〜脂肪肝ヲ改善セヨ〜

至適体重トナルマデアラユル努力ヲ継続シ
更ニハ体力及ビ精神力ヲ増強スルベシ

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映画の効用 [2010年12月05日(日)]
昨夜、久々にゆっくりとユーチューブを閲覧していたら、ある映画に行き当たった。タイトルは「樺太1945夏 氷雪の門」である。

この作品は、昭和20年ポツダム宣言受諾後の樺太、真岡郵便電信局事件を核として、同地における日本人の悲惨な逃避行と、旧ソ連(現在のロシア)の非道暴虐残忍ぶりを史実に基づいて映画化したものである。

映画が作成されたのは昭和49年で、全国ロードショーの予定だったが、ソ連の圧力で全国的に公開されなかったそうである。

真岡郵便電信局事件とは、同局に勤めていた若い女性の電話交換手達の多くが、内地へ疎開せず交換業務を続けていたが、ソ連の侵攻が真岡に達し、ソ連兵が間近に迫ったため服毒して自決したという悲惨な事件である。

なぜ服毒して自決しなければならなかったか、その理由については、既出「約束の効用」に書いているので、ぜひご一読されたい。

私はこの映画を見て大変衝撃を受けた。これほどまでに樺太における終戦時の混乱と、ソ連軍の無法を映像化したものを見た事がなかったからだ。ユーチューブに投稿されている動画は全13編に分割されているが、一気に観てしまった。いや、一気に観ざるをえなかった。

日ソ中立条約を一方的に破って樺太や北方領土に攻め入ったソ連軍が、大勢の民間人を無慈悲に殺戮するシーンは、おおかたの人が涙を流すに違いない。

国と国との約束である条約を平気で破り、国際法も無視して、ただ凶暴な武力のみで日本の領土を制圧し、今も占領し続けているソ連、今のロシアには、ただただはらわたが煮えくり返る思いだ。

わずか65年前のこうした悲惨な事実すら知らない大勢の日本人に、必ず観てほしい作品である。
posted at 13:50 | 戦争と平和 | この記事のURL
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愚か者の効用 [2010年11月23日(火)]
本日、北朝鮮軍が北方限界線に近い韓国の島を砲撃し、韓国側に軍人、民間人含め相当数の死傷者が出たそうだ。

いつもは六カ国協議に復帰するだのしないだの、また、核濃縮施設がどうのこうのというニュースばかりがクローズアップされるが、本日のこの事件で、60年前の朝鮮戦争以来、いまだ両国の戦争状態が続いていることを思い出した人も多いだろう。現在の両国は単なる休戦状態にあるだけで、いつこういう事態が起こっても不思議はないのである。

それにしても、北朝鮮という国は本当にどうしようもない愚かな国だ。大勢の日本人や韓国人をさらって返さないばかりか、状況が自分達に都合悪くなると、たちまちならず者の本性をむき出して、ミサイルを撃ってみたり核実験をしてみたり、とうとう今回のような事態になってしまった。

中国の後ろ盾と援助がなければこんな国はとっくに潰れているだろうに、この国の指導部はいつまで罪の無い人民を苦しめたら気が済むのだろうかと思う。いつの日か、この国がまともになる時が来て、罪の無い人民が皆救われることを願わずにはいられない。

さて愚か者といえば、我が国の法務大臣が辞任したが、この人などもその代表的な一人だろう。

日本国の政治におけるひとつの分野を代表する大臣のくせに、ろくにその立場をわきまえず国民と国政を愚弄するような馬鹿な発言をした結果だから辞任して当然だが、本人は、なぜ自分が辞めなければならないのかと言っていたらしい。

この人は以前、日本で一番難しい大学で勉強したと自分で言っていたが、上記の発言を聞くと、我が国で一番難しい大学を卒業していても、馬鹿で愚かな人がたくさんいることがわかる。

