日々のつれづれ日記です。
本や映画や舞台の感想、友達の話、犬猫の話、ひとりごとetc、etc。
気まぐれ更新なので、気ままにお付き合いください♪

2012年02月  >
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29
カテゴリアーカイブ
最新記事
手放す勇気 [2012年02月06日(月)]
昨日は劇場ワークショップの後で友達に逢い、美味しいコーヒーを飲みながらタロットリーディングをしてもらったり、いろいろな話をしたり、とてもシアワセな日だった。


住まいにたとえるなら、家じゅうのあらゆるドアや窓を開け放して光を入れ、風を通しながら大掃除をしました! みたいな感じ


いいね。こういう時間


あたし果報者だ、ホント




あれをやらなきゃ、こんなふうにならなきゃ・・・ じゃなくて、あれをやろう、こんなふうになりたい、と言葉を単純に言い換えるだけでも、心の立ち位置は変わってくる。



本当に大事にしたいことを、ちゃんと大事にするために、この身ひとつにあれもこれも抱え込まずに手放す勇気も、 「これ、今じゃなくてもいいよね」 と脇へ置いとくことも、あるいは 「私じゃなくてもいいよね」 とひとに投げちゃうことも(笑)、時には必要なのかも。



いい種をまいて、水やりも世話も手抜きなく頑張っていても、間引きをしなけりゃ密度が高すぎて、根っこが絡まり合って、1つもまともに育たない。




少しずつ、ね。




ブログも、しばらく更新しないと 「大丈夫ですか!?」 と心配されたりするから、そろそろ近況報告をしなきゃ・・・と思って書くことも結構あったりしたけれど、そういうのはやめにしよう。



心配してくれるひとはメールなり電話なりくれれば、どんな気分の時でも知らん顔はしないで答えるしさ



書きたい! と思うことや、見せたい写真や、共有したい話がある時だけの気まぐれにしちゃおう。




猫姫、欲張りさんだからね。


無意味に焦り屋さんだからね。





余分なものをひとつずつ手放していけば、師匠に言われた、


「今より5倍のエネルギーで生きてみろ」


とか、


「チョー楽しいことしなきゃ、1日終われないから!」


って言葉の意味もわかってくる気がする。





さて。


肩甲骨のストレッチだけして、寝ま〜す

Posted at 00:18 | この記事のURL
愛が好きです [2012年02月03日(金)]
先月半ば頃、東京新聞の「無料試し読み1週間」の申し込みハガキがポストに入ってたので、さっそく申し込んでみた。


私は基本アナログ人間なので、メールより手紙が好きなのと同様、ネットニュースより新聞が好きなんだけど、新聞はすぐ山のようにかさばるからさ


1週間だけならいいか、と思ってたら、2週間過ぎても月が替わっても、ず〜〜〜っと毎日入ってる



流し込み、っていうんだわね、こういうの。


今月末あたり、洗剤やティッシュ抱えた営業さんがやってくるかも(笑)


東京新聞、結構好き。


実家も含め、今までに読んだことのある新聞の中ではいちばん肌に合う感じ。




ま、タイミングよく営業さんに会えたら、取ろうかね。


と、ありがたい無料配布の(!?)新聞をのんびり読みながら考え中





そういえばこの間、ちょっとびっくりすることがあった。


新聞や私宛ての郵便物と一緒に、他人宛の封筒がひとつ紛れ込んでいて。


あぁ、近隣の部屋のをうっかり間違えたんだな、と部屋番号を見ると、あれれ、合ってるじゃない??


もちろんアパート名も合っている。



・・・・・・



するってぇと、これは、私の前にこの部屋に住んでいた誰かさん宛てのもの、か?



しかもダイレクトメールの類ならともかく、某金融会社からの『ご利用明細』だったので、こういうのはちゃんと本人の手に渡らなきゃマズイでしょう・・・



郵便ではなくてクロネコメール便だったので、クロネコさんに連絡して事情を話し、引き取りに来てもらった。


クロネコのお兄さん、大変失礼いたしましたと恐縮してたけど、いやいや、あなたがたのせいじゃないですよ(笑)


配達間違いじゃないもんね、これは。


住所もアパート名も部屋番号も合ってるわけだし、郵便受けに名前シールの類は付けていないし、誰も。




私が引越してまだ間もない頃なら、前の住人さんが何らかの理由で住所変更を忘れていたり、遅れていたり、という可能性もなきにしもあらずだけど(私もAmazonの登録住所変更を忘れていて、注文したパソコンチェアが実家に届き、慌てて再配達してもらうというドジをやらかした)、もうすぐ1年半だよ?



他人宛の郵便物が入ったなんて、初めてだし(笑)



うーん、謎!?






何年ぶりだか、十何年ぶりだかわからないくらい久しぶりに、中島みゆきさんの歌詞集 愛が好きです』 (新潮文庫) を読み返している。






「変わりたくない、と思いながら変わってゆく人、変わってやろうと思いながら、あんまり変わんない人、きっとどちらも似たようなことをしているんだろう。

どうせ変わるなら、変わるぞと思って変わりたいし、変わらないなら、変わってたまるかと思って、変わらずにいてみたい。

ところが、私はどんな顔をしていたというのか……それがいつでも、わからない。」






この言葉、ね。


24歳のみゆきさんが書いた、この言葉が昔から好きだった。


最近ふと似たようなことを考える機会があって、どういう言い回しだったか正確につかみ直したくて、本を開いた。




「それがいつでも、わからない」




わかったふりをしない正直者が、ここにもいたね。


嘘とハッタリと理論武装ばかり上手くなって歳を重ねた私には、ちょっと眩しいよ。


かなり、せつないよ。





でも、色々みっともない自分を、またさらなる理屈で分析して責めて追い込むのも、そろそろやめにするか、とも思う。


誰のためでも誰のせいでもない、自分を騙して生かしておくためだけの嘘、ハッタリ、理論武装。


その時は確かに、必要なことだった。


ひとに守られることも、ひとを信じることも拒んで、誰にも頼らず弱みを見せず、それでもとりあえず生きるためには必要なことだった。




「いいじゃん」




ぽいと軽く投げられたような単純な言葉が、過不足のない体重を持って、私の中でいつまでもあったかい。



昔のことはどうでもいいじゃん、と肩をすくめて悟った顔する、そんな意味じゃないんだよね。





今、生きてるんだから、いいじゃん。


今、笑ってるんだから、いいじゃん。





今ここに生きているという事実と、そこに繋がる全てを当たり前に受け止める、さりげない覚悟のようなもの。



出逢ったことも、別れたことも、恨んだことも、捨てたことも、迷ったことも、わからないことも、答えの出ないことも、全てを。



勇敢に、真剣に、生きるひとでありたい。







ある占いによると、今年は私、人間関係がこれまでになく大きく変わる年であるらしい。


占いは遊びか気休め程度にしか信じないけど、これは結構当たってるかもしれないと思う。


心の在りようといちばんダイレクトに繋がるの、人間関係だもんね。



心の立ち位置が変われば、それまで見えなかったものが見えてくる。



漠然とした違和感の正体が少しずつわかって、その根っこにあったものが愛か、情か、溜め息か、疲れか、焦りか、寂しさか、もどかしさか、あるいは単なる時間の長さか、輪郭が少しずつつかめてくる。



知らないことは怖いことだが、知ることはもっと怖いこと、の場合も多々あり。



でも、悟った顔はしたくない。諦めたふりはしたくない。



自分の心を見失ったら、軌道修正もできやしない。


自分の弱みや、歪みや、怖れる対象がそもそもわからなければ、それらを敢えて手に取ることもできない。



私はこれが好き、私はそれが嫌い、私はそう思う、私には理解できない。


という、単純でまっすぐなわがままと同時に、





これも好きだけど、こっちも好きかな。


それもまあ、あり、か。


ずっとそう思ってきたけど、あ、今、迷ってるかも。


理解できないしイメージも湧かないけど、あなたの言うことなら、ちょっと考えてみるかな。





ぐらいのしなやかな優しさを少しずつ、持てればいいなと思う。






変わるの変わらないのって、いつになく真面目に考えてるのは、お師匠サマから宿題を出されているからで。




「何をして、何がどう変わったか、メモしておいて今度提出するように。いい? 続けるならね」



と。



怖いこと、嫌いなこと、避けてきたこと、不得手なこと・・・それらを拒否することをやめてみろとは、臆病者の私にとってはかなりハードな難題で、難しいナァと気弱につぶやくたび、難しくないッ、と一喝された(笑)



扉を開けることは難しくないッ、と。





いやいや、難しいんだよ、実際。


私の「嫌い」は「怖い」と双子のきょうだいみたいなもんだしさ(笑)


心が方向転換しようとしても、いきなり勇敢に柔軟に優しくなれるわけじゃなし、変わること自体、漠然と怖いよ。


でも、だから無理だとか、できそうもない、とは言ってないから。


真剣にじたばたやってみるから。


現実を生き抜く揺るぎない実力と、とことん熱い優しさの底力。


あなたのようにまっすぐなひとに、私はなりたい






じたばた、おろおろ、泣き笑い。



いいじゃん。



とりあえず今夜、笑って生きてるし、ね





今さらだけど、『愛が好きです』って、いいタイトルだなぁ


Posted at 00:38 | この記事のURL
ひとがひとに求めること [2012年01月30日(月)]
私はこういう穏やかならざる気性だから、自分が傷つくことよりも相手を傷つけてしまうことのほうが何倍も怖い。


と、言った。


誰かに傷つけられたとしても、その傷は自分サイドにあるから、自分の心の持ちようや時間の経過、あるいはほかの誰かの支えやフォローで消せるかもしれない。


でも、誰かを傷つけてしまうと、その事実と結果は私ではなく相手のものとなってこの手を離れてしまい、私の心の持ちようでは解決できないモノになるから怖いのだ、と。



「怖い、ねえ?」



師匠はちょっと首をかしげて言った。



「ひとを傷つけることが怖いの? ひとを傷つける自分になるのが怖いの? どっち」



どっち・・・私はオウム返しで口ごもったまま、答えられなかった。



「それにさ、えぇ〜ちょっと待ってよ? 傷つけられた事実って消える? そんなもん消えないよ、っていうか消さないよ、あたしは。悔しいじゃん」



ぎくりとする。


消せるふりで、忘れるふりで、許すふりで、相手にも事情があって思いがあって、相手も傷ついていたのかもしれないんだから、なんて無理に自分をごまかしつづけてばかりいるから、逆にいつまでも疼いて消えないんだろうかね・・・こういうのは。



正直者と嘘つきが鏡越しに目を合わせる。


嘘つきは笑うふりして目を逸らす。




「プライドが無いわけじゃないんだよね。でも、中身は空っぽ」



猫姫はプライドが高い、理想が高い、だから×××なんだ、という言い方をみんながする。


無いわけじゃない、程度? しかも、中身の無いハリボテ?(笑)




美しくないことがわかっているから、化粧や衣装で飾ろうとする。


自信がないからこそ不遜にふるまってみせる。


いつも元気で明るくてエネルギッシュでアクティブで、やりたいことをやりたいようにやってる自由人だと思ってもらえるのは、私の筋書き通りのなりゆきだから至極満足。


の、つもりで、当たり前で。


それが通用しないどころか、ことごとく、顔色ひとつ変えずにひっぺがされる。


今まで、周りの誰からも一度も言われたことがない言葉ばかりを浴びせられる。



わがままだと。


怖がりだと。


エネルギー不足だと。


求められて応じるひとじゃなく、世話焼きでも便利屋さんでもなく、自分から「与える」ひとになれ、と。


素顔を隠さずに堂々とさらして、それを好きになってくれるひとを見つけなさい、と。


そうする方が、自分で自分を好きになったり認めたりしようとするよりずっと簡単なことだ、と。



・・・・・・。



抱えきれない大量の「初めて」に理解が追いつかなくて持て余して戸惑っていると、からかうようにニヤリと笑われた。





「何が怖いわけ」


「何が怖いんでしょう」


とんちんかんな問答。




自分が何に怯えているのかさえわかっていない私のために、マスク姿の風邪っ引き師匠は真剣に考え込んでくれる。




うーん・・・ どう言えば・・・



そうだな・・・ 何かに例える、か・・・



んー・・・





大抵の場合、ひとは会話中の沈黙を怖れるから。


会話の内容がヘビィであればあるほど、怖れるから。


「まぁね〜、難しいんだけどね〜」 とか、「う〜ん、まあいろんな考え方あるけどさ〜」 みたいな、当たり障りのない合いの手を挟んで時間稼ぎをしようとしてしまうことが多い。



師匠、そういう逃げ方を一切しないんだよね。



当たり障りのないことは、イコール「障り」だと、毒にも薬にもならないものは「毒」だと、はっきり言い切ったっけね、そういえば。



言葉が見つかるまで黙って、眉間をしかめて真剣に考えてくれる。




「求めてないよ。ひとはね、そんなに求めてない!」



いつも元気で笑っていてフットワーク軽く、使えるヤツと認められて、ひとから頼られ、求められ、それらにいつでも応じられて、ひとの役に立っていなければ生きていていい気がしない私に、師匠はそう言った。



「ひとが、ひとに求めることがあるとすればね。その目の前の相手が幸せでいてくれるように、ってことぐらいだよ」



不出来な弟子は、今度こそ涙を堪えられなかったけれど。



あなたは歌の先生で、それ以前にプロの音楽家で、心理カウンセラーでも私の子守でもないのにね。



ありがとう。



私にはそれこそもったいないほどの師匠の真剣さ、正直さ、無駄にはしません。



ちゃんと受け止めて、考えて、必ず応えます。



言葉に尽くせない、感謝。




「ひとが、ひとに求めることがあるとすればね。その目の前の相手が幸せでいてくれるように、ってことぐらいだよ」




この言葉を、私は生涯忘れない。

Posted at 01:17 | この記事のURL
♪No day but today [2012年01月28日(土)]
24&25日と連続で、山本耕史さんのライブに行ってきた


24日の夜は、18時になると同時にタイムカードを投げて(!?)会社を飛び出し、駅まで一生懸命とことこ走って (例の大雪の翌日で路面が凍っていたので、勢いよく走ると勢いよく転ぶ危険が・・・) 快速に飛び乗り、劇場前の綺麗なトイレに駆け込んで、スーツのジャケットを脱いでフワフワのセーターを着て、ベルトやアクセサリーをちょっと派手めのものに付け替えて、髪とメイクを直して、滑り込みセーフ!!


