日産フェアレディZ(Z33)2002年復活 [2009年07月10日(金)]
フェアレディZには個人的にはとても思い入れがある。
残念ながらS30以降手にすることは無かったが。
バブルの名作Z32が2000年に絶版となりすぐにニューモデルが発表されず
ファンはしばらくやきもきすることとなる。
そして何度かのモーターショーでちょい見せをした後02年にZ33は発売された。
ライト周りが少し間延びしているようにも見えるが、ボディは引き締められ
いかにもZという感じが良い。
ところがエンジンも肥大化を続けて3.5Lとなる。
個人的にはZ31の2LDOHCターボの200Rなんて言うのがぐっと来たのだが
この後32では3L、33では3.5L、34では3.7Lと無意味な肥大を続けている。
もちろんそういうグレードがあってもいいのだが2Lクラスのよくまわるエンジンで
走りたいというお客も多いのではないか。
トヨタのスープラ、三菱のGTOなど流麗なスポーティが消えていく今Zは貴重な存在である。
人や荷物を載せる機会も少ないクルマである。
1200kgぐらいにシェイプして2L200psぐらいのグレードがあれば私が買う。
スバル初代インプレッサWRXクーペ [2009年07月07日(火)]
部屋を整理していたら出てきたシリーズ
98年、MCしたインプレッサである。
ここでの注目点は
1.GCの最終型
00年にGDにFMCされていることから、この世代が最終型だ。
今見ても古くささを感じない。
2.STIの表示
GDからはSTIの表示がグレード名(車名というべきか)として明確になっているが
この時代はこの広告を見る限りWRXの文字しかない。
写真の小さい注釈を読むとSTIであることがようやくわかる。
ちなみにこの世代でSTI5、エンジンは280psになっている。
3.クーペ
GCのポイントは何と言ってもクーペボディである。
なんともかっこいい。
WRC参戦のSTIもクーペである。
ピュアスポーツである以上セダンにこだわる必要はない。
このインプはハッチバック系のクーペでなくしっかりトランクのくっついた
セダン系のクーペであるところが泣かせるではないか。
80年代まではこういうクーペが全盛だったのだけどなあ。
まあ、時代の流れには勝てないという結論はわかっているけれど。
マツダ二代目ロードスター [2009年07月06日(月)]
部屋を整理していたら出てきたシリーズ。
本日はマツダロードスター。
世界で最も売れたオープンスポーツとかきいた。
スポーツカー好きな私は初代からマツダ店に行っては試乗させてもらった。
初代NA型はマニアが多い。
サスやハンドリングは少々荒削りでアクセルをふかすとすぐにオーバーステアになる。
エンジンもやや非力であったがこのクルマにはあっていた。
ある意味、乗り手を試すような操作性にちょっとはまった。
こんな感じは私が購入したインテタイプRにつながる。
しかしながらGTカーとしては、ボディ剛性も乗り心地もエンジンパワーも
カーゴスペースもインテリアの質感も足りない。
こういったいろいろな改良を丁寧に積み重ねて満を持してFMCしたのが
この二代目NB型である。
リトラクタブルが無くなったのはご愛敬だが、デザインからエンジンまで
全ての面でブラッシュアップしている。
試乗してみるとNAのようなラフな感じは無くなり簡単にオーバーステアにはならない。
リアタイヤの接地性が向上したのはボディ剛性が向上したからか。
幌の質や開閉もかなり良くなった印象だ。
このように全部良くなってしまった。
ところが人間とは不思議なもので、全部良いと良いと思わないらしい。
生意気な言い方をすれば「味」が薄れてしまった…。
もともとこのクルマはちょこっと試乗して善し悪しを決めるべきクルマでない。
所有して何度もワインディングを走って自分の腕を磨くための道具でもある。
蛇足だが
