日々のつれづれ日記です。
本や映画や舞台の感想、友達の話、犬猫の話、ひとりごとetc、etc。
気まぐれ更新なので、気ままにお付き合いください♪

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雨の夕暮れ [2009年07月03日(金)]
会社のPCの不調で、仕事が予定より大幅に長引いたこと、が原因じゃないと思う。

激しく降り出した雨のせいで、急に肌寒くなったせい、でもないと思う。

大嫌いなタバコの臭いが自分の服や髪にしみついて払えない不快感、だけのせいでもないと思う。

事務所の居候猫を茶化して笑い、休憩中のスタッフ陣に、お先に失礼しちゃってよいかしら〜と陽気に言い放って、お疲れ様と車に乗り込んでエンジンをかけた途端、涙が溢れてきた。

原因なんか、どこにも無い。
わかっている。
ただ、心が荒む。

体の奥底からせり上がってくる正体不明の苛立ちと憤りと孤独感が、面白半分に首を締め付けてくるような気がする。

誰か、誰か、誰か、誰でもいいから、傍にいて!!

でも・・・
誰が傍に来ても、あなたじゃないよと突き飛ばすんだろうな。
今の私なら。


大音量のロックに、理性を繋ぎとめて、何とか無事に家に帰り着いて、ネルを抱きしめて頬ずりした。

私の10分の1にも満たない重さの、小さなわが娘。
私を待っていてくれた、愛くるしい眸。

冷たい鼻、あったかいキス、私だけの、ふかふかのGardian Angel・・・

音も立てずに足元にすり寄ってくる、もうひとりの娘にゃんこ。
しなやかな、やわらかな、ぬくもり。


ただいま。

あなたたちがいてくれるから、ママは、何度でも立ち上がるよ。

Posted at 22:11 | この記事のURL | コメント(0)
欠落 [2009年06月29日(月)]
ずっと昔から自覚していることだけど。

私には悲しみという感情が欠落している。

私にあるのは、さまざまな種類の、さまざまな色の、憤りだけ。

肋骨の隙間に、ぎゅうぎゅうと憤りが詰まっているようで、窮屈で、深呼吸もできやしない。

いっそ悲しむことができればいいのに。

奥歯をぎりぎり噛みしめた悔し涙じゃなく、ただ悲しいという静かでまっとうな感情ゆえに泣ければいいのに。

そんなことさえできない私は大馬鹿野郎だ。


Posted at 22:59 | この記事のURL | コメント(0)
くいずです [2009年06月29日(月)]
夕方、帰宅したら、門扉に袋がぶら下がっていて。
中には、ひらがなの 「」 と 「」 と、カタカナの 「」 が入っておりましたとさ

    

お隣さんからのおすそ分けです

生でももちろん美味しいのだけど、あまりにも立派なサイズなので、今夜はゴーヤチャンプルー風の炒め物にして、頂きました

ごちそうさま!!

ひらがなとカタカナの正体、もう、おわかりですね??(笑)

Posted at 20:28 | この記事のURL | コメント(0)
ドリアン・グレイの肖像 [2009年06月27日(土)]
・・・という本を一息に読み終えた

9月に舞台を観に行くので、予習です
普段、舞台や映画を観る前に予習なんてめったにしないんだけどね。
これはなぜか・・・そうした方がいいような気がして。

なんせ、あの後味の悪さゆえに印象的な(失礼!)童話、『幸福な王子』の作者の、唯一の長編小説だというから。

オスカー・ワイルド。
芸術というものに対する独自の哲学と、孤高の美意識を持ち、同性愛者でもあったらしい。
劇作家として脚光を浴びながらも、その心の在り方ゆえに(19世紀のイギリスでは、同性愛は犯罪とみなされた)、逮捕・投獄された時期もあるという、なかなか波乱万丈な人生を送った耽美主義者

背筋がゾッと凍るような物語に、久々に出逢えて、至極満足。

10代か、20代前半の頃だったら、足元をすくわれるくらい見事に嵌ったんだろうな、と思う。
完璧すぎる美と絶望にあふれた、退廃的なユートピア。
ぼうっとして何も手につかないほど酔いしれただろう、と。

