寒さのせいか過労のせいか、父が風邪をひいたらしい
高熱は出なかったもののお腹に来ちゃったそうで、えらく弱った声をしていた。
独り暮らしはそれなりに気楽でいいもんだけど、病気になると心細いんだよね。
それも、家事全般に手慣れた女と還暦過ぎの男とでは、全然違うしね。
とりあえず今朝病院へ行って、厄介な大きい病気でないことはわかったそうだし、夜にかけても悪化はしていないようだからよかったけど。
ホント、離れてると、健康以上の家族孝行はない気がするわ、お互いに
何はともあれ、元気でいたいもんです。
さて。
今日は久々に女友達と言い争い(正確にはメール争い。顔を合わせたものではないから)をした。
お互い、ふんわりおっとりした性格の持ち主ではないからして(笑)珍しくはないことだけど、いろんなやりとりの最後に来たメールが傑作だった。
「そりゃ、彼氏もできないよ」
珍しく30分のプチ残業だったので、昼過ぎに送られてきたそのメールを見たのは帰りがけの駅のホーム。
思わず吹き出してしまい、こりゃどういう返事をしたらいいもんかと首をひねった。
要するに、彼女の恋愛絡みの行き詰まりに、私が慰めや同情を一切寄せずに現実的なことばかり言ったものだから、それが寂しかったか腹立たしかったかしたんだろう、と思う。
昨日今日の付き合いじゃないんだからさ。
私がその場つなぎの耳ざわりのいい慰めを言う性格じゃないことも、リアリストなことも知っているはずだし、何より、己れの恋に結構大きい障壁があることを誰より知っていたのは彼女本人のはずだから。
慰めてほしいなら最初から話す相手を選びなよ、と突き放した直後のメールが、それだった。
彼氏ねえ・・・確かにいないけど、できない=求めて望んでいるのになかなか叶わない、ってわけではないんだから、そう見くびらないでほしいもんだわよ
昨日だか一昨日だか、朝のニュースで、初詣を終えたひとたちに何を願ったのかとインタビューすると、若い女性は圧倒的に恋愛絡み(好きなひとが振り向いてくれますように、彼がプロポーズしてくれますように、とか、今年こそカレシがほしいです、とか)が圧倒的に多かったのね
うん、恋は生きるエネルギー源になるもんね。
ホントに大好きなひとがいると、心が元気になり、髪が柔らかくなり、気持ちの持ちようがしなやかになり、いろんなことに意欲がわく。
それは、カレシだのレンアイだのという狭い意味じゃなくて。
男でも、女でも、どっちの歳が上でも下でも、関係ない。
たぶん私が彼氏を求めていないのは、そういう役名(!?)でなくても、大好きなひと、心底惚れてるひとが何人もいるからだろうと思う。
普段はご無沙汰続きでも、いざという時、頼ってくれるひともいる。
普段は頼らないけど、いざという時は力になってもらえると私が確信しているひともいる。
憧れているひとも、尊敬しているひともいる。
わが子のようなネルと美羽もいる。
私は心から望んだことや願ったことはことごとく叶ってきているから、かなり強運の持ち主なんだろうとは思うけれど、中でもひととの縁はいちばん、自分の努力や希望だけでは叶いづらい類のことだし・・・・・・うん、むしろ奇跡のような、ありがたい贈り物みたいなものだよね
カレシ、という言葉は嫌いじゃないよ。
背伸びした少女っぽい感じで、なんとも可愛い響き
でも、三十路を過ぎた女が、カレシができないとか、いないとか、ほしいとか、そういう言い回しはさすがにちょっとおかしい気がするな(笑)
カレシがほしいと悩んだり、そんなふうだからアンタにはカレシができないんだ、と友達に捨て台詞を吐いても可愛げがあるのは、せいぜい25歳くらいまでじゃないかなぁ・・・ と、そういう年齢の頃には今より格段に醒めていて頑なで、恋のひとつもしてこなかった私は、漠然と考えてたりしてね
自分に恋愛経験がなくても、ひとの恋ののろけ話を聞くのは大好き
それは、カレシやダンナに限らず、いいんだよ、憧れの同性の話だって。
のろけるのも、のろけられるのも、大好きっ
その代わり、カレシやダンナの愚痴なんざ聞くのは大嫌い
そもそも他人の色恋に興味ないし、恋愛がらみのゴタゴタなんて、
はっきり言ってウザいだけ(笑)
オトナなんだし、当人どうしでよろしくやっといてよ、と
しょうがないんだからもう〜、と言いつつ惚れてるな、慈しんでるな、というのが透けて見えればいいけど、その関係に本当に疲れていたり、別れようか悩んでいる、みたいなことを聞かされても、こっちはどうしようもないもんね。
