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連絡事項 [2009年04月29日(水)]

■オヤジ像のための50項目■


その1 社会的成功をなし得た人だけがオヤジになるのではない。みんなオヤジになるのです。そして、多くのオヤジは成し得ないままに生きています。

その2 オヤジは夢を描く余地が少ない生き物です。イマはアレだけどそのうちラッパーになってBigに! 若ゾウのような軽い脳みそではいられない。だから周囲の環境を変えることなく利用できることのほうがありがたい。

その3 女性は他力本願でいられるから、いつも人生の余興に興味深々でいられる。男性は自力しかないから、手の届かない世界を見せつけられると降参してしまう。

その4 等身大の自分よりグレードが上すぎる世界を見せられて、ポーッとしたり、憧れたりできるのは、女子供の特権です。『世界バリバリ・バリュー』のような『大金持ち』が登場するテレビ番組を平常心で見られるお父さんはどこかのネジがハズれている。

その5 ファッションとは変身願望を満たすものです。IT社長にはなれないけれど、ちょい悪オヤジにはすぐに変身できる。レオンが支持された理由である。

その6 ファッションには2通りある。軽薄短小な流行モノと、伝統のオーセンティック。スタイリストやショップオーナーは、オヤジ向けは後者が相応しいと考え、重みを持たせたがるが、現実には多くのオヤジが、それは自分に相応しくないことを知っている。

その7 営業マンにむけた営業用のスーツを新調するための記事は、ファッション情報として成立しない。

その8 ユニフォームは社会的従属を示し、ファッションは規範からの自由を示す。前者を重んじる者にとって、洋服や持ち物は体裁を満たす決まり事でしかなく、広い意味でのデザインを必要としない。

その9 オヤジ向け情報として、シガーバー。割烹。北方賢三おすすめの料理店。オヤジらしいとされる情報は、オヤジの行動範囲を狭めるものばかりである。それはそのメディアが扱う洋服やアイテムによって、より強調されたり、緩和されたりもする。

その10 オヤジがキレイでいることの大変さは、若造の比ではない。新陳代謝は落ちる、シワは増える。けれど、顔や手のシワを魅力に変えられる可能性があるのは、オヤジだけの特権です。

その11 キレイな若造は佃煮にするほどいる。けれど、カッコいいオヤジは希少です。オヤジとは磨き甲斐のある生き物です。

その12 女性誌の『クラッシー』や『ベリー』のように、徹底的に高価なアイテムを紹介し、「自分にちょっとご褒美、ダイヤのチョーカー37万円」、みたいなバブル感覚は、リアルな今を生きるオヤジには切なさにしか感じられません。

その13 社会的成功は多くの場合、ファッションを画一化させる。そのときに必要なのはプレタポルテではなくオートクチュールです。

その14 社会的成功がないオヤジでもカッコイイ、大丈夫。趣味で読むメディアならばそのくらいは癒してほしい。実際、遊び心のあるなしと、社会的成功にはなんの関連性もありません。

その15 オヤジたるもの、という精神論の上に構築される情報は、多くのオヤジを息苦しくさせる。俗人は優しいほうに流れるものです。

その16 社内の出世競争にばかり目が向くタイプのオヤジは、ファッションオヤジにはなりにくい。つまりビジネス誌的側面とファッション誌的側面の融合は成功しない 。

その17 オヤジとは生物的な衰えを知っている哀しい生き物であり、またそうあるべきである。

その18 ファッションに傾倒するオヤジは、自分が好きで、ある面でストイックです。キャバクラに通うオヤジは、自分が好きで、ある面で丸出しです。両者は決して相入れない生き物で、その境界線を見誤ると、両者から背を向けられます。ついでにいえば、ファッションもキャバクラも好きじゃないオヤジは、ただ、今日を生きているだけです。

その19 あなたはもうオヤジなのだからこれを着なさい。そう言われるのは迷惑です。自主性をかきたてられるファッションなら歓迎します。

その20 会社の色にそぐうスーツ、会社の色にそぐうネクタイを着用することに、なにひとつ自尊心を削られなかった男は、成功の有無、富の有無に関わらず、ファッション誌を必要としません。

その21 不良青年だったオヤジが本を読み始めるとカッコイイけれど、文学青年だったオヤジがファッションに目覚めるとカッコ悪い。不良はそれ自身がファッションで、性的アピールを感じさせるけれど、文学はモテない男の遅咲きを連想させる。ファッションは生きざま。ネチネチとした理屈付けをイメージさせるものほど相性の悪いものはない。

その22 たとえばカッコイイオヤジというお題目で、北野たけし、岩城晃一、チャーはアリだけど、長渕剛、奥田瑛二はナシである。なぜかと聞き返す人に、理屈で説明するのは難しい。「まったく同感です!」。感覚的にうなずけるようにするのがファッション誌の役割とセンスいうものである。

その23 遊びの時間ぐらい、肩書のない自分でいたいのです。

その24 実のところ、オヤジになったからとて、若造の頃と変わることは少ない。人は本能的な欲望を追及するために生きているのであり、本質が揺らぐことはないのです。一見、若い頃と違ってみえるのは、昇華でも悟りでもなく、諦めのせいです。

その25 若造の目に「オヤジにはなりたくない」と映るのは、客観的に見て魅力がないからです。オヤジは若かりし日の感覚を呼び起こすべきです。

その26 女にモテたい。それだけのモチベーションで自らのファッション性を継続するのは難しい。

その27 「本当にカッコイイ人はユニクロを着ててもカッコイイ」。よく言われる表現だが、この言い方は間違っている。ユニクロを着ててもカッコ良くいられないようなら、ファッションは金銭的に破綻する。たいていのオヤジは小遣いが数万円なのだから。

