恋するわたしは狂っている。そう言えるわたしは狂っていない。わたしは自分のイメージを二分しているのだ。自分の眼にわたしは気のふれたものと映る(わたし自分の錯乱のなんたるかを識っている)のだが、他人の眼にはただ変わっているだけと映るだろう。わたしが自分の狂気をいたって正気に物語っているからだ。わたしはたえずこの狂気を意識し、それについてのディスクールを維持しつづけている。
 
   ー『恋愛のディスクール・断章』 ロラン・バルト

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私の履歴
Apr 5 2015もちろん私は氏(太宰治)の希有の才能は認めるが、最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた作家もめずらしいのは、あるいは愛憎の法則によって、氏は私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない。今にいたるまで、私には、都会育ちの人間の依怙地な偏見があって、「笈を負って上京した少年の田舎くさい野心」を思わせるものに少しでも出会うと、鼻をつままずにはいられないのである。これはその後に現れた幾多の、一見都会派らしきハイカラな新進作家の中にも、私がいちはやくかぎつけて閉口した臭気である。

     『私の遍歴時代』 ー 三島由紀夫
Nov 2 2014かくいう私も4、5年前の『文芸春秋』に「阪神見聞録」なる稿を寄せて、大阪の「人間」に対する反感を露骨に述べ、ために土地の人の憎しみ買ったことを今に忘れない。ただ私の場合には、幸いにして此方の気候と食物とが最初から東京よりも自分の体質や嗜好に合っていた。
私の叔父や親戚なぞの中には、たまに此方へ遊びに来ても白い刺身に箸を付けず、煮物の水っぽいのが物足らず、醤油の仇塩っ辛いのが気に入らずというような頑固な江戸っ児があるが、私は味覚の点においては始めから関西好みであった。

  『私の見た大阪及び大阪人』 谷崎潤一郎
Sep 27 2014私が友人に求める美点は、ユーモアと下心のない態度です。これは友情のもっとも大切な美点です。
ユーモアとは頭がよくて勿体ぶらないこと、下心の無い態度とは寛容で親切ということです。

優しさのない人は
相手ができないことを求める人です。

ーサガン
Jul 27 2014自由とは、自らが思い至って行った行動のすべてにおいて、人類全体をも巻き込むものであり、自分自身に全責任が跳ね返ってくることを覚悟しなければならないものである。

対自として「人間は自由という刑に処せられている」

      ー サルトル
2016年03月  >
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