日々のつれづれ日記です。
本や映画や舞台の感想、友達の話、犬猫の話、ひとりごとetc、etc。
気まぐれ更新なので、気ままにお付き合いください♪

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あなたよ あなたよ 幸せになれ [2012年01月12日(木)]
寒さのせいか過労のせいか、父が風邪をひいたらしい

高熱は出なかったもののお腹に来ちゃったそうで、えらく弱った声をしていた。


独り暮らしはそれなりに気楽でいいもんだけど、病気になると心細いんだよね。

それも、家事全般に手慣れた女と還暦過ぎの男とでは、全然違うしね。

とりあえず今朝病院へ行って、厄介な大きい病気でないことはわかったそうだし、夜にかけても悪化はしていないようだからよかったけど。


ホント、離れてると、健康以上の家族孝行はない気がするわ、お互いに

何はともあれ、元気でいたいもんです。




さて。


今日は久々に女友達と言い争い(正確にはメール争い。顔を合わせたものではないから)をした。


お互い、ふんわりおっとりした性格の持ち主ではないからして(笑)珍しくはないことだけど、いろんなやりとりの最後に来たメールが傑作だった。



「そりゃ、彼氏もできないよ」



珍しく30分のプチ残業だったので、昼過ぎに送られてきたそのメールを見たのは帰りがけの駅のホーム。


思わず吹き出してしまい、こりゃどういう返事をしたらいいもんかと首をひねった。



要するに、彼女の恋愛絡みの行き詰まりに、私が慰めや同情を一切寄せずに現実的なことばかり言ったものだから、それが寂しかったか腹立たしかったかしたんだろう、と思う。



昨日今日の付き合いじゃないんだからさ。


私がその場つなぎの耳ざわりのいい慰めを言う性格じゃないことも、リアリストなことも知っているはずだし、何より、己れの恋に結構大きい障壁があることを誰より知っていたのは彼女本人のはずだから。



慰めてほしいなら最初から話す相手を選びなよ、と突き放した直後のメールが、それだった。



彼氏ねえ・・・確かにいないけど、できない=求めて望んでいるのになかなか叶わない、ってわけではないんだから、そう見くびらないでほしいもんだわよ



昨日だか一昨日だか、朝のニュースで、初詣を終えたひとたちに何を願ったのかとインタビューすると、若い女性は圧倒的に恋愛絡み(好きなひとが振り向いてくれますように、彼がプロポーズしてくれますように、とか、今年こそカレシがほしいです、とか)が圧倒的に多かったのね



うん、恋は生きるエネルギー源になるもんね。



ホントに大好きなひとがいると、心が元気になり、髪が柔らかくなり、気持ちの持ちようがしなやかになり、いろんなことに意欲がわく。


それは、カレシだのレンアイだのという狭い意味じゃなくて。


男でも、女でも、どっちの歳が上でも下でも、関係ない。



たぶん私が彼氏を求めていないのは、そういう役名(!?)でなくても、大好きなひと、心底惚れてるひとが何人もいるからだろうと思う。


普段はご無沙汰続きでも、いざという時、頼ってくれるひともいる。


普段は頼らないけど、いざという時は力になってもらえると私が確信しているひともいる。


憧れているひとも、尊敬しているひともいる。


わが子のようなネルと美羽もいる。



私は心から望んだことや願ったことはことごとく叶ってきているから、かなり強運の持ち主なんだろうとは思うけれど、中でもひととの縁はいちばん、自分の努力や希望だけでは叶いづらい類のことだし・・・・・・うん、むしろ奇跡のような、ありがたい贈り物みたいなものだよね



カレシ、という言葉は嫌いじゃないよ。

背伸びした少女っぽい感じで、なんとも可愛い響き



でも、三十路を過ぎた女が、カレシができないとか、いないとか、ほしいとか、そういう言い回しはさすがにちょっとおかしい気がするな(笑)



カレシがほしいと悩んだり、そんなふうだからアンタにはカレシができないんだ、と友達に捨て台詞を吐いても可愛げがあるのは、せいぜい25歳くらいまでじゃないかなぁ・・・ と、そういう年齢の頃には今より格段に醒めていて頑なで、恋のひとつもしてこなかった私は、漠然と考えてたりしてね



自分に恋愛経験がなくても、ひとの恋ののろけ話を聞くのは大好き


それは、カレシやダンナに限らず、いいんだよ、憧れの同性の話だって。


のろけるのも、のろけられるのも、大好きっ


その代わり、カレシやダンナの愚痴なんざ聞くのは大嫌い


そもそも他人の色恋に興味ないし、恋愛がらみのゴタゴタなんて、はっきり言ってウザいだけ(笑)


オトナなんだし、当人どうしでよろしくやっといてよ、と


しょうがないんだからもう〜、と言いつつ惚れてるな、慈しんでるな、というのが透けて見えればいいけど、その関係に本当に疲れていたり、別れようか悩んでいる、みたいなことを聞かされても、こっちはどうしようもないもんね。




振り回されようと束縛されようと困らされようと、それでも愛しいなら、諸々万障ひっくるめて私はあなたが大好きだ! と笑い飛ばしてみせなよ、と。


ため息ついて、他人に本気で愚痴るくらい疲れてるなら、別れちゃいなよ、せめてやせ我慢でも黙って距離をおいて、自分の気持ち確かめてみればいいじゃん、と。



そう思ってしまうもの。



そりゃ、付き合ってた相手がストーカー化して怖いとか、あるいはこういう病気になってどう看護していいかわからない、とかいうようなことなら、自分の経験のみならず、持ち前の行動力も情報収集力も友人知人の知恵もフル稼働して力になろうとするけどさ。



ホレタハレタ、くっついた離れた、連絡があるのないの、ほかのオンナの影が云々、そんなことは当人どうしでやっとくれ(笑)



だって人生は短い。ひとの命は、誰でも、若くても老いてても持病があってもなくても、いつどうなるかわかりゃしない。


ひとと関わり合うことはとても大きなエネルギーが要る。


プラスの意味でもマイナスの意味でも。





ひとと本気で関わるということは、大げさじゃなく「命がけの行動」だと、私は思う。


そこまでできる相手じゃないと思うのなら、自ら距離をおくしかない。




それにしても、まぁね〜、言葉ってのは難しい。


面と向かっていても難しいけど、メールだと尚更。




表面的に優しけりゃいい、ってもんでもないしね。




バカヤローッ!! という怒声がこれ以上ないほどの深い愛情にあふれている場合だってあるだろうし、逆に、大丈夫? 大変ね、無理しないでね、何でも言ってね・・・なんていう優しげな言葉に、血の涙が滲むほど心を抉られて、もうお前なんかに二度と何も話すものか、という気持ちになってしまうことだってある。




「猫姫は、私はこう思う、私はそれは好きじゃない、私はこういうひとが好き、私にはできない、って『私』を主語にして話すよね、いつも。普通は・・・とか、女ってさぁ・・・みたいな一般論じゃなくて。だから信頼できるんだわ」




年上の女友達に、そう言われたことがある。




「私は、私は、ってやたら言うひとは我が強くて頑固だと思われがちだけど、違うんだね。私はこう思う、これは私個人の考え方だけど、あなたはどうなの、あぁ、違うんだねぇ、って感じじゃない、猫姫は? 違ってるからおかしいとか、そんなのはダメだよとか、言わないもんね」




面白いひとだよねぇ、と彼女はしみじみと言った。


・・・面白いひと・・・、これはわりとよく言われる(笑)


面白くしようと奇をてらっているわけじゃなく、そんな器用さもないし、本人はいたって真面目だったりするんだけどね



母のせい、もとい、おかげかもしれない。


優等生育ちの因果か、自分と違う好みや考え方をなかなか認められないひとだった。


どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、ただ単に「違う」、それのどこが不都合なのさ?


と、それこそ何度も何度も同じようなことで衝突した。




ある時、はっきり言った。




「私を、母さんと同じに染めようとしないで。私は母さんと同じ考え方をして、母さんと同じようにだけはなりたくないの。幸せになれる気がしないもの!」




いやはや、はっきり言いすぎだし(笑)


でも、母はその時納得していた。娘が自分に反発する理由を、初めて納得して、安心したような表情さえ浮かべていた。




友達、恋人、夫婦、親子、家族、師弟、男、女、あるいは共有する秘密・・・・・・、誰とどういう関係を結んでも、その関係に喜んでいても苦しんでいても酔っていても、それぞれの人生。


自分が幸せでありたいのと同様に、近しいあなたにも、やっぱり幸せでいてもらいたい。



そのひとを本当に愛しく思っているなら、誰に何と言われようが、凛と立って微笑んでいればいい。


それが、相手と自分にとって幸せだと思えるなら。


もちろん、誰かの幸せを奪うのと引換えでさえなければ、だけど(笑)




幸せになれない人間関係なら、自分の意思で手放すのもありだ。


手放して、少し遠くから、そのひとの幸せを願ってあげればいい。


一度は愛したひとなら。




“ ほかの誰にも言えない 本当のこと

  あなたよ あなたよ 幸せになれ

  あなたよ あなたよ 幸せになれ ”


       (ザ・ブルーハーツ『ラブレター』)





愛してくれるひと以上に、愛するひとがいてくれることに、感謝。

Posted at 01:38 | この記事のURL
フィジカル・シアター【後編】 [2012年01月10日(火)]
さて、昨日の続きです。


歩き方ひとつでもなかなか奥が深いのね〜、ということを実感したところで、今度は全身を使ったワークに移行。



全員で円陣を組み、Aさんが輪の真ん中に出て、何かポーズをとって静止する。


次にBさんが出て行って、Aさんのポーズとコラボするような恰好をつくって静止する。


数秒の静止の後、Aさんはそっと離れ、円陣に戻る。


するとCさんが進み出てBさんとコラボするポーズをとって静止し、Bさんが退場するのと入れ替わりにDさんが輪の中に出ていって・・・という、その繰り返し。


無言の単純なパントマイムながら、その気になればストーリーだって作れそうだ。想像力は自由かつ無限大!