しかも、そういった馬鹿で愚かな人が政治家に多いものだから、我々国民が大変迷惑している。本当に何とかしてほしいと思う。
posted at 21:08 | 戦争と平和 | この記事のURL
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靖国の効用 [2010年08月15日(日)]
東京九段にある靖国神社は、幕末明治維新以降の国事殉難者・軍人等を祭神として祭る神社である。類似のものとして、全国的に護国神社がある。

ここには主として、国を護るためその尊い命を捧げた英霊が祭られている。徴兵制度があった昔、ほとんどの男子は戦争に行ったから、つまり、大方の日本人の御先祖がここにおられる。我々が日々こうして、どうでもいいことをのん気にブログに綴れる平和があるのも、その昔、これらの方々が大変な御苦労を背負い、国の礎となって下さったおかげである。

これら英霊は、国の命令で戦争に行き、そこで命を落とした訳だから、国は当然、彼らに哀悼の意を表する義務・責務がある。ところが、今の政権は、首相はじめ全ての閣僚が全員靖国を参拝しないと言う。

これは、英霊を完全に愚弄しているとしか思えない行為である。

参拝は、して当然なのである。国と国民を護るため戦って死んだ人達に、国の指導層が揃って頭を垂れ、哀悼の意を表するのは、国として当然すぎる義務である。国のために死んだ人達を、国が慰霊しないで一体誰がするのか?

昔はこの時期が来れば、総理大臣はじめ閣僚が揃って靖国を参拝したと聞く。しかし、我が国の弱腰に付け込む近隣国がこの靖国参拝をカードにし始めてから、毎年この時期が来ると、靖国に参拝するのしないのと、馬鹿な議論が始まる。

そんな近隣国の言いがかりに負け、卑屈になって言いなりになるのは、見ていて全く腹立たしい。こいつらは全員売国奴だ。今後、この政権に我が国を任せる訳にはいかない。

A級戦犯の問題にしても、連合国側がもともとどこにも根拠のない罪状をでっち上げ、A級戦犯なるものを仕立て上げただけのことである。しかも、そのA級戦犯とされた人達を靖国に合祀することは、昭和二十年代後半の国会決議で、当時の議員達が可決し、国として正式に決めている。

つまり、A級戦犯とされた人達は、当時の国会がちゃんと名誉回復しているのだ。

それを最近になって、A級戦犯が靖国に合祀されているから参拝しないなどとたわけた事を言うのは、国会議員のくせに自分達の先輩が決めたこともろくに知らない単なる勉強不足の馬鹿者か、我が国を護るよりも近隣国に媚びる方をとる売国奴か、どちらかであろう。

私も以前東京へ行った折には、何回か謹んで参拝させていただいた。折角お近くにおられる方は、終戦から65年目の節目の今日、ぜひ今からでも靖国に足を運び、我々が享受しているこの幸福と繁栄の基礎を作ってくれた英霊達に、素朴な感謝の祈りを捧げていただきたく思う。
posted at 15:31 | 戦争と平和 | この記事のURL
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約束の効用 3 [2010年03月22日(月)]
沖縄の普天間基地移設問題が暗礁に乗り上げている。

今の首相は去年の選挙の時、普天間は必ず県外に移転すると国民に大見得を切った。これがどれだけ実現可能性のある約束か、常識ある国民なら誰が考えてもわかろう。

「必ず移転する」と軽々しく言ったが、それなら、移転先候補地はどこなのか、その土地への根回しはしているのか、了解はとりつけてあるのか、また、これは国内にとどまらず、米国との当初の約束を破るわけだから、米国との協議及び調整は済んでいるのか、等等、そういった発言をする前に固めておかねばならないことが山ほどある。

しかし、今の首相及び政権は、単に選挙のためだけに、できもしないのにそういうことを軽々しくぶち上げ、国民の歓心を買ったのだ。

その結果どうだろう。去年の終わりかいつだったか、普天間の移設については5月には結論を出すと首相は言ったが、3月も終わろうとする今に至っても、いまだ地元沖縄県、連立与党内、米国との協議が終わるどころか、暗礁に乗り上げていると聞く。

