昔、昔の長野県・安曇野のあたりのお話です。
享保の大飢饉という飢饉は有名ですね。
八代将軍 吉宗。
そのころのお話です。
昔、享保の大飢饉が日本各地を襲った頃、
松本藩でももちろん、飢えに人々は苦しんでいました。
口べらしの為に
赤子を殺したり、老人を山に捨てに行ったり・・・
そんな地獄絵のような惨状に見かねて、松本藩の米蔵を
預っていた
「カスケ」は藩に黙って米蔵をあけ、
村人達が生き残るために、米を分け与えました。
役人はこれを許さず、カスケを処刑することとなりました。
ある、慈悲深い役人がせめてもの救いに、と
「最後に、お前の望みを一つだけ叶えてやろう」
といいました。するとカスケは
「私は信州・信濃の生まれでございます。
信濃の新そば食べて死にとうございます」
そういいました。
「あいや、分かった。」
そう役人は返事をしたものの、その日がちょうど、
蕎麦の種を植えた日でした。
仕方なく、蕎麦が収穫されるまでの
75日間処刑が
延ばされたのです。
そこで生まれた言葉が
初もの食べると75日長生き。
その
75日の間に人の口から口へ、
そして目安箱から、お殿様へ・・・
カスケのお話しが伝わったのです。
そこで生まれた言葉が
人のうわさも75日。
「民あっての国ではないか」
お殿様はカスケの処刑を取りやめるように
使いを送りました。
ですが、その使いの者が松本に着いた時には
まさに、処刑が執り行われようとしているところでした。
カスケの周りにはたくさんの人垣ができています。
使いの者は離れたところで馬上から
「その処刑、取りやめ
取やめ
」
と、大きく手を振ったら、処刑をする役人達は
「殿様の使いが早よせい、早よせい、とゆうてなさる」
と勘違いし、処刑は執り行われてしまいました・・・。
カスケは
「民の心の分からぬお殿様よ・・・
この恨み、松本城に残してやる・・・!」
と、目隠しを断り、松本城をにらみつけたまま、処刑されました。
今でも、松本城はカスケがにらみつけた西の方に少し
傾いているんだとか・・・。
ほんとにこのネタには大変お世話になりました
長野や蕎麦の産地って、たいてい歴史や、
おもしろい話ってないんですよね。
この話し、しょっちゅう使ってました。
この話しを教えてくれた先輩に感謝です
先輩に聞いた意外、テキストや本・テレビ・・・
一切聞いたことない
いつも、この話をした後は拍手喝采でした