「はい、そこでストップ!」



早智さんが声をかける。



輪の中では、Jさん(女性)が片肘をついてごろ寝をし、その脇でKさん(男性)が両手をまっすぐ前に差し出しながら全身を前につんのめらせて、開いた足を踏ん張っていた。



「これは、どういう光景だと思いますか?」



早智さんの問いに、参加者が口々に応える。



「奥さんが昼寝をしていたら、本棚が倒れてきそうになったので、ダンナさんが慌てて受け止めようとしている」



なんて愛情あふれるストーリーを描いたひとがいる一方、私は、



「健康のために不慣れなヨガを頑張ろうとしているダンナさんと、あ〜たよくやるわねぇ〜、とごろ寝をしながら眺めているだけの奥さん」



と言ったものだから、一同大笑い


だってそう見えたんだも〜ん(笑) いきなり倦怠期の夫婦を連想するとは、色気もへったくれもありゃしないね、私



あるいは、Lさんが両腕をクロスさせて自分の体を抱くようにうずくまり、その前にMさんが立ちはだかってLさんを見下ろしながら指差している、という構図。



「家に強盗が入ってきて、そこを動くな! と脅されているところ」


なるほど、Lさんは怯える被害者、Mさんは強盗ね。



「刑事が犯人を追いつめて、証拠は挙がっている、もう逃げられんぞ! と言ったところ」


今度はうって変わって、Lさんは逃げ切れなくなった犯人、Mさんは正義と執念の刑事さん、というわけだ。



「赤ちゃんを奪われそうになったお母さんが、必死で抱きしめて守ろうとしているところ」


うむむ、これはヘビィだ・・・。でも、確かにそうも見える。




「今、DVDの一時停止ボタンを押している状態です。これを解除して再生を始めると、どうなりますか? 何が起こりますか? スローモーションでやってみてください、ハイ、再生!」




早智さんの言葉を合図に、輪の中の2人はそのポーズから続く物語を(ほんの十数秒だけれど)演じてみせる。


みんな初対面どうしなのに、息ぴったり(笑)




ほかにも色々、声も体も表現力も想像力もフル活用して楽しんで、2時間はあっという間だった。



早智さんのワークショップは来月と再来月にもあるそうなので、予約してきた。



来週はコンテンポラリーダンス、再来週はラップ、というこれまた面白そうなテーマで(それぞれ違う講師だけど)開催されるそうなので、眞美センセのレッスンとかぶらなければ行ってみようと思ってる



三軒茶屋の駅前のSUBWAYで腹ごしらえして、また深川のお不動さまへ初詣も兼ねて行こうと向かう途中、以前いたコールセンターの同僚と偶然再会しちゃったりもして(笑)、心身ともにアクティブな楽しい日だった



普通は、とか、一般的には、という言い方が私はあまり好きじゃないのだけど、でも「普通は」1、2、3、4、5の順番でみんなこういうことは経験してきてるよね、と当たり前のようにとらえられてしまう事柄が、世の中には結構あると思う。



「若い頃は自分のことで必死でしたが、30代になってからはもう少し周りとの調和を考えようと思って・・・」みたいな有名人のコメントもあったりする。



幸か不幸か、私はどうも違う。


4、5、あたりを子供時代にすませ、「普通は」40代以降に経験するような9や10を20代のうちに通り、1? 2? それ何? そんなもんがあったの? と、この歳で驚き戸惑っていたりして。



要するに、だな、順番が多少違っても、生きてる間に辻褄があっていけばいいんだわよ。



と、最近思う。



とはいえ、もう子供が何人かいてもおかしくないような歳だし、あまり際限なく悠長に構えているのもどうかと思うので、とりあえず、35歳まで。



あと2年足らず。



とりあえず35歳までは、成長期の子供のように、自分に対して貪欲な興味と好奇心を持って、心も体もいろいろひねくり回して探ってみようと思う。



知らないことが多すぎるもの。


できないことが多すぎるもの。


だからいろいろなものが怖い。


恐怖に唯一対抗できるものが怒りだから、私のマイナスの感情はすべて・・・・・・悲しみも不安も切なさも孤独も痛みも後悔も、全部同じ色の激しい怒りに変わってしまう。


ひとの心って、そんなものじゃないからね。


揺れて泣いて闘って頑張って、息を切らして笑おう。


優等生のふりをするのは、もう飽きたし疲れたし。


それを私に望んだひとは、そうでない姿を一生認めてくれなかったひとは、もうこの世にいないんだものね。


自由になっていいよね。


ヘタクソな歩き方でも。




どうも元気が出ない、気分が乗らないときは、爪先立って歩いてみる。


テンション高まって暴走しそうな時は、足の内側に重心をかけて歩いて、ブレーキをかけてみる。



まずは、そんなところから

Posted at 01:37 | この記事のURL
フィジカル・シアター 【前編】 [2012年01月09日(月)]
年明けからどうも仕事がヒマすぎて (私以外の社員さんたちは忙しいから、バランス悪いというか申し訳ないというかね) カラダもアタマも鈍っちゃいそうなので、昨日はちょっとカラダを動かしに、フィジカル・シアターなるワークショップに参加してきた。


場所は、一昨年の12月に夜ごと通いつめた、なつかしの(笑)シアタートラム


トラムの真上にある稽古場の1つだから、もしかしたらあの 『GODSPELL』 のキャストの皆さんもこの場所で、歌ったり踊ったり走ったりしてたのかも!?


「感じるままに動く」 とか 「思ったことを言う」 という至極シンプルなことが私にはなかなかできない。


でも、ひとから見えるキャラクターってものがあるから、さ。


私のことを、いつでもどこでも自信にあふれて、自分の意思をしっかり確立しながら望むことを望むとおりに叶えている、強くてラッキーなオンナ、と思っている友人知人も結構多いのかもしれないけど。


私自身、そういうキャラって嫌いじゃないから、あわよくばそのイメージを崩さないで自分自身さえも騙し通そうとしちゃってた部分もあるけど。


そろそろ、化けの皮が剥がれる時が来たらしい。


ようやく、来てくれたらしい




自分の心と体がどうも素直に繋がっていないようだと自覚せざるをえなくなったのは「声」がきっかけではあったけれど、それだけですむ話じゃないし、いったん興味を持ち始めると、声だの顔だの心や体の感覚だのっていうのは際限なく面白くてね。




昨日の講師は、女優&演出家の木村早智さん。


小柄で華奢で、ふんわりと可愛いたたずまいながら、身のこなしが鮮やかで、しなやかで、魅力的な笑顔のひとだった



参加者は男性2人、女性13人、小学2〜3年くらいの女の子1人、ということでまずは自己紹介



呼ばれたい名前(本名でなくても構わない)の前に、自分を表現する一言をプラスして、


「おしゃべりなヤマダです」

「泣き虫ナッちゃんです」

「詰めの甘いゴローです」

「ひねくれアキコです」


といった感じで一巡すると、続いて 「10秒間にできるだけたくさんのひとと握手をする」 とか 「ボールの代わりにクラップ(拍手)をパスし合う」 というユニークなウォーミングアップをしてから、次は・・・・・・鬼ごっこ!



大のオトナがみんなケラケラ笑いながらも真剣そのもの、稽古場の中をみんな裸足で所狭しと走り回ってタッチし合い、うん、私は思ったより身軽で足が速いな、とちょっと安心したり(笑)



まだ三十路も前半、そうそう鈍っててたまるかいっ



続いて、いろいろな歩き方をしながら、身体感覚や気持ちがどう変わるかを感じてみる、というワーク。



つま先で歩く、かかとで歩く、足の外側に重心をおいてO脚のように歩く、逆に内側に重心をおいて歩く、指をできるだけ(もちろん無理のない範囲で)丸めて足の裏で地面をつかもうとするように歩く、という5種類。



歩きながら、心に浮かんだ言葉があれば声に出してみたり、そのキャラクターのままで、目が合ったひとと言葉を交わしてみたりする。



「つま先で歩く」 を終えて、どういう気分になったかを全員が言い合うと、これが見事にてんでばらばらで面白い。


私は女優かモデルにでもなったような(ハイヒールで歩くイメージだね)感じの、とても優雅に満ち足りた気持ちになり、こぼれる言葉も 「いいねぇ」 「綺麗ね」 「素敵だねぇ」 とあたたかな余裕に満ちていたんだけども。




ほかの皆さんはというと、ものすごくバランスが取りにくくて、おっとっと、おっとっと・・・ と呟きっぱなしだったとか、やたら焦った気持ちになって、大変だ、忙しい、早く早く・・・ と口走ったひともいた。



はたまた、とても汚いところを歩いている気分になったらしく、顔をしかめながら、あ〜、もう〜、汚い〜、やだなぁ〜、とぶつぶつぶつぶつ言い続けたひともいたり。(笑)



続けて、かかとで歩く


これは、私は気持ち云々よりもまず物理的に痛かったので、イタタ、アイタタタ・・・と小声で言いながらおぼつかない足取りになったが、ほかのひとの感覚を聞くと、ペンギンになった気分で楽しかったとか、踊っているみたいにリズミカルに歩けたひともいたようで、これまたバラバラ。



足の外側や内側に重心をおくのは、いずれもひどく歩きにくい(笑)



でも、普通に歩きやすかったというひともいたし、歩き始めの赤ちゃんになったような気持ちで「おかあさ〜ん」と無邪気な声を上げたひともあり、なぜだか笑いが止まらなかったとか、焦って探し物をしている気分になったとか、とても自信がなくておどおどしたような気分になった(これは私)とか、まぁー、十人十色とはよく言ったもので



足の指を丸め込んで歩いた時の「体感」はなかなか面白かった。




自分の手足も見えないほど真っ暗闇の場所を歩いていると、何だか正体不明の違和感がある。

自分が人間の姿ではなくなってしまった気がする。

私は、誰だ? 

『美女と野獣』のビーストのように、指が消えた毛むくじゃらの手足に鋭い爪が生えていたりしないか?

もう少し行けば、ここよりは明るい場所に出るはずだ。

その明かりで自分の姿を見てみれば、わかるはずだ。

早く、早く、もう少し先まで。

もう少し明るいところまで。




もう少し、もう少し、とつぶやきながら歩き回る私は、ほかの参加者から 「こんにちは、どこへ行くんですか」 と声をかけられた時、それこそ怯んだ獣のように本気で飛びのいて口ごもったらしい・・・ そういうふうにふるまった自覚はなかったけれど




体って・・・


体の動きを単純に変えるだけのことで、気持ちってこんなにも連動するもんなの?



オモチャのロボットみたいだよね。


赤いスイッチを押したら頭のてっぺんが光り、青いスイッチを押したらワハハハと笑い出し、手を触ったら「ヤァ、コンニチハ」と喋る・・・とかそういうオモチャって珍しくないと思うけど、まさにそんな感じ。


面白いといえば面白いけど、怖いといえば怖いかも。





体と心をつなぐスイッチを、オフにしたまま忘れ去るのではなく、オンのまま暴走させてほったらかすのでもなく、ある程度の幅をもってコントロールすること。


それができたら、生きることはたぶん、もっと楽しい




今日のこれは、ブログというより私の覚え書きです。


眠くなってきたので、後半の話はまた明日にでも


Posted at 02:11 | この記事のURL
毎日 [2012年01月04日(水)]
今日は年始の仕事始めだったけど、まだ取引先も休みのところが多いのか、全体的に何となくのんびりしていた。


そもそも、新人の、しかも派遣の私には担当するクライアント企業というものがないので、新年挨拶や営業の電話をする必要もなく、私指名の電話がかかってくるわけでもなく、も〜っ、暇といったらとことん、暇っ


とりあえず、かかってきた電話を取り次ぎながら、パソコンで自主学習・・・ をするふりして、President Online のビジネスコラムの連載が面白かったものだからずっとそれを読んでいた


ホントに自主学習できる画面(=社内ソフト)も、物件検索ソフトも図面ソフトも、5つ6つの画面を同時に立ち上げながら(笑)



私は広いフロアのいちばん隅っこの席で、しかも出入り口の反対側なので、私の背後をひとが通ることはまず無いんだよね



無口で真面目で礼儀正しく、頼まれた仕事は早い、というこのオシゴト用のキャラはなかなか便利だわね(爆笑)



遊んでても、そうは見えない



だ〜ってさ〜、何かできる仕事を積極的に見つけて出来ればいいけど、ここの仕事は担当ごとにわりときっちり分かれてるから、手が足りなくなった忙しいひとに何か頼まれない限り、自分じゃ見つけようがないんだもん


スタッフがそれぞれ専用で持っているパソコンも内線電話も、私の分を申請はしてくれているらしいけど、まだ支給されてないし。


む〜〜〜



「わたくし、退屈するのがいちばん怖いんですわ」

・・・By マリー・アントワネット(笑)



時間は有効に使わなきゃ〜ね



☆ ☆ ☆



友人のブログに触発されて、昨日 “5年日記” なるものを買ってきた。



毎日かかさず何かをきちんとやる、ということが今まで一度もなくて (気分が乗るときと乗らないときの波がかなりあるから)、 しかも日記という 「形に残るもの」 は、母のとんでもない置き土産のトラウマもあって、私は絶対やるまい、と思っていた。



でも。

私は、母とは違うから。



二の舞を踏まないように、決めたことはひとつだけ。

ひとを名指しで貶したり恨みを吐いたり罵倒したりしないこと。

そういうものは、そういうものだけは、形に残しちゃいけない。



冗談じゃねぇバカヤロー、と怒鳴るように書き殴ることはあってもいい。


でも、理由は書かなくていい。そんな広いスペースもないし。(笑)




書かなくても、私はわかってるでしょ?