誰が考えても難しいと思われるこの重大事を、必ずやると首相は言ったのだ。沖縄も与党も米国も、全員が諸手を上げて賛成する案などあるわけがない。

難しい案件をぎりぎりのところで調整していく、その過程の連続が政治というものであろう。とすると、実際に現場で求められる過酷で煩雑な調整を一切やることなく、思いつき的な耳ざわりのよいことを口にするだけの首相と今の政権は、全く無責任としか言いようがない。そういう無責任な態度をとり続けた結果、沖縄からも米国からも不信感を持たれ、話が暗礁に乗り上げてしまったのである。

結局、首相ができもしない約束をしたから、こういう事態に立ち至ったのである。当の首相はいまだ、これからの話で実現の可能性があるような口ぶりの発言をしているようだが、日本国の最高責任者が、度が過ぎた八方美人的な発言で国民を惑わすのにもほどがあろう。日本一難しい大学を出ておられると聞いたが、良識ある普通の市井人よりはるかに頭が悪いようだ。

ただ、基地が残るにせよ残らないにせよ、地元である沖縄の方々には、何らかの形で手厚く報いてあげなければならない。

大東亜戦争時、民間人を含む唯一の激戦地となった沖縄は、特別な場所である。

圧倒的な物量で攻め来る米軍相手に、軍人はもとより、一般県民の皆様も、老若男女それぞれの立場で身命を賭して懸命に闘い、行動なさったと伺っている。

その様子については、沖縄戦を指揮した海軍司令官、太田少将が自決前、海軍省あてに打電した電文に詳細に記されている。電文の最後、少将は、「・・・沖縄県民斯く戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを。」と締めくくっている。私も一読して、当時沖縄の皆様が置かれた状況がどれほど過酷であったかよくわかり、哀悼の念を捧げずにはいられなかった。

当時の司令官をしてこのように言わしめたほど、沖縄の方々は、今の我々には想像できないほどの御労苦を背負われたのだ。

それだけでなく、現在においても、米兵による強姦事件や様々な事故など、沖縄の方々は他県にはない犠牲を払われている。

日本国民全員が、この事実を決して忘れることなく、この問題を人事と思わず真剣に考えて行かねばならない。沖縄の方々には、本当に手厚く報いて差し上げねばならないだろう。

なお先述の電文は、「沖縄県民かく戦えり」で検索するとヒットする。日頃化粧とダイエットに命をかける皆様も、当時本当に「命」そのものを賭けて行動した人々の記録を、ぜひご一読いただきたい。
posted at 12:19 | 戦争と平和 | この記事のURL
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平和の効用 3 [2009年03月10日(火)]
今日、三月十日は、今から六十四年前、東京大空襲のあった日である。

それまで米軍は、軍事施設のみをピンポイント爆撃していたが、一般市民を巻き込む無差別絨毯爆撃に方針転換したのである。

現在は平和なリゾート地であるサイパンなどの滑走路から飛び立ったB29爆撃機の群れは一路東京を目指し、戦争に疲れた当時の東京府民の上に大量の焼夷弾をばら撒いた。

焼夷弾は通常の火薬でなく、弾体内に燃焼材を充填した爆弾である。ゼリー状の燃焼材は火が着くと消えにくく、この火を浴びて十万人に喃々とする人々が犠牲になったと聞く。また当時の日本は燃えやすい木造家屋が多かったため、余計に損害が拡大した。

私は中学生の時、学校でこの東京大空襲の様子を特集した番組のビデオを見た事があるが、それはもう悲惨な状態だったのを記憶している。燃え盛る家々、逃げ惑う人々、もうこの世の地獄である。その被害は原爆並みではないかと思われる。

東京大空襲にしても原爆にしても、米国は、戦争を早期に終わらせるため必要だったと自分を正当化するが、私には理解できない。

そもそも、一般市民を無差別に殺傷するというのは許される事ではない。戦争も外交の一手段である以上、厳格に守らねばならないルールがあるのだ。

しかし米国はじめ戦勝国は、勝者のおごりなのか、それまで国際社会が積み上げてきたルールを無視し、自己を正当化するだけでなく、東京裁判において、それまでなかった罪状をでっちあげ、多くの日本人を絞首刑にした。