いちばん前の左端、という、いいのか悪いのかわからない席だったけど、とりあえずギリギリに駆け込んでも迷惑にならない位置でよかったかも?(笑)




しかし・・・


前なのは嬉しいけど・・・う〜む、しかし、だ、この席はヤバくないかい??


と、一抹の不安


私と舞台の間にそびえるように立ちはだかっているのは大きなスピーカー。




その図体で舞台の一部分が見えづらいことはさておき、問題は音だ。


始まったら私の体はステージの方、つまり右を向くことになるから、そのスピーカーから溢れてくるであろう大音量は、左耳をもろに直撃することになるわけで・・・




突発性難聴は再発しやすいですからね、ライブハウスやパチンコには行かないように、イヤホンの音もなるべく小さめにするように・・・なんて言われたしね、去年の今頃。


パチンコはべつに行きたくないからいいけど(笑)ライブは行きたいぞ〜、と内心で苦笑いしながらハイと返事しておいた。





・・・真っ黒な巨大スピーカーが、黙ったままひっそり笑う。


まもなく開演、のアナウンスが流れる。





・・・よし。


病は気から、というじゃないか




どんなに用心してたって、ひとの体なんて気まぐれで脆いもんだから、故障する時はするさね。


来るなら来てみろっ


大好きな、大好きな、心の底から惚れ込んだひとのライブで壊れるような、そんなトンチンカンな耳であってたまるかっ(笑)




1曲目は、愛してやまないロックミュージカルHedwig and the angry inch から “Tear me down”



♪ やるっていうの? 受けて立つわよ、さぁ、あたしを引き倒してみな! ♪



そんな挑戦的な歌詞、まぁ〜、何て私にぴったりな(笑)




You want me baby I dare you, Try and tear me down! 



客席は総立ち。


手拍子、ジャンプ、突き上げる拳。


ヒールブーツも何のその、私も飛び跳ねながら一緒に歌った。




愛しの師匠、中山眞美さんも、ボーカルとしてステージに居た。


舞台上の立ち位置としては、一歩下がった “コーラス” なのだけど、耕史さんはバンドメンバー紹介の時に、


「オン・ボーカル、眞美!」


と、とても嬉しそうに誇らしげに言った。




コーラスじゃなく、ボーカル。


些細なことだけれど、私まで嬉しくなった。


本当に互いを認め合い尊敬し合っているんだ、と。


最高の仲間だね。


いいね。


すごく、いいっ


見ているこっちまで幸せに満たされる。




1月25日は、あのブロードウェイミュージカル『RENT』の作者、ジョナサン・ラーソンの命日だ。


音楽を創りたい、みんなが聴いて、覚えて、幸せになれるような音楽を創りつづけたい・・・・・・そう願いながら、ニューヨークの安アパートでアルバイト生活をしながら作曲をしていたジョナサン。


1996年1月、ようやく上演にこぎ着けた『RENT』の幕が上がる前夜、リハーサルを終えて帰宅した部屋で突然倒れ、そのまま35歳の若さで旅立ってしまったジョナサン。



RENT』がこんなにも愛される、愛され続ける作品になったことを、彼自身は見ることができなかった。





2001年に耕史さんがマークを演じた『RENT』の舞台を私は観ていなくて、その時の3曲が収録されたCDと、映画版(ブロードウェイのオリジナルキャストによるもの)しか知らなかったので、今回は、やっと夢が叶う! という嬉しさもひとしおだった。



今回のライブで歌われたのは、「Rent」、「What You Own」、「Seasons of Love」 の3曲。


Japan RENT のキャストが14人、耕史さんの初演出作『GODSPELL』のキャストも4人(眞美さん以外で)、そして天国からも1人。




姿のない彼のためにもスタンドマイクが用意され、


「健ちゃん!」


と、メンバー紹介もされた。


舞台と客席から湧き上がる拍手は、誰の時よりも大きかった。




うん。


居てくれたよね。


あそこでみんなと視線を交わし、笑いながら歌っていたよね。


体はなくても。


サイドボーカル・Daiさんのお兄さん、結樺健(本名・渡辺健)さん。




彼の優しい眼差しと深い声を、私もちゃんと確かに感じていた。


願いや想像じゃなく、体じゅうで感じていた。


彼は今頃、ジョナサンと並んでひとつの譜面を覗き込み、楽器を抱いて曲作りをしたりしているかしら。


向こうの世界で。


そんなふうに考えると、何だかね、死ぬのもまんざら寂しくない気がする。





いやいや、もちろん、まだしばらくは生きてたいけどさ(笑)


こっちの世界の、大好きなひとたちと一緒に



今日のブログのタイトルは、今回のライブでは歌われなかったけれど『RENT』のナンバーのひとつ「Another Day」の歌詞。




昨日も明日もない、過去も未来もない、今日しかないんだよ、と。




それは、刹那的とはちょっと違う。


本当に、今日しかないかもしれないんだから。


たとえば誰かに、あなたが好きだと伝えるのは。


たとえば誰かに、ありがとうと言うのは。


たとえば誰かの手を握るのは。


たとえば誰かを抱きしめるのは。


明日、私はこの世に居ないかもしれない。




そういう「明日」は、遅かれ早かれ、誰にも訪れる。




舞台も客席もみんなで声を合わせて歌った「Seasons of Love」は、こんな歌詞。



「 52万5,600の過ぎた時
  3,153万6,000秒
  Five hundred twenty five thousand
  Six hundred minutes
  どう数える 1年を



  それはLove きっとLove
  How about love?
  季節は
  Seasons of love 



  52万5,600の旅のあと
  Five hundred twenty five thousand
  Six hundred minutes
  どう数えればわかるの その重さが 」





中島みゆきさんのアルバム『夜を往け』のライナーノーツに書かれていた、




「君は何年 生きていますか あたし 他人を喜べる数で時を数えたい」



という言葉を思い出して、胸が熱くなった。




あ、みゆきさんといえば!!


RENT』のキャスト陣の中に、坪倉唯子さん!!


Japan RENTのジョアンヌが彼女だったなんて、知らなかったわ〜


舞台、観たかったわ〜〜〜


そう遠くないうちに、再演してくれそうな気がするけど。


このひとたちなら。




感極まって、歌いながら泣いてしまったね、唯子さん。


あなただけじゃないけど。


大丈夫、私のほうが先に泣いてたから(笑)


心を揺さぶる歌声をありがとう。




No day but today・・・


今日しかないから。




本当に大切にしたいひとを、大切にしたいことを、心いっぱいで抱きしめていよう。


縁を繋ぎ合った相手に感謝しながら、縁を手放した相手の幸せを祈ろう。


時は移り、ひとは変わる。


過ぎ去った何もかもをずっと抱え続けるには、人生はたぶん早すぎる。




明日も(あ、もう今日だ)、大好きなひとに逢ってくる。


Seasons of love は、A day of love が積み重なってできている。きっと。


52万5,600 の I love you



そうやって少しずつ、自分の人生も慈しめるようになりたい、ね



あ、そうそう。


私の左耳、無事に元気です!(笑) 



Posted at 02:29 | この記事のURL
海の向こうの Working Girl [2012年01月22日(日)]
2007年から、ワールド・ビジョン・ジャパン(開発途上国の子供たちの生活をサポートする支援団体)の会員になっている。


1人目として紹介された“チャイルド”は、ラオスに住む10歳のB.Kちゃんだった。


プロフィールカードに貼られていた、かすかに眉をひそめてカメラを見つめながらすっくと立つ彼女の写真は、背が高いせいもあってか、実年齢よりかなり大人びて見えた。


年齢は10歳でも、小学校での学年は2年生だった。


翌年には3年生になったが、その次の年は「家業手伝いのため」ということで学校には行っていなかったらしい。


ワールド・ビジョン・ジャパン事務局が年に数回、近況レポートや彼女からの手紙や絵を郵送してくれていて、私も返信をしたり、ささやかなプレゼント(可愛いカードや文房具、ブレスレットなど)を送ったりしていた。


年が明けてすぐに「もうすぐあなたのチャイルドのお誕生日です」という案内が届いたので、それじゃまた何か綺麗なバースデイカードを選ぼうか、と思っていたら、数日前にまた封筒が届き、そこには彼女への支援が終了となった旨が書かれていた。




「理由は、チャイルドが仕事に就き、今後は自分の力で生活できる状況となったからです。チャイルド及び家族との話し合いの結果、現地スタッフは、チャイルドが働きたいという意思を強く持っており、この選択がチャイルドと家族にとって最良のものであると判断いたしました」




弟や妹が3人いて、家の仕事の手伝いに時間を取られ、小学校に籍をおいていてもスムーズに進級はできなかった彼女。


この4月に、14歳になる。


「支援を受けながら学校へ通う子供」であることをやめて、「自分の力で働いて生きる大人」になることにしたんだね。





そこにどれほどの「選択肢」があったのか・・・


それを考えると、複雑な気持ちになるけれど。


学校に通うことをやめて働くことを「選択」した彼女はまだ13歳。


日本でなら、親や周囲に甘えっぱなしで当たり前の中学生。





支援終了となったチャイルドには、もう手紙などを送ることはできないシステムになっているから、今年のバースデイカードは届かない。


でも、私はあなたを忘れないよ。


ブレスレットをありがとう、という手紙の最後に、綺麗な龍の絵を描き添えてくれたB.Kちゃん。


微笑みのかけらも見せない凛とした眼差しは、少女というより生真面目な青年のようだった。




生きることは闘うこと だと、こんな豊かな甘い国に生きている私ですら感じるけれど、あなたにとってはもっと切実だよね。




頑張れ、B.Kちゃん。


家族のために働くお姉ちゃん。


海を越えて、時を越えて、エールを送ります。




Posted at 22:12 | この記事のURL
癒しの代償 [2012年01月17日(火)]
仕事は相変わらずアンバランスに暇で、それが逆に疲れちゃう


今朝は、出勤したら私のデスクにパソコンが設置してあったので、あぁ、やっと! と思ったら、コードはぐるぐるとまとめられ、ディスプレイには「修理中」と書いた大きな紙が貼ってある。


何ですかコレ、と訊いたら、ネット回線は繋がったが、肝心のパソコン本体を起動させようとしたら見事に故障していて、修理(もしくは交換)ができるのは来週になるとか。


だったらコレ、何さ(笑)


修理中じゃなくて、単に故障中でしょうが!


置いといて自然治癒するもんじゃあるまいし、直してから持って来いよぉ〜


限られたデスクスペースに、文字通りの「使えないヤツ」が大きな顔して居座っているのは、邪魔以外の何ものでもナイ


年明け前から雇い入れた派遣社員を1ヶ月もとことん暇人にしておいて高い時給をくれることからしても、大らかというかアバウトというか、なかなか不思議な会社だ。


・・・実際、暇で退屈なんて、あまりにも贅沢すぎる悩みだけどさ。


身を粉にして働いても雀の涙ほどの収入しかないひともいる、というか、そういうケースのほうが多そうなこのご時勢。


明日は我が身、かもしれないけどさ、みんな。


バランス悪いよね。


もうちょっと、何とかならないのかね。


・・・と、今さらのように考えてしまったりもする。






さて、ここからはちょっと汚いハナシをします。


食事の前後の方はどうぞUターンを






・・・・・・




・・・・・・




・・・・・・






帰宅したら、犬猫トイレの脇にあるトイレ用ゴミ箱がひっくり返されて中身が散らばっていた。


いくら退屈しのぎにしても、美味しい匂いが残っている台所ゴミならともかく、自分たちのトイレゴミをオモチャにするか、普通!?