時が経って、あれっ、このバカヤローは何の話だろ? と自分で首をひねるくらいになったら、所詮その程度のことだったんだと笑い飛ばせばすむでしょ?




そう、今ね。


毎日かかさず、という人生初のことを、日記より前から継続中なんだわ。


例の、YAMAHAのキーボード


眞美センセに教わった、キーボードを使った音取りの自主トレ。♪♪♪




・・・昔ピアノを習っていたし、耳も音感も悪くはないはずなんだけど、な。


どの辺りの音が鳴るか、なるべく推測がつきにくいように、目を閉じて両腕をクロスさせながら2つの音を同時に鳴らして、低いほうの音をとる。


その単純なことが、なかなかクリアできずにいる。


そりゃまあ、少しずつ正解率は上がってきてるし、とくに聴き取りにくいキーと距離の組み合わせもわかってきたけど、よっぽど集中してないとあやしい


つまり、まだ幼い子供のように素直な耳ではなく、理屈っぽいアタマに頼ろうとする習い性がしつこく残っているんだろうな、と思う。



これ、できるようにならないとさ・・・


次のレッスンに行けない


家でできることを教えてもらったのに、それがクリアできないまま中途半端な状態でのこのこ出かけていっちゃ、あまりにも失礼だもんね。




逢いたいよぉ、早く。


大好きなんだっ


逢いたいから、頑張るよっ!(笑)




毎日、キーボードを弾き (音取りだけじゃなく、たまには簡単な曲も弾く 昔に比べれば・・・というか比べものにならないほど指が動かなくなってるけど)、 毎日、日記をつける。




この歳になっての 「初めて」 は、なかなか楽しい。




5年後の12月、この日記帳が終わる時には、私39歳かぁ・・・。


何やってるんだろね?




今よりもっと、愛して、愛されて、ヤンチャでしなやかで優しいひとになっていたい。




さて。


キーボード弾いて、寝ます

Posted at 23:25 | この記事のURL
家族の風景 [2012年01月03日(火)]
「 友達のようでいて 他人のように遠い
  愛しい距離が ここにはいつもあるよ

  キッチンにはハイライトとウイスキーグラス
  どこにでもあるような 家族の風景 」




これはハナレグミさんの 『家族の風景』 という歌の詞。


年末の、中山眞美センセのライブでも歌われていた。


彼女もリハーサルの最中から 「ウッときてしまった」 そうだけど、私もいろんな思いが交錯して込み上げて、涙を抑えられなかった。




歌詞もだけど、歌声がさ。


あったかいんだもん。


あまりにも。


抱きしめるみたいにあったかいんだもん。


今の私には、あまりにも。




客席が真っ暗になる劇場ならもっとクシャクシャボロボロに泣いてしまっていたかもしれないけれど、その会場はわりと普通に明るくて(笑)、しかもステージからよく見える位置の、ほぼ真正面のテーブルに私は (3人の友人たちと一緒に) いたので、ボロボロに崩れるってのはちょっとさ〜・・・家じゃないんだしね





大晦日の午後から元旦にかけては、都内の従姉妹の一家にまぜてもらった。



姪っ子 (ではないんだけど、正確には。従弟の娘、という表現ってないんだよね) の、もうすぐ2歳になるレアちゃんにフカフカの羊のぬいぐるみをプレゼントしたら、 「めぇめ、めぇめ」 と喜んで抱っこして片時も離さず、結局抱いたままぐっすり眠ってしまったりして(笑)



にゃははは・・・ 可愛ゆいねぇ〜



元来、子供好きなたちではないけど、従弟やら友達やら、親しいひとの子供はやっぱり違うね。



単純にイキモノとして面白いし(笑)、愛しい





一緒に食卓を囲み、こたつでお茶を飲んでチョコレートをかじったりしながら紅白を観て、1年ぶりに会った叔母とは深夜3時近くまでお喋りをした。




私の話し方や笑い方が母にますます似てきたと言われた。




母は評判の美人で、頭がよくて誰にでも優しくて上品で手先が器用で、完璧で理想的な良妻賢母で、病気がちなのにいつも健気に明るくふるまう、素晴らしき “みんなの憧れ”!



・・・みたいなイメージのひとだったから。



お母さんに似てきた、というのは、褒め言葉なんだと思う。



頭ではわかる。



でも、ごめん、ひとかけらも嬉しくない、私。




似ている部分を、どうしようもなく自覚してしまうことは実際あるけど、それをひとから言われると・・・ 100%まじりっけなしの素直な褒め言葉や慰めのようなものとして言われると、やるせなくて、そのやるせなさを誰に・・・ そもそも自分に対してさえ、どう説明すればいいのかわからなくて、母とそっくりな声を出すこの喉を思いきりぶん殴りたくなってしまう。



いやいや、実際にはしないけども。



去年あやうく失くしかけた声だし、罪のないものにそんな乱暴はたらいちゃ可哀想だよね(笑)




顔は化粧である程度変えられても、声はそうはいかない。


そもそも変えたいほど嫌いなわけじゃない、というか、生まれ持ったものの中では結構好きだ。


だから尚更、せつない。


私が無意識のうちに地声を見失っていたとすれば、それは母と似ているものを無意識に拒み、避けていたということなのかもしれない。





せつないね。


もうじき、5年にもなるのにね。


受け入れることも許すことも懐かしむことも、何もまだできないよ。


心、狭いね、私。





受け入れられない、受け入れたい・・・


許せない、許してはいけない、それでも許したい・・・





まだまだ、当分じたばたしそうだ。





そんなことを考えていたら、眞美センセの昨夜のブログ。

タイトルは『♪GIFT』(※彼女のブログのタイトルは、いつも何かしらの曲名)

http://ameblo.jp/mami5521/entry-11124047236.html




ここにも、家族の風景。


どこにでもあるような、どこにもないような、あたたかい、家族の風景。





そうなのよ、ライブのMCで弟くんとの思い出話をしてくれて


そりゃもう本当に、情景がリアルに浮かんで観客みんな大笑いの話だったんだけども


きょうだいがいない私には、そういう情景って、永遠の憧れでもあり。



そりゃあね、家族だの親兄弟だのっていうのは 「いればいい」 ってもんじゃないし 「いなけりゃ不幸」 ってわけでもないけど、でもね。





うまく言葉にならないけど、彼女のブログを読みながら今度こそクシャクシャボロボロに泣いてしまって、理由もはっきりしないけれど涙も嗚咽も止まらなくて、ようやく落ち着いた時には、観ていたはずの『相棒』元旦スペシャルのストーリーがさっぱり訳のわからないことになっていた(笑)



CMの時によそ見してブログ読んだりしてちゃダメってことです、ハイ



でも、あの涙は羨望や孤独感や、そういう胸を締め付けられるような感じのものじゃない。



すごく綺麗なものを見たり聴いたりして心が震えた時のような、理屈でも感情でもない本能的な涙。



ただ、いいね・・・ と。



いいね・・・

もっと、聴かせてよ、と。



のろけでも親馬鹿でもいいから、あたたかい家族の話、聴かせてよ、と。



行ったことのない外国の街や、深い海の話みたいに、黙って想像しながら聴いていたい。



自分が知らないことだからといって、想像力まで失くしたくはない。



そんなふうじゃあまりにも、生きていることが寂しく薄っぺらくなってしまうもんね。






そう、それで、話があっちゃこっちゃ飛ぶけど、眞美センセのライブ


13曲のうち、彼女のオリジナル曲が3曲あって。




この恋が早く愛に変わればいい、その傷ついた心をひらいて預けてくれたなら、私があなたを守るのに・・・ と歌う一途な少女のラブソング、『恋が愛に変われば』


歌詞もメロディーも歌い方も、すごく大好き、この歌



違う道を歩き出して今は傍にいないひとに、静かな祈りにも似たエールを送るようなバラード、『足跡』



憶えてるもんだな・・・、あたたかいな・・・、愛してるよ・・・と、素直な子供のような言葉が、終わった恋の相手を慈しんでそっと抱いているような 『キオク』



CDになっていない (いや、かつてCDを出していないわけじゃないから、入っていたのかもしれないけど、とりあえず今は手に入らない) ので、歌詞が正確にわからないのがもどかしいんだけども・・・




CD、出して!!(笑)


これからはライブの回数増やすつもりだと言ってたけど (この間のライブは、なんせ3年ぶり)、 そんなんじゃ足りない!!


もっと、いつでも聴きたいっ!! ♪♪♪





弟くんにも、


「たまには姉チャンの歌ば聴きたいなって思うとばい」


って言われたんでしょ?




家族も、教え子も(笑)、待ちわびてるよ〜、眞美センセ!





私のお正月休みは1週間あったけど、父は1日しかなくて、そもそも帰省したところで一緒に楽しめるような共通の趣味や話題がそうそうあるわけじゃなし(!?)、そんなこんなで私は帰省しなかった。



大晦日の深夜 (というべきか、元旦の早朝というべきか)、 帰宅した父は、連日連夜の長時間労働&深夜帰宅で溜まりに溜まっていた洗濯物を一掃すべく、洗濯機を2回も回してベランダに干したそうだ。



そんな話きくと、日帰りででも洗濯と大掃除 (いや、見えるとこだけの大雑把掃除くらいで精一杯か・・・) だけでもしに帰ってあげればよかったかなと思わないわけじゃないけどさ・・・う〜ん・・・





私はまだしばらく自由なおひとりさまを楽しむのもいいけど、父にこそ伴侶がいてくれたらな、と切に思う。



こればっかりは、知り合いから猫を1匹譲ってもらうような話じゃないから、簡単に叶うことじゃないけど、でもね。



もしも父が、このひととなら家族になりたい、と思うような相手に出会えたなら、そのひとが私より若いコでも、関西弁コテコテの “もろ、大阪のおばちゃん” でも、私は心から祝福すると思う。






話がどんどこ脱線して、終わりそうにないので、今宵はここまで。(笑)



おやすみなさいマセ

Posted at 01:11 | この記事のURL
大晦日ですネ☆ [2011年12月31日(土)]
さて、日付が変わりました。

今夜も猫のように宵っ張り


焼き上がってオーブンから出てきたばかりの林檎のケーキの香りも漂って、う〜ん、いい感じ


年越しは都内の従姉妹一家のところに交ぜてもらって過ごすので、ケーキは手土産ね(笑)




あ、そうそう。


休暇初日の28日に、年賀状を書きかけていたら、忘れてた野暮用を思い出し、慌てて身支度して電車に飛び乗って出かけた。


7月、仕事中に(そう、あのとんでもない前職よ)ちょっと怪我をして、それは労災扱いになったわけだけど、肝心の手続きが遅々として進まず、退職する段になっても終わっておらず、こんな年末まで持ち越してしまったわけ。