更にソ連、現在のロシアは、北方四島や南樺太を不法に実効支配したまま日本に返還しない。このように、当時の戦勝国の勝手で横暴な態度が、六十四年経った今も大きな影響をもたらしているのだ。

そういった身勝手な数々の戦後処理はいつか批判され、当事国が戒められるものと思うが、ただただ一人の人間として、大空襲で亡くなられた方々に、心から哀悼の意を表したい。
posted at 23:33 | 戦争と平和 | この記事のURL
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平和の効用 2 [2009年01月10日(土)]
正月ぼけの頭で今年第一週目を乗り切り三連休に入ったが、私が暢気に過ごしているこの一刻一刻にも、世界の各地にはひどい目に逢って苦しんでいる人達が大勢居る。

とりわけ、最近目を引くのはガザ地区のパレスチナ住民だろう。逃げる事も許されず、イスラエル軍の戦車砲により大勢の人々が殺され、また怪我を負っているのは連日の報道のとおりである。イスラエルは武装勢力であるハマスのみを攻撃の対象にしていると言うが、ニュースを見る限り、実態は無差別攻撃である。それどころか、住民を一つの家屋に押し込み、そこに砲撃を加えたりしているそうだから、これはもう虐殺だ。まだ幼い子供達が大勢血まみれになって恐怖に怯えた顔をしているのを見ると、なんでこの子達がこういう目に逢わねばならないのかと悲しくなる。

ハマスもイスラエルに攻撃をしかけているが、イスラエル正規軍はそれと比較にならない強力な最先端装備でパレスチナ住民を殺傷しており、かつてナチスのホロコーストによりひどい目に逢ったユダヤ人が、今度はパレスチナ住民を同じような目に逢わすのかと言った感がある。

イスラエルの成り立ちは実に複雑微妙で、一筋縄にはいかない。

西暦百年前後の遠い昔、当時強大だったローマ帝国に国を追われたユダヤ人達は、世界各地に散っていった。

その後十九世紀に起こったシオニズム運動により、世界各地よりパレスチナの地に戻ってきたユダヤ人達は、1948年に現在のイスラエルを建国した。

ただ、それは裏返すと、それまでそこで暮らしていたアラブ人をよそへ追いやって建国したという事だから、事が複雑なのだ。そうしてまで勝ち取った国だから、過剰とも思える武力を行使してまで、国を守ろうとするのかもしれない。

しかし大勢のパレスチナ難民を生んだそういう態度は、当然アラブ人をはじめ、周辺のアラブ・イスラム諸国を敵に回し、悲惨な死闘が今に至るまで続けられているのだ。

全ての人間の罪を一身に背負い磔になったキリストと、これまた人々の幸せを説いたイスラム教の創始者マホメッドは、聖地エルサレム至近で繰り返される今のこの有様をどう感じているだろうか。

不景気で給料が上がらなくても、妻の愚痴は減らなくても、死んだり大怪我をしたりする事はまずない。

今この平和な国に暮らせている事に心から感謝するとともに、彼の地の人々が、一刻も早く争いをやめて平和に共存してくれる事を、ただただ願うばかりである。
posted at 14:40 | 戦争と平和 | この記事のURL
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平和の効用 [2008年08月14日(木)]
八月十五日、終戦から六十三年目を迎える。

今から六十三年前、温暖化の進む今ほどではないにしても、恐らく暑い日だったと思われる。
「朕世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ、以テ時局ヲ収拾セムト欲シ・・・」から始まる昭和天皇の詔勅を、頭を垂れながら、また膝をがっくりと落として聞く人々の姿を、モノクロームのフィルムで見た方も多いだろう。

昭和天皇はその詔勅の中で、「・・・万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス。・・・」と、戦争を終結させ未来に向け平和な世の中を作ることを国民に向け仰った。