寒い中、お腹すいて帰ってきて、着替えるのもそこそこに、これでもかというほど派手に散らかされたトイレの始末に追われるってのは、なかなか本気でむかっ腹が立つもんだわよ


とはいっても相手が犬猫なので、もーッ、アンタたちはさぁ、どーしてこういう、もーッ、疲れてンのにッ、いいかげんにしてよね、もーッ・・・と文句を言う(叱る、というわけじゃない。過ぎたことを叱っても無意味なので、単なる大声の独り言めいた文句にしかならない)だけなんだけど。





やっと片付いて、チビたちのゴハンを出して、自分も着替えて作り置きのおかずやら何やらチンして、お茶も淹れて、録画しておいたWOWOWの洋画を観ながら食べ始めた、ら。



カリカリといい音を立ててドライフードを食べた直後から、えらいハイテンションで猛烈ダッシュ&ジャンプをくり返していた美羽にゃんこが、棚の上から床に向けて勢いよく吐くし・・・



・・・・・・



食べた直後に飛んだり跳ねたりしたせいか、はたまた毛玉がある程度溜まったのか、月に1度くらいこういうことがある。



血液や異物が混じってさえいなければ、猫が吐くこと自体は異常ではないけど、当たり前ながらキレイなもんじゃないから後始末は大変。



せめて普通の床の上でやってほしいもんだけど、猫にそういう常識や気遣いは皆無だから、棚の上から降らせたり、ベッドの上でやらかしたりする。



・・・今日も。



最初のを掃除している間にベッドに飛び乗り、羽毛布団も毛布も厚手のニットのカーディガンも、さっき外したマフラーまで、見事にやられた。



うわッ、もう、ちょっとッ! いいかげんにしてよッ!!



と、私の文句はほとんど悲鳴



食べかけの夕飯ほったらかしで、大急ぎで吐いたモノを取り片付け(布団に染み込まないうちに)、汚れた場所を水洗いしてから、毛布、掛け布団カバー、シーツ、ベッドパット、枕カバー、コットンマフラーを洗濯機の脇に積み上げ(もちろん全部同時には洗濯できないから3回に分けなきゃならないし、厚手のニットは手洗いするしかない)、そうこうしている間にもやたら小分けにしてあちこちで吐くから、ネルが踏んだりなめたりしないように追いかけ回して片付け・・・・・・



あぁ・・・疲れた・・・すごく




犬と猫がいます と言うと10人中9人は、


「わぁ〜、いいですね! そういうのがいると癒されるよねぇ〜〜〜


と言ってくれるけどさ。




そりゃ、どんなに手間かかっても文句言っても、どうしようもなく可愛くてたまらないけどさ。




「癒されるイメージ」の陰にあるこんな現実を、あなたは想像できるかい?(笑)


ま、人間の乳幼児も同じだろうけど、カワイイカワイイだけじゃすまないこと、いっぱいあるわよね


まったくもって面倒くさいからこそ愛しい、とも言える






ベッドリネン、洗い替えたばかりだったのに、も〜〜〜


どうせだから、毛布の洗濯&乾燥が済むのを待つ間に羽毛布団を「ふとん乾燥機」にかけて、ふかふかのほかほかにしてやった。


今夜は新品のベッドで早寝するんだ


性能のいい洗濯機に感謝、感謝(笑)

Posted at 23:33 | この記事のURL
すぽん!? [2012年01月17日(火)]
何が始まりだかわからないくらい前から、あるような無いような・・・微妙な感じでひっかかっていた何かが、すぽん! と抜けた気がする。


身軽になった気がする。


なんせ、あるような無いような不確かなレベルの違和感にしかすぎず、私ひとりの気持ちで解決できることでもなかったし、手放すきっかけを作ってくれたひとに感謝、かな


厄も完全に抜けたな、これは


いや実際、抜けててくれなきゃ困るんだよ(笑)、何たって女の30代は厄年ループだから、前厄・本厄・後厄のいずれにもあたらない歳ってのは今年ぐらいだと思うし


やりたいことは両手でも数え切れないけれど、目の前の現実をなおざりに流しておくわけにもいかないから、やっぱりバランス。


厄年が明けたら、「躍年」だよね




「夢を右手で抱えて 夢を左手でなぞって」

       ――Song by 『3 wish』 (Koji Yamamoto&K.D earth)




大好きな歌を口ずさみながら、いざ、Action!!


私の取り得は行動力と想像力くらいのもの(笑)


・・・たまに勢いよくつむじ風起こしすぎて周りもぶっ飛ばしちゃうかも、なので、そうならない程度に、自分も疲れすぎない程度に、走ります

Posted at 00:11 | この記事のURL
ボニー&クライド [2012年01月15日(日)]
ミュージカル『ボニー&クライド』@青山劇場、観てきました


アメリカに実在した若き犯罪者カップルで、最期は警官隊に取り囲まれて100発以上の銃弾を浴びて死んでいったんだっけ・・・、くらいのことしか知らなくて、原作の映画『俺たちに明日はない』もちゃんと観たことはなかったので、あえて予習はしなかった。




中山眞美さん同様、一昨年の『GODSPELL』でFANになった明星真由美さんが目当てではあったのだけど、ヒロインのボニーを演じた濱田めぐみさんも素晴らしかった!!


ハリウッド女優になる夢としがない家業手伝いの現実とのギャップに苛立つ、勝気で美人でちょっとあぶなっかしい少女が、クライドとの出逢いをきっかけに、一途な愛と壮絶な覚悟で人生を駆け抜ける女へ変わってゆく。


目つきも、声も、別人のように変わってゆく。




クライドの母親を演じた明星さんが、パンフレットで、


「単にスタイリッシュな物語にはしたくない」


と言っていた。




とても、腑に落ちた。


古今東西、一般人はとかく型破りでアウトローなものに惹かれがちになるけれど、実際に彼らがしたことは、夢を叶えるためには金が要る、という単純な理由であちこちの店や銀行で強盗をはたらき、抵抗した相手や追ってきた警官などを何人も射殺したという、どう見ても同情の余地はない「凶悪犯罪」だったのだから。


幼なじみや親きょうだいの心配も振り払い、悲しませ、苦しませた。


それでも憎めないのは・・・、こうして何十年もたっても、ひとびとの心を惹きつける物語として成立してしまうのは何故だろう。


ワルのカッコよさ、以上に、ボニーとクライドの愛があまりにもまっすぐで。


――二人で手を取り合って走れるところまで走りつづけ、だめになったら二人一緒に死ぬだけだ。


その捨て身な覚悟はあまりにも幼くて、一点の迷いもなく堂々としていて、いっそ眩しいほどで・・・、だから何も言えなくなってしまうのだ。



物語の結末をわかっていても、どうか逃げ切って生き抜いてくれないか、と願ってしまうのだ。





誰が何と言おうと、世間に後ろ指さされようと、私はあなたを愛している。


この命と引きかえにしても、大切なあなたを守ってみせる。





それが恋か、愛か、情か、男か、女か、友か、きょうだいか。


そんなことはたいした問題じゃない。


相手が自分をどう思ってくれて、自分に何をしてくれるか、そんなことはもっと、どうでもいい。



「心のままに 愛するひとを 愛する」



ボニーの歌声がいつまでもこだまする。





帰りの電車の中で、女友達のことを考えていた。



先日、付き合っているひととの間のかなり重たい話(というか、不安と憶測にもとづいた愚痴)を私にぶちまけた彼女から、午後に電話がかかってきた。



おいおい、またこの間の続きか・・・と思いつつ、出かける予定があるから3時頃までならOK、と最初にタイムリミットを宣言して話を聞いた。



「猫姫ちゃんが言ってたみたいに、ホント、人生は短いって思うわ・・・」



としみじみと言っていた。



そんなことをあらためて感じる何かがあったのか、わざわざ聞かなかったけれど、うん、そうだよ。


短い人生。いつどこで終わるか、誰にもわからない人生。


本当に大好きな、大切な相手なら、信じようよ。


連絡が途切れがちになった不安を、すわ浮気と決めつけて、相手の見当はついてるのどうのと女友達を相手に愚痴って泣いてる場合じゃないぞ〜、私の嫌いな恋愛ドラマじゃあるまいし(笑)


愛してるなら、顔上げて堂々としてなよ。


周りの全員から祝福はされない形だとしても、あなたの恋は誰かの幸せを奪ったり傷つけたりするものじゃ、ないでしょう?



何か吹っ切れたのか、彼女がかなり元気になっていたので嬉しくなって、今度はまたノロケ話を聞かせてよね、愚痴は重いけどノロケならいくらでも喜んで聞くから、と言ってやった




私があの時、話を聞きながらすこぶる不愉快になったのは、彼女の話し方の中に悲劇のヒロインくささみたいなものを感じてしまったから、かもしれない。(と、本人にも言ったけど。今日の話し方の中にはもうそれが無かったから


女ってこういうものなのよね、私も女だからどうしようもないのよね、猫姫も恋をしたらわかるようになるだろうけどさ・・・みたいな「いかにも女っぽい」ベタベタ感。




直接そういう言葉ではなくても、言うことの端々に見え隠れする「アタシって恋愛経験豊富なオンナ」の優越感。




べつの女友達からも、


「そんなふうだから彼氏できないんじゃない」


という台詞を一度二度ならず言われたことがある。



そりゃ男性とお付き合いした経験はないし、今も「彼氏」はいないけど、いないという事実と、できない=求めているのに叶えられない、ということはまるでニュアンスが違ってくるじゃない。



べつだん悪気がないことはわかっていても、昨日今日の付き合いでもない友達からそういう台詞を聞くのは、気分のいいもんじゃなかったりして。



とはいえ、私も自分の感覚が、いわゆる「一般的」「普通」と少しばかりずれているらしい自覚はあるんだわよ(笑)



相手が男か女か、恋人か愛人か伴侶か友達か家族か、あるいは憧れのひとか尊敬するひとか守ってあげたいひとか・・・、そういうタイプ分け、カテゴリ分けができないから。



大事なひと。


かけがえのないひと。


ただ、それだけ。




そういうひとが、数人いる。


もしもそのひとに銃口が向けられたら、一瞬の迷いもなく自分の体を盾にできるような相手。



この広い世の中で、この短い人生の中で、そんなにも愛おしい相手に出逢えたことを誇らしく、嬉しく思う。





猫姫は生き急いでいる、とよく言われる。


まだ若いのに、元気なのに、どうしてそんなに息を切らしているの、と。





昔はいろいろあったから。


今この歳になってようやく自分の人生、自分の意思や希望や欲望らしきものをつかんで、失くしたものを取り戻そうとするように焦っているのも否めまい。


でも、それだけじゃなくて。


えっ、まさか今日、今!? という周囲の予想外のタイミングで命を終えてしまったひとを、身近で何人も知っているから。




人生は短い。


ひとはいつ死ぬかわからない。




「たとえ今日死んでも悔いのないように生きよう」


なんて言葉があるけれど、そんなふうにできるひとはまずいないだろうから。


だから、尚更。


黙って悩むくらいなら一歩、ほんの一歩でも違う方向に自分が動いてみよう。


他人に愚痴るくらいなら、当事者に当たって砕けよう。


それが正しい道か間違った道か、わからなくても。


単純だけれど、真剣に生きたい、と思う。


適当に力を抜いてじゃなく、その場しのぎの綺麗ごとじゃなく、真剣に受け止めて、真剣に考えて、感じて、動きたいと思う。


やっぱり息切れする人生かな、私は・・・(笑)


こういうのを近くで見ていて疲れる、と思うひとは、遠慮なく距離をおいてくれたらいいと思う。


そのひとの人生だって、短いんだから。


疲れる相手と無理して付き合うことなんか、ないんだよ





『ボニー&クライド』から大幅に脱線して、いろんないろんなことを考えてしまいました。


そろそろ寝よう。


愛しき次女、もとい、ホカホカのにゃんこを抱っこして(笑)



おやすみなさい

Posted at 03:23 | この記事のURL
よのなかは ちろりに過ぐる [2012年01月13日(金)]
あー、眠い。

時間が足りない(笑)

今週はなぜか、うんざりするような厄日続きなんだもんさ。



私は結構短気で怒りっぽいので(ウジウジと持続はしないけど)、こういう時って、眠ってても心安らかじゃないらしく、自分の怒声で夜中に目覚めたりする。


添い寝ムスメの美羽たん、ごめんよ〜



携帯から、要らなくなったアドレスや画像や受信メールの類を整理(年に1〜2回やる)していたら、何の操作を間違えたんだか受信メールをみんな消してしまったのがケチのつき始め。


もっとも、大切なメールは保護をかけるかPCに転送するかしているから、すごく大きな支障はないんだけども、それでもこういう予想外のアクシデントは、何だかねぇ


引き続き、女友達(しかも2人も!)からの、それぞれ結構ヘビィな愚痴が降って来るやら、そろそろ片付く頃だった前職の労災の処理が書類の不備で滞っているという連絡が今になって入るやら、詳しくは書かないがもうひとつふたつ不愉快な出来事もあり、日替わりメニューじゃないんだからどいつもこいつも(もちろん自分自身も)もう〜、いい加減にしろよっ!! と



なんか、自分がゴミ箱になったような気分だった。




「よのなかは ちろりに過ぐる」



そんな言葉を思い出して、荒んだ心をなだめてみる。



これはね、15年くらい昔のNHK大河ドラマ『毛利元就』の中の、元就の妻・美伊(演じていたのは富田靖子さん)の台詞。


人生なんて、あっという間に過ぎてしまうのよ、という意味。


実際のところ、彼女は元就と深く愛し合って、素晴らしい息子たち(三本の矢、ね)にも恵まれながら、40歳そこそこで病死してしまう。


決して豊かではない小さな山城で、家族や家臣たちと力を合わせて懸命に生きた、ちろりの人生。


あたたかな愛と堂々たる笑顔と、しなやかなバイタリティだけは絶やさなかった人生。


いつどうなるかわからない、所詮短い人生なら、美伊さまのようでありたい。





さて、今日は本当は書きたいこともいろいろあったのだけど、なんせイライラしっぱなしであまり寝てないので寝不足で、眠くて・・・



毒消し&厄払いの写真を紹介しますです、ハイ





子供のように背伸びしてテレビを見つめるネル。


これは『くろねこルーシー』という連続ドラマを観てるところ。


2匹の真っ黒な子猫が出てくるから、ミィー、ミィー、と重なり合う鳴き声がするのね


ネルはうたた寝していた炬燵から飛び出してきて、ベッドの下やらカーテンの陰やら、その鳴き声の主をあちこち探し回った挙句、わかった、ここだっ! の図(笑)