杜撰な会社のやることは、どこまでいっても杜撰。


さっさと縁切ってよかったわよ、ホント。



ま、縁切ったところに文句言ってもしょうがないので、気を取り直して、とりあえず2ヵ所の病院をハシゴして、依頼していた診断書をもらってきて、その日のうちに年賀状(今年は40枚弱)を書き上げ、翌日の “お師匠サマ” のライブの時に渡す手紙も書き上げまして




ところが、翌日は待ちに待ったライブで舞い上がって、出かけるときに年賀状の束を持って出るのをすっかり忘れてたもんで、投函はさらに1日延びて、昨日の朝になっちまいましたデス


私の年賀状は間違いなく、元旦には届きませんので、皆様どうぞあしからず・・・m_ _m




夜ごと三軒茶屋の劇場へ通いつめていた去年ほどではないにせよ(笑)、今年の師走も思い出してみれば結構遊んだので(仕事もしたけど)、慌しいのも若干寝不足なのも当たり前で、うん、元気だからそういうのもまあ悪くない。


最強の厄もようやく抜けたっぽいですね



ひとの命は、一寸先もわからないから。


今日したいことや、今日できることは、しよう。


好きなひとには好きだと言おう。


逢いたいひとには逢いに行こう。


来年も。再来年も。ずっと。


生きてる限り、ずっと。




本当は、眞美センセのライブのことも書きたいんだけども (今回行けなかった友人から、レポート待ってるよ、とも言われているし)、 これはまだ酔いが醒めてなくてまともに書けないので・・・新年に持ち越そう(笑)



誰の心にも、あたたかく優しいものが降る新年でありますように

Posted at 01:07 | この記事のURL
ありがとう [2011年12月30日(金)]
とても嬉しくて、気持ちが高揚しすぎて眠れそうにないから、ブログ書いて落ち着こう・・・と思ってはみたものの、さて、どう書き始めていいものか悩む


いやなに、今夜は中山眞美センセのソロライブに出かけていて、また惚れ直したというか、魂を持ってかれたようにボーっとなってるだけなんだけども


ソロライブは約3年ぶりだとか。


3年前は、知らなかったんだよね、私。


もったいない・・・悔しい!(笑)


仕事仲間やら昔からのFANやら、各方面からせっつかれながら、ひと前でメインボーカルとして歌うのは苦手だからと断りつづけてきたけれど、この3月の震災の後、思うようになったのだという。


ひとの命はいつどうなるかわからない、と。


それなら、今、自分にできることを精一杯やろう、と。




苦手だ苦手だと言ってたわりに(!?)、「もう〜ね、嬉しいの!」 と満面の笑みで連発し、時間がおしていることも気づかないほど熱くノンストップで歌い、喋り、被災した知人 (原発の避難指定区域に住んでいた・・・) の話をしかけた途端に涙があふれて声がつまって、迷子の子供のような顔をして。



圧倒的に力強く優しい、ソウルフルな歌声。


照れくさそうに掠れた、低い笑い声。


この素晴らしい仲間を見てよ、あたし果報者でしょう! とばかりに誇らしげにメンバー紹介をする、明るく華やいだ声。


大好きだ。


私はあなたが大好きだ。




「あたし 他人を喜べる数で 時を数えたい」



中島みゆきさんが 『夜を往け』 というアルバムのライナーノーツに書いていた言葉を、ふいに思い出した。



彼女はボイストレーニングの先生でもあるのだけれど、生徒さんはほぼ全員が役者とか歌手とか、あるいはそれらを本気で志す若い子とか、なので。



さしあたり何ものでもない私が弟子入りしたってのは、自覚していた以上にものすごく無謀な、身の程知らずなことだわね、とあらためて感じた。


私ごときが煩わせていい相手じゃないんだわよ、実際(笑)




終演後のDivaにそう言ったら、あっけらかんと一言、




「えー、なんで」




なんで、って(笑)


それはさ・・・たとえるなら、野球観戦の好きな小学生が自分もやりたくなって、プロ野球選手をつかまえてボールの投げ方やバットの持ち方を教えてくれと頼むようなもんだよ、私のしていることは


そこいらの草野球サークルのコーチじゃなく、いきなりトップレベル。



これを身の程知らずと言わずして、何だ?



「いいじゃないですか」



こともなげにそう言って笑ってくれる懐の深さ。



「はい! そういう無謀なことができる自分が、すごく嬉しくて、幸せなので、これからもよろしくお願いします!」




それこそ子供みたいなワケのわからないこと言っちゃった


だけど、本気。


ずっと、あなたを追いかけていくから。




「誰かが見ていてくれるなら

 心をふるって 風を見て

 知ってる道を思い出す」





これも、中島みゆきさんの言葉。




眞美センセ。


あなたが見ていてくれるなら。




ずっと逃げ続けて目をそらしてきたことと、ちゃんと向き合ってみようと思う。


まるで最初から無かったように蓋をして扉を閉めて知らん顔を決め込んできたものを、開ける勇気を与えてくれたのは、あなたです。



ありがとうございます、は、あなたじゃなく、私が言う言葉です。



今日もまた先を越されてしまったけど。




最高の夜をありがとう。


魂を抱きしめるような歌をありがとう。


優しい笑顔をありがとう。




私も、頑張ります。


生きる ということが、惰性でなく、言い訳でなく、地に足の着いた希望であるように。




心がうまく言葉にならないので、みゆきさんともう一人、尊敬する大好きなひとの言葉を借りて。



茨木のり子さんの詩、『待つ』。




“ わたしの心は かたくなな 鉄の扉
  どうしようもなく 閉ざされ 軋む

  鍵を持って まだどこか 遠くを
  のんびりとふらついているのは誰?

  ぱっと開けて吃驚させてくれるひと
  とても自然に 昔からの約束のように ”




この詩は10代の頃から好きだったけれど、自分自身のようだというわけじゃない。


私は、待たない。




たとえば柳美里さん、たとえば高樹沙耶さん、そして眞美さん。


惚れることは理屈じゃないから。


私にとっては、惚れることは信頼とイコール。


出逢った時、そのひとが私について何も知らなくて、何の根拠もなくても。





鍵を開けてください、と言いに行く、向こう見ずな行動力だけは私、持ってるんだ。


でも、応じてもらえるかどうかは相手次第。





だから。


感謝。


言葉なんか追いつかないけど、ありがとう

Posted at 02:35 | この記事のURL
玄関の篝火 [2011年12月25日(日)]
11月の下旬頃、あちこちの花屋で色とりどりのシクラメンを見かけるようになって、好きな花だし、そのうち買おう〜 と思っていてね


あ、買わなくても実家が花屋なわけだから、おとーさんにおねだりしちゃおう、と思ったりもしてね(笑)


で、玄関の土間に鉢を直置きってのもナンだから、何かシンプルな花台も一緒に


・・・どさくさにまぎれて日が経って12月に入っちゃうと、実家はお歳暮の繁忙期に突入でして、連日休みなしに朝から晩まで・・・もとい、朝から丑三つ時までの大忙しになるので、こんな時にわざわざ1つ2つでも余計な仕事増やすのも気の毒だし、うん、やっぱりこっちで買おう、と(笑)


考えてみればそもそも、こういう私好みのグラデーションの色みは、説明するのややこしいしね





花台をどうしようかと思ってたんだけれど、百均ショップの植木鉢スタンドと陶器皿を組み合わせたら、なんかいい感じになりました



シクラメンの和名は、篝火花(かがりびばな)あるいは篝火草。

これは、綺麗なほう


もうひとつ、おかしな和名があって、そっちは“豚饅頭” ・・・ぶひ♪


綺麗なほうの和名は咲いている花の姿から、変ちくりんな方は根元の球根の形から来ているものだとか。


花が咲き終わって根元があらわになると、本当にもう、豚饅頭ほど美味しそうでもないヘタクソな泥饅頭みたいな姿だけになって、いとあわれ・・・なんでございますが


でも、その愛想なしの豚饅頭をポイと放り捨ててしまわずに、ちゃんと水をやって育てておけば、次の年にもまた綺麗な篝火を咲かせてくれるわけ



掃除のついでに、玄関のプチ模様替えも。





無印良品の壁掛けシェルフを1つ追加して、これも先日あまりにも可愛くて衝動買いしてしまったパキラの居場所に


水栽培なので、世話はラクチン

安っぽいプラスチックのカップに入っていたので、ガラスの器に植え替えた。


ピンクのガラスにピンクの用土だから、写真ではわからないけど、この器には “Yu Miri” と贈り主の名前が刻まれていて、私にはとても大切なもの。


こういう大事なガラス製品を無防備な棚の上に置くというのは、震災以来ずっと避けてきたことなんだけども、あえてやってみた。


祈りをこめて。



「地震で壊れるかもしれないから置かない」 というのは、災害が起きることを予測して想像していることだから。


私はわりと、思ったことや願ったことを現実に引き寄せる力が強いみたいなので・・・、あまり悪いことをリアルに考えていると悪いことが起きてしまいそうなので、なるべく、考えないようにしたくて。



あの震災が起きた時、私は外出先だったので、家に残していたネルと美羽のことが心配で心配で、すべての電車が運休している線路沿いを夜通し走ってでも帰りたいほど居たたまれなくて、友人の厚意であたたかく眠れる場所に恵まれていたにもかかわらず、実際には一睡もできなかった。


朝、急いで帰宅してみれば部屋の中は何ひとつ落下も破損もしていなくて、ネルたちもちょっと空腹ではあるものの普通に元気にしていたからよかったけれど。


そもそも、ヤンチャな猫がいるせいというか、おかげというか、で、落ちたり倒れたりして壊れるようなものを室内に一切置いていなかったのがよかったんだよね。



あんな災害はもう起きてほしくないし、想像したくもないけれど、実際ありえない話ではないから、コワレモノ以前に私自身の心の置き場所がなかなか定まらない。




でも、祈りをこめて。


大切なお気に入りのガラスが、ずっとそこに在るように。


でも、もしも揺れに見舞われてしまった時には、破損の被害が玄関先だけですむように・・・と、これはネルと美羽を危険にさらさないための現実的対策。



ネルと美羽が歩き回る室内には、ガラスは飾れないよ。


美羽がヤンチャだから、という、それだけの理由にしておく。そこは。




さて。


日付が変わって、クリスマスムードもおしまい。


寝ます。


See You

Posted at 23:54 | この記事のURL
Christmas Eve☆ [2011年12月24日(土)]
12月に入ってすぐ、この部屋もささやかな飾り付けをした。




これは東急ハンズで買った、ワイヤー細工のツリー。


キラキラゴールドラメ、大好き〜〜〜


気に入って買ったガラス細工のツリーも実家にはあるけど、なにしろ我が家にはいたずら美羽にゃんこがいるもんで・・・


ガラスはさすがにコワイので


こういう素材なら、にゃんこがちょっかい出して落としても壊れないからね





DVDラックの上には、友人たちにもらったクリスマスカードと、亡き妹・アリーの写真。


ふと足もとにひんやりした鼻を感じて、目をやると、アリーと同じ褐色の愛くるしい目をしたネルがしっぽを振って見上げている。


この子の笑顔と、食いしん坊なところは、本当にアリーにそっくりだ





窓辺にはステンドグラスのクリスマスツリー、エンジェル、雪の結晶のハンギングオブジェ。


これ、作ったのは母です。


私がまだ中学生くらいの頃だと思うから、何年前だ? ・・・20年近く?