その28 リーズナブルなブランドを掲載することで格が下げるファッション誌に勝利はない。掲載されたリーズナブルなブランドの格を上げるファッション誌だけに勝利がある。チープにならないキワキワの玉石混合。生活レベルなどの現実感からして、一般のオヤジはそれを望んでいる。

その29 富裕層は多くの場合ファッシナブルではないし、その努力もしない。もしくは悪趣味でもわが道をいく。大金がセンスを凌駕するのだから。一般にファッションとは、工夫とセンス次第でグレードアップできる、一般人にこそ向く変幻自在の武器なのです。

その30 「俺はサラリーマンだからさ」。『サラリーマン』とは多くの場合、自分の人生が窮屈であることを示すときに使う負の言い方です。サラリーマンとは呼ばないで。

その31 若者のころファッションを好きでなかった男が、オヤジになってファッションに目覚めることはほぼありません。

その32 オヤジには、社会的成功か遊びに使える金額を増やす以外に、男前になる方法はないのでしょうか?

その33 ほとんどのオヤジはファッションのファの字も忘れて生活している。そこに大金を必要とする純粋なファッション情報を流しても、決起する可能性は低い。

その34 女性ファッション誌は夢さえみさせておけばいいが、オヤジメディアにはどこかに現実感のあるフックをひっかけておきたい。所詮、すべての流行は誰かが儲けのためにしかけたこと。オヤジならばその程度の裏は読めるのだから。

その35 オヤジとは統計のとりにくい生き物です。

その36 年齢を問う愚かさに気づきたい。魅力とは個性の力。きちんと生きていれば、年をとるほどに花開く。

その37 30代後半はDCブランドブームの洗礼を受けた世代。いまさら教えられなくても、いいものくらいわかる。けれども、デパートのナショナルブランドフロアを歩き、ああ高いモンはやっぱりいいなあと思い、それで通りすぎておしまい。それに手を出して楽しさが勝るほど裕福ではないからだ。

その38 オーセンティックは所詮予定調和である。新しくオヤジの生きる世界を提案するなら、予定不調和であってほしい。

その39 ファッションは流行歌と同じで、すぐに変わるべきものです。不変のファッションなど取り上げると、人生まで止まってしまいます。

その40 いまの男は大人にはならない。いつまでたってもガンダムのプラモデルを作る生き物です。

そ41 ファッションは、時計やステレオほどウンチク一辺倒では魅力的にみえない。ビジュアルによる説得力が必要です。

その42 なにかを成しえた男の語るモテ話は大変迷惑です。本人の魅力を見ずに、社会背景だけで男を選ぶ女がいくらでもいることを、オヤジは痛感しているのだから。出世したらモテるよ、という話なら、ビジネス誌がお似合いです。

その43 デジタル・ギアなど、モノに執着するオヤジと、ブランドなど服飾に執着するオヤジは、あきらかに人種が分かれる。ファッション性のあるデジタル・ギアはこの限りではない。

その44 ファッション誌は映画や遊園地に行くのと同じで、娯楽です。TDLではお弁当を広げてはいけないように、ファッションメディアの中に年金問題や小子化問題が出てくる必要はありません。オヤジにはそうしたリアルが身に染みて、乗りが悪くなります。

その45 高価なプレゼントをするなど、常にお金を使うことで女子の気を引こうとするオヤジは、自分のファッションには興味がない。本気でキャバクラに通うオヤジにオシャレな人はまずいない。

その46 ダメなオヤジは若造のチャラさを嫌います。それは自分に、なくした若さを補うだけの社会的成功がないからです。そして、若造のチャラさを保つ柔軟さもなかったからです。

その47 オヤジは味です。味自慢なのです。

その48 俗な「ファッション」とは華やかさである。いくら良質な仕立てであっても、お金をかけて地味になることを持ち上げるほど、この国のジャッジは紳士的でも退屈でもありません。

その49 たった一本の企画、一枚のビジュアルでも、ため息がでるほどのハズレなら、ソッコーでケツをまくる。ファッション意識の高いオヤジとはそういうものである。

その50 オヤジはオヤジである自分が背負っている世界をイヤというほどわかっているものです。そこには確実に諦めや息苦しさがある。伝統的な「オヤジらしさ」の呪縛から解き放つこと。夢見る頃を過ぎても夢見させること。ニューウェーブオヤジメディアの成功はそこにあります。



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コメント

椿さん

ご無沙汰です

ごめんよ、これは企画書のようなもんで、
もちょとしたら消しちゃいますー。
Posted by:naokichi → 椿  at 2009年05月12日(火) 00:53

nahnaさん

こんばんは

>今ある幸せに感謝して生きる

うん。本当にそう思います。nahnaさんのコメントはいつも、幸せは関係性の中で作られることを滲ませる。

僕は一人で生活しているから、幸せが薄っぺらい。
本当に守る意味のあるものを、探さなくちゃなあ。
最近、本気でそう思うようになりましたな。
Posted by:naokichi → nahna  at 2009年05月12日(火) 00:51

おかえりなさい。
以前紳士アパレルメーカーに勤めておりまして
オヤジ達に買ってもらうにはどーすればいいのかを
考えていた時期があり、ふむふむと読ませて頂きました。

Posted by:椿  at 2009年05月04日(月) 17:48

こんばんは〜
花粉症から無事のご帰還でしょうか

オヤジを作り上げてきた妻と致しましては、未だ働きにも出ずにいる自分の身の置き所がない現状です
その分
「毎日お仕事ありがとね〜
なんていうメールを送ってみたりして。
ないものねだりをするよりも、今ある幸せに感謝して生きること、大切ではないかなぁと思っています。

何はともあれお帰りなさい!
Posted by:nahna  at 2009年04月29日(水) 23:27