ルー&シーならぬ、かつて縁結びのお手伝いをした黒猫姉妹のクー&チャー、元気にしてるかにゃ・・・


そっくりだから思い出す。


私に出されたケーキに鼻をくっつけて、白くなった鼻をペロリとなめて満足げだったおちびさん猫。


なつかしや〜





昔のお嬢さん、ならぬ、昔のおちびさん。


理屈抜きに、愛しいです。


ママにとっては、いつまでも赤ちゃんみたいなもんなんです。にゃ





これは今夜ではなくて、昨夜のお月さま。


もちろん、いちばん上の大きいのがそうで、周りにぽろぽろといる小さいのはアパートや電柱の外灯(笑)


イライラ満載に詰め込んだ心には、いい安定剤になってくれた。





長年にわたって大切に持っていたものを、今日ひとつ手放した。


とても寂しいかと思いきや、意外とそうでもない。


楽になった、ような気がする。


重ねた時の長さゆえに、疲れた部分もあったのかもしれない。


また時を経て、再び手に取ることがあっても良し、なくても良し。




少なくとも後悔は何もないことだし、先のことは ケ・セラ・セラ だと思うことにしよう





「ほかの誰にも言えない 本当のこと

 あなたよ あなたよ 幸せになれ」




ザ・ブルーハーツの『ラブレター』が頭の中をエンドレスで回る。


回れ、回れ、もっと回れ。




荒んだひとも疲れたひとも、みんなみんな、幸せになれ

Posted at 00:38 | この記事のURL
あなたよ あなたよ 幸せになれ [2012年01月12日(木)]
寒さのせいか過労のせいか、父が風邪をひいたらしい

高熱は出なかったもののお腹に来ちゃったそうで、えらく弱った声をしていた。


独り暮らしはそれなりに気楽でいいもんだけど、病気になると心細いんだよね。

それも、家事全般に手慣れた女と還暦過ぎの男とでは、全然違うしね。

とりあえず今朝病院へ行って、厄介な大きい病気でないことはわかったそうだし、夜にかけても悪化はしていないようだからよかったけど。


ホント、離れてると、健康以上の家族孝行はない気がするわ、お互いに

何はともあれ、元気でいたいもんです。




さて。


今日は久々に女友達と言い争い(正確にはメール争い。顔を合わせたものではないから)をした。


お互い、ふんわりおっとりした性格の持ち主ではないからして(笑)珍しくはないことだけど、いろんなやりとりの最後に来たメールが傑作だった。



「そりゃ、彼氏もできないよ」



珍しく30分のプチ残業だったので、昼過ぎに送られてきたそのメールを見たのは帰りがけの駅のホーム。


思わず吹き出してしまい、こりゃどういう返事をしたらいいもんかと首をひねった。



要するに、彼女の恋愛絡みの行き詰まりに、私が慰めや同情を一切寄せずに現実的なことばかり言ったものだから、それが寂しかったか腹立たしかったかしたんだろう、と思う。



昨日今日の付き合いじゃないんだからさ。


私がその場つなぎの耳ざわりのいい慰めを言う性格じゃないことも、リアリストなことも知っているはずだし、何より、己れの恋に結構大きい障壁があることを誰より知っていたのは彼女本人のはずだから。



慰めてほしいなら最初から話す相手を選びなよ、と突き放した直後のメールが、それだった。



彼氏ねえ・・・確かにいないけど、できない=求めて望んでいるのになかなか叶わない、ってわけではないんだから、そう見くびらないでほしいもんだわよ



昨日だか一昨日だか、朝のニュースで、初詣を終えたひとたちに何を願ったのかとインタビューすると、若い女性は圧倒的に恋愛絡み(好きなひとが振り向いてくれますように、彼がプロポーズしてくれますように、とか、今年こそカレシがほしいです、とか)が圧倒的に多かったのね



うん、恋は生きるエネルギー源になるもんね。



ホントに大好きなひとがいると、心が元気になり、髪が柔らかくなり、気持ちの持ちようがしなやかになり、いろんなことに意欲がわく。


それは、カレシだのレンアイだのという狭い意味じゃなくて。


男でも、女でも、どっちの歳が上でも下でも、関係ない。



たぶん私が彼氏を求めていないのは、そういう役名(!?)でなくても、大好きなひと、心底惚れてるひとが何人もいるからだろうと思う。


普段はご無沙汰続きでも、いざという時、頼ってくれるひともいる。


普段は頼らないけど、いざという時は力になってもらえると私が確信しているひともいる。


憧れているひとも、尊敬しているひともいる。


わが子のようなネルと美羽もいる。



私は心から望んだことや願ったことはことごとく叶ってきているから、かなり強運の持ち主なんだろうとは思うけれど、中でもひととの縁はいちばん、自分の努力や希望だけでは叶いづらい類のことだし・・・・・・うん、むしろ奇跡のような、ありがたい贈り物みたいなものだよね



カレシ、という言葉は嫌いじゃないよ。

背伸びした少女っぽい感じで、なんとも可愛い響き



でも、三十路を過ぎた女が、カレシができないとか、いないとか、ほしいとか、そういう言い回しはさすがにちょっとおかしい気がするな(笑)


結構みんな、言うけどね。


猫姫にもカレシができたらわかる、とか。


カレシがほしいと悩んだり、そんなふうだからアンタにはカレシができないんだ、と友達に捨て台詞を吐いても可愛げがあるのは、せいぜい25歳くらいまでじゃないかなぁ・・・ と、そういう年齢の頃には今より格段に醒めていて頑なで、恋のひとつもしてこなかった私は、漠然と考えてたりしてね



自分に恋愛経験がなくても、ひとの恋ののろけ話を聞くのは大好き


それは、カレシやダンナに限らず、いいんだよ、憧れのひとの話だって。


のろけるのも、のろけられるのも、大好きっ


その代わり、どんなに親しくてもカレシやダンナの愚痴なんざ聞くのは大嫌い


恋愛がらみの「相談」は、ただの愚痴になる。


個々の事情は違っても、私に何ができる?



そもそも他人の色恋に興味ないし、恋愛がらみのゴタゴタなんて、はっきり言ってウザいだけ(笑)


オトナなんだし、当人どうしでよろしくやっといてよ、と


しょうがないんだからもう〜、と言いつつ惚れてるな、慈しんでるな、というのが透けて見えればいいけど、その関係に本当に疲れていたり、別れようか悩んでいる、みたいなことを聞かされても、こっちはどうしようもないもんね。




振り回されようと束縛されようと困らされようと、それでも愛しいなら、諸々万障ひっくるめて私はあなたが大好きだ! と笑い飛ばしてみせなよ、と。


ため息ついて、他人に本気で愚痴るくらい疲れてるなら、別れちゃいなよ、せめてやせ我慢でも黙って距離をおいて、自分の気持ち確かめてみればいいじゃん、と。



そう思ってしまうもの。

そう言ってしまうのは、薄情?



そりゃ、付き合ってた相手がストーカー化して怖いとか、あるいはこういう病気になってどう看護していいかわからない、とかいうようなことなら、自分の経験のみならず、持ち前の行動力も情報収集力も友人知人の知恵もフル稼働して力になろうとするけどさ。



ホレタハレタ、くっついた離れた、連絡があるのないの、ほかのオンナの影が云々、そんなことは当人どうしでやっとくれ(笑)



だって人生は短い。ひとの命は、誰でも、若くても老いてても持病があってもなくても、いつどうなるかわかりゃしない。


ひとと関わり合うことはとても大きなエネルギーが要る。


プラスの意味でもマイナスの意味でも。





ひとと本気で関わるということは、大げさじゃなく「命がけの行動」だと、私は思う。


そこまでできる相手じゃないと思うのなら、自ら距離をおくしかない。




それにしても、まぁね〜、言葉ってのは難しい。


面と向かっていても難しいけど、メールだと尚更。




表面的に優しけりゃいい、ってもんでもないしね。




バカヤローッ!! という怒声がこれ以上ないほどの深い愛情にあふれている場合だってあるだろうし、逆に、大丈夫? 大変ね、無理しないでね、何でも言ってね・・・なんていう優しげな言葉に、血の涙が滲むほど心を抉られて、もうお前なんかに二度と何も話すものか、という気持ちになってしまうことだってある。




「猫姫は、私はこう思う、私はそれは好きじゃない、私はこういうひとが好き、私にはできない、って『私』を主語にして話すよね、いつも。普通は・・・とか、女ってさぁ・・・みたいな一般論じゃなくて。だから信頼できるんだわ」




年上の女友達に、そう言われたことがある。




「私は、私は、ってやたら言うひとは我が強くて頑固だと思われがちだけど、違うんだね。私はこう思う、これは私個人の考え方だけど、あなたはどうなの、あぁ、違うんだねぇ、って感じじゃない、猫姫は? 違ってるからおかしいとか、そんなのはダメだよとか、言わないもんね」




面白いひとだよねぇ、と彼女はしみじみと言った。


・・・面白いひと・・・、これはわりとよく言われる(笑)


面白くしようと奇をてらっているわけじゃなく、そんな器用さもないし、本人はいたって真面目だったりするんだけどね



母のせい、もとい、おかげかもしれない。


優等生育ちの因果か、自分と違う好みや考え方をなかなか認められないひとだった。


どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、ただ単に「違う」、それのどこが不都合なのさ?


と、それこそ何度も何度も同じようなことで衝突した。




ある時、はっきり言った。




「私を、母さんと同じに染めようとしないで。私は母さんと同じ考え方をして、母さんと同じようにだけはなりたくないの。幸せになれる気がしないもの!」




いやはや、はっきり言いすぎだし(笑)


でも、母はその時納得していた。娘が自分に反発する理由を、初めて納得して、安心したような表情さえ浮かべていた。




友達、恋人、夫婦、親子、家族、師弟、男、女、あるいは共有する秘密・・・・・・、誰とどういう関係を結んでも、その関係に喜んでいても苦しんでいても酔っていても、それぞれの人生。


自分が幸せでありたいのと同様に、近しいあなたたちにも、やっぱり幸せでいてもらいたい。



そのひとを本当に愛しく思っているなら、誰に何と言われようが、凛と立って微笑んでいればいい。


それが、相手と自分にとって幸せだと思えるなら。


もちろん、誰かの幸せを奪うのと引換えでさえなければ、だけど(笑)




幸せになれない人間関係なら、自分の意思で手放すのもありだ。


手放して、少し遠くから、そのひとの幸せを願ってあげればいい。


一度は愛したひとなら。




“ ほかの誰にも言えない 本当のこと

  あなたよ あなたよ 幸せになれ

  あなたよ あなたよ 幸せになれ ”


       (ザ・ブルーハーツ『ラブレター』)





愛してくれるひと以上に、愛するひとがいてくれることに、感謝。

Posted at 01:38 | この記事のURL
フィジカル・シアター【後編】 [2012年01月10日(火)]
さて、昨日の続きです。


歩き方ひとつでもなかなか奥が深いのね〜、ということを実感したところで、今度は全身を使ったワークに移行。



全員で円陣を組み、Aさんが輪の真ん中に出て、何かポーズをとって静止する。


次にBさんが出て行って、Aさんのポーズとコラボするような恰好をつくって静止する。


数秒の静止の後、Aさんはそっと離れ、円陣に戻る。


するとCさんが進み出てBさんとコラボするポーズをとって静止し、Bさんが退場するのと入れ替わりにDさんが輪の中に出ていって・・・という、その繰り返し。


無言の単純なパントマイムながら、その気になればストーリーだって作れそうだ。想像力は自由かつ無限大!