振り回されようと束縛されようと困らされようと、それでも愛しいなら、諸々万障ひっくるめて私はあなたが大好きだ! と笑い飛ばしてみせなよ、と。
ため息ついて、他人に本気で愚痴るくらい疲れてるなら、別れちゃいなよ、せめてやせ我慢でも黙って距離をおいて、自分の気持ち確かめてみればいいじゃん、と。
そう思ってしまうもの。
そりゃ、付き合ってた相手がストーカー化して怖いとか、あるいはこういう病気になってどう看護していいかわからない、とかいうようなことなら、自分の経験のみならず、持ち前の行動力も情報収集力も友人知人の知恵もフル稼働して力になろうとするけどさ。
ホレタハレタ、くっついた離れた、連絡があるのないの、ほかのオンナの影が云々、そんなことは当人どうしでやっとくれ(笑)
だって人生は短い。ひとの命は、誰でも、若くても老いてても持病があってもなくても、いつどうなるかわかりゃしない。
ひとと関わり合うことはとても大きなエネルギーが要る。
プラスの意味でもマイナスの意味でも。
ひとと本気で関わるということは、大げさじゃなく「命がけの行動」だと、私は思う。
そこまでできる相手じゃないと思うのなら、自ら距離をおくしかない。
それにしても、まぁね〜、言葉ってのは難しい。
面と向かっていても難しいけど、メールだと尚更。
表面的に優しけりゃいい、ってもんでもないしね。
バカヤローッ!! という怒声がこれ以上ないほどの深い愛情にあふれている場合だってあるだろうし、逆に、大丈夫? 大変ね、無理しないでね、何でも言ってね・・・なんていう優しげな言葉に、血の涙が滲むほど心を抉られて、もうお前なんかに二度と何も話すものか、という気持ちになってしまうことだってある。
「猫姫は、私はこう思う、私はそれは好きじゃない、私はこういうひとが好き、私にはできない、って『私』を主語にして話すよね、いつも。普通は・・・とか、女ってさぁ・・・みたいな一般論じゃなくて。だから信頼できるんだわ」
年上の女友達に、そう言われたことがある。
「私は、私は、ってやたら言うひとは我が強くて頑固だと思われがちだけど、違うんだね。私はこう思う、これは私個人の考え方だけど、あなたはどうなの、あぁ、違うんだねぇ、って感じじゃない、猫姫は? 違ってるからおかしいとか、そんなのはダメだよとか、言わないもんね」
面白いひとだよねぇ、と彼女はしみじみと言った。
・・・面白いひと・・・、これはわりとよく言われる(笑)
面白くしようと奇をてらっているわけじゃなく、そんな器用さもないし、本人はいたって真面目だったりするんだけどね
母のせい、もとい、おかげかもしれない。
優等生育ちの因果か、自分と違う好みや考え方をなかなか認められないひとだった。
どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、ただ単に「違う」、それのどこが不都合なのさ?
と、それこそ何度も何度も同じようなことで衝突した。
ある時、
はっきり言った。
「私を、母さんと同じに染めようとしないで。私は母さんと同じ考え方をして、母さんと同じようにだけはなりたくないの。幸せになれる気がしないもの!」
いやはや、
はっきり言いすぎだし(笑)
でも、母はその時納得していた。娘が自分に反発する理由を、初めて納得して、安心したような表情さえ浮かべていた。
友達、恋人、夫婦、親子、家族、師弟、男、女、あるいは共有する秘密・・・・・・、誰とどういう関係を結んでも、その関係に喜んでいても苦しんでいても酔っていても、それぞれの人生。
自分が幸せでありたいのと同様に、近しいあなたにも、やっぱり幸せでいてもらいたい。
そのひとを本当に愛しく思っているなら、誰に何と言われようが、凛と立って微笑んでいればいい。
それが、相手と自分にとって幸せだと思えるなら。
もちろん、誰かの幸せを奪うのと引換えでさえなければ、だけど(笑)
幸せになれない人間関係なら、自分の意思で手放すのもありだ。
手放して、少し遠くから、そのひとの幸せを願ってあげればいい。
一度は愛したひとなら。
“ ほかの誰にも言えない 本当のこと
あなたよ あなたよ 幸せになれ
あなたよ あなたよ 幸せになれ ”
(ザ・ブルーハーツ『ラブレター』)
愛してくれるひと以上に、愛するひとがいてくれることに、感謝。