それから六十三年。日本は押しも押されもせぬ平和で立派な国になった。これは、この六十三年の間に、それぞれの時期を支えた数多くの人の努力の積み重ねによるものだ。

とかく「戦争は遠い昔のことで、想像もつかない。」などと言う人がいるが、さほど昔の事ではない。わずか六十三年前の事なのだ。例えば今三十二歳の人は、その人が生まれる三十二年前は、まだ戦争が終わっていなかったのだ。自分が生まれてから、若しくは物心付いてからの時間の経過の早さを考えれば、六十三年がそんなに昔の事だとは思えないように感じる。

当時を生きた人々も、高齢化し数も減っている。お身内にそういう人がいれば、ぜひ今のうちに当時の話をよく聞いておかれるべきだろう。実際体験した人の話は、重みがある。

軍人だった身内の墓があれば、お盆の墓参りの時、墓石の側面をご覧になると良い。
そこには、その人がいつどこで戦死したかが彫りこまれているはずだろうし、それが嫡男(跡取りの長男)だった人なら、その人が生まれてから戦死するまでの人生の経緯が詳細に記されているのではないか。少なくとも、うちの墓はそうなっている。

活字や墓碑銘だけを見ると、簡潔な記録にしか過ぎない。
しかし、その行間には、字や銘がとても伝えきれない、その人の人生があるのだ。

平和で物が溢れ、おいしいものに不自由せず、自由に生きられる今の日本の有難さは、六十三年前に礎となって亡くなった大勢の人々がいたからこそ、享受できるものなのである。

せめて終戦記念日には、その事を心に刻み、今の我々には想像もつかないほどの苦痛と絶望の中で死んでいった人々の事を思い、頭を垂れて感謝の念と冥福を祈る気持ちを表すべきだろう。
posted at 00:34 | 戦争と平和 | この記事のURL
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原子力の効用 [2008年08月03日(日)]
もうすぐ、八月六日、八月九日がやってくる。前者は広島に、後者は長崎に、かつて昭和二十年のその日、原子爆弾が投下された日だ。

広島に投下されたのは通称”リトルボーイ”というウラン爆弾。これはガンバレル方式と呼ばれる起爆方法で半球型のウラン塊を衝突させ、その衝撃によりウランを超臨界状態にさせるものだ。後の調査によると、この爆弾には六十キログラムのウランが搭載されていたが、実際臨界に達したのはそのうちわずか一キログラムだったという。たったそれだけで十数万人が亡くなり、甚大な被害が出たのだ。

長崎に投下されたのは通称”ファットマン”というプルトニウム爆弾。これはインプロージョン方式と呼ばれる起爆方法でプルトニウムを全方向から一定均一に爆縮し、その圧力で超臨界状態にさせるものだ。こちらの方が燃料を得やすく、トータルでコストも少ないという。これによる被害も甚大で、約八万人が亡くなったと聞く。

そもそもなぜ核兵器が恐ろしいかといえば、通常爆弾に比し余りにも大きい破壊力と、残存する放射能の影響があるためである。

前者については、通常のTNT火薬の百万倍のエネルギーがあるそうだ。広島原爆の場合、東京大空襲で投下された通常の焼夷弾総量の八倍もの破壊エネルギーが、東京大空襲よりも狭い広島市内に降り注いだ。
また、通常爆弾を格段に上回る熱線と爆風も原子爆弾の特徴である。地上わずか数百メートルで爆発した原爆は、その火球の表面温度が数千度に達し、実に一つの太陽が地表間近に出現したのと同じだったそうだ。その熱さや想像を絶する。そのひどさは当時大やけどを負った人々の写真を見ると良く分かる。人体の広範囲に亘って皮膚がべろりと剥け、余りにも痛々しい。また、大型低気圧かそれ以上の速度に達する爆風は、ものすごい運動エネルギーで家屋等を倒壊・破壊した事だろう。

