姉の知人から姉に「妹さんが、あの日私の荷物を持ってくれたこと〜辛い中で救われるデキゴトでした〜ありがとうございます」的なメールが来たらしい
が、全く記憶にございません・・・

ソレは本当に私?そんなことしたっけ?っつーか、その人いたの?ってほど、覚えていないその日のこと

なんの気なしにやったことで「救われた」と思ってくれた人がいたこと。
しかも半年過ぎて言われるってことは、相手の中でずっと熟成されていたことなんだよね。きっと・・・
「フツーにできること」が、たくさんあったほうがいいね。
姉が何年か前に病院で、靴が脱げずにうごうごしていた

よそのおばあちゃんの靴をひょいと脱がせながら、通り過ぎたら〜とても感謝されたと話していた。
同じ頃、私はデパートでエス
カレーターのタイミングをはかれずに立ち往生のおばあちゃんと一緒に乗り込んで感謝されていた。
私たちにとっては、祖母にもやっていたことだからとても当たり前のこと。ただただ「フツー」でしかない。
そんなフツーのことで誰かが『救われた』と思ってくれたのを知らされると、
自分も役に立ってるんだな〜と思える大切なことだったりする
コーチング的には「FB」やら「承認」やら〜なデキゴト

これにより“自己肯定感”が高まるんだそうな
比較したり、人のせいにしたり〜自分は手伝いもせずに、やってくれている人への文句を言っていたり・・・
なんというか、余裕のない世の中

時間もゆとりもなく、なんだかみんなあくせくしている
1日ひとつだけでも、3分だけでも〜
なにかしらの「ほっ」はありませんか?
私は、コーヒーをフィルターでいれる時に『豆が膨らむのを見ている』と、香りももちろんだけど「
ゆったりした時間だなあ

」と、思える