少女の頃には、闇こそが光に見える時期があるもの。
その闇が深ければ深いほど、崇拝にも似た憧れがつのる時期が・・・
涙の中にしか、虹が見えない時期が・・・
嗚咽の中にしか、歌が聴こえない時期が・・・
月は太陽より何倍も、何億倍も眩しい、と信じて疑わない時期が・・・

・・・あるものね。

大人はそれを、否定しちゃいけない。
我々の育て方の何が悪かったのか、なんて、うろたえちゃいけない。
怖いの気持ち悪いのと、妖怪でも見るような目をしちゃいけない。

当たり前のことなんだから。
当たり前すぎることなんだから。

闇を闇であると理解し、光を光であると認め、月の光は太陽からの反射光であると知った少女は、大人の女になってゆき・・・

心が引きちぎられるほど悲しくても、艶然と立っていることができるようになる。

苛立ちや無知や軽蔑や孤独を、やわらかな微笑みで隠すこともできるようになる。

裏切ったのは自分の方だとわかっていても、悪いのはあいつだ、と顔をそらして言い切ることもできるようになる。

そんな時は、きっと・・・
心の奥底に隠し持った、ドリアン・グレイならぬ私自身の肖像画が、顔をゆがめて涙を流している。

誰かに打ち明けなくてもいい、秘密は秘密のままでもいい。

真夜中に、こっそりと、隠し部屋の鍵を握って、肖像画が泣いていないか見に行こう。

ドリアン・グレイと同じ末路をたどる前に。

Posted at 23:38 | この記事のURL | コメント(0)
男歌・女歌 [2009年06月25日(木)]
子供の頃から、中島みゆきさんや加藤登紀子さん、五輪真弓さんの歌が大好きだった。
アニメにもアイドルにも全く興味がなくて、だから周囲の子供たちとは話が合わなかったけれど、はなから合わせる気などさらさら無いあまのじゃくだった

高校生になり、大学生になり、アルバイトをするようになり、社会人になり・・・自由に使えるお金が増えるにしたがって、CDも増えて・・・

一時期に比べれば、かなり思い切って整理したけれど、それでも数えてみれば200枚は下らない

みゆきさんだけでも(数枚のベスト盤やマキシを含めれば)50枚以上・・・
登紀子さんも多い・・・大黒摩季さんのアルバムも、中村中ちゃんも全部あって・・・最近聴いてないけれど、ジャニス・ジョプリンも大好き・・・

女歌は、どんな心にも添ってくれる。
誰にも説明できない痛みで歪んだ心を、その痛みごと抱いてくれる。
今、一緒に生きてるんだからいいじゃない、と、肩を叩いてくれる。

ずっと長い間、男歌を聴くことは、ほとんどなかった。

歌手に限らず、私が惚れるひとは大抵、年上のお姉様ばかりだったし
本当の理由はどうであれ、対外的には男嫌いで通していたし
飼っていた犬やハムスターや小鳥でさえ、1匹残らずみんな、女のコだったし(笑)

20代も半ばを過ぎてから、少しずつ心がほどけてきて、“大好き” の中に男のひとの名前がちらほら出没するようになり、男歌も聴くようになった。

玉置浩二さんと福山雅治さんが多いかな
そして、別格のひとがもう1人。

最近、ね。
気付いたんだけど。

喜怒哀楽も感情の波も、わりと振り幅が大きいほうなので、落ちる時はとことん落ちる。
感情も思考も停電したような感覚の中、ぼんやりしたまま涙だけが流れ続けて止まらない、という、ちょいとヤバいぞ〜なんてことにも時々、なる。
夜なら、ブランデー入りの紅茶でも飲んで寝てしまうのが一番なんだけど、昼間、それも仕事やら何やら、しなきゃならないことが目の前にいろいろあるのに、ふいに鬱の波がドワ〜と押し寄せてしまった時。

