「こころのかさぶた」あとがき [2007年04月02日(月)]
昨日の記事、「こころのかさぶた」にたくさんのコメントをいただきまして、どうもありがとうございました
「こころのかさぶた」は、みなさんのブログにお邪魔しているときによく感じたことに触発されて書いたものです。それは、多くのみなさんが真剣に生きようとするあまり、じぶんの過去、現在についてきわめて厳しい評価を下しているということです。
たしかに、じぶんがかかわる過去の出来事や、現在のじぶんの姿をよく見つめ、なおすべきことはなおし、反省すべき点は反省することは、とても大切なことだと思います。
しかし、必要以上にじぶんを責めたり、そのできごとに執着することは、いわば、じぶんによるじぶんに対するいじめ、のような気がします。
いじめはいけません
じぶんの人生を過去・現在のじぶんをいじめることに費やすことより、未来のじぶんのために生きてほしいと思い、一文を寄せました。
本来なら、みなさまのコメントひとつひとつに対し、返礼を書くべきところです。しかし、当初みなさまが「こころのかさぶた」を読んだときに感じたこころの動き(ビー玉の色とかたち)が、わたしの返礼によって一定の方向に導かれてしまうおそれがあることを危惧し、あえて返礼を書きません。
失礼をお許しください
←やっと咲いたわが家の鉢植えのチューリップ
「こころのかさぶた」は、みなさんのブログにお邪魔しているときによく感じたことに触発されて書いたものです。それは、多くのみなさんが真剣に生きようとするあまり、じぶんの過去、現在についてきわめて厳しい評価を下しているということです。
たしかに、じぶんがかかわる過去の出来事や、現在のじぶんの姿をよく見つめ、なおすべきことはなおし、反省すべき点は反省することは、とても大切なことだと思います。
しかし、必要以上にじぶんを責めたり、そのできごとに執着することは、いわば、じぶんによるじぶんに対するいじめ、のような気がします。
いじめはいけません
じぶんの人生を過去・現在のじぶんをいじめることに費やすことより、未来のじぶんのために生きてほしいと思い、一文を寄せました。
本来なら、みなさまのコメントひとつひとつに対し、返礼を書くべきところです。しかし、当初みなさまが「こころのかさぶた」を読んだときに感じたこころの動き(ビー玉の色とかたち)が、わたしの返礼によって一定の方向に導かれてしまうおそれがあることを危惧し、あえて返礼を書きません。
失礼をお許しください
←やっと咲いたわが家の鉢植えのチューリップ