これは友人たちへのプレゼントとしてもいくつか作っていたはずだから、同じものを持っているオバサマたちもいるはず(笑)


『黒の舟歌』 じゃないけど、母と私の間には 「深くて暗い河がある」 ので、母の手製のものはどんなに綺麗でも、かつて気に入っていたものでも、何となく飾る気がしなくてね、ここ4年。


引越しの時も何も持ってこなかったのだけど、先月に帰省した時に、ほんのいくつかだけ持って帰ってきて、これらステンドグラスもその一部。


ほんの少しだけど、歩み寄り、かな





フォトフレームの上にある布のツリーも、母の手製。


これは私のいちばんのお気に入りで、数年前に見よう見真似で似たようなものを作って、友人にプレゼントした


私が選んだ生地はこんなおとなしい色柄じゃなかったので、まるで雰囲気の違うものになったけどネ




私の母は、季節ごとの飾りものが好きなひとだった。


クリスマス、お正月、お雛祭りなどのカレンダー行事に限らず、春になったら玄関や寝室やトイレに吊った小さな額絵 (べつに値打ちのあるものじゃなく、カレンダーや雑誌から切り抜いた絵や写真ばかりだったけど) を桜や菜の花の絵柄のものに替えたりして。


梅雨が明けて暑くなってくると、玄関の下駄箱の上に大きめのガラス皿をおいて大小の青いビー玉を敷き、拾った貝殻や、小さなガラス細工のヤドカリや人魚をあしらったりして。


秋になると、その場所の住人たちは暖色のスカーフやコースター、紅葉、どんぐり、小さなリスのぬいぐるみなんかに替わったりして。


そういう稚気というか、時間を忘れてままごと遊びをする子供のような心を、いくつになっても持ち続けたひとだった。




事実、私が学校から帰ってくると、


「見て、見て!」


と得意げに笑い、


「今日はこれをやってたら時間があっという間で、お昼ゴハン食べ忘れちゃって」


などと言って私を呆れさせたことも一度や二度や三度ではない(笑)




実家は今や、父が夜遅く寝に帰るだけの場所になっているから、季節が変わることによる変化は扇風機とヒーターが入れ替わるくらいだと思うけれど、私は結構、喜ぶ子供のひとりもいない独り暮らしの部屋で、母と同じようなことをやっていたりする。



自分の中でずっと目を逸らし続けていた部分は、ずっと逃げ続けてきた部分は、母と似た部分であると認めざるをえなくなった、三十路の冬。



どうして、どうして、ねえ、何でそう思うの、何でそう思ってくれないの、どういうことなの、どうしてそんなに違うの、どうして・・・?



ことあるごとに、どうして、どうして、どうしてと父や私に問い続け、理由なんか最初からないほど些細なことにもしつこく理由を求め続けた母は、独りぼっちの子供のような寂しさを抱えたひとだったのだろうかと、最近思う。



自分の思いは誰にも理解されない、と。



あなたは素敵、あなたは素晴らしい、あなたは何でもできる、あなたは優しい、いつも自信にあふれるあなたのように私もなりたい・・・ 周りのひとから羨望の笑顔でそう言われるたびに不安で不安でたまらなくて、本当は違うのよと言いたくても、そう言ってしまったら最後、自分が何者なのかもわからなくなってしまうから、中身のない優等生の笑顔でごまかすしか、ごまかしつづけるしかできなくて。



せめてたったひとりの娘には理解して欲しかった?


自分と同じ心で、同じ目で、同じものを見て同じように感じてほしかった?



「ねえ、あんたはどうしてそんなに私と違うの!?」



どうして、って言われてもね。


・・・違うじゃんね、最初から。(笑)



そもそも親が違う、生まれた場所も年代も違う、家族構成も違う、もちろん見た目だって違う、負った苦労や悲しみも違う、負わされた傷の深さも痛みも、後遺症も癒し手も違う。


同じなわけがないじゃんね。


せつないよね。



あなたがあれほど、自分と違うと、似ていないと、嘆き続けて拒絶した娘は、悔しいほど同じものをいくつもいくつも持ってるみたいだけどね。





ステンドグラスは専用の道具や機械を揃えないとできないから、やっていないけど、もの作りが好きなのは間違いなく、あなた譲りだ。



これからミシンを出して、先日買ったキーボードのカバーを作ろうと思う


キーボードってさ!


ピアノと違って、ケースも蓋もついてないのね!(笑)


まるだしのままじゃ、埃かぶっちゃうじゃないの


しょうがないから、無いものは作る。



あ、年賀状もまだだから、やらなきゃなんだけど・・・


順番、順番
Posted at 17:19 | この記事のURL
師匠 [2011年12月19日(月)]
当たり前にできると思い込んでいたことが、驚くほどできなくなっていることに気づく。

こんなにも歌が好きで、音楽から離れたことなんかなかったのに、今、ここで鳴っている音と同じ声を出すという単純なことが、どうしてこんなに難しいんだろう。

どうして、できないんだろう。

何に怯えているんだろう、私。



感じることができていない。

感情のままに体を動かすことができない。

心と体が繋がっていない。

どこかで、自動的に蓋が閉まってしまう。

思いは、声や表情という形をとる前にどこかで絡め取られて口をふさがれ、そのまま行方知れずになる。



私の声には支えが無い。

よく通る声ではあるのだろうけれど上っ面をフワ〜と通り過ぎるだけで後には何も残らない、だから説得力が無い、聞いていて落ち着かない。



自分で漠然と感じていたことを、はっきりとした言葉で指摘してくれるひとに出逢えて、私は今、未体験の感覚にじたばたもがいている。



地声でひとと話したことがないのか、と言われた。

自分の本音って、わかる? と。



わからなかった。

私の声は、地声ではないの?

私が考えたり感じたりしている「はず」のことは、本音ではないの?

だとしたら、それらはどこにあるんだろう。

本当に、どこかに存在しているんだろうか。



私は、生きている、よね。

幽霊じゃ、ないよね?



そんなわけないじゃんと苦笑しながら、本当は迷子の幽霊だったりして、なんて不安が全身を包む。




私はいつも理由を欲しがる。

その痛みに、その悲しみに、その切なさに、その孤独感に、思い当たる理由が無ければ、強引にでっち上げてでも理由らしきものを頭と心に満たして、自分を納得させようとする。



攻撃の矛先が、誰かに向かないように。

誰かに恨みをぶつけないように。

もう、自分のこの身も傷つけたりせずにすむように。



たえまなく理論武装して身を守ろうとする。

・・・誰から? 何を、守りたいの?



すべて私が決めたこと、私が選んだこと、私がそう考えてそうした、もちろん違う道もあった、拒絶することも本当はできた、しなかったのは私の弱さ、私の不甲斐なさ。


そうやって最初から最後まで自分の中だけで理屈を通して完結させておけば、誰のせいにもしなくてすむ。


過去の落とし前を他人につけさせようなんて、ぶざますぎるじゃない。


すべて私が決めたこと。すべて私が選んだこと。


その時傍にいる相手が望むとおりの、何人もの「私」を演じ分けることも、誰に命じられたわけでもなく、私がそうせずにはいられなかっただけの話。



ねえ。

私は間違ってた?

いつ、何を、どうすればよかった?

今さら過去をどうこうできないのはわかってるけど、でも、誰か正解がわかるなら、おしえてほしい気もする。





何を言っても言い訳にしか聞こえないよと、ぴしりと言われてしまった。

見破られたと感じて、悔しいけれど嬉しかった。


「病んでるね」


という言葉が、荒っぽくも、見下されているようにも聞こえなかったのは、彼女の芯にある揺るぎないあたたかさ。



「相手の姿勢見てて、見どころがあるとか、本気で関わろうと思ったら私、まず優しくないから。バカじゃないのッ!? とか、結構、毒吐くから」



だから、言われるうちが華よ。


・・・そんなことを言ってニヤリと笑い、私の虚飾も強がりも屁理屈も全部突き崩しておいてから、



「絶対、変わるから。自分の声、ちゃんと取り戻せるから」



と微笑んでくれた。




「聴こえてるはずのものが実は聴こえてなかったんだ、ってことがわかれば、意識して聴こうとするようになるでしょ? たとえば周りの音とか、ひとの話し声とか。それだけでも、だいぶ変わるから。女の低い声は、男とは全然違う、すごく魅力的なものだってこともわかってくる。そういう声、せっかく持ってるのに、使いこなしてなきゃもったいないよ」




彼女は自らがプロのシンガーであり、作詞作曲や舞台の音楽プロデューサーも手がける傍ら、ボイストレーナー=歌の先生でもある。


教え子はほとんどがタレントさんだそうで、こんな私みたいな素人が弟子入りするのは珍しいケースだと思う。


そもそも、私は歌の上達法を教わりたかったわけじゃない。


いやいや、そりゃ歌もヘタクソより上手いほうが楽しいに決まってるけど(笑)、そういうことじゃなくて。


彼女の手がけたステージを観た日の夜、ブログにこんなことを書いた。



『私は言葉に厚化粧させすぎるから。

言葉に限らないかな、表情も、言動もか。


心に感じたことを、見える表情に、聞こえる言葉にするまでのわずかな秒数のあいだに、いったい何枚のフィルターを通して、何色の化粧品をぶっかけてしまうんだろうと、しみじみ痛感すると溜め息が出る。


私のいちばんの悪癖だと思う。

かつて、そうでなければ生きられなかったのは事実だとしても、時は流れるものだから。


いいかげん、脱皮したいもんです。


(中略)


彼女のように、心を声に乗せて解き放つすべを覚えたら、生きることがもっと鮮やかに楽しいものになりそうだ。


職業が、女優じゃなくても、歌手じゃなくても。


本当に好きなひとは、好きなものは、理由なんか説明できないね。

それでいいの。


あなたに惚れてます。

それだけで、いい! 』





このブログを、彼女は読んでいて、私を縛る “何枚ものフィルター” の話を覚えていてくれた。


だから最初から、真剣に向き合ってくれた。


ひとの顔色ばかり気にして自分を見失った、支えのない声だと、はっきり指摘してくれた。



私の言動に対して、それはおかしい、違うよ、とダメ出ししたり、ましてこんなパワフルな女をつかまえて 「病んでる」 なんて言うひとはまずいない。


この歳になれば、いろんな建前と言い訳を何となく混ぜ合わせた化粧品を顔にも心にも塗って生きることが 「普通」 と思われがちだから、それをわざわざ、言い訳するなと叱ってくれるひともいなくなる。


私は幸せものだ。


「当たらず触らず波風立てない人間関係なんて、無いほうがまし」


と言い切り、優しい目をして厳しいダメだしをくれる、最高の師匠に逢えたもんね




大好きだよ、師匠!


来年も、その先も、ずっと末永く付き合ってよね。


私の心は、自分でも気づかないくらいの大小さまざまなフィルターや柵や蓋や、そういうもので散らかってるから、きっとすごく手のかかる弟子だけど。


自分というヤツが、こんなに厄介なものをいろいろ背負い込んでるなんて、気づいてしまったからものすごく、悩んで、戸惑って、自分に呆れ返って、あがいてる。


気づかないでいる方が楽だったかもしれない。


でも、それは何も成長しないということ。

それ以上、幸せにはなれないということ。


パンドラの箱を開けたのは、もとい、開けて風を通してくれたのは、あなたなんだからね。


いつか、少しでも追いつけるように、離れないようについて走るからね、師匠




ずっと欲しいと思いながら、場所を取るしな〜、限られたひと部屋の空間に趣味のものばっかり増やしてもな〜、と思って躊躇していたYAMAHAのキーボード、自主トレのためという理由をつけて、買っちゃった(笑)



聴いた音をそのまま声に反映させること。


その単純なことができるようになったら、私の心は今よりだいぶ、自由になりそうだ。


感じたことをそのまま声に、言葉に、表情に、映すこともきっとできるようになる。


自分の体が、声が、こんなに無限大に多機能の面白いオモチャだなんて、知らなかったわよ。


子供みたいにわくわくしてる。


何がどう変わってゆくか、すごく楽しみだ!!