急に重くなった手足や、錆びて軋んでいるようなアタマを、気力で動かすための唯一の薬は、大好きなひとの歌声。

それも・・・

男の声がいい。
そういう時は、低く、深い、女には絶対に真似のできない、男の声がいい。

男のひとの声に支えられていないと、だめな時があるんだよね。
ごく最近、気付いたこと。

10代の頃の私が見たら、呆れて絶句することだろう。

歳を重ねた分だけ、自由になり・・・

心から愛しく思うひとが増えた分だけ、その余波のように、自分の人生が愛しくなる。

この心が、もうひと回り大きくしなやかになったら・・・
逢いたいな・・・あなたに・・・
Posted at 22:50 | この記事のURL | コメント(0)
凍りつく夏 [2009年06月20日(土)]
懐かしいドラマを、どうしても観たくなって、レンタルショップにもなかったので、Amazonの中古マーケットでビデオを手に入れた。

1998年の夏ドラマ、『凍りつく夏』。

出演は室井滋さん、佐野史郎さん、高樹沙耶(益戸育江)さん、藤原竜也くん他。
子供への虐待やトラウマを描いた、かなりシリアスな物語で、脚本はあの 『ラスト・フレンズ』 と同じひとだ(と、今日気が付いた)。

視聴率は悪くなかったはずなのに、DVD化されてないんだよね・・・
たしかに、重すぎるテーマで、いわゆる「問題作」と言われそうな空気感ではあるけど・・・

「子供は、生まれてしまったら、もう取り返しがつかない」

「すごく楽しいよ。だって、お父さんが笑ってるから」

「いつもじゃないんです! いつもは、優しいひとなんです!」


放映当時は、まだテレビがリビングに1台しかなくて、私が観ていると、母も同じ部屋にいることもあって。
「暗くて重くて、嫌なドラマ」
だと、母は顔をしかめていた。
私はあてつけのように、
「そう? 私はすごく好きよ」
と笑った。
好き、というのは語弊があるかもしれないが、たまらなく、心惹かれていた。
藤原竜也くんが演じていた次男の表情や言動は、まさに子供の頃からの私そのものだった。

凄惨な暴力シーンの数々を、ごく普通の顔で観ていた(らしい)私に、母は、
「あんたって、怖い。こんなものを平気で・・・」
と、気味の悪いものを見るような目をして言った。

何が怖い?
物事の本質を言い当てた、素晴らしくまっとうなドラマじゃないの。
後妻として、同じ屋根の下に入って暮らしながら、かなり長い間、父親の「裏の顔」と子供たちの「傷の深さ」に気付かなかった主人公。
毎朝、笑いながら一緒に朝食のテーブルを囲み、父親は会社帰りに娘の好きなチーズケーキを買ってきて、休みの日には家族揃ってバーベキューに出かけて大はしゃぎ・・・

その裏側に、何があるか。

「いつもじゃない」ことって、何なのか。
「本当の」ことって、何なのか。

わかるはずないよね。
誰にも。

主人公が現実を悟ったのは、暴力の矛先が自分に向く一歩手前になってからだった。

同じ家に暮らしていたのに。

まして。

深夜にしか帰ってこず、ろくに話もできない家族に。
たまに行き来するだけの親戚に。
違う家に住む友達やご近所さんに。

つゆほども、わかるはずないんだよね。
わからなくて当たり前なんだよね。

ドラマの中の父親が、誰から見ても有能で思いやりあふれる優れたビジネスマンだったのと同じように、あのひとは、誰から見ても才色兼備で心優しくて繊細で器用で上品で「みんなのお手本」だったんだから。
誰から見ても、欠点ゼロの、素晴らしく完璧によく出来た「いいひと」だったんだから。

あのひとと私の言い分が違えば、周囲が信じるのはあのひとの方だった。
いつも。

恨み深いな、私。
執念深いやつだな、私。
いい加減にしろよと、ため息があふれる。

憎しみは、途方も無いエネルギーの無駄遣い。
だから、終わりにしよう、終わりにするんだと、何度も思う。

思うたびに、誰にも添ってもらえなかった孤独な悔しさが、やんちゃなガキのようにそれを押し戻す。

悔しいんだ。
まだ。
悲しいのでも寂しいのでもなく、ひたすら、悔しくてならない。

たかがドラマ。
大好きだったドラマ。
時を経ても、やっぱり大好きだ。

どんな顔して、観てる?
今の私。

あの当時より、ほんの少しでも、冷静な優しい顔になっているだろうか・・・
あるいは・・・

Posted at 20:47 | この記事のURL | コメント(0)
500メートル [2009年06月17日(水)]
ジムのプールで、久々に泳いだ。
3年ぶりくらい