「はい、そこでストップ!」



早智さんが声をかける。



輪の中では、Jさん(女性)が片肘をついてごろ寝をし、その脇でKさん(男性)が両手をまっすぐ前に差し出しながら全身を前につんのめらせて、開いた足を踏ん張っていた。



「これは、どういう光景だと思いますか?」



早智さんの問いに、参加者が口々に応える。



「奥さんが昼寝をしていたら、本棚が倒れてきそうになったので、ダンナさんが慌てて受け止めようとしている」



なんて愛情あふれるストーリーを描いたひとがいる一方、私は、



「健康のために不慣れなヨガを頑張ろうとしているダンナさんと、あ〜たよくやるわねぇ〜、とごろ寝をしながら眺めているだけの奥さん」



と言ったものだから、一同大笑い


だってそう見えたんだも〜ん(笑) いきなり倦怠期の夫婦を連想するとは、色気もへったくれもありゃしないね、私



あるいは、Lさんが両腕をクロスさせて自分の体を抱くようにうずくまり、その前にMさんが立ちはだかってLさんを見下ろしながら指差している、という構図。



「家に強盗が入ってきて、そこを動くな! と脅されているところ」


なるほど、Lさんは怯える被害者、Mさんは強盗ね。



「刑事が犯人を追いつめて、証拠は挙がっている、もう逃げられんぞ! と言ったところ」


今度はうって変わって、Lさんは逃げ切れなくなった犯人、Mさんは正義と執念の刑事さん、というわけだ。



「赤ちゃんを奪われそうになったお母さんが、必死で抱きしめて守ろうとしているところ」


うむむ、これはヘビィだ・・・。でも、確かにそうも見える。




「今、DVDの一時停止ボタンを押している状態です。これを解除して再生を始めると、どうなりますか? 何が起こりますか? スローモーションでやってみてください、ハイ、再生!」




早智さんの言葉を合図に、輪の中の2人はそのポーズから続く物語を(ほんの十数秒だけれど)演じてみせる。


みんな初対面どうしなのに、息ぴったり(笑)




ほかにも色々、声も体も表現力も想像力もフル活用して楽しんで、2時間はあっという間だった。



早智さんのワークショップは来月と再来月にもあるそうなので、予約してきた。



来週はコンテンポラリーダンス、再来週はラップ、というこれまた面白そうなテーマで(それぞれ違う講師だけど)開催されるそうなので、眞美センセのレッスンとかぶらなければ行ってみようと思ってる



三軒茶屋の駅前のSUBWAYで腹ごしらえして、また深川のお不動さまへ初詣も兼ねて行こうと向かう途中、以前いたコールセンターの同僚と偶然再会しちゃったりもして(笑)、心身ともにアクティブな楽しい日だった



普通は、とか、一般的には、という言い方が私はあまり好きじゃないのだけど、でも「普通は」1、2、3、4、5の順番でみんなこういうことは経験してきてるよね、と当たり前のようにとらえられてしまう事柄が、世の中には結構あると思う。



「若い頃は自分のことで必死でしたが、30代になってからはもう少し周りとの調和を考えようと思って・・・」みたいな有名人のコメントもあったりする。



幸か不幸か、私はどうも違う。


4、5、あたりを子供時代にすませ、「普通は」40代以降に経験するような9や10を20代のうちに通り、1? 2? それ何? そんなもんがあったの? と、この歳で驚き戸惑っていたりして。



要するに、だな、順番が多少違っても、生きてる間に辻褄があっていけばいいんだわよ。



と、最近思う。



とはいえ、もう子供が何人かいてもおかしくないような歳だし、あまり際限なく悠長に構えているのもどうかと思うので、とりあえず、35歳まで。



あと2年足らず。



とりあえず35歳までは、成長期の子供のように、自分に対して貪欲な興味と好奇心を持って、心も体もいろいろひねくり回して探ってみようと思う。



知らないことが多すぎるもの。


できないことが多すぎるもの。


だからいろいろなものが怖い。


恐怖に唯一対抗できるものが怒りだから、私のマイナスの感情はすべて・・・・・・悲しみも不安も切なさも孤独も痛みも後悔も、全部同じ色の激しい怒りに変わってしまう。


ひとの心って、そんなものじゃないからね。


揺れて泣いて闘って頑張って、息を切らして笑おう。


優等生のふりをするのは、もう飽きたし疲れたし。


それを私に望んだひとは、そうでない姿を一生認めてくれなかったひとは、もうこの世にいないんだものね。


自由になっていいよね。


ヘタクソな歩き方でも。




どうも元気が出ない、気分が乗らないときは、爪先立って歩いてみる。


テンション高まって暴走しそうな時は、足の内側に重心をかけて歩いて、ブレーキをかけてみる。



まずは、そんなところから

Posted at 01:37 | この記事のURL
フィジカル・シアター 【前編】 [2012年01月09日(月)]
年明けからどうも仕事がヒマすぎて (私以外の社員さんたちは忙しいから、バランス悪いというか申し訳ないというかね) カラダもアタマも鈍っちゃいそうなので、昨日はちょっとカラダを動かしに、フィジカル・シアターなるワークショップに参加してきた。


場所は、一昨年の12月に夜ごと通いつめた、なつかしの(笑)シアタートラム


トラムの真上にある稽古場の1つだから、もしかしたらあの 『GODSPELL』 のキャストの皆さんもこの場所で、歌ったり踊ったり走ったりしてたのかも!?


「感じるままに動く」 とか 「思ったことを言う」 という至極シンプルなことが私にはなかなかできない。


でも、ひとから見えるキャラクターってものがあるから、さ。


私のことを、いつでもどこでも自信にあふれて、自分の意思をしっかり確立しながら望むことを望むとおりに叶えている、強くてラッキーなオンナ、と思っている友人知人も結構多いのかもしれないけど。


私自身、そういうキャラって嫌いじゃないから、あわよくばそのイメージを崩さないで自分自身さえも騙し通そうとしちゃってた部分もあるけど。


そろそろ、化けの皮が剥がれる時が来たらしい。


ようやく、来てくれたらしい




自分の心と体がどうも素直に繋がっていないようだと自覚せざるをえなくなったのは「声」がきっかけではあったけれど、それだけですむ話じゃないし、いったん興味を持ち始めると、声だの顔だの心や体の感覚だのっていうのは際限なく面白くてね。




昨日の講師は、女優&演出家の木村早智さん。


小柄で華奢で、ふんわりと可愛いたたずまいながら、身のこなしが鮮やかで、しなやかで、魅力的な笑顔のひとだった



参加者は男性2人、女性13人、小学2〜3年くらいの女の子1人、ということでまずは自己紹介



呼ばれたい名前(本名でなくても構わない)の前に、自分を表現する一言をプラスして、


「おしゃべりなヤマダです」

「泣き虫ナッちゃんです」

「詰めの甘いゴローです」

「ひねくれアキコです」


といった感じで一巡すると、続いて 「10秒間にできるだけたくさんのひとと握手をする」 とか 「ボールの代わりにクラップ(拍手)をパスし合う」 というユニークなウォーミングアップをしてから、次は・・・・・・鬼ごっこ!



大のオトナがみんなケラケラ笑いながらも真剣そのもの、稽古場の中をみんな裸足で所狭しと走り回ってタッチし合い、うん、私は思ったより身軽で足が速いな、とちょっと安心したり(笑)



まだ三十路も前半、そうそう鈍っててたまるかいっ



続いて、いろいろな歩き方をしながら、身体感覚や気持ちがどう変わるかを感じてみる、というワーク。



つま先で歩く、かかとで歩く、足の外側に重心をおいてO脚のように歩く、逆に内側に重心をおいて歩く、指をできるだけ(もちろん無理のない範囲で)丸めて足の裏で地面をつかもうとするように歩く、という5種類。



歩きながら、心に浮かんだ言葉があれば声に出してみたり、そのキャラクターのままで、目が合ったひとと言葉を交わしてみたりする。



「つま先で歩く」 を終えて、どういう気分になったかを全員が言い合うと、これが見事にてんでばらばらで面白い。


私は女優かモデルにでもなったような(ハイヒールで歩くイメージだね)感じの、とても優雅に満ち足りた気持ちになり、こぼれる言葉も 「いいねぇ」 「綺麗ね」 「素敵だねぇ」 とあたたかな余裕に満ちていたんだけども。




ほかの皆さんはというと、ものすごくバランスが取りにくくて、おっとっと、おっとっと・・・ と呟きっぱなしだったとか、やたら焦った気持ちになって、大変だ、忙しい、早く早く・・・ と口走ったひともいた。



はたまた、とても汚いところを歩いている気分になったらしく、顔をしかめながら、あ〜、もう〜、汚い〜、やだなぁ〜、とぶつぶつぶつぶつ言い続けたひともいたり。(笑)



続けて、かかとで歩く


これは、私は気持ち云々よりもまず物理的に痛かったので、イタタ、アイタタタ・・・と小声で言いながらおぼつかない足取りになったが、ほかのひとの感覚を聞くと、ペンギンになった気分で楽しかったとか、踊っているみたいにリズミカルに歩けたひともいたようで、これまたバラバラ。



足の外側や内側に重心をおくのは、いずれもひどく歩きにくい(笑)



でも、普通に歩きやすかったというひともいたし、歩き始めの赤ちゃんになったような気持ちで「おかあさ〜ん」と無邪気な声を上げたひともあり、なぜだか笑いが止まらなかったとか、焦って探し物をしている気分になったとか、とても自信がなくておどおどしたような気分になった(これは私)とか、まぁー、十人十色とはよく言ったもので



足の指を丸め込んで歩いた時の「体感」はなかなか面白かった。




自分の手足も見えないほど真っ暗闇の場所を歩いていると、何だか正体不明の違和感がある。

自分が人間の姿ではなくなってしまった気がする。

私は、誰だ? 

『美女と野獣』のビーストのように、指が消えた毛むくじゃらの手足に鋭い爪が生えていたりしないか?

もう少し行けば、ここよりは明るい場所に出るはずだ。

その明かりで自分の姿を見てみれば、わかるはずだ。

早く、早く、もう少し先まで。

もう少し明るいところまで。




もう少し、もう少し、とつぶやきながら歩き回る私は、ほかの参加者から 「こんにちは、どこへ行くんですか」 と声をかけられた時、それこそ怯んだ獣のように本気で飛びのいて口ごもったらしい・・・ そういうふうにふるまった自覚はなかったけれど




体って・・・


体の動きを単純に変えるだけのことで、気持ちってこんなにも連動するもんなの?



オモチャのロボットみたいだよね。


赤いスイッチを押したら頭のてっぺんが光り、青いスイッチを押したらワハハハと笑い出し、手を触ったら「ヤァ、コンニチハ」と喋る・・・とかそういうオモチャって珍しくないと思うけど、まさにそんな感じ。


面白いといえば面白いけど、怖いといえば怖いかも。





体と心をつなぐスイッチを、オフにしたまま忘れ去るのではなく、オンのまま暴走させてほったらかすのでもなく、ある程度の幅をもってコントロールすること。


それができたら、生きることはたぶん、もっと楽しい




今日のこれは、ブログというより私の覚え書きです。


眠くなってきたので、後半の話はまた明日にでも


Posted at 02:11 | この記事のURL
毎日 [2012年01月04日(水)]
今日は年始の仕事始めだったけど、まだ取引先も休みのところが多いのか、全体的に何となくのんびりしていた。


そもそも、新人の、しかも派遣の私には担当するクライアント企業というものがないので、新年挨拶や営業の電話をする必要もなく、私指名の電話がかかってくるわけでもなく、も〜っ、暇といったらとことん、暇っ


とりあえず、かかってきた電話を取り次ぎながら、パソコンで自主学習・・・ をするふりして、President Online のビジネスコラムの連載が面白かったものだからずっとそれを読んでいた


ホントに自主学習できる画面(=社内ソフト)も、物件検索ソフトも図面ソフトも、5つ6つの画面を同時に立ち上げながら(笑)



私は広いフロアのいちばん隅っこの席で、しかも出入り口の反対側なので、私の背後をひとが通ることはまず無いんだよね



無口で真面目で礼儀正しく、頼まれた仕事は早い、というこのオシゴト用のキャラはなかなか便利だわね(爆笑)



遊んでても、そうは見えない



だ〜ってさ〜、何かできる仕事を積極的に見つけて出来ればいいけど、ここの仕事は担当ごとにわりときっちり分かれてるから、手が足りなくなった忙しいひとに何か頼まれない限り、自分じゃ見つけようがないんだもん


スタッフがそれぞれ専用で持っているパソコンも内線電話も、私の分を申請はしてくれているらしいけど、まだ支給されてないし。


む〜〜〜



「わたくし、退屈するのがいちばん怖いんですわ」

・・・By マリー・アントワネット(笑)



時間は有効に使わなきゃ〜ね



☆ ☆ ☆



友人のブログに触発されて、昨日 “5年日記” なるものを買ってきた。



毎日かかさず何かをきちんとやる、ということが今まで一度もなくて (気分が乗るときと乗らないときの波がかなりあるから)、 しかも日記という 「形に残るもの」 は、母のとんでもない置き土産のトラウマもあって、私は絶対やるまい、と思っていた。



でも。

私は、母とは違うから。



二の舞を踏まないように、決めたことはひとつだけ。

ひとを名指しで貶したり恨みを吐いたり罵倒したりしないこと。

そういうものは、そういうものだけは、形に残しちゃいけない。



冗談じゃねぇバカヤロー、と怒鳴るように書き殴ることはあってもいい。


でも、理由は書かなくていい。そんな広いスペースもないし。(笑)




書かなくても、私はわかってるでしょ?


時が経って、あれっ、このバカヤローは何の話だろ? と自分で首をひねるくらいになったら、所詮その程度のことだったんだと笑い飛ばせばすむでしょ?




そう、今ね。


毎日かかさず、という人生初のことを、日記より前から継続中なんだわ。


例の、YAMAHAのキーボード


眞美センセに教わった、キーボードを使った音取りの自主トレ。♪♪♪




・・・昔ピアノを習っていたし、耳も音感も悪くはないはずなんだけど、な。


どの辺りの音が鳴るか、なるべく推測がつきにくいように、目を閉じて両腕をクロスさせながら2つの音を同時に鳴らして、低いほうの音をとる。


その単純なことが、なかなかクリアできずにいる。


そりゃまあ、少しずつ正解率は上がってきてるし、とくに聴き取りにくいキーと距離の組み合わせもわかってきたけど、よっぽど集中してないとあやしい


つまり、まだ幼い子供のように素直な耳ではなく、理屈っぽいアタマに頼ろうとする習い性がしつこく残っているんだろうな、と思う。



これ、できるようにならないとさ・・・


次のレッスンに行けない


家でできることを教えてもらったのに、それがクリアできないまま中途半端な状態でのこのこ出かけていっちゃ、あまりにも失礼だもんね。




逢いたいよぉ、早く。


大好きなんだっ


逢いたいから、頑張るよっ!(笑)




毎日、キーボードを弾き (音取りだけじゃなく、たまには簡単な曲も弾く 昔に比べれば・・・というか比べものにならないほど指が動かなくなってるけど)、 毎日、日記をつける。




この歳になっての 「初めて」 は、なかなか楽しい。




5年後の12月、この日記帳が終わる時には、私39歳かぁ・・・。


何やってるんだろね?




