ある友人のブログに、少なからず心を痛めている。
彼女の子供(小4)は、どうやらADHD傾向にあるらしい。
授業中じっと座っていられない、机やロッカーの中を片付けられないでメチャクチャにしている、皆と同じタイミングで同じことが出来ない・・・etc、etc。
要は、小学校という集団生活のルールから、かなりはみ出しているわけだ。
担任からは、退学をほのめかすようなことも言われているとか。
現代版・窓際のトットちゃん!

・・・いやいや、当事者は笑いごとではないだろう。
私こと猫姫も、かつて、いわゆる問題児だった。
むやみに動き回るようなことはなく、勉強はできたけれど、体育はからきしダメで、机やロッカーの中を片付けられず、無表情で誰とも口を利かず、給食を完食できたためしがなかった。
これは、好き嫌いではなくて、もともと胃が弱くて食が細かった私には、量が多すぎただけ

おかずが2種類出てきて、牛乳を200ml飲んで、その上パンを2個も食べるなんてありえないでしょう!! と、毎日青息吐息だった。
いちばんイヤだったのは、時々、半分に切った林檎がデザート代わりに出てきて、それは皮ごと食べなければならないとされていたこと。
どんな農薬を使って、誰の手がベタベタ触ってるかわかりゃしない、気持ち悪いものを、洗いもせずに皮ごとだって!?
・・・おぇ・・・
返すことも、持ち帰ることも許されず、林檎とにらめっこしたまま放課後まで、担任と根競べ・・・なんてこともあったかな

で、結局、食べなかったのね(笑)
べつだん潔癖症でもないのに、学校にあるもの(机や椅子、黒板、チョーク、教室の備品、音楽室の楽器、上履きシューズ、運動場の砂 etc・・・)や給食で出されるものは、とにかく不潔感があって、吐き気がするほど気持ち悪いと感じていたのは何故か。
学校の水道から出てくる水は、ぬかるみの泥水よりもっと汚いものと感じたのは何故か。
自宅の部屋は普通に片付いていたのに、小学校のロッカーや机の中だけがグチャグチャの魔窟だったのは何故か。
家庭での姿と学校での姿の差に、母は私のことを、二重人格ではないかと薄気味悪がっていたけれど。
理由は単純なこと。
学校という場所には、「愛」も「情」も、何もなかったからだ。
何もない・・・空っぽ・・・いや、空っぽならいい。
死んだほうがましだと感じる生き地獄だけがそこにあった。
命の危険と背中合わせの強制収容所の中で、健康管理や整理整頓をきちんとする捕虜がいるだろうか?
家族間にも深い確執はあったが、同時に、それらを修復したい、歩み寄りたい、本当は愛したい、という情もあった。
だから、その情を諦めきれないで、どうにか生きていようとした。
自分が生まれてきたことを、生きていることを、良しとすることができた地点を0とするなら、私は今、やっと6歳くらいだ。
幼稚園児・・・(笑)
話を戻して・・・
友人の子供のこと。
最大の救いは、母親である彼女自身がかつて 「自分も、教室でじっとしていられない子供だったから・・・」と認めていることだ。
問題児、と一言で片付けるのはたやすい。
けれどそれは、本人や家族の努力で何とかなることと、ならないことがある。
大人になるにつれて、いつしか自然に解決できてしまうこともある。
解決できなくても、本人のユニークな個性として認められる場合もある。
認められずに、周囲にやたらと迷惑を及ぼしたり、叱られたり衝突したり、という場合もある。
けれど、どうであれ、未成年の我が子を、親が「問題児」扱いしたら、終わりだ。
無責任を通り越して、最低限の愛情の欠落にほかならない。
その子のママが、彼女でよかった。
心から、そう思う。
その子の幼い頃の写真は、私のテーブルの上にある。
アンパンマンのような・・・お地蔵さんのような・・・満月のような・・・優しい笑顔。
たかが学校ごときのために、そう、敢えて「たかが」と言い捨てるが・・・
あの笑顔が、踏みにじられ貶められることがないように。
どうか。
・・・自分の昔と重なり合って、まとまらない話になったけど。
願うことは、ただそれだけ。