書類整理だの会社のサイト管理だの、パソコン仕事は集中してると時間があっという間で、気付くと肩や背中がこわばっちゃう。
生理痛を治してくれた美容矯正のセンセいわく、私はどうも自覚のにぶい肩こり(背中から肩を通って腕まで、わりと範囲が広いのに)であるらしいので、まずは「自覚をもって」体を伸ばすとかほぐすとかいうことが大事らしい。

泳ぎは、相変わらずヘタクソ
ゆ〜っくりした平泳ぎがやっとで、クロールも背泳も全然できない。

でも、もう怖くはない。
ゆ〜っくり、楽しんでリラックスして泳ぐ。
50メートル単位ぐらいで、深呼吸したりジャグジーに入ったり、お茶を飲んだりして、小休止を入れながら。

で、トータルで、今日は500メートル

6年前の夏、

「できなくてもいいよ」

と言ってくれて、“できる” ことよりも “楽しむ” こと、リラックスすること・・・を伝えてくれた、教え上手&見守り上手のコーチに感謝!
彼女に出会うまでは、プールサイドに立つだけで、遊び半分で殺されかけた記憶が蘇って、過呼吸でしゃがみこんでいたのに。
彼女が見守っていてくれる、という見えない力のおかげで、一生癒えないと思っていた恐怖と正面から向き合えた。
少し時間はかかったけれど、消すことができた。

年齢を重ねるごとに、自分が可愛い、と思う。

目鼻立ちじゃなくてね(笑)
体が。

体というものの、あまりの正直さが、可愛く、いとしい。

10代〜20代半ばの頃に比べて、確実に体力あるし、髪の質も、肌の艶もいいし。

・・・どんだけくたびれたヨレヨレの若者だったんだ、と突っ込んじゃダメよっ(笑)

体は、心の鏡なんだろう。

明日、天気になぁれ。

明日、も、天気になぁれ。

あなたも、私も、あのひとも。

今日より、もっと、元気になぁれ。

Posted at 00:40 | この記事のURL | コメント(0)
問題児、というもの。 [2009年06月12日(金)]
ある友人のブログに、少なからず心を痛めている。

彼女の子供(小4)は、どうやらADHD傾向にあるらしい。
授業中じっと座っていられない、机やロッカーの中を片付けられないでメチャクチャにしている、皆と同じタイミングで同じことが出来ない・・・etc、etc。
要は、小学校という集団生活のルールから、かなりはみ出しているわけだ。
担任からは、退学をほのめかすようなことも言われているとか。

現代版・窓際のトットちゃん!
・・・いやいや、当事者は笑いごとではないだろう。

私こと猫姫も、かつて、いわゆる問題児だった。

むやみに動き回るようなことはなく、勉強はできたけれど、体育はからきしダメで、机やロッカーの中を片付けられず、無表情で誰とも口を利かず、給食を完食できたためしがなかった。
これは、好き嫌いではなくて、もともと胃が弱くて食が細かった私には、量が多すぎただけ
おかずが2種類出てきて、牛乳を200ml飲んで、その上パンを2個も食べるなんてありえないでしょう!! と、毎日青息吐息だった。
いちばんイヤだったのは、時々、半分に切った林檎がデザート代わりに出てきて、それは皮ごと食べなければならないとされていたこと。
どんな農薬を使って、誰の手がベタベタ触ってるかわかりゃしない、気持ち悪いものを、洗いもせずに皮ごとだって!?
・・・おぇ・・・

返すことも、持ち帰ることも許されず、林檎とにらめっこしたまま放課後まで、担任と根競べ・・・なんてこともあったかな
で、結局、食べなかったのね(笑)

べつだん潔癖症でもないのに、学校にあるもの(机や椅子、黒板、チョーク、教室の備品、音楽室の楽器、上履きシューズ、運動場の砂 etc・・・)や給食で出されるものは、とにかく不潔感があって、吐き気がするほど気持ち悪いと感じていたのは何故か。