三代目のNCはエンジンが2Lになりボディは大きく重くなった。
乗り心地もかなりよいがすでにライトウェイトスポーツという感じでない。
価格も二百万円台後半になり上級グレードではBMWZ4に届きそうだ。
スポーツ不遇の時代にも健気に生きるロードスターを見た。
ホンダ初代インテグラタイプR [2009年07月05日(日)]
部屋を整理してたら出てきたシリーズ
本日は初代インテタイプR。
話は89年二代目インテグラにさかのぼる。
このモデルからVTECなるDOHCエンジンが現れる。
これがすごいエンジン。リッター100馬力を絞り出す。
回転フィールもまさにレーシング。息継ぎなしにレッドに向かうのである。
雑誌批評でも絶賛。本来あるべきスポーツエンジンであった。
ところがこの二代目のシャーシは追いつかず直線番長的な色合い。
そして登場したのがこの三代目の派生種、タイプRである。
カタログも別になり型番も違うという入れ込みぶり。
ターボも無く、セダンなどの派生種もない。
ホンダは本物のスポーツを作ってしまったのだ。
これは初代GTRよりインパクトがあった。
一部の古風なマニアはFFであることに拒絶反応を示す。
しかし乗ってみると官能的なエンジン、しっかり曲がるサス…。
FFの癖は当然出るのだが、それはそれでこのクルマの個性と思わせる。
エンジンのパワーがイマイチと思わせるがそれがまた良い。
スポーツ走行の時、きっちり高回転までまわして遊べる。
(それでも一般道で3速全開は無理だろうなあ)
とにかくスポーツカーを楽しみたいという人には唯一無二のクルマであった。
お宝、R34スカイラインGTRのカタログ [2009年07月04日(土)]
部屋を掃除していたら出てきたシリーズ。
本日は本命のスカイラインGTR。
シリーズ最高峰との人気もあるR34GTRである。
現行のGTRは名前的にスカイラインではない。
スカGとしては最終型である。
R33は速さとしては大変優れていた。
実際のカー雑誌のタイムを見てもかなり速い。
しかしながら、ボディ剛性や空力などフィーリング的に評価は今ひとつ。
それは32に比べてデブになったから。
そういった部分を改良して出てきたのがR34だった。
ボディは引き締まりサイズダウンした。
デザインもハコスカを彷彿とさせるようなシンプルさ。
本来スカイラインはファミリーカーであるがゆえスカイライン全体としては
営業的には今ひとつの成績となった。
(この後にでたR35はデブに戻したので成功したかと言えば…、ますます失敗)
しかしながら、R34の開発チームはシャーシやデザインに関しては
GTRありきとした、というくらい完成度は高い。
スカイラインファン、GTRファンでR34GTRを一位にする人が多いのだ。
私もその一人である。
初代三菱・ランサー [2009年07月02日(木)]
初代ランサーを初めて見たのは電器屋の店頭のTVだった。
当時、サファリやサザンクロスで大活躍していた。
フォグランプが並びオーバーフェンダーで武装したランサーは強そうだった。
早速、三菱の販売店に行ってランサーを見るとその貧弱さに驚く。
とにかく小柄でピラーなども細くて華奢に見える。
確かに軽そうで良いのだが。
そのうえかっこよくない。
ラリーで活躍したGSRなどとうたっているがとなりの1300と何も変わらない。
というわけで、ランサーは基本性能はなかなかしっかりした優秀なクルマだったが
営業的には成功しなかった。
この無骨なランサーの失敗をふまえてこの直後にミラージュが登場する。
ランサー自体はこの後、大型化してランサーEXとしてデビュー。
イタリアのナントカという人のデザインでこの後のシグマ、ラムダに通じる優れたデザインだった。
GSRにはターボが積まれてランタボと呼ばれて人気があった。
が、パワーが今ひとつで欧州仕様の2Lターボの発売が期待されたが出てこなかった。
初期のランサーはボディ剛性がそこそこあるのに車重が軽く