Posted at 23:38 | この記事のURL
仕事始め [2011年12月18日(日)]
新しい仕事の滑り出しは順調


ちょうど去年の今頃に働いていたコールセンターもそうだったけど、やっぱりそれなりの知名度や立場のある会社ってのは、普通にきちんとしてるからいいね


通常、派遣で働く場合、派遣会社に登録 →希望に合う仕事の紹介や説明 →履歴書選考 →職務経歴書を携えて面接 →内定 →派遣先での勤務開始、という流れになることが多いわけだけど、今回はわりと急募だったようで、登録の際にカンタンな説明を受けて履歴書を渡したら、それで面接も職務経歴書もすっとばしたまま内定してしまった



ええぇ〜、いいのかい?



と思ったけれど、今回はどうも、クライアント=派遣先の賃貸アパート会社からの希望がとても単純で曖昧なものであったらしい。


経験や学歴は特に問わない、宅建などの資格も要らない、ただ基本的なビジネスマナーが身についていて、基本的なパソコン操作(Word、Excel、ネット、メール、印刷etc)ができるひと、とだけ。


仕事に関する知識は実務の中で徐々に覚えればいいから、とのことで、その会社の業務に関する基本的な研修も派遣会社で1日きり、しかもわずか4時間程度


書類選考を通過して研修に参加したのは3人。



同期になるはずだった男性2人は、ほぼ私と同年代だったが、


「基本的なパソコンの操作は必要ですし、あと、基本的なビジネスマナーが身についていないひとはすぐクビになりますよ」


という派遣会社の担当者の説明にだんだん腰が引けて、ちょっと自信がないから、ちょっと考えさせてもらってもいいでしょうか……とぼそぼそ俯きながら、結局2人とも辞退してしまった



それを言うなら私だって、取引先や重役との接し方だの、名刺交換だの、会議室やタクシーではどこが上座だの、いわゆるビジネスマナーが日々必要とされるような企業勤めはしたことがないから、去年、基礎知識を得るためのシミュレーションとして秘書検定を学んでおいたくらいのもので、今回求められているレベルに自分が達しているのかどうかはわからなかったけれども。



まあ、とりあえず三十過ぎのオトナ、それも 「普通よりは礼儀正しい言葉を使う社会人」 だから(笑)、そこがポイントなら私は大丈夫だろうと軽く流して、特に確認もしなかった。




初出勤の日、私が配属されたのは、男性マネージャー1人と女性スタッフ5人で構成された第3班。


ベテランのスタッフ(私より少し若いかな)Nさんのアシスタントにつきながら少しずつ仕事を覚えていくように、とマネージャーには言われたけれど、初日はほとんど仕事らしい仕事がなかった


法人相手の営業部なので、みんな出たり入ったり電話をかけたり受けたり、絶え間なくバタバタ忙しくしていて、誰も新人の私にものを教えるような時間的余裕がなかったワケ(笑)



たったひとりの新人なのに、見事にほったらかし・・・



しょうがないから、「暇な時に読んどいて」 と渡された社内マニュアル (実務で使う検索ソフトの使い方から、さまざまな賃貸契約プランの詳細な説明、不動産の基礎知識までいろいろ載っていて、本のムシとしては結構面白い) をゆっくり読みながら、電話が鳴ったら出て、担当者に取り次ぐ。



「お疲れ様です、XYZコミュニケーションズの原田様よりお電話が入っております。お願いします」



それだけ。(笑)

高い時給をいただいてるのに、ラクな仕事で申し訳にゃい



電話をかけてくる「お客様」はすべて企業なので、名乗る名前がやたら長くて参っちゃうけど


長い横文字でも、「○○コミュニケーション」 とか 「××インターナショナル」 みたいな耳慣れた単語ばかりなら苦労はないけれど、



「オルディーネットワークソリューション事業本部の山崎です、いつもお世話になっております。遠藤様はいらっしゃいますか?」



なんて早口で言われると、寿限無寿限無五劫のすりきれ・・・ みたいなもので、頭の中で和訳もできないしメモ書きも追いつかないから、聞いた音を丸覚えするしかない。


頭の体操になりそうだ(笑)




でも、2日めの金曜日は、Nさんのアシスタントとして、彼女の担当する企業から依頼された部屋探しを任された。


先方が希望する場所 (具体的な番地、駅から徒歩何分以内、沿線など)、家賃、契約期間 (長期か、マンスリーか) などの条件を専用の端末に入力しながら、2つのソフトを行き来して条件に合いそうな物件をピックアップして、提案用の図面をおこす。


もちろん、一般サイトには公開されていない「要確認事項」の項目も必ずチェック。


電波が弱くてテレビ映りが悪い可能性があるとか、窓を開けると墓地が見えるとか、大通りが近くにあって騒音と振動があるとか、いろいろ。


こういうことは、図面に転記して、提案時にきちんと確認して了解を得なければ後からトラブルやクレームになるから、大事なことなのだ。




なるほど、パソコンの基本操作ができること、という単純かつ曖昧な募集要項はこういうことね、と納得した。


最初に、立ち上げるべきソフト名とIDやパスワードだけは教わるけれど、具体的な操作方法やレイアウト、印刷のしかたを手取り足取り教えてくれる時間はやっぱり誰にもないから。



同時進行で使うソフトの片方は、一般的な賃貸アパートのホームページと似た仕様だからまだ使いやすいけれど、もう片方はマウス操作が無効で、キーボードもテンキーとFキーしか効かないものなので、なかなかクセモノ・・・


習うより慣れろ、で、触って仲良くなるしかないね、これは。

パソコン操作に関しては、そういうの、わりと得意かも。



とはいえ、もちろんこちらが訊いたことには誰でもちゃんと答えてくれるから、そこでメモを取って、オリジナルマニュアル代わりのノートを作れば、特に不都合はない。



依頼された数件を終えて、お昼休憩をとって戻り、電話の取り継ぎをしながらまた社内マニュアルを読んでいたら、はす向かいの席で電話を終えたばかりのNさんが手を振って笑った。



「猫姫さん、さっきありがとう。探してくれた物件、契約決まりましたよ」



そうですか、よかったです! と答えたところを、ちょうど外から帰ってきたマネージャーが聞きつけて、



「え、何、もう物件探しできたの、猫姫さん?」



へぇ、なかなかやるじゃん、とニヤリと笑った。



嬉しかった。ほっとした



ビジネスマナーの方は、秘書検定2級持ってりゃ大丈夫だろう、と特に心配していなかったけれど、パソコンはきちんと習い覚えた経験も資格もないので、どの程度のスキルが「基本操作」の範囲で必要なのか、ちょっと不安だったから。



とりあえず、春までの首は無事につながりそうかな(笑)



みんな普通に親切だし、あとは体調管理に気をつけて(あの突発性難聴なんかは気をつけようがないことだったけど)、元気に働きつづけたいものです



今日は(あれ、日付が変わった、もう昨日だ・・・) 先月から始めたヴォーカルレッスンの2回めだったのだけど、それを話し出すとまたまた長くなるから、また明日にでも



仕事に関しては特に、いろんなひとに心配してもらっているので、近況報告でした。


それでは Good Night
Posted at 00:27 | この記事のURL
再就職♪ [2011年12月14日(水)]
年の瀬ぎりぎりになって、やっと仕事が決まりました


大手賃貸アパート会社の、法人向け営業部


やっぱり派遣で、とりあえず3月末までだけど、無職の無収入のまま年越しをせずに済んでよかったにゃ〜(笑)




4月以降は正社員登用の可能性があるそうで、それだけ見るとラッキーなことのようだけど、そこの正社員は連日21〜22時頃までの残業が当たり前にあるとのこと


もちろん割増の残業手当は出るから、収入はかなりイイんだけども、私はチビさんたちもいるし、趣味もあるし、家でやりたいこともいろいろたくさんあるし、 「帰ったらシャワー浴びてベッドに直行するのみ」 の仕事人間になりたいとは思わない。


ほぼ定時に帰れる、派遣のままで続けられたらベストなんだけどな(笑)


ま、そういうことが出来るか出来ないかも含めて、春先になったらまた考えよう


この歳だしさ〜、そろそろちょっと将来の心配を手放して落ち着きたい、と思わないわけじゃないけど (あ、いわゆる永久就職=結婚したい、って意味ではないよ)、 わりと好奇心旺盛な性格ではあるし、こうして繋ぎ繋ぎでいろんな仕事をかじってみるのも面白いか、と思うことにしてる。


ひとつが終わった時に、すぐまた新しいものに繋ぐことさえできりゃ、そういうふうでも問題ないんだけどもね


このご時勢、相手(会社)の都合であれ自分の都合であれ、ひとつ手放すと、繋ぐスペアがなかなかスムーズに見つからないのが問題なのよね(笑)




今日1日で、派遣会社でのカンタンな研修がすんで、明日からは派遣先へ出勤


いい縁でありますように!


Posted at 19:15 | この記事のURL
Light of the world [2011年12月13日(火)]
10日の夜、恵比寿ガーデンプレイスに行ってきた。

いつものごとく、おひとりさまヨ

別に何かイベントや目的があったわけじゃなくて、綺麗にライトアップされた大きなクリスマスツリーやバカラのシャンデリアを観に行きたかっただけ


綺麗なものは、大好き。


自然からの恵みのような、夕陽や月光や虹ももちろんだけど、同じくらい人工の灯りが大好き。


凝ったイルミネーションじゃなくてもね。


夜の電車から見えるビルやマンションの灯り、たまらなく好き。



こんな好き嫌いの激しい、気性の荒い私でも、そんな時だけは、すべてのひとが愛おしいと思う。



メリークリスマス!↓




明るいほどの満月。・・・皆既月食は、見事に忘れてました(笑)

次に見られる機会は2014年だってね




バカラのシャンデリア。↓



そういえば私は成人式に出なかったので、当日何をしてたかというと・・・、母と女友達と3人で、サントリーミュージアムのバカラ展に出かけたんだよね(笑)


美しいものを観て美味しいものを食べて、私たちは満たされたけど、その日は雨だったから、せっかくの艶やかな振袖の裾をたくし上げてびちゃびちゃと歩く女の子たちがホントに可哀想だったのを覚えてる・・・



見えないけど、両脇の木々の根元には色とりどりの可愛いミニシクラメンが植えられてました。↓




中島みゆきさんの 『LOVERS ONLY』 が頭の中でエンドレスになるような光景でしょ、もう(笑)


私もいつか、そのうち、ね


そういえば先日、友達と話していて、私に男っ気がないのは 「求めてないからじゃないの?」 と軽く言われて、軽くなくショックだった(笑)


求めてないわけ、ないじゃんね・・・


女友達とか家族親戚とか、そりゃたしかに大事だけども、今ここに居てほしいのはそういうひとたちじゃないんだよな、ってことも、あるじゃない。


カレシがほしい、とは思わない。


でも、伴侶はほしい。


こう見えても、結構寂しがりだったり怖がりだったり、本当は・・・本当の心の奥では、泣きたいこともしょっちゅうなんだからさ。


私の強がりなんて足元にも及ばないほどの大きい翼を広げて、笑い飛ばしてくれる伴侶がほしい。


いつか、ね



☆ ☆ ☆


タイトルの 『Light of the world』 というのは、新約聖書の 「あなたがたは地の塩、世の光である」 という言葉から生まれたミュージカルナンバー


ちょうど去年の今頃、毎日のように通いつめていたミュージカル 『GODSPELL』 の、1幕ラストの曲だった。



“ この世の光は この世の光は 君たちなんだぞ
  君が居なきゃ 何も見えない ”




そんな素敵な訳詞で始まるこの歌は、これでもかというほど力強い愛に満ち溢れている。



“ 大切なものほど 陰に隠れて見えなくなる
  だからそっと 日陰を照らせ

  その光 輝きで 照らすんだ
  世界を導くために 愛で照らそう

  天国の場所 天国の場所
  丘の上にあり 君も同じ丘の上から
  見下ろせば 愛しい世界 ”




そりゃ、22回も通いつめりゃ、歌詞も覚えるわよ(笑)

どの歌詞の部分を誰が歌ってたか、まで思い出せるもの。



ついこの間のことみたいなのに、1年経っちゃったんだね・・・早いね!