学校の水道から出てくる水は、ぬかるみの泥水よりもっと汚いものと感じたのは何故か。

自宅の部屋は普通に片付いていたのに、小学校のロッカーや机の中だけがグチャグチャの魔窟だったのは何故か。

家庭での姿と学校での姿の差に、母は私のことを、二重人格ではないかと薄気味悪がっていたけれど。

理由は単純なこと。
学校という場所には、「愛」も「情」も、何もなかったからだ。
何もない・・・空っぽ・・・いや、空っぽならいい。
死んだほうがましだと感じる生き地獄だけがそこにあった。
命の危険と背中合わせの強制収容所の中で、健康管理や整理整頓をきちんとする捕虜がいるだろうか?

家族間にも深い確執はあったが、同時に、それらを修復したい、歩み寄りたい、本当は愛したい、という情もあった。
だから、その情を諦めきれないで、どうにか生きていようとした。

自分が生まれてきたことを、生きていることを、良しとすることができた地点を0とするなら、私は今、やっと6歳くらいだ。
幼稚園児・・・(笑)

話を戻して・・・

友人の子供のこと。

最大の救いは、母親である彼女自身がかつて 「自分も、教室でじっとしていられない子供だったから・・・」と認めていることだ。

問題児、と一言で片付けるのはたやすい。
けれどそれは、本人や家族の努力で何とかなることと、ならないことがある。
大人になるにつれて、いつしか自然に解決できてしまうこともある。
解決できなくても、本人のユニークな個性として認められる場合もある。
認められずに、周囲にやたらと迷惑を及ぼしたり、叱られたり衝突したり、という場合もある。

けれど、どうであれ、未成年の我が子を、親が「問題児」扱いしたら、終わりだ。
無責任を通り越して、最低限の愛情の欠落にほかならない。

その子のママが、彼女でよかった。
心から、そう思う。

その子の幼い頃の写真は、私のテーブルの上にある。
アンパンマンのような・・・お地蔵さんのような・・・満月のような・・・優しい笑顔。

たかが学校ごときのために、そう、敢えて「たかが」と言い捨てるが・・・

あの笑顔が、踏みにじられ貶められることがないように。

どうか。

・・・自分の昔と重なり合って、まとまらない話になったけど。

願うことは、ただそれだけ。
Posted at 22:57 | この記事のURL | コメント(0)
種類は何ですか? [2009年06月10日(水)]
夕方、ネルの散歩中に、2匹のダックスを連れたおばさんに会った。
犬の散歩時間というのは、だいたい重なり合うものなので、姿を見かけたことはあるのだけど、話をしたのは初めてで

ネルは、ロングヘア(巻き毛)のミニチュアダックス、色はブラック&タン、体重4.5kg。
ハイ、お嬢さん、カメラ目線  ↓


おばさんの犬は、片方はネルと同じブラック&タンながら、二回りほど大きい。
で、ビロードっぽい毛並みもロングよりスムースに近いように見え・・・

「スタンダードですか?」
と訊いたら、
「いえ〜、ミニチュアなんですよ、これでも」
だって(笑)

・・・でかっ!!
10kg近くあるそうな・・・
とはいえ、肥満ではなく、全体的にがっしりしている感じ。

「エル」という名前なんて付けたもんだから体格もLサイズになっちゃって〜、とおばさんも笑っておいでだった。

で、もう1匹のベージュ色のコは、これまた華奢で小さくて。

「この子はカニンヘンですか?」

と訊いたら・・・

「い〜え〜、これでもミニチュアなんです〜」

・・・あらま・・・ちっちゃい・・・(笑)

体重は3.7kg
子犬ではなく、もう完成形、というか、おばあちゃんだそうな

それでもって、極めつけはおばさんの一言。

「可愛いわね〜、まだ子犬よね!」

ネル・・・童顔なんだろうか・・・子犬に間違えられること、数知れず
もう、5歳を過ぎてるんだけど(笑)

見事に全員、予想とハズレ!
同じミニチュアダックスながら、個性は幅広いもんなのね〜

きびきび散歩 スティックビスケット」をオヤツに食べつつ、ネルは相変わらずの元気ムスメよ ・・・と、たまにはDHCの宣伝もしちゃおうか(笑)