非力なエンジンをぶんまわして走るという、本来のスポーツ走行が楽しめるクルマだった。
こんなクルマは二代目スターレットKP60系ぐらいしか無かったな。
マツダ、コスモAP 76年 [2009年06月30日(火)]
部屋を整理していたら出てきたシリーズ。
私が初めてクルマに興味を持ったのは
男性週刊誌の特集に出ていたこのコスモAPからである。
原付バイクの免許をとるか取らないかの頃だったと思う。
エンジンで動く乗り物に目覚めてしまった。
当時、スカイラインやセリカなどは知っていたがコスモは初めて見た。
なんだかぼてっとしたデザインだなあ、ぐらいにしか思っていなかった。
ところが記事を読むとロータリーの優れた特性、静かゆえの上質なクーペという、
それまでのDOHCスポーツとは価値観の違うクルマだった。
その雑誌の評価でもトップ、この年のカーオブザイヤーも取得するなどそれまでの
コスモスポーツといったきわもの的なロータリーでなくGTとしてのロータリーを感じさせた。
初代RX7はこの後発売。
ルーチェやファミリアまでロータリーを積んでいたが、コスモRX7の成功のあと、
ロータリーは上位機種のみに積まれることになる。
しかしながらこの当時の13Bに何度か乗ったことがあるが
3000回転でクラッチミートしてもカリカリとノッキングするのには驚いた。
こんなにまわして燃費がよいわけがない。
リッター5kmを割り込むアメ車並のエンジンだった。
それでもモーターのようになめらかにまわるエンジンは独特のもの。
良いか悪いかではなく好きか嫌いかという価値観で決めるクルマだった。
マツダの名誉のために言うが
ロータリーは80年代後半になると12Aが主力となり、ネックになっていた
シールの気密性の強化、耐久性の向上、インテークやエキゾーストなどの
位置や形状の進化などトルクや燃費の面で劇的に向上する。
また、RX7やコスモはターボモデルまで発売されてGTRが復活、
ランエボインプ戦争が起きるまでは国産最速のクルマでもあった。
ケンメリって何?日産スカイラインC110型 [2009年06月29日(月)]
部屋を掃除していて出てきたシリーズ。
本日はスカイライン。
私の世代だと資料として出てくるのはC110型のケンメリからか。
「ケンとメリーのスカイライン!」あーなんて抽象的なコピーか。
何が言いたいのかさっぱりわからない。
それでもその言葉の余韻に酔いしれていた。
それはどの角度からみても緩やかな曲線で構成されたボディにある。
この後R32まで角張ったデザインが続くことになる。
また、R32までGTRもおあずけとなってしまった。
この110型から排ガス対策車となり牙を抜かれた羊となってしまった。
この世代からテールランプが丸型四灯になりスカイラインの伝統となった。
この世代をケンメリと呼んだことから先代をハコスカと呼ぶようになったという説もある。
おかげでしばらくスカイラインの新型が出ると無理矢理愛称を付けるようになった。
クルマのCMとしてはこの「ケンとメリー」は成功作の筆頭だろう。
これと対抗するのがほぼ同時期「トヨタスプリンターリフトバック」。
そう、あのアグネスラムが登場して小中学生だった私もCMに釘付けとなった。
次点として三菱のエリマキトカゲかなぁ…。
百恵の赤いターセル、トヨタターセル79年式 [2009年06月28日(日)]
今日の関東地方は昼過ぎから強い雨が降り続いている。
今月からはじめた部屋の整理をするしかない。
またまた、懐かしい雑誌やカタログを発見。
トヨタ、ターセル、コルサ。
百恵の赤い靴、のキャッチで一機に有名になった名作…迷作である。
当時コンパクトカーが次々にFF化されたFF黎明期。
ところが、トルクステア、ステアリングの重さ、ミッションのフィーリングの悪さ、
アンダーステアや唐突なタックインなど、ほとんどの面でFRに及ばない。
