『人』という字は、人と人とが支えあって出来ている金八先生
先日こんなことがあった。
とある講演会を皆で聞いていた時のこと。
「『人』という字は支えあって出来ているっていうけど、
僕には誰も支える力がありません。」
彼は静かな顔でそう言う。
一方的に支えられながら生きている感じがする、と彼は言う。
だから、自分は「人」として生きているのかと疑問だ、と。
狐狸は少し胸が詰まった。
そもそも、人という字の成り立ちは、支えあって出来ている訳ではない。
「人」という字は一人の人間から成り立っている。
世の中の多くの人は忘れている。
普段接することがないから、考えずに済んでいる。
健康で恵まれた自分を疑わずに生きている。
病に苦しむ人々や、認知症のご老人、
身体・精神・知的にハンディキャップを負った人達は極少数で、
自分達には関係のない世界のものだと信じている。
まさか彼らが生きづらさを感じ、恥ずかしいとの思いから、
ひっそりと生きる生活を選んでいる可能性には、
気づきもしないのかも知れない。
「『人』という字は、人と人とが支えあって出来ている」
使い古されたこの台詞は、場合によっては人を傷つける。
「支えあって生きていこう。人は一人じゃないんだ」
と金八先生が伝えたいのは分かるけど、
二人の人間が支えあって・・・という設定なのもいただけない。
もっと多くの人で支えあうべきではないのかな?
二者関係だからこそ、
「相手に迷惑」という発想が出てきてしまうのかも・・・。
大切なのは、自分に許される範囲での「自立」。
人が自分に与えられた中で立ち上がろうとする、
その姿勢が尊いのだと思う。
自分の生に真摯に向き合う限り、
人は人としていられるのだと信じたい。