今よりもっと、愛して、愛されて、ヤンチャでしなやかで優しいひとになっていたい。




さて。


キーボード弾いて、寝ます

Posted at 23:25 | この記事のURL
家族の風景 [2012年01月03日(火)]
「 友達のようでいて 他人のように遠い
  愛しい距離が ここにはいつもあるよ

  キッチンにはハイライトとウイスキーグラス
  どこにでもあるような 家族の風景 」




これはハナレグミさんの 『家族の風景』 という歌の詞。


年末の、中山眞美センセのライブでも歌われていた。


彼女もリハーサルの最中から 「ウッときてしまった」 そうだけど、私もいろんな思いが交錯して込み上げて、涙を抑えられなかった。




歌詞もだけど、歌声がさ。


あったかいんだもん。


あまりにも。


抱きしめるみたいにあったかいんだもん。


今の私には、あまりにも。




客席が真っ暗になる劇場ならもっとクシャクシャボロボロに泣いてしまっていたかもしれないけれど、その会場はわりと普通に明るくて(笑)、しかもステージからよく見える位置の、ほぼ真正面のテーブルに私は (3人の友人たちと一緒に) いたので、ボロボロに崩れるってのはちょっとさ〜・・・家じゃないんだしね





大晦日の午後から元旦にかけては、都内の従姉妹の一家にまぜてもらった。



姪っ子 (ではないんだけど、正確には。従弟の娘、という表現ってないんだよね) の、もうすぐ2歳になるレアちゃんにフカフカの羊のぬいぐるみをプレゼントしたら、 「めぇめ、めぇめ」 と喜んで抱っこして片時も離さず、結局抱いたままぐっすり眠ってしまったりして(笑)



にゃははは・・・ 可愛ゆいねぇ〜



元来、子供好きなたちではないけど、従弟やら友達やら、親しいひとの子供はやっぱり違うね。



単純にイキモノとして面白いし(笑)、愛しい





一緒に食卓を囲み、こたつでお茶を飲んでチョコレートをかじったりしながら紅白を観て、1年ぶりに会った叔母とは深夜3時近くまでお喋りをした。




私の話し方や笑い方が母にますます似てきたと言われた。




母は評判の美人で、頭がよくて誰にでも優しくて上品で手先が器用で、完璧で理想的な良妻賢母で、病気がちなのにいつも健気に明るくふるまう、素晴らしき “みんなの憧れ”!



・・・みたいなイメージのひとだったから。



お母さんに似てきた、というのは、褒め言葉なんだと思う。



頭ではわかる。



でも、ごめん、ひとかけらも嬉しくない、私。




似ている部分を、どうしようもなく自覚してしまうことは実際あるけど、それをひとから言われると・・・ 100%まじりっけなしの素直な褒め言葉や慰めのようなものとして言われると、やるせなくて、そのやるせなさを誰に・・・ そもそも自分に対してさえ、どう説明すればいいのかわからなくて、母とそっくりな声を出すこの喉を思いきりぶん殴りたくなってしまう。



いやいや、実際にはしないけども。



去年あやうく失くしかけた声だし、罪のないものにそんな乱暴はたらいちゃ可哀想だよね(笑)




顔は化粧である程度変えられても、声はそうはいかない。


そもそも変えたいほど嫌いなわけじゃない、というか、生まれ持ったものの中では結構好きだ。


だから尚更、せつない。


私が無意識のうちに地声を見失っていたとすれば、それは母と似ているものを無意識に拒み、避けていたということなのかもしれない。





せつないね。


もうじき、5年にもなるのにね。


受け入れることも許すことも懐かしむことも、何もまだできないよ。


心、狭いね、私。





受け入れられない、受け入れたい・・・


許せない、許してはいけない、それでも許したい・・・





まだまだ、当分じたばたしそうだ。





そんなことを考えていたら、眞美センセの昨夜のブログ。

タイトルは『♪GIFT』(※彼女のブログのタイトルは、いつも何かしらの曲名)

http://ameblo.jp/mami5521/entry-11124047236.html




ここにも、家族の風景。


どこにでもあるような、どこにもないような、あたたかい、家族の風景。





そうなのよ、ライブのMCで弟くんとの思い出話をしてくれて


そりゃもう本当に、情景がリアルに浮かんで観客みんな大笑いの話だったんだけども


きょうだいがいない私には、そういう情景って、永遠の憧れでもあり。



そりゃあね、家族だの親兄弟だのっていうのは 「いればいい」 ってもんじゃないし 「いなけりゃ不幸」 ってわけでもないけど、でもね。





うまく言葉にならないけど、彼女のブログを読みながら今度こそクシャクシャボロボロに泣いてしまって、理由もはっきりしないけれど涙も嗚咽も止まらなくて、ようやく落ち着いた時には、観ていたはずの『相棒』元旦スペシャルのストーリーがさっぱり訳のわからないことになっていた(笑)



CMの時によそ見してブログ読んだりしてちゃダメってことです、ハイ



でも、あの涙は羨望や孤独感や、そういう胸を締め付けられるような感じのものじゃない。



すごく綺麗なものを見たり聴いたりして心が震えた時のような、理屈でも感情でもない本能的な涙。



ただ、いいね・・・ と。



いいね・・・

もっと、聴かせてよ、と。



のろけでも親馬鹿でもいいから、あたたかい家族の話、聴かせてよ、と。



行ったことのない外国の街や、深い海の話みたいに、黙って想像しながら聴いていたい。



自分が知らないことだからといって、想像力まで失くしたくはない。



そんなふうじゃあまりにも、生きていることが寂しく薄っぺらくなってしまうもんね。






そう、それで、話があっちゃこっちゃ飛ぶけど、眞美センセのライブ


13曲のうち、彼女のオリジナル曲が3曲あって。




この恋が早く愛に変わればいい、その傷ついた心をひらいて預けてくれたなら、私があなたを守るのに・・・ と歌う一途な少女のラブソング、『恋が愛に変われば』


歌詞もメロディーも歌い方も、すごく大好き、この歌



違う道を歩き出して今は傍にいないひとに、静かな祈りにも似たエールを送るようなバラード、『足跡』



憶えてるもんだな・・・、あたたかいな・・・、愛してるよ・・・と、素直な子供のような言葉が、終わった恋の相手を慈しんでそっと抱いているような 『キオク』



CDになっていない (いや、かつてCDを出していないわけじゃないから、入っていたのかもしれないけど、とりあえず今は手に入らない) ので、歌詞が正確にわからないのがもどかしいんだけども・・・




CD、出して!!(笑)


これからはライブの回数増やすつもりだと言ってたけど (この間のライブは、なんせ3年ぶり)、 そんなんじゃ足りない!!


もっと、いつでも聴きたいっ!! ♪♪♪





弟くんにも、


「たまには姉チャンの歌ば聴きたいなって思うとばい」


って言われたんでしょ?




家族も、教え子も(笑)、待ちわびてるよ〜、眞美センセ!





私のお正月休みは1週間あったけど、父は1日しかなくて、そもそも帰省したところで一緒に楽しめるような共通の趣味や話題がそうそうあるわけじゃなし(!?)、そんなこんなで私は帰省しなかった。



大晦日の深夜 (というべきか、元旦の早朝というべきか)、 帰宅した父は、連日連夜の長時間労働&深夜帰宅で溜まりに溜まっていた洗濯物を一掃すべく、洗濯機を2回も回してベランダに干したそうだ。



そんな話きくと、日帰りででも洗濯と大掃除 (いや、見えるとこだけの大雑把掃除くらいで精一杯か・・・) だけでもしに帰ってあげればよかったかなと思わないわけじゃないけどさ・・・う〜ん・・・





私はまだしばらく自由なおひとりさまを楽しむのもいいけど、父にこそ伴侶がいてくれたらな、と切に思う。



こればっかりは、知り合いから猫を1匹譲ってもらうような話じゃないから、簡単に叶うことじゃないけど、でもね。



もしも父が、このひととなら家族になりたい、と思うような相手に出会えたなら、そのひとが私より若いコでも、関西弁コテコテの “もろ、大阪のおばちゃん” でも、私は心から祝福すると思う。






話がどんどこ脱線して、終わりそうにないので、今宵はここまで。(笑)



おやすみなさいマセ

Posted at 01:11 | この記事のURL
大晦日ですネ☆ [2011年12月31日(土)]
さて、日付が変わりました。

今夜も猫のように宵っ張り


焼き上がってオーブンから出てきたばかりの林檎のケーキの香りも漂って、う〜ん、いい感じ


年越しは都内の従姉妹一家のところに交ぜてもらって過ごすので、ケーキは手土産ね(笑)




あ、そうそう。


休暇初日の28日に、年賀状を書きかけていたら、忘れてた野暮用を思い出し、慌てて身支度して電車に飛び乗って出かけた。


7月、仕事中に(そう、あのとんでもない前職よ)ちょっと怪我をして、それは労災扱いになったわけだけど、肝心の手続きが遅々として進まず、退職する段になっても終わっておらず、こんな年末まで持ち越してしまったわけ。


杜撰な会社のやることは、どこまでいっても杜撰。


さっさと縁切ってよかったわよ、ホント。



ま、縁切ったところに文句言ってもしょうがないので、気を取り直して、とりあえず2ヵ所の病院をハシゴして、依頼していた診断書をもらってきて、その日のうちに年賀状(今年は40枚弱)を書き上げ、翌日の “お師匠サマ” のライブの時に渡す手紙も書き上げまして




ところが、翌日は待ちに待ったライブで舞い上がって、出かけるときに年賀状の束を持って出るのをすっかり忘れてたもんで、投函はさらに1日延びて、昨日の朝になっちまいましたデス


私の年賀状は間違いなく、元旦には届きませんので、皆様どうぞあしからず・・・m_ _m




夜ごと三軒茶屋の劇場へ通いつめていた去年ほどではないにせよ(笑)、今年の師走も思い出してみれば結構遊んだので(仕事もしたけど)、慌しいのも若干寝不足なのも当たり前で、うん、元気だからそういうのもまあ悪くない。


最強の厄もようやく抜けたっぽいですね



ひとの命は、一寸先もわからないから。


今日したいことや、今日できることは、しよう。


好きなひとには好きだと言おう。


逢いたいひとには逢いに行こう。


来年も。再来年も。ずっと。


生きてる限り、ずっと。




本当は、眞美センセのライブのことも書きたいんだけども (今回行けなかった友人から、レポート待ってるよ、とも言われているし)、 これはまだ酔いが醒めてなくてまともに書けないので・・・新年に持ち越そう(笑)



誰の心にも、あたたかく優しいものが降る新年でありますように

Posted at 01:07 | この記事のURL
ありがとう [2011年12月30日(金)]
とても嬉しくて、気持ちが高揚しすぎて眠れそうにないから、ブログ書いて落ち着こう・・・と思ってはみたものの、さて、どう書き始めていいものか悩む


いやなに、今夜は中山眞美センセのソロライブに出かけていて、また惚れ直したというか、魂を持ってかれたようにボーっとなってるだけなんだけども


ソロライブは約3年ぶりだとか。


3年前は、知らなかったんだよね、私。


もったいない・・・悔しい!(笑)


仕事仲間やら昔からのFANやら、各方面からせっつかれながら、ひと前でメインボーカルとして歌うのは苦手だからと断りつづけてきたけれど、この3月の震災の後、思うようになったのだという。


ひとの命はいつどうなるかわからない、と。


それなら、今、自分にできることを精一杯やろう、と。




苦手だ苦手だと言ってたわりに(!?)、「もう〜ね、嬉しいの!」 と満面の笑みで連発し、時間がおしていることも気づかないほど熱くノンストップで歌い、喋り、被災した知人 (原発の避難指定区域に住んでいた・・・) の話をしかけた途端に涙があふれて声がつまって、迷子の子供のような顔をして。



圧倒的に力強く優しい、ソウルフルな歌声。


照れくさそうに掠れた、低い笑い声。


この素晴らしい仲間を見てよ、あたし果報者でしょう! とばかりに誇らしげにメンバー紹介をする、明るく華やいだ声。


大好きだ。


私はあなたが大好きだ。




「あたし 他人を喜べる数で 時を数えたい」



中島みゆきさんが 『夜を往け』 というアルバムのライナーノーツに書いていた言葉を、ふいに思い出した。



彼女はボイストレーニングの先生でもあるのだけれど、生徒さんはほぼ全員が役者とか歌手とか、あるいはそれらを本気で志す若い子とか、なので。



さしあたり何ものでもない私が弟子入りしたってのは、自覚していた以上にものすごく無謀な、身の程知らずなことだわね、とあらためて感じた。


私ごときが煩わせていい相手じゃないんだわよ、実際(笑)




終演後のDivaにそう言ったら、あっけらかんと一言、




「えー、なんで」




なんで、って(笑)


それはさ・・・たとえるなら、野球観戦の好きな小学生が自分もやりたくなって、プロ野球選手をつかまえてボールの投げ方やバットの持ち方を教えてくれと頼むようなもんだよ、私のしていることは


そこいらの草野球サークルのコーチじゃなく、いきなりトップレベル。



これを身の程知らずと言わずして、何だ?