トヨタはFFの開発には積極的ではなかった。が、
その過渡期に登場したのがトヨタ初のFF、ターセルコルサであった。
エンジンを縦置きとしミッションの位置関係などFRに準じた。
ホイールベースを長くするなどFFとFRのいいとこ取り。のハズだった。
確かに他のFFと比べてみるとよくなっている気もするが
1年2年の技術の進歩でFFの進化に吸収されてしまうほどの違いでしかなかった。
エンジンも新開発のA型、後の1.3〜1.6Lの標準となるエンジン。
トヨタにとってはものすごく意欲的な先進的な設計のクルマだったわけだ。
ところが、この地味な技術の積み重ねは、この手のコンパクトを欲するユーザーには
それほど理解されず、新開発のバルブ数の多いエンジンもグロスで80馬力しかなく
結局、先進技術の塊も「百恵の赤い靴」で片付けられてしまった。
その上、FMCごとに長すぎるホイールベースはつめられて
3代目ではスターレットと共用シャーシ、エンジンは横置きと
どんなクルマだか説明できない没個性のクルマとなって90年代終わりに消えていった。
最終型は100万円を大きく下回る金額で売られていた記憶がある。
日産フェアレディZ、S30、77年式 [2009年06月28日(日)]
部屋を整理していたら出てきたシリーズ。
今回は初代フェアレディZ、S30と呼ばれている。
この写真はまさに私が購入したそのものである。
この趣味の悪いアルミも懐かしい。
ただ残念ながら新車で購入したわけではない。
ずっと後、8年目の中古車を購入したのだった。
このカタログのシリーズはモデル末期、いろいろ豪華仕様がついていた。
エアコンにパワーウィンド、カーステ、EGIなど。
ところが走りに関してはそのままだった。
写真下部にあるNAPSの文字。これこそが元凶。
ただし、排ガス規制初期はエンジンには直接手を触れず
ダッシュポットやEGR、触媒という後付機器でしのいでいた。
おかげで簡単な整備で従来のパワーを手に入れることができた。
というわけでたこ足、デュアルマフラー、インジェクションチューンで
かなりいい感じになっていた。
オマケにこの趣味の悪いアルミをはずしてゴールドメッシュに
当時出始めの60扁平タイヤをはかせて、小径ハンドル、フルバケット、前後スポイラー
など、車検に通るレベルでチューニングした。
乗り心地は多少ガマンできるとしても苦労したのはステアリング。
ワイド扁平タイヤにして小径ハンドルにしたのだがパワステは当時ついていない。
ステアリングがものすごーく重いのだった。
おかげでドライブのたびにウェイトトレーニングしているようなもので
腕力は強くなっていったのだった。
等々、私の青春時代そのものの一台である。
名車?迷車?日産パルサーEXA82年式 [2009年06月28日(日)]
部屋の整理をしていたら出てきたシリーズ。
75年前後にクルマを一機にダメにした排ガス規制があった。
一時しのぎのエンジンは不評でひどいものだった。
しかしながら80年代になると新世代のエンジンが登場する。
キャブは電子制御のインジェクションとなりパワーが復活している。
同時に円高不況などはあったもののバブルに向かって上昇し始めた頃。
各社から新しいカテゴリーというべきクルマが発売する。
特に目をひいたのが日産のこのシリーズである。
パルサー自身はハッチバックのコンパクトファミリーカーという位置づけだが
この世代でEXAというきわものを出してきた。
SAのRX7以降流行のリトラを装備、二人乗りにも見えるおしゃれな感じ。
当時流行の直線基調である。
トピックはこの見てくれでなくこの世代からエンジンが変わった。
名機A13からE15になった。
このE15Eの後ろのEはインジェクションEGIを意味するのだが
この日産EGIはパワーに振った優れものであった。
実はこの時期我が家もクルマの買い換えを考えていて父と私で相談していた。