もうすぐ、家族になって2年が過ぎます
Posted at 00:04 | この記事のURL | コメント(0)
わんわんスベラン [2009年06月09日(火)]
・・・というのは、室内犬のいる家庭にオススメの、フローリングワックスだそうでして
いや、べつに、企業の回し者じゃないんだけどね(笑)

寒い時期は、丸洗いできるタイルマットを床に敷いて、じゅうたん代わりと、ネルの足すべり防止を兼ねていたんだけど、フローリングのままが気持ちいい時期になると、胴長短足ネル姫の足腰が気がかりになってくる。

ダックスは、椎間板ヘルニアになりやすいそうだから・・・

そもそも、ネルは一人でドタバタ走り回って騒ぐタイプのコじゃないから、去年はあまり問題なかったのだけど、今年は美羽という元気な妹猫がいるもんで

誘いをかけられるとつい乗って、追いかけっこしちゃうんだよね

というわけで・・・



本日は、ワックスがけ
ムスメたちを私の部屋に避難させておいて、1Fリビングのみ。

『ニャンとも清潔トイレ』もそうだけど、『わんわんスベラン』って・・・
ダジャレのようなネーミング・・・いやいや、わかりやすくてよござんすよ(笑)

あっちもこっちも窓開けて換気してるけど、シンナー臭いにおいが、すごい〜!!
ワックスってみんな、そうだよね。
おぇ・・・

乾くまで、買い物やら郵便局やら、用事をまとめて片付けてまいります

     

P.S.
約5時間たって、しっかり乾いたら、においも消えてツヤツヤ〜
薄手のビニールコーティングをしたような感じね

Posted at 14:35 | この記事のURL | コメント(0)
ともだちからともだちへ [2009年06月05日(金)]
・・・というタイトルの絵本を買った

大切な “ともだち” にもプレゼントしようと思って、2冊買った。
(彼女のブログを読んでいると、心身ともに元気!とはいえない感じだから

私は今、初めて会った日の彼女と、同い年。

不思議な縁です。

愛しい縁です。

大好きな、ともだちへ。
明日、元気になぁれ・・・


Posted at 22:26 | この記事のURL | コメント(0)
我輩はマザコンである!? [2009年06月04日(木)]
昔、ある友人に指摘された。
あなたはマザコンだね、と。
嘲笑ではなく、優しい微苦笑まじりに。

もちろん私は否定した。
断固として。

沸騰し始めた怒りを腹の奥にぐいと押し戻し、そんなはずないでしょう、と、それだけはアリエナイ、と、笑い返してみせた。

それから何年・・・

死んだひとは皆、いいひとに思える、なんて嘘だ。
楽しかったこと、優しかったことばかり思い出す、なんて嘘だ。

死んだ愛犬をもう一度抱きたいと思ったことは数知れないが、死んだ母に会いたいと思ったことはない。
願わくば・・・
私がこの世を去る時には、これでかあさんに会えるね、と子供のように微笑んで逝きたいけれど。

私のメル友は、50〜60代の女性がほとんどだ。
それぞれに仕事を持っているひとたちなので、いわゆる「毎日の付き合い」ではないけれど、お喋りしたりお茶したり散歩したり、おみやげやおすそ分けをやりとりしたり、若いモン同士では行かないようなお洒落なお店のランチに誘ってくださったり、と、娘のように可愛がられている。
猫姫、ほんとに果報者なのにゃ〜

母は、私に対して思い入れが強すぎたというか、独占したかったというか・・・で、私が好きになるひとや仲良くし始めたひとに対しては、何やかやと難癖をつけたがった。
それが、悪意ではなく、ただの子供じみたヤキモチであろうということは、年齢とともに察したけれど、だからといって母だけの「可愛いお人形さん」になってあげられるわけもなく、溝は深まるばかりだった。

住む世界が違うようになって初めて、母は、私の交友関係をあたたかい目で見ることができるようになったかもしれない。
安堵しているかもしれない。

そうであると思いたい。

遠い日の友へ。

・・・認めてやるわよ。
ちょっと悔しいけど。

あたしは正真正銘のマザコンです。
Posted at 18:57 | この記事のURL | コメント(0)
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