「いいじゃないですか」



こともなげにそう言って笑ってくれる懐の深さ。



「はい! そういう無謀なことができる自分が、すごく嬉しくて、幸せなので、これからもよろしくお願いします!」




それこそ子供みたいなワケのわからないこと言っちゃった


だけど、本気。


ずっと、あなたを追いかけていくから。




「誰かが見ていてくれるなら

 心をふるって 風を見て

 知ってる道を思い出す」





これも、中島みゆきさんの言葉。




眞美センセ。


あなたが見ていてくれるなら。




ずっと逃げ続けて目をそらしてきたことと、ちゃんと向き合ってみようと思う。


まるで最初から無かったように蓋をして扉を閉めて知らん顔を決め込んできたものを、開ける勇気を与えてくれたのは、あなたです。



ありがとうございます、は、あなたじゃなく、私が言う言葉です。



今日もまた先を越されてしまったけど。




最高の夜をありがとう。


魂を抱きしめるような歌をありがとう。


優しい笑顔をありがとう。




私も、頑張ります。


生きる ということが、惰性でなく、言い訳でなく、地に足の着いた希望であるように。




心がうまく言葉にならないので、みゆきさんともう一人、尊敬する大好きなひとの言葉を借りて。



茨木のり子さんの詩、『待つ』。




“ わたしの心は かたくなな 鉄の扉
  どうしようもなく 閉ざされ 軋む

  鍵を持って まだどこか 遠くを
  のんびりとふらついているのは誰?

  ぱっと開けて吃驚させてくれるひと
  とても自然に 昔からの約束のように ”




この詩は10代の頃から好きだったけれど、自分自身のようだというわけじゃない。


私は、待たない。




たとえば柳美里さん、たとえば高樹沙耶さん、そして眞美さん。


惚れることは理屈じゃないから。


私にとっては、惚れることは信頼とイコール。


出逢った時、そのひとが私について何も知らなくて、何の根拠もなくても。





鍵を開けてください、と言いに行く、向こう見ずな行動力だけは私、持ってるんだ。


でも、応じてもらえるかどうかは相手次第。





だから。


感謝。


言葉なんか追いつかないけど、ありがとう

Posted at 02:35 | この記事のURL
玄関の篝火 [2011年12月25日(日)]
11月の下旬頃、あちこちの花屋で色とりどりのシクラメンを見かけるようになって、好きな花だし、そのうち買おう〜 と思っていてね


あ、買わなくても実家が花屋なわけだから、おとーさんにおねだりしちゃおう、と思ったりもしてね(笑)


で、玄関の土間に鉢を直置きってのもナンだから、何かシンプルな花台も一緒に


・・・どさくさにまぎれて日が経って12月に入っちゃうと、実家はお歳暮の繁忙期に突入でして、連日休みなしに朝から晩まで・・・もとい、朝から丑三つ時までの大忙しになるので、こんな時にわざわざ1つ2つでも余計な仕事増やすのも気の毒だし、うん、やっぱりこっちで買おう、と(笑)


考えてみればそもそも、こういう私好みのグラデーションの色みは、説明するのややこしいしね





花台をどうしようかと思ってたんだけれど、百均ショップの植木鉢スタンドと陶器皿を組み合わせたら、なんかいい感じになりました



シクラメンの和名は、篝火花(かがりびばな)あるいは篝火草。

これは、綺麗なほう


もうひとつ、おかしな和名があって、そっちは“豚饅頭” ・・・ぶひ♪


綺麗なほうの和名は咲いている花の姿から、変ちくりんな方は根元の球根の形から来ているものだとか。


花が咲き終わって根元があらわになると、本当にもう、豚饅頭ほど美味しそうでもないヘタクソな泥饅頭みたいな姿だけになって、いとあわれ・・・なんでございますが


でも、その愛想なしの豚饅頭をポイと放り捨ててしまわずに、ちゃんと水をやって育てておけば、次の年にもまた綺麗な篝火を咲かせてくれるわけ



掃除のついでに、玄関のプチ模様替えも。





無印良品の壁掛けシェルフを1つ追加して、これも先日あまりにも可愛くて衝動買いしてしまったパキラの居場所に


水栽培なので、世話はラクチン

安っぽいプラスチックのカップに入っていたので、ガラスの器に植え替えた。


ピンクのガラスにピンクの用土だから、写真ではわからないけど、この器には “Yu Miri” と贈り主の名前が刻まれていて、私にはとても大切なもの。


こういう大事なガラス製品を無防備な棚の上に置くというのは、震災以来ずっと避けてきたことなんだけども、あえてやってみた。


祈りをこめて。



「地震で壊れるかもしれないから置かない」 というのは、災害が起きることを予測して想像していることだから。


私はわりと、思ったことや願ったことを現実に引き寄せる力が強いみたいなので・・・、あまり悪いことをリアルに考えていると悪いことが起きてしまいそうなので、なるべく、考えないようにしたくて。



あの震災が起きた時、私は外出先だったので、家に残していたネルと美羽のことが心配で心配で、すべての電車が運休している線路沿いを夜通し走ってでも帰りたいほど居たたまれなくて、友人の厚意であたたかく眠れる場所に恵まれていたにもかかわらず、実際には一睡もできなかった。


朝、急いで帰宅してみれば部屋の中は何ひとつ落下も破損もしていなくて、ネルたちもちょっと空腹ではあるものの普通に元気にしていたからよかったけれど。


そもそも、ヤンチャな猫がいるせいというか、おかげというか、で、落ちたり倒れたりして壊れるようなものを室内に一切置いていなかったのがよかったんだよね。



あんな災害はもう起きてほしくないし、想像したくもないけれど、実際ありえない話ではないから、コワレモノ以前に私自身の心の置き場所がなかなか定まらない。




でも、祈りをこめて。


大切なお気に入りのガラスが、ずっとそこに在るように。


でも、もしも揺れに見舞われてしまった時には、破損の被害が玄関先だけですむように・・・と、これはネルと美羽を危険にさらさないための現実的対策。



ネルと美羽が歩き回る室内には、ガラスは飾れないよ。


美羽がヤンチャだから、という、それだけの理由にしておく。そこは。




さて。


日付が変わって、クリスマスムードもおしまい。


寝ます。


See You

Posted at 23:54 | この記事のURL
Christmas Eve☆ [2011年12月24日(土)]
12月に入ってすぐ、この部屋もささやかな飾り付けをした。




これは東急ハンズで買った、ワイヤー細工のツリー。


キラキラゴールドラメ、大好き〜〜〜


気に入って買ったガラス細工のツリーも実家にはあるけど、なにしろ我が家にはいたずら美羽にゃんこがいるもんで・・・


ガラスはさすがにコワイので


こういう素材なら、にゃんこがちょっかい出して落としても壊れないからね





DVDラックの上には、友人たちにもらったクリスマスカードと、亡き妹・アリーの写真。


ふと足もとにひんやりした鼻を感じて、目をやると、アリーと同じ褐色の愛くるしい目をしたネルがしっぽを振って見上げている。


この子の笑顔と、食いしん坊なところは、本当にアリーにそっくりだ





窓辺にはステンドグラスのクリスマスツリー、エンジェル、雪の結晶のハンギングオブジェ。


これ、作ったのは母です。


私がまだ中学生くらいの頃だと思うから、何年前だ? ・・・20年近く?


これは友人たちへのプレゼントとしてもいくつか作っていたはずだから、同じものを持っているオバサマたちもいるはず(笑)


『黒の舟歌』 じゃないけど、母と私の間には 「深くて暗い河がある」 ので、母の手製のものはどんなに綺麗でも、かつて気に入っていたものでも、何となく飾る気がしなくてね、ここ4年。


引越しの時も何も持ってこなかったのだけど、先月に帰省した時に、ほんのいくつかだけ持って帰ってきて、これらステンドグラスもその一部。


ほんの少しだけど、歩み寄り、かな





フォトフレームの上にある布のツリーも、母の手製。


これは私のいちばんのお気に入りで、数年前に見よう見真似で似たようなものを作って、友人にプレゼントした


私が選んだ生地はこんなおとなしい色柄じゃなかったので、まるで雰囲気の違うものになったけどネ




私の母は、季節ごとの飾りものが好きなひとだった。


クリスマス、お正月、お雛祭りなどのカレンダー行事に限らず、春になったら玄関や寝室やトイレに吊った小さな額絵 (べつに値打ちのあるものじゃなく、カレンダーや雑誌から切り抜いた絵や写真ばかりだったけど) を桜や菜の花の絵柄のものに替えたりして。


梅雨が明けて暑くなってくると、玄関の下駄箱の上に大きめのガラス皿をおいて大小の青いビー玉を敷き、拾った貝殻や、小さなガラス細工のヤドカリや人魚をあしらったりして。


秋になると、その場所の住人たちは暖色のスカーフやコースター、紅葉、どんぐり、小さなリスのぬいぐるみなんかに替わったりして。


そういう稚気というか、時間を忘れてままごと遊びをする子供のような心を、いくつになっても持ち続けたひとだった。




事実、私が学校から帰ってくると、


「見て、見て!」


と得意げに笑い、


「今日はこれをやってたら時間があっという間で、お昼ゴハン食べ忘れちゃって」


などと言って私を呆れさせたことも一度や二度や三度ではない(笑)




実家は今や、父が夜遅く寝に帰るだけの場所になっているから、季節が変わることによる変化は扇風機とヒーターが入れ替わるくらいだと思うけれど、私は結構、喜ぶ子供のひとりもいない独り暮らしの部屋で、母と同じようなことをやっていたりする。



自分の中でずっと目を逸らし続けていた部分は、ずっと逃げ続けてきた部分は、母と似た部分であると認めざるをえなくなった、三十路の冬。



どうして、どうして、ねえ、何でそう思うの、何でそう思ってくれないの、どういうことなの、どうしてそんなに違うの、どうして・・・?



ことあるごとに、どうして、どうして、どうしてと父や私に問い続け、理由なんか最初からないほど些細なことにもしつこく理由を求め続けた母は、独りぼっちの子供のような寂しさを抱えたひとだったのだろうかと、最近思う。



自分の思いは誰にも理解されない、と。



あなたは素敵、あなたは素晴らしい、あなたは何でもできる、あなたは優しい、いつも自信にあふれるあなたのように私もなりたい・・・ 周りのひとから羨望の笑顔でそう言われるたびに不安で不安でたまらなくて、本当は違うのよと言いたくても、そう言ってしまったら最後、自分が何者なのかもわからなくなってしまうから、中身のない優等生の笑顔でごまかすしか、ごまかしつづけるしかできなくて。



せめてたったひとりの娘には理解して欲しかった?


自分と同じ心で、同じ目で、同じものを見て同じように感じてほしかった?



「ねえ、あんたはどうしてそんなに私と違うの!?」



どうして、って言われてもね。


・・・違うじゃんね、最初から。(笑)



そもそも親が違う、生まれた場所も年代も違う、家族構成も違う、もちろん見た目だって違う、負った苦労や悲しみも違う、負わされた傷の深さも痛みも、後遺症も癒し手も違う。


同じなわけがないじゃんね。


せつないよね。



あなたがあれほど、自分と違うと、似ていないと、嘆き続けて拒絶した娘は、悔しいほど同じものをいくつもいくつも持ってるみたいだけどね。





ステンドグラスは専用の道具や機械を揃えないとできないから、やっていないけど、もの作りが好きなのは間違いなく、あなた譲りだ。



これからミシンを出して、先日買ったキーボードのカバーを作ろうと思う


キーボードってさ!


ピアノと違って、ケースも蓋もついてないのね!(笑)


まるだしのままじゃ、埃かぶっちゃうじゃないの


しょうがないから、無いものは作る。



あ、年賀状もまだだから、やらなきゃなんだけど・・・


順番、順番
Posted at 17:19 | この記事のURL
師匠 [2011年12月19日(月)]
当たり前にできると思い込んでいたことが、驚くほどできなくなっていることに気づく。

こんなにも歌が好きで、音楽から離れたことなんかなかったのに、今、ここで鳴っている音と同じ声を出すという単純なことが、どうしてこんなに難しいんだろう。

どうして、できないんだろう。

何に怯えているんだろう、私。



感じることができていない。

感情のままに体を動かすことができない。

心と体が繋がっていない。

どこかで、自動的に蓋が閉まってしまう。

思いは、声や表情という形をとる前にどこかで絡め取られて口をふさがれ、そのまま行方知れずになる。



私の声には支えが無い。

よく通る声ではあるのだろうけれど上っ面をフワ〜と通り過ぎるだけで後には何も残らない、だから説得力が無い、聞いていて落ち着かない。



自分で漠然と感じていたことを、はっきりとした言葉で指摘してくれるひとに出逢えて、私は今、未体験の感覚にじたばたもがいている。



地声でひとと話したことがないのか、と言われた。

自分の本音って、わかる? と。



わからなかった。

私の声は、地声ではないの?

私が考えたり感じたりしている「はず」のことは、本音ではないの?

だとしたら、それらはどこにあるんだろう。

本当に、どこかに存在しているんだろうか。



私は、生きている、よね。

幽霊じゃ、ないよね?