カローラかサニーということになり、血気盛んな私はカローラGTを第一希望にしていた。
この時期はまだ2TGだった。
カローラ店で試乗した後、日産サニー店に行きサニーを試乗。
驚いたことに2TGより下からトルクがありエンジンの吹けもよい。
DOHCの絶対的必要性を感じなくなり我が家はFFサニーを購入した経緯がある。
この後サニーパルサーはE15にターボを積むことになる。
パルサーはこの後も進化を続け名車と呼ばれるGTI−Rを92年に発売。
まさにバブリーな一台だった。
EXAはこの後、パルサーから分離して屋根が取り替えられるなど
ますますカルトなクルマに変化していき消滅した。
日産はこの成功とも失敗とも言えないカルトカーにしばらくはまることになり
パオやラシーンなどパイクカーでしばらく話題を作ることになる。
(カルトカーとは言わない)
トヨタ、カルディナGTFour [2009年06月25日(木)]
トヨタの20年にわたるライトウェイトスポーツの集大成となる。
栄光のGTFourの冠が与えられた。
もともと初代セリカの兄弟車としてカリーナが存在した。
セリカとほぼ同じシャーシ、パワートレイン。
千葉真一が「足のいいヤツ」といわしめた名作。
個人的にハードトップがフォード風でかっこよかった。
カリーナは発展することなく尻すぼみになり
最終型は1.5Lのセダン中心、カローラのお友達となった。
ところがその最終型は一部のマニアには人気があった。
GTがラインナップされていたからだ。
ハチロクから脈々と受け継がれた名機4A-Gを積む最後の車種となる。
控えめな4AGのパワーがかえって楽しいというマニアもいたが
いかんせん見た目は完全なファミリーセダンゆえ話題に上ることは希だった。
このカリーナのワゴンタイプとしてカルディナが92年にデビューする。
ターゲットは人気のレガシィツーリングワゴン。
どう考えても全ての面において凌駕することもなく目立たない存在。
カリーナ最終型に合わせてカルディナもモデルチェンジ。
セリカ譲りの3SGTを積んだGT−Tグレードができる。
さすがにパワフルで楽しいクルマだった。
そして最終型のカルディナが02年に発売。このカタログである。
すでにカリーナは消滅して同時に4AGも消滅。
セリカGTFourも消滅して3SGTもカルディナのみとなった。
90年代からあったコンセプトカーのWILLのシリーズにVSという車種があり
スポーツとは言えないが前衛的なデザインがよかった。
このカルディナはその流れをくみなかなかの意欲的なデザインで
それまでのカローラぜんとしたファミリー的な要素が無くなっている。
後方視界が悪いところまで受け継いでしまったが、デザイン優先というとんがった
ところがかえって潔い。
残念ながら営業的には成功とは言えなかったが、デザイン、最後の3SGT、
最後のGTFour、と、個人的には名車だと思っている。
打倒レガシィと言うには、走行性能が今ひとつではあった。
が、そこはトヨタ流。誰にでも運転しやすい角の取れたGTFourだった。
最近のトヨタ車やレガシィなどこの顔つきに使いデザインだ。
何度も言うようだがデザインはかなりいけている、時代の最先端だったと思う。
ブルートゥース(Bluetooth)って何?? [2009年06月21日(日)]
Bluetoothという言葉をはじめてきいてから久しいが
具体的にどんなものだかわかってきたのは今年に入ってから。
どうせ携帯のメアドの交換に使う赤外線程度に思っていた。
半分は当たりだが半分ははずれ。
データの通信スピードが速いのである。
今日、トヨタのお店に行ったらイベントをやっていて
きれいなアラサーのお姉さんが説明を聞けと言う。
BluetoothとGブックの機能をフルに使えるカーナビだそうだ。
携帯に入っている音楽をカーステで聴ける。
もちろんハンドフリーの通話もOK。
携帯のGPS機能を使ってカーナビに転送も可能。