この世の光は、ひとの愛か。



うん。



愛するのと愛されるのと、両方バランスよくあるのがベストだけど、さしあたり片方しか満たされないとしたら、そりゃ、愛するほうが幸せに決まってる。



だから私はたぶん、とても幸せ者なんだ。


寂しいなんて、言うまい。




眩しい光の中に立って、Light of the world を小声で口ずさみながら、33歳の誕生日を迎えた。


今年はね。


これまでで、最高の誕生日なのよ。


とても大好きな、大切なひとから、どんなプレゼントより嬉しいメッセージカードが届いたからね


何度も、何度も、抱きしめるように読み返しちゃう



来年の誕生日は、もっともっと、幸せになれ

もっともっと、しなやかに優しくなれ、私。

Posted at 02:17 | この記事のURL
だけど死ぬまで春の服を着るよ [2011年12月06日(火)]
今日、寒かったね〜

1月並みの気候だったとか!?


風は北向き 心の中じゃ 朝も夜中もいつだって吹雪・・・


なんて、みゆきさんの昔の歌なんぞ、つい口ずさんでしまう



仕事がさ〜、決まらないんだわよ、なかなか



今日も派遣会社からの紹介で、赤坂まで面談に出向いたけど、結果は、


「申し訳ありません、今回はお見送りということになってしまいまして・・・」


判で押したような決まり文句。


今回は、じゃなく、今回も、でしょ?


雇う側や紹介業者からすれば当たり前の話だけど、ひとつの案件に対して、何人を(いや、十何人か、何十人かな?)同時に天秤にかけてるんだろう。



実家が会社だから、面接や選考に立ち会ったこともあるし、そっち側の事情も悩みもよくわかる。



その時にそのひとが不採用となるのは、必ずしもマイナス要素(能力不足、経験不足、性格や言葉の悪印象など)があるわけじゃないことも重々わかっている。



たとえば、仕事は普通にできても性格的にちょっとアクが強かったりイジワルな部分があったりする「先輩スタッフ」がいる現場に、追加で1人雇うなら、見るからにテキパキと仕事ができそうな雰囲気の「頼もしいひと」は、実務に役立ちそうな経験が豊富にあろうと笑顔がステキだろうと、NGだったりするから。


この場合なら、ただ真面目でおとなしそうで、何を言われても反論したり喧嘩になったりすることはなさそうで、その先輩スタッフより明らかに若くて力不足であることがわかる新人を入れたほうが、現場はスムーズに回りやすいだろうから。



やるせない妥協だけど、それも現実。



そもそも世の中全体として、泣いても笑ってもシゴトの需要と供給のバランスが取れていないのも事実だから、20脚の椅子を並べて30人が椅子取りゲームをするみたいに、かなりの人数が入れ替わり立ち代わりしながら常にあぶれてつっ立ってる状態にはなってしまうしね



だから、私の再就職活動が連戦連敗なのも、それは私が「採用する価値が無い、能力不足で性格に問題アリの使えないヤツ」だから、というわけじゃないんだけどさ。



わかってるけど、さ。



でもねぇ・・・



もう何連敗だか数えるのもばからしくてやめちゃったくらいの回数になるとさ、強がっててもやっぱり生身だからさ、ふと黙って蹲って泣きたくなったりもするわけよ



実際には、しないけど。


しそうになっても、絶対しないけど。


一度でも蹲ってしまったら、もう二度と立ち上がれないかもしれないこと、それも自分でわかってるから。


立ち上がれなくなった私を、それでも愛して支えてくれて、立ち上がらせてくれるひとなんてどこにもいない。


それは特別寂しいことじゃなく、どんな時も変わらずにある、当たり前の現実。




ちょっと美味しいパンを買ってきて、ソーセージとかぶのクリームシチューを作って、録画しておいたサンドラ・ブロック主演のコメディ映画を観ながら食べた


ん〜〜〜、美味しい


落ちそうなときは、美味しいもの食べて笑うしかない。



愛しきムスメたちもいることだし





ごろにゃん、ごろにゃん・・・


気持ちよすぎて変顔になってる美羽にゃんこ(笑)





選手交代、で今度はネルが膝によじのぼってきて、妙に静かだと思ったら、早くもウトウト・・・


さて、明日も1件、面接に行ってきます



   だけど 死ぬまで春の服を着るよ
   そうさ 寒いとみんな逃げてしまうものね

     ――中島みゆき 『断崖〜親愛なる者へ〜』


Posted at 22:50 | この記事のURL
今日より師走☆ [2011年12月01日(木)]
今日は本当は、深川のお不動さんの写経会へ行くつもりだった。


が、昨夜の食いだおれの名残で (女友達と2人、映画を観た帰りにお気に入りのイタリアンで満腹になりすぎ・・・) 胃痛胃もたれが結構しつこかったので、朝の気分で 「・・・やめとこっ」 と(^^;)


すごく美味しかったけど、気分はもう、腹八分目どころか腹十八分目でございました(笑)


写経会は毎月やっているみたいだから、また年明けでいいや


昔から、お腹をこわすことはめったにないものの胃はあまり丈夫じゃなくて、頭痛持ちならぬ胃痛持ち


今日のはかなり軽いほうで、日常生活に支障はない。


でも、どこかちょっとでも痛かったりすると、何となく調子出ないんだよね。


かといって、何もせずグタ〜っと無為に1日を過ごしてしまうと、人生を無駄にした罪悪感みたいなものでますます調子が出なくなりそうなので、こういう時はあまり頭脳も体力も要らないカンタンな野暮用をいくつか片付けるに限る。


とりあえず、ムダに過ごしたわけじゃないわよ、という甘えた自己満足ね(笑)


派遣会社に電話をして、よさそうな仕事に2つエントリーして、クリスマス飾りをいくつか出しながら、大雑把に掃除をしながら、ハードディスクに録画しっぱなしの映画をDVDに落とし、夕方になってから美羽にゃんこのワクチン接種のために獣医さんへ行ってきた。


・・・美羽にゃんこは、キャリーに入るのが大嫌い


今日も、オモチャやらオヤツやらあの手この手で機嫌をとりながら、隙を見てさっと捕まえて入れようとするも、



「イヤッ! ンモ〜〜〜ッ、イヤ〜ニャッ!



と猛然と抗議しながら私の体に思いきり爪をたててよじ登って逃げるので、私は思わずアイタタタと悲鳴を上げつつ、髪を振り乱してまたムギュッと捕まえ・・・



1年に1度のこととはいえ、とんだ重労働・・・


やっとこさキャリーに押し込んで息を切らせながら、まさに苦虫を噛み潰したような恨めしげな顔はいい勝負(笑)




・・・まったくもう、アンタね、ちょっとは力加減しなさいよッ、アタシにはそんな鋭い爪ないんだからね、第一アタシはアンタのおふくろさまだぞ、もうッ・・・




かかりつけの動物病院までは、電車とバスを乗り継いで約40分ほど。



キャリーに入ってしまえばおとなしい美羽、バスの中でふいに、ミャオン、ミャオン、とやたらよく通る女のコらしい声で鳴き出して注目されたり・・・皆さん、カワイイ〜とつぶやきながらくすくす笑ってくれたからホッとしたけど


病院について、診察室の台の上に乗れば、これもいつものことながら「借りてきた猫」状態でコチコチに固まり、体温を測ろうが歯を診ようが注射をしようが、微動だにしないので、まったく手がかからないんだよね


面白いヤツだにゃ、うちのムスメ・・・(笑)



で、また名前を間違えて呼ばれました


カルテを片手に、


 

「猫姫さま〜、あっ、ハイ、猫姫さくらちゃんですね!」




・・・いや、違う違う(笑)


さくらは、この私・・・、猫ではございません


このコの名前は美羽ですの


まあ確かにね〜、ネルはともかく 「美羽」 と 「さくら」 はここ数年、犬猫および人間のおちびちゃんに人気の名前だから、ぱっと見て勘違いしちゃうんだよね(笑)



今日はまたご丁寧に、診察室へ呼ばれる時と、出てきてお会計の時と、2回とも間違えられた




「猫姫さくらちゃん、のお母さんですね




違うってば〜〜〜(笑)




☆ ☆ ☆




昨夜は本当に、大満足の大満腹だったので、今日は反動で食欲がオフモードになっていて。


朝食はパス、昼食はフルーツジュースとクロワッサン1個、夕食は大根とはんぺんの煮物(一昨日の残り)をお茶請けにしてあったかいお茶を飲んで、充分にお腹が満たされてしまいました


寒くなるとね〜、この、味のよくしみた大根の煮物が美味しいんだわ・・・田舎のおばあちゃんみたいだけど(笑)


大根は、胃腸の調子をととのえるのにも、風邪予防にもいいらしいしね


具だくさんのおでんもわりとよく作るけど、おでんってのは地域によって、あるいは家庭によって、中身の具材がいろいろ違うよね。


我が家のレシピ (すなわち母のレシピ) は、大根、じゃがいも、こんにゃく、練り物 (煮込みちくわ、さつま揚げ、ごぼう天、いか天、つくね等々、いろいろあるのでその日の気分で2〜3種) 、厚揚げ、ゆで卵、鶏肉 (もも肉でもいいけど、骨付きの手羽元や手羽中のほうがいいダシが出そうで好き) が入るのが定番でした。


そういえば母は餅巾着も作って入れてたけど、私はそれほど好きじゃないので、わざわざ入れない



実家の隣の家のおばさんのおでんも美味しかったなぁ・・・


鶏肉の代わりに、たこと牛すじが入ってたっけ



さて。

ちょこちょこっと書き物して、寝よう。



Good Night

Posted at 23:27 | この記事のURL
懺悔 [2011年11月29日(火)]
体ってさ・・・


あまりにも正直すぎて手に負えないね。


今までに経験のないことをほんのちょっとやってみただけで、芯からぐらぐら揺れ動いて、親とはぐれた迷子みたいな気持ちになって、涙がぼろぼろ溢れて止まらなくなる。


じっと抑え込んで黙らせたまま知らん顔して、こんなにも、何もろくに経験させてやらないまま、年齢だけ重ねさせたんだね。


ずっと傍にあるのに、誰よりも近くにいるのに、何も知らないよね。


知ろうともしてなかったね。


こんなにもほったらかしで、ごめんね。




ダイビングや山岳マラソンの中でちょっとでも実感できていたはずのことでさえ、時間が過ぎれば日常にまぎれて忘れてしまって、蓋をしたまま放置して。


私の体、いちばん解ってやれるのは私のはずなのにね。


ごめんよ・・・。




少しずつ、少しずつ、軌道修正します。


時間かかっても。


今度こそ。



PS:

