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のびて のびて おおきくなあれ [2007年12月30日(日)]
高校2年生の3男くんが

こんな事を言っていた

「母さん、オレが小さい時に、のびて、のびて・・・ってやってくれたよね」

えっ、覚えてるんだね〜 (T_T)

彼が1歳の頃から小学校に入るくらいまで

朝起きたら必ず布団の上で

「のびて、のびて、のびて

のびて、のびて、のびて

のびて、のびて、おおきくなぁれ」

って、体を擦っておのびをさせていました

あの母の幸せの時間を

高校生になっても覚えてるんだ

子育ては、その場ではなかなかほめられる事は少なくて

時々、何の為に頑張ってるのかわからなくなる事もあるけれど

今子育て頑張っているママ達は

何年も経ってから、こんな風にご褒美がもらえる事を

どうか、忘れないでいてください
空も飛べるはず [2007年12月21日(金)]
10年くらい前の事です

主人が仕事中の事故で

右手の指をつぶして入院してしまいました

握力は元に戻らないし

運転も無理だろうし

右手で字を書く事も出来ないだろうし

このまま仕事が続けられるのか・・・

生活はどうなってしまうのだろう・・・

まだ子供達は小6・小3・小1の頃でした

「私が泣いていてはダメだ!」

「私が家族を支えなくては!」

子供たちの前では強い母

主人の前では何も動じていない強い妻

を演じていました

看護師さん達に

「ご主人大きなケガしたのに、クールな奥さんね」

と言われる位人前ではケロケロしていました

実際に、私が家族を食べさせていくんだと覚悟もしていましたが

本当は自分自身が一杯一杯でした

そんな中、子供達がカラオケに行きたいと言い出しました

「こんな時期にカラオケか・・・でも子供たちが行きたいなら・・・」

と思い3人を連れて行きました

カラオケボックスに着くと、3人の子供たちは前に並びました

そして少しモジモジしながら、お互いに突っつきあった後

3人声をそろえて、こう言いました

「おかあさん、がんばっているから、ぼくたちから、うたのプレゼントがあります」

3人が歌ってくれたのが「空も飛べるはず」でした

一人で抱え込んでいたヨロイが外れて

解けて無くなっていく間涙がとまりませんでした

頑張っているのは私だけだと思いました

私が家族を支えているんだと思いました

でも、支えられていたのは私の方だったんですね

3人の歌は、私の心の奥底へしみ込んでいきました
子供たちの願い [2007年12月20日(木)]
子供たちの書くお絵かきの私は

いつも笑っていました

それはきっと

「いつもそこで笑っていてね」

という子供たちの願いだっただと思います

子供たちを育てている間に

ようやく私は親にさせてもらい

人としてのあり方を学びました

子供たちの願いは私を変えました

一点の曇りもなく私を必要としてくれる人がこの世にいる事

こんなにも愛おしい相手がいてくれる事

自分の命を掛けても惜しくない相手がいる事に

ただ、ただ感謝したい気持ちです

大きくなった今でも私の宝物である事に変わりありません

いつか、私への願いは

自分の願いへと変り

大切な人への願いに変わっても

ずっと私の宝物に変わりないと思います

そのまま、誰かを愛している子供が

そこにいてくれる事が私の幸せだと感じています
言葉ってすごい [2007年12月05日(水)]
人の体を動す大きな要因になるのはイメージです
そしてイメージを作り出しているのは言葉やつぶやきです
何を聞いて何をイメージしたか
自分で何をつぶやいて、そこから何をイメージしたかがポイントです

「落としちゃいけない」
と言われた人、つぶやいた人は、どんなイメージを描いているかというと
一旦落としているシーンをイメージしてから、そうならないように頑張ろうとする
自分では「そうならないようにしよう」でも
イメージは確実に「落とす」シーンを思いえがいているから
自分の体は、イメージに反応させられてしまうのです
「落とさないよう」に行動したり、してもらいたいのなら
「しっかり、まっすぐ持っている自分」がイメージできる言葉が重要