後者については、放射線による人体への直接的・間接的被害が甚大であった。放射線は人間の遺伝子を破壊し、変化させ、その作用により癌や白血病など重篤な症状をもたらす。しかもそれは、爆発直後その場所にいた人々だけでなく、救援のため現地入りした人々などにも二次的・三次的な被害をもたらし、原爆症として今なお大勢の人々が苦しんでいる。

このように、単に爆発して終わり、という単純な兵器でないところに、原子爆弾の恐ろしさがある。
それは、人類史上初めて、その悲惨さを身をもって経験した広島・長崎の人しかわからないものかもしれない。
私は、かつて幼い日、広島原爆資料館で当時の悲惨な記録写真や展示物を見、また長崎の浦上天主堂を訪れた経験があるが、大変ショックだった。
近くを旅行などされる方は、是非立ち寄って、ご自分の目で見ていただきたい。当時そこにいた人々がどれほど苦しい目に逢ったかを。
また一年程前、目にする機会があって涙したのは、「焼き場に立つ少年」という写真とその解説である。長崎原爆で死んだと思われる幼い弟を野焼きの臨時火葬場に背負って連れてきた少年の写真だが、是非ネットで検索して見ていただきたい。

当時は全国民が悲惨の底にいたと思うが、その中でもとりわけこれら二地域の方々は、特別なご労苦を背負われた。その事は、全ての日本人が忘れてはならない事だと思う。

原子力は、発電や医療など平和目的にのみ利用されるべきであって、決して兵器に使用してはならないものだ。
一日も早く、全世界から核兵器がなくなり、軍備が撤廃されて、真に平和な世界ができる事を熱望する。

どうでもいい話だが、大学時代コーラス部にいた私は、当時、広島原爆を題材にした「川よ とわに美しく」という歌を歌った事がある。

その歌の最後の歌詞のように、広島・長崎で原爆の熱い炎に焼かれた方々に、清冽で冷たい水を、やさしく含ませてあげたい。
posted at 19:01 | 戦争と平和 | この記事のURL
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約束の効用 [2008年07月30日(水)]
日常生活においては、自分を取り巻く人々との間で、様々な約束が交わされる。
これについてはこうこうしましょう、あれはこのように処理しましょう、云々。
子供には、今度の日曜また釣りに連れてってやろう、という約束。恋人には、今度いついつデートしましょう、という約束。妻には、今度これこれを買ってあげましょう、という約束。いや、これは約束ではない。ただの強制だ。

約束がなされると、自分も相手も、信義誠実の精神に則り、お互いその取り決めを守らなくてはならない。約束が破られた時、破られた方は辛い思いをし、破った方は信用をなくす。

私がこれまで聞いた中で一番ひどいのは、大東亜戦争末期における、ソ連の裏切りである。
当時日本とソ連は、日ソ中立条約という条約、つまり国家間の約束を交わし、お互い中立を守って相手国に攻め込まないという約束をしていた。
しかし、日本の敗色が濃くなるや、ソ連はこの中立条約を一方的に破って、当時日本が支配していた満州や南樺太、千島列島などに侵攻してきた。
昭和20年8月9日。丁度長崎に原爆が投下されたのと同じ日だ。

しかも、ただ侵攻しただけではない。

日本の女性を手当たりしだい強姦したとの事だ。

ソ連というのは実に野蛮な国で、国家としてそういう強姦行為を認めていたと聞く。
上記地域に住んでいた女性や、朝鮮半島などに命からがら逃げようとした女性達を、幼い娘から老人に至るまで、ことごとく強姦したそうだ。
引揚港であった舞鶴や博多にはこのような目に逢った女性も多く帰還してきたが、妊娠していたり、性病に感染したりしていた人も多く、堕胎行為や自殺が多かったそうだ。

日本と同じく戦争に敗れたドイツでも、当時ベルリンにいた女性のほとんど、約200万人がソ連兵に強姦され、多くが妊娠し、性病をうつされたそうだ。

当時の日本人がこのような目に逢っていたかと思うと、非常におぞましく、本当に許せないし、心底腹立たしい。
極寒のシベリアに送られ、何年間も強制労働させられた男達も悲惨であるが、それとは別種の、実に悲惨な事実だ。