そんなわけないじゃんと苦笑しながら、本当は迷子の幽霊だったりして、なんて不安が全身を包む。




私はいつも理由を欲しがる。

その痛みに、その悲しみに、その切なさに、その孤独感に、思い当たる理由が無ければ、強引にでっち上げてでも理由らしきものを頭と心に満たして、自分を納得させようとする。



攻撃の矛先が、誰かに向かないように。

誰かに恨みをぶつけないように。

もう、自分のこの身も傷つけたりせずにすむように。



たえまなく理論武装して身を守ろうとする。

・・・誰から? 何を、守りたいの?



すべて私が決めたこと、私が選んだこと、私がそう考えてそうした、もちろん違う道もあった、拒絶することも本当はできた、しなかったのは私の弱さ、私の不甲斐なさ。


そうやって最初から最後まで自分の中だけで理屈を通して完結させておけば、誰のせいにもしなくてすむ。


過去の落とし前を他人につけさせようなんて、ぶざますぎるじゃない。


すべて私が決めたこと。すべて私が選んだこと。


その時傍にいる相手が望むとおりの、何人もの「私」を演じ分けることも、誰に命じられたわけでもなく、私がそうせずにはいられなかっただけの話。



ねえ。

私は間違ってた?

いつ、何を、どうすればよかった?

今さら過去をどうこうできないのはわかってるけど、でも、誰か正解がわかるなら、おしえてほしい気もする。





何を言っても言い訳にしか聞こえないよと、ぴしりと言われてしまった。

見破られたと感じて、悔しいけれど嬉しかった。


「病んでるね」


という言葉が、荒っぽくも、見下されているようにも聞こえなかったのは、彼女の芯にある揺るぎないあたたかさ。



「相手の姿勢見てて、見どころがあるとか、本気で関わろうと思ったら私、まず優しくないから。バカじゃないのッ!? とか、結構、毒吐くから」



だから、言われるうちが華よ。


・・・そんなことを言ってニヤリと笑い、私の虚飾も強がりも屁理屈も全部突き崩しておいてから、



「絶対、変わるから。自分の声、ちゃんと取り戻せるから」



と微笑んでくれた。




「聴こえてるはずのものが実は聴こえてなかったんだ、ってことがわかれば、意識して聴こうとするようになるでしょ? たとえば周りの音とか、ひとの話し声とか。それだけでも、だいぶ変わるから。女の低い声は、男とは全然違う、すごく魅力的なものだってこともわかってくる。そういう声、せっかく持ってるのに、使いこなしてなきゃもったいないよ」




彼女は自らがプロのシンガーであり、作詞作曲や舞台の音楽プロデューサーも手がける傍ら、ボイストレーナー=歌の先生でもある。


教え子はほとんどがタレントさんだそうで、こんな私みたいな素人が弟子入りするのは珍しいケースだと思う。


そもそも、私は歌の上達法を教わりたかったわけじゃない。


いやいや、そりゃ歌もヘタクソより上手いほうが楽しいに決まってるけど(笑)、そういうことじゃなくて。


彼女の手がけたステージを観た日の夜、ブログにこんなことを書いた。



『私は言葉に厚化粧させすぎるから。

言葉に限らないかな、表情も、言動もか。


心に感じたことを、見える表情に、聞こえる言葉にするまでのわずかな秒数のあいだに、いったい何枚のフィルターを通して、何色の化粧品をぶっかけてしまうんだろうと、しみじみ痛感すると溜め息が出る。


私のいちばんの悪癖だと思う。

かつて、そうでなければ生きられなかったのは事実だとしても、時は流れるものだから。


いいかげん、脱皮したいもんです。


(中略)


彼女のように、心を声に乗せて解き放つすべを覚えたら、生きることがもっと鮮やかに楽しいものになりそうだ。


職業が、女優じゃなくても、歌手じゃなくても。


本当に好きなひとは、好きなものは、理由なんか説明できないね。

それでいいの。


あなたに惚れてます。

それだけで、いい! 』





このブログを、彼女は読んでいて、私を縛る “何枚ものフィルター” の話を覚えていてくれた。


だから最初から、真剣に向き合ってくれた。


ひとの顔色ばかり気にして自分を見失った、支えのない声だと、はっきり指摘してくれた。



私の言動に対して、それはおかしい、違うよ、とダメ出ししたり、ましてこんなパワフルな女をつかまえて 「病んでる」 なんて言うひとはまずいない。


この歳になれば、いろんな建前と言い訳を何となく混ぜ合わせた化粧品を顔にも心にも塗って生きることが 「普通」 と思われがちだから、それをわざわざ、言い訳するなと叱ってくれるひともいなくなる。


私は幸せものだ。


「当たらず触らず波風立てない人間関係なんて、無いほうがまし」


と言い切り、優しい目をして厳しいダメだしをくれる、最高の師匠に逢えたもんね




大好きだよ、師匠!


来年も、その先も、ずっと末永く付き合ってよね。


私の心は、自分でも気づかないくらいの大小さまざまなフィルターや柵や蓋や、そういうもので散らかってるから、きっとすごく手のかかる弟子だけど。


自分というヤツが、こんなに厄介なものをいろいろ背負い込んでるなんて、気づいてしまったからものすごく、悩んで、戸惑って、自分に呆れ返って、あがいてる。


気づかないでいる方が楽だったかもしれない。


でも、それは何も成長しないということ。

それ以上、幸せにはなれないということ。


パンドラの箱を開けたのは、もとい、開けて風を通してくれたのは、あなたなんだからね。


いつか、少しでも追いつけるように、離れないようについて走るからね、師匠




ずっと欲しいと思いながら、場所を取るしな〜、限られたひと部屋の空間に趣味のものばっかり増やしてもな〜、と思って躊躇していたYAMAHAのキーボード、自主トレのためという理由をつけて、買っちゃった(笑)



聴いた音をそのまま声に反映させること。


その単純なことができるようになったら、私の心は今よりだいぶ、自由になりそうだ。


感じたことをそのまま声に、言葉に、表情に、映すこともきっとできるようになる。


自分の体が、声が、こんなに無限大に多機能の面白いオモチャだなんて、知らなかったわよ。


子供みたいにわくわくしてる。


何がどう変わってゆくか、すごく楽しみだ!!

Posted at 23:38 | この記事のURL
仕事始め [2011年12月18日(日)]
新しい仕事の滑り出しは順調


ちょうど去年の今頃に働いていたコールセンターもそうだったけど、やっぱりそれなりの知名度や立場のある会社ってのは、普通にきちんとしてるからいいね


通常、派遣で働く場合、派遣会社に登録 →希望に合う仕事の紹介や説明 →履歴書選考 →職務経歴書を携えて面接 →内定 →派遣先での勤務開始、という流れになることが多いわけだけど、今回はわりと急募だったようで、登録の際にカンタンな説明を受けて履歴書を渡したら、それで面接も職務経歴書もすっとばしたまま内定してしまった



ええぇ〜、いいのかい?



と思ったけれど、今回はどうも、クライアント=派遣先の賃貸アパート会社からの希望がとても単純で曖昧なものであったらしい。


経験や学歴は特に問わない、宅建などの資格も要らない、ただ基本的なビジネスマナーが身についていて、基本的なパソコン操作(Word、Excel、ネット、メール、印刷etc)ができるひと、とだけ。


仕事に関する知識は実務の中で徐々に覚えればいいから、とのことで、その会社の業務に関する基本的な研修も派遣会社で1日きり、しかもわずか4時間程度


書類選考を通過して研修に参加したのは3人。



同期になるはずだった男性2人は、ほぼ私と同年代だったが、


「基本的なパソコンの操作は必要ですし、あと、基本的なビジネスマナーが身についていないひとはすぐクビになりますよ」


という派遣会社の担当者の説明にだんだん腰が引けて、ちょっと自信がないから、ちょっと考えさせてもらってもいいでしょうか……とぼそぼそ俯きながら、結局2人とも辞退してしまった



それを言うなら私だって、取引先や重役との接し方だの、名刺交換だの、会議室やタクシーではどこが上座だの、いわゆるビジネスマナーが日々必要とされるような企業勤めはしたことがないから、去年、基礎知識を得るためのシミュレーションとして秘書検定を学んでおいたくらいのもので、今回求められているレベルに自分が達しているのかどうかはわからなかったけれども。



まあ、とりあえず三十過ぎのオトナ、それも 「普通よりは礼儀正しい言葉を使う社会人」 だから(笑)、そこがポイントなら私は大丈夫だろうと軽く流して、特に確認もしなかった。




初出勤の日、私が配属されたのは、男性マネージャー1人と女性スタッフ5人で構成された第3班。


ベテランのスタッフ(私より少し若いかな)Nさんのアシスタントにつきながら少しずつ仕事を覚えていくように、とマネージャーには言われたけれど、初日はほとんど仕事らしい仕事がなかった


法人相手の営業部なので、みんな出たり入ったり電話をかけたり受けたり、絶え間なくバタバタ忙しくしていて、誰も新人の私にものを教えるような時間的余裕がなかったワケ(笑)



たったひとりの新人なのに、見事にほったらかし・・・



しょうがないから、「暇な時に読んどいて」 と渡された社内マニュアル (実務で使う検索ソフトの使い方から、さまざまな賃貸契約プランの詳細な説明、不動産の基礎知識までいろいろ載っていて、本のムシとしては結構面白い) をゆっくり読みながら、電話が鳴ったら出て、担当者に取り次ぐ。



「お疲れ様です、XYZコミュニケーションズの原田様よりお電話が入っております。お願いします」



それだけ。(笑)

高い時給をいただいてるのに、ラクな仕事で申し訳にゃい



電話をかけてくる「お客様」はすべて企業なので、名乗る名前がやたら長くて参っちゃうけど


長い横文字でも、「○○コミュニケーション」 とか 「××インターナショナル」 みたいな耳慣れた単語ばかりなら苦労はないけれど、



「オルディーネットワークソリューション事業本部の山崎です、いつもお世話になっております。遠藤様はいらっしゃいますか?」



なんて早口で言われると、寿限無寿限無五劫のすりきれ・・・ みたいなもので、頭の中で和訳もできないしメモ書きも追いつかないから、聞いた音を丸覚えするしかない。


頭の体操になりそうだ(笑)




でも、2日めの金曜日は、Nさんのアシスタントとして、彼女の担当する企業から依頼された部屋探しを任された。


先方が希望する場所 (具体的な番地、駅から徒歩何分以内、沿線など)、家賃、契約期間 (長期か、マンスリーか) などの条件を専用の端末に入力しながら、2つのソフトを行き来して条件に合いそうな物件をピックアップして、提案用の図面をおこす。


もちろん、一般サイトには公開されていない「要確認事項」の項目も必ずチェック。


電波が弱くてテレビ映りが悪い可能性があるとか、窓を開けると墓地が見えるとか、大通りが近くにあって騒音と振動があるとか、いろいろ。


こういうことは、図面に転記して、提案時にきちんと確認して了解を得なければ後からトラブルやクレームになるから、大事なことなのだ。




なるほど、パソコンの基本操作ができること、という単純かつ曖昧な募集要項はこういうことね、と納得した。


最初に、立ち上げるべきソフト名とIDやパスワードだけは教わるけれど、具体的な操作方法やレイアウト、印刷のしかたを手取り足取り教えてくれる時間はやっぱり誰にもないから。



同時進行で使うソフトの片方は、一般的な賃貸アパートのホームページと似た仕様だからまだ使いやすいけれど、もう片方はマウス操作が無効で、キーボードもテンキーとFキーしか効かないものなので、なかなかクセモノ・・・


習うより慣れろ、で、触って仲良くなるしかないね、これは。

パソコン操作に関しては、そういうの、わりと得意かも。



とはいえ、もちろんこちらが訊いたことには誰でもちゃんと答えてくれるから、そこでメモを取って、オリジナルマニュアル代わりのノートを作れば、特に不都合はない。



依頼された数件を終えて、お昼休憩をとって戻り、電話の取り継ぎをしながらまた社内マニュアルを読んでいたら、はす向かいの席で電話を終えたばかりのNさんが手を振って笑った。



「猫姫さん、さっきありがとう。探してくれた物件、契約決まりましたよ」



そうですか、よかったです! と答えたところを、ちょうど外から帰ってきたマネージャーが聞きつけて、



「え、何、もう物件探しできたの、猫姫さん?」



へぇ、なかなかやるじゃん、とニヤリと笑った。



嬉しかった。ほっとした



ビジネスマナーの方は、秘書検定2級持ってりゃ大丈夫だろう、と特に心配していなかったけれど、パソコンはきちんと習い覚えた経験も資格もないので、どの程度のスキルが「基本操作」の範囲で必要なのか、ちょっと不安だったから。



とりあえず、春までの首は無事につながりそうかな(笑)



みんな普通に親切だし、あとは体調管理に気をつけて(あの突発性難聴なんかは気をつけようがないことだったけど)、元気に働きつづけたいものです



今日は(あれ、日付が変わった、もう昨日だ・・・) 先月から始めたヴォーカルレッスンの2回めだったのだけど、それを話し出すとまたまた長くなるから、また明日にでも



仕事に関しては特に、いろんなひとに心配してもらっているので、近況報告でした。


それでは Good Night
Posted at 00:27 | この記事のURL
| 次へ
プロフィール


リンク集

http://www.dhcblog.com/nekohime/index1_0.rdf
ログイン
Mypagetopに戻る