今日は家で独りだったので、お師匠サンに倣って1日すっぴんで過ごしてみた。

も〜、落ち着かないったらありゃしない(笑)

Posted at 00:21 | この記事のURL
 [2011年11月27日(日)]
私の頭は、わりと理解が早い。


心も、言葉も、表情も、頭でコントロールできる。


でも、心と体とは繋がっていない。


橋のない河の対岸にそれぞれがぽつんと立って向かい合っているだけ。


相手の存在はわかっていても、手を繋ぐことはできない。声も届かない。




漠然と感じていたことを、はっきりと見抜いて指摘してくれるひとに逢えた。


嬉しくて、心強くて、泣きたくなった。




橋をかけなきゃ。


橋をかけなきゃ、私は一生、自分の素顔も地声も知らない大根役者のままで生きることになる。




橋をかける。


心底から惚れぬいた師匠の力を借りて、支えのしっかりした、揺るぎない橋をかける。


Posted at 00:01 | この記事のURL
何らかの雰囲気? [2011年11月24日(木)]
面接の帰りの時間に合わせてヘアサロンに予約を入れておいて、行ってきました


夏の終わりにかけたウェーブが悪すぎて(薬剤が合わなかったか、もしくは強すぎたようで、すぐに伸びてしまった上びっくりするほどパサパサに傷んだ)、早く何とかしたかったんだけども、ダメージがひどすぎて手が出せないからしばらく待つように、とどこのサロンでも言われてしまったので、必死でトリートメントしながら2ヵ月余り、我慢してたわけ。


髪って毎日触るものだし、鏡に映さなくてもそれなりに視界に入るものだし、そういうものの状態が悪いのは、精神衛生上も最悪なわけでして



やっと解決したぁ〜〜〜

ふわんくるんとした、つややかでナチュラルなデジタルパーマ



あぁ、これでやっと、しつこい肌荒れもおさまりそうだ。

絶対、髪のストレスが原因だったと思うもん・・・




ところで、さ。

ヘアサロンに行くと、雑誌をどうぞと何冊か差し出されるじゃない?



だいたいどのお店でも、そのお客さんの年齢や雰囲気に合わせたものを3冊くらい選んで渡していると思うんだけど、今日のセレクトはひっちゃかめっちゃかだった。



いちばん上は 『VoCE』、これは年齢的にはジャストだけど、特に好みでもないので違うのにしようかなと残りの2冊を見たら、 『STORY』 と 『ecrat』 ・・・


・・・・・・


あのさ。


あたし、いくつに見られたワケ?




施術前トリートメントをしてもらいながら、『VoCE』 のアンチエイジング特集を読み流しながら、美容師サン(20代前半〜半ばとおぼしき男のコ)にさりげなく話しかける。



「お客さんごとに、合いそうな雑誌を選んで渡すのって、結構、気を遣いません?」


「・・・あッ・・・えぇ・・・まぁ、そうッすね」


美容師サン、妙にしどろもどろ



「このひと何歳くらいなんだろう? って悩むことも多いでしょう」


美容師サン、苦笑しつつも素直にうなずく



「だから私、いつもターゲット年齢ばらばらな雑誌を渡されちゃうんですよ」


美容師サン、返答につまりながらも笑顔は保っている。ほっほっほ、健気だねぇ(笑)



「『家庭画報』 渡されたら、その時点で帰っちゃいますからね、私」


美容師サン、微妙にひきつりながらも思わず吹き出す。



「え、『家庭画報』ッすか? そ〜れは、ちょっと・・・ですよねぇ」


「ね〜ぇ(笑)」



これは20代の頃、実際にあった話。



でもね、おニイさん、笑いごとじゃないわよ。


STORY』 も 『eclat』 も、40代〜50代向けのファッション誌だからね。


家庭画報』 と紙一重だってこと、わかるわよねぇ??




私の歳は、『VoCE』 の表紙を飾る吉川ひなのちゃんと1つしか違わないんだよっ・・・そんなふうには見てもらえないのはわかってるけど、さ。


それでも、わかってても、こういうのって結構せつないんだからさ、女は。




ま、あんまりいじっても可哀そうなので、その2冊をそ〜っと 『MORE』 と 『CREA』 にすり替えてくれたのは見て見ぬふりをして、話題を変えてあげましたとさ


あ、出来ばえは満足よ


デジタルパーマは持ちがいいし、手入れもラクだしね。




ようやく中身と釣り合いがとれてきた今の年齢が、私は好きだし、べつに若く見られたいとは望まない。


でも、せめて・・・歳相応に見てくれない・・・かな・・・




みゆきさん・・・お時間拝借の頃、こういうネタ、2回ほど読んでもらったね、そういえば。




「ん〜で、茶髪になって、何と呼ばれているのでしょうかっ? 茶髪になっても『スイマセン、奥さん』と呼び止められたらそれはもう髪のせいでは、ない・・・何らかの雰囲気ということになりますけどもですね、ハハハハハ! 写真見てみたいもんですねぇ〜!」



日曜の夜のラジオから聴こえた、磊落な笑い声が懐かしいわ


でもね、みゆきさん、私はいつからか 「奥さん」 とは呼ばれなくなった。


呼ばれても全然おかしくない歳なのに、もう。


髪の色がどうこうじゃなく、顔つきがあの頃よりもヤンチャになったせいかしら、ね?(笑)


Posted at 23:56 | この記事のURL
ねこです [2011年11月23日(水)]
こんばんにゃ

美羽です。

猫姫、じゃなくて、ホンモノのねこです



え? これ?

ママが脱いだ部屋着よ。

まだ体温がほんのり残ってて、ココナッツのボディオイルの香りもして、アタシの二度寝にはもってこいなんだわ、毎朝



いよいよ寒くなってきたから、そうね、10日くらい前からかな、毎晩ママのベッドの中にもぐりこんで添い寝してあげてるのにゃ


アタシはずっと、ママの分厚い羽毛布団の上でふんわり埋もれて寝るのが好きだったんだけども、今年の年明け、ママの左耳が仕事中にいきなり聴こえなくなっちゃったことがあってさ。


原因も治療法もはっきりしていなくて、最悪の場合は一生治らない可能性もあるという「突発性難聴」、そのせいで仕事も即日クビになっちゃって、あまりにも不安そうでカワイソウだったもんだから、その夜、アタシはママのお母さん猫になったつもりでぴったりくっついて一緒に寝てあげたわけ。


子守唄の代わりに、喉をクルクル鳴らし続けながら、ね



幸い、ママの難聴は1ヶ月ちょっとで治ったけど、今度はなかなか再就職が決まらないってんでやっぱり何だか元気がないから、いつのまにか、毎晩の添い寝がお約束になっちゃった。


右の脇腹にぴたっとくっついて、右前足をママの体に回してあげる。


ママはアタシの体に右腕を回してくる。



お気に入りのぬいぐるみを抱っこして眠る子供みたいに。



いいトシして・・・どっちがママだかわかりゃしないわよ、まったく




ママは、


「寒くなってくると、美羽が毎晩ベッドにもぐり込んでくるのよね〜


なんて、まるでアタシが寒がりで甘えん坊の猫、みたいな言い方して喜んでるけど、誤解しないようにね。



アタシはママより体温が高いし、こんな毛皮着てるし、一晩中ベッドの中にいるのは暑くてムリなのよ、はっきり言って。



アタシはただ、寒がりで寂しがり屋のママが少しでもあったかい気持ちで眠りにつけるように、ママが眠るまでの間だけ添い寝してあげてるんだから。



よし、眠ったな・・・と思ったら、そうっと抜け出して、布団の上で丸くなってアタシも眠るの。




だってさ、正直言って・・・ここだけの話、添い寝するんならママよりも大きくてふかふかのクマさんのほうが好みだもん、アタシ。







大きいでしょ?

もうね〜、このクマさんにくっついてお昼寝するの、最高にいい気持ちよ。

フミフミしてると、うっとりして時間を忘れちゃうくらい





あら・・・写真なんか撮られてたの、気がつかなかったわよ、もう




お喋りが長くなったわね。


爪といで、毛づくろいして、またママのお母さん猫になってあげなきゃ



それじゃ、またね。


ねこでした



Posted at 23:22 | この記事のURL
一生一度の一日を [2011年11月22日(火)]
部屋の暦にピンクのハートマークをつけてた日がやってまいりましたよ〜

今宵は、夜会


そういえば、初めて観た夜会はVOL.9、『2/2』の再演だったんだよね・・・



初演も『問う女』も、行きたいと頼めばチケット代も交通費も出してもらえただろうと思うけど (私がおねだりをすることは滅多になかったから)、 それを敢えてしなかった。


「大人のための宴」 という、みゆきさんの言葉が妙に引っかかって。


親にお金を出してもらわなきゃ動けないような子供がのこのこ出かけていくのは、場違いなような、失礼なような、何となくそんな気がして。


今となれば、おねだりして生で観ておけばよかったかなと、DVD観るたびに思ったりするけどさ(笑)




だからその年、『2/2』 の再演を観に行くために生まれて初めてアルバイトをした。


家の近所の、大きい市場と隣接する工場で、機内食のサラダ用の野菜を検品して外葉をむいてカットする部署に入ったので、来る日も来る日も大量のレタスばっかり相手にしてた。


食べ物に携わっているから全員が白衣にマスクに帽子という個体識別のしにくい恰好で、しかも一言も口をきかない流れ作業(笑)


18歳、まだ他人との関係がうまく結べなかった時期だったので、愛想のいい笑顔もお喋りも一切必要とされないその仕事はなかなかありがたかった。


同時期に自動車教習所通いをしていて忙しかったこともあり、チケット代と交通費だけきっちり稼いで辞めちゃったけど



初めての夜会は、シアターコクーンの中2階(上手側)のバルコニー席だった。



“あやまちばかりくり返す人生でも

 くやみ続けて終わるなんて悲しすぎるわ

 過去のすべてが私の邪魔をしても

 あなたとならば 明日がある気がしてくるの”


      ―――『NEVER CRY OVER SPILT MILK』




何があっても生きてゆけば、まっとうに歩いてゆけば、いつかそんな「あなた」に出逢うことができるだろうか・・・私でも?



みゆきさんの歌声を心いっぱいに満たしながら、母の期待の結晶ともいうべき大学を辞める決意を固めた。




大学卒業ではなく中退という最終学歴は、大人になってからの転職にも、少なからず影を落とすことになっていると実感している。



それでも、一度も後悔はしていない。



生まれて初めて、自分の意思で決めたことだったから・・・せつないだけの後悔を終わりにするために決めたことだったから、だ。



もしも今、時間を巻き戻して選択し直すことができたとしても、迷いなく同じ道を選んでしまうだろう。



中途半端に幼くてアンバランスな選択だとしても、もう自分自身を敵に回さないためにはそうするしかなかった。




14年も経ったんだね・・・あれから。


ねぇ、みゆきさん。


あの頃からは想像もつかないほど、私は果報者になっているよ。


圭のような伴侶はまだいないけど、さ(笑)





今日は天気もよさそうだし、着物着ていこうかな〜


待ちわびた、宴の宵へ。



 “一生一度の一日を 総て良き日であるように”

              (―――『暦売りの歌』)
Posted at 16:30 | この記事のURL
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