先週末、ネルと一緒に、南房総へ行ってきました

“3番目の姉上様”と慕うひと――高樹沙耶さんに会いに

何はさておき、会いたくて、なんです。
それがいちばんの目的。
ついでに、というわけじゃないけれど(笑)、ただいま建築途中の、『ストローベイル・カフェ・ギャラリー』の壁を塗るお手伝いもね
11〜12歳の頃から、沙耶さんは私の憧れのひとだった。
「好きな有名人は誰?」
というありがちな質問に、ずっと「いない」と答え続けていた私が、中学時代に初めて名前を挙げたひと、でもある。
大学生になり、大人ぶった化粧を覚えるようになると、沙耶さんがドラマの中で身につけていた服のコーディネートやアクセサリーを真似ようとしたり、同じ色のルージュを探したりもしていた。
初めてお会いしたのは5年前。
沙耶さん自らがコーチを務める、ドルフィンスイム(フリーダイビングの基礎)レッスン

ダイビングなんて、まるで興味はなかった。
むしろ、なるべく避けて通りたいフィールドだった。
泳ぎが不得手ということもさりながら、プールという場所は、幽霊屋敷や絶叫マシーン以上に怖ろしかったからだ。
小学校のプール・・・呼吸のできない水の底で、大勢の足に、背中も頭も手足も踏みつけられ、殺される恐怖を味わった場所・・・
どうして、よりによってダイビングなんだろう、プールなんだろう・・・と、どうにもやるせない思いではあったけれど、この機会を逃したら、もう、会うことなど叶わないかもしれない・・・
あの時もやっぱり、“会いたくて” 行った。
ほかに理由なんか、要らなかった。
案の定、私の心身は、プールという場所に対する恐怖と緊張と、ほかのひとたちが全員すんなりとできることにことごとくついて行けない、というジレンマで、今にも凍りつきそうだった。
そんな私に、沙耶さんは、何ごともないように笑って、
「できなくてもいいよ」
と言ってくれた。
・・・意味がわからなかった。
言われたことがない言葉だったから。
いつでも何でもできて当たり前、百点満点で当たり前、ひとができることを自分ができないのは恥ずべきことだと、母に言われて育ってきた。
母も、そういう育てられ方をしたひとだった。
だから、生きているということは、それだけで充分に、いつも苦痛だった。
母も、私も。
生きていることを楽しいとか、幸せだと感じた覚えはなかった。
去年、旅立った母は・・・
生きる、ということから解放されて、今、幸せなんだろうか・・・と、ふと思うことがある。
沙耶さんは、私にとって、橋のような存在のひとだ。
過去と未来の間に・・・
哀しみと許しの間に・・・
母と私の間に・・・
架かる橋・・・
沙耶さんの手の形は、私より小さくて・・・母の手に、とてもよく似ている。
今回、初めてそのことに気付いた。
母さん。
私は結局、あなたの思い描いた理想通りの娘には、なれなかったね。
どうにも間違った接し方をしたあなたを、もっと、大事にしてあげたかった。
あなたに似ていない私を、望み通りに歩かない私を、ありのまま愛してほしかった。
できなくてもいいよ、と・・・
無条件で受け入れられて初めて、湧き上がる力があるんだから。
到底無理だと思っていたものと、渡り合えたりするんだから。
沙耶さんと、別れ際にしたように・・・
黙って手を握り合っていたら・・・
激しい言葉をぶつけ合わずに、黙って微笑み合えたら・・・
何か、変わっていただろうか・・・
ねえ・・・
橋に寄り添って、見渡す景色は、広やかで、穏やかで。
笑っていなければ、泣いてしまいそうで。
だから、ただ、会いたくて。
大切なことを、思い出したくて。