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age 0〜4 [2007年04月19日(木)]
昭和48年4月生まれの私は、ろくに病気をすることもなく、ミルクを飲ませればぐびぐび飲み、寝かしつければ5時間、6時間とがっつり寝る「ホントに手の掛からない楽な赤ちゃんだった」らしい。

3歳年上の兄は傲慢な性格、4歳年下の妹は我が儘。

父と母は仲が良くなくて、私の記憶の中に2人が笑って話している姿はひとつもない。


と言っても、鍋ややかんが飛び交うようなすさまじい喧嘩を繰り広げるわけではなく、お互いがお互いに無視しつつ、聞こえよがしに悪口を言い合っている。そんな感じだった。

0歳〜4歳くらいなんてほとんどの記憶がないものだ。

あとから聞いた話では2歳か3歳の頃、「床屋さんごっこ」と称して自分で自分の髪の毛を切ってしまい、ベリーショートの状態になったことがあるらしい。それから水たまりでシャンプーしていたこともあるらしい。とんでもない子供だったな、私。


それらのことは私の記憶の中にまったく残っていないのだけど、ひとつ記憶に残っていることがある。

4歳のとき。たぶん、妹が生まれて母が産婦人科に入院していたのだろう。父と兄と3人で泊まりで海に行ったことを覚えている。

子供用の小さな下駄がなくて、大きな下駄を引きずりながらあるいていたことをやけに覚えている。


初めての旅行でおまけに海。ドキドキワクワクしていいはずだが、私の記憶の中にはそんな感情がぜんぜんない。たぶん、母と離れて過ごすことが不安だったのだろう。

父は口数が少ないうえに、それほど子煩悩なタイプの人ではなかった。仕事も忙しくて私の日常の中に締める割合が少ない人だったから。


記憶に残っていないこの歳を私はどんな風に過ごしていたんだろう。

記憶に無い以上想像でしかないのだが、あまり手をかけられていなかったのではないかと思う。丈夫な私に対して兄はしょっちゅう熱を出したり、ひきつけを起こしたりしてとても手が掛かったらしい。

また、母は人間を見るときに顔重視的なところがあって、今でこそ切れ長の目をしている兄や妹は赤ちゃんの頃は「目がぱっちりしててほんとに可愛かった」らしい。

対する私と言えば、生まれたときから一重で母のお眼鏡にかなう顔はしていなかったのだろう。後々「あんたは平安時代に生まれていれば美人だったのにね」と言われる羽目になるのだ。


引っ込み思案で自分に自信のない人間になっていった私は、この頃に形成されたんだろうか?それとも生まれ持った性格なだけだろうか?

それでもまだこのころの私には希望や未来がたくさんあって、私にも綺麗な「色」があったはずだ。

私が「色」を失ったのはいったいいつからだったのか。
プロローグ [2007年04月17日(火)]
織田信長の時代、人生50年と言われていた。

今は、人生80年の時代。

私は漠然とだけれど自分は長生きしたとして60歳ちょっとくらいまでな気がする。

もしその予感が当たっているのなら34歳になろうとしている今、人生の半分を折り返している頃だ。

半分を超えたなら、「半生」を語っても許されるのではないか。
夜中に目を覚ましてしまう日が続いたこの頃、薄暗い天井を見つめながらそんなことを考えた。

綴ってみたところで、私の半生なんてそんなにドラマチックなものではない。

でも、一般的に見てけして幸せに育ったということもない。

地味〜に悩んで迷ってきた私の人生。今も時折、私の前に立ちはだかる。

白と黒の私に色が入るまで。思い出して、認めて、前に進め。