相手の居場所も携帯のメール機能で自分の携帯、そこからBluetoothでカーナビへ。
Gブックのオペレーターに電話して行きたい場所を言えばカーナビにルートまで表示。
ここまで進んでしまうとカーナビの機能は逆に退化している。
地図表示以外の機能は携帯やネットを使ってことが足りてしまう。
ここまで来れば地図情報自体も携帯端末を使えば本体には必要なくなるか。
なんだかカーナビの宣伝なのに本末転倒な不条理を感じた。
詳しくはトヨタか富士通テンなどでどうぞ。
新プリウス 1か月で受注18万台 [2009年06月20日(土)]
プリウスには欠点がない。
先進の未来的なメカニズム、燃費がよい。
5ドアで使い勝手も良い。走りも思ったよりしっかりしている。
デザインは好きずきだが一目でプリウスとわかるのがよい。
オマケに価格も割安。政府の後押しまである。
金額を抑えた時点で売れるべきにして発売された。
それ以外に理由がある。
まず半数以上が50代のオッサンだそうだ。
彼らが免許を取った頃は昭和40年代の終わり。
万博からオイルショックの激動の頃。
スカイラインは箱スカからケンメリにFMC、GTRも存在。
フェアレディZの発売、S20、L20の全盛時代。
三菱はGTO、FTO、いすゞはペレット、
トヨタはセリカ発売、レビントレノの27時代。
マツダはRX3やコスモが人気があった。
ファミリーセダンでもマークUやローレル、ブル、ランサー、アコード。
ポイントなのは5ナンバー、2Lである。
排ガス対策車はさすがに不調なエンジンも多かったが
上質な5ナンバー車が星の数ほど並んでいた。
90年前後税制が変わって自動車税がナンバーに依存しなくなってからは
無意味な3ナンバーがトレンドとなって市場は広がった、かに見えた。
ところがクラウンは別格としてもマークUやアコードもかなり大きな
クルマになり最低でも2.5Lのエンジンだ。
スーパーの駐車場には入れにくいクルマばかりになった。
本来日本の道路で使いやすいハズの2Lクラスが今や風前の灯火だ。
プリウスは全幅が1700mmを超えてしまって残念ながら3ナンバーだが
1.8Lクラスとしても使いやすい大きさで良くできたクルマである。
日本はひたすらアメリカの方向を向いてアメリカのまねをしすぎてしまった。
おかげで日本にあったクルマの定義をアメリカに無理矢理合わせていた。
プリウスは世界標準と日本人の価値観が合致した珍しい事例だ。
プリウスはマークUやローレルに乗っていたオッサンにぴったりなのだ。
日産GTRを…みるだけ! [2009年06月20日(土)]
近くの日産に立ち寄った。
ショールームの道路よりに珍しくGTRが置いてあった。
若い営業がよってきて「どんなお車をお探しですか?」ときく。
「エコ減税のない燃費の悪いクルマ。」と答えると
「そういうお客さんは初めてです。」
GTRをひとしきり見ていた。
「エコ減税がないというとフーガ、ムラーノなどがありますが」
「Zだよ」
どうも売る方も2シーターのZは眼中にないらしい。
「試乗車は無いのかな。」
「県内に3台しかないようでなかなかまわってきません。」
結局売る気がないらしく私らの名前や住所を聞くわけでなく
並べてあるおみやげをくれるわけでもなく、アイスコーヒーを入れてくれるわけでもなく
ひやかしと思われたのか、単純にサービスが悪いのか。
それにしてもGTRはかっこいいな。
ちょっと大きすぎるとは思うがいろいろな機械や部品を詰め込むと
このくらいの大きさになってしまうのだろうか。
ドアを開けて中を見るには近くの係に言うように看板が張ってある。
(写真のドアのガラス参照)
シートは硬め、電動シートのようだがバッテリーが抜かれているらしく動かない。
接客は丁寧なのだが基本的に売る気が無いようである。
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