うわわわ〜っと、とある感情がわいてきて、とっさに取ってしまった行動や、言ってしまったことがあった時に、それを指摘されたくない
多分それは世の常・・・
子供の頃は、そんな指摘を容赦なくされる(する)ために、なんだかピリピリした関係が多く存在していたような気がする
そんな失敗を繰り返し

大人になると、お互いに“見ないフリ”ができる部分や“我慢”もできるのだと思う
『向き合わない』選択もするようになる
敢えてそうしているのに、それを指摘

ハタ目には正論を言っているけれど、空気が読めないヤツだと言われるのか、ただの野暮なのか
そのバランスをうまく取っている


人を見ると、さすがだな〜と、感心するばかり
『正直者は嫌われる』とはよく言ったもんで〜“言わないのは知らないから”とは限らず。。。指摘をするのは『自分が正しいことを言っている』の自己弁護なのだろうか?無意識であろう《攻撃》に対して、弱い自分も感じている
気づかないフリや、負ける態勢を取る選択もアリ
「見ないフリしとけよ」そう思う私は、きっと言わない話。それを言う誰かも存在するわけで・・・それをKYと言ってしまうのか、価値観の違う存在として

断ち切るのか。もちろん、これを誰かに自分が思われている部分もあるのだと思う・・・
いくつになっても上手くならないこと

ならないからこそ、挑戦し続けてなんとかかんとか“自分なりの技”が身に付いてくるんだなあ