こんな事は教科書に書いてないし、知らない人がほとんどなのかも知れない。しかも、年月の経過と共にどんどんその記憶は薄れ消え去ってゆく。その現場にいて目撃した人達も少なくなってゆく。

もし自分の身内や恋人などが同様の目に逢ったら、どんな気持ちになるか。当時は、夫や家族の目の前でそのような目に逢った人も多かったそうだ。

戦後63年を経て、戦争は遠い時代のものとなり、平和な現代に生きる我々は当時の事を知らないし、知ろうとしない人も多い。また、教えてくれる人もなかなかいない。

上記の事実は、あまりにも悲惨な内容だけに、なかなか語られる事も少ないが、当ブログをご覧の皆様には、かつてこういう事があったんだという事を心に留めておいていただきたい。

だから私は、悲しいことではあるが、ソ連、即ち今のロシアという国が信用できない。
そういう悪逆非道を尽くし、北方領土を返さず、日本漁船を拿捕し、あまつさえ漁民を銃撃し殺害するなど、どう考えても許せない。

戦勝国が敗戦国に暴虐の限りを尽くすというのは、現在も世界のあちこちで行われている事である。

いつの日か、そうした悲惨な事がなくなり、世界中の人々が悲しむ事がないよう、願ってやまない。
posted at 19:40 | 戦争と平和 | この記事のURL
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慰霊祭の効用 [2008年05月05日(月)]
毎年この時期、戦没者慰霊祭に行っている。
3つか4つの頃から祖母が連れて行ってくれていたのだが、祖母が亡くなってからは私が後を引き継いで行っている。
昔は、黒い服を着て腰の曲がったお婆さん達が大勢バスに乗ってやって来ていたものだが、今そういう光景は見られない。年月が流れ、若くして戦没した身内のところへ行ってしまったのだろう。
私は昭和40年代初め頃の生まれだが、私が子供の頃は終戦からまだ30年くらいしか経っていなかったため、祖母をはじめ戦時下を生きた人々がまだ多く存命中で、いろいろな話を直接聞くことができた。
こんな田舎にも、時折米軍のグラマンという戦闘機が飛来してきて機銃掃射をしていったこととか、中心都市が大空襲に逢った時は、十数キロ離れた私の家からも、都市上空の空が真っ赤に染まっていたのが見えたこと、あと、戦争直後、町の人々が米と交換してくれと着物を持って来たことなど、様々な話がある。

私の祖父が戦死した時、当時の上官から届いた戦死を知らせる軍事郵便の手紙が残っているが、部下を率い斥候に出ていて撃たれたとの事だ。
また、還ってきた奉公袋には祖父の手帳が残っており、戦死する前日までの日記が毎日綴られている。
訳のわからない異国にあって、過酷な状況の中で、ものすごく苦しかったことであろう。

ただ単純にこの国を守るため、愛する家族はじめ日本の国民を守るため、汗まみれ泥まみれ血まみれになって死んでいった我々の近しい先祖が当時大勢いたことを、我々は決して忘れてはいけないと思う。世代がどんどん交代していくにつれ、そういう記憶は次第に薄れていくのだろうが、少なくとも、私は、決して忘れない。

今現在、我々が豊かで平和な暮らしをすることができるのも、たまたま戦争の時代に生き、将来やってくるであろう平和のための礎となられた大勢の方々の尊い犠牲があったからこそである。

戦没者慰霊祭は、そうした方々の大変な御労苦、本当に、今の我々には想像もできないほどの御労苦に対し、心の底から深々と頭を垂れ、その御労苦を労わりねぎらい、感謝の意を表すことのできる貴重な機会である。

悲しいことに、世界には未だ多くの戦争や紛争が起こっているが、一日も早く、そうした争いごとが全部なくなって、世界中の全ての人々が平和に幸せに暮らせる日が来ますようにと毎日願わずにはいられない。
posted at 17:30 | 戦争と平和 | この記事のURL
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