに行きました。

全部で70名ほどのツアーでそのうち3分の一は子どもたち(青少年)です。彼らは普段の学校や社会生活での困難さを国連委員に訴える機会を得、それを国連の委員たちが子どもの権利条約に照らして、日本政府に勧告する審査の傍聴です。

国連ビルは元宮殿のPalace Wilson

日本は開発途上国に比べ、教育面でも恵まれていると思われがちですが、社会や学校での競争により不登校やいじめ、家庭の貧困など様々な問題に苦しめられています。

子どもたちの訴えを聞いて、国連の委員たちは日本政府に子どもたちにとってもっと生きやすい社会にするための質問を次々と投げかけて行きました。子ども手当、高校の授業料無料化はかなり評価されていましたが、社会で子どもたちをもっと共育する必要があるという観点をもっと高める必要があるという勧告でした。


しかし自らの訴えが国連に届くという経験をした子どもたちは今回の旅行でかなり自信を得て、make a difference の素晴らしい体験をしたと思います。

posted at 17:50 | 外国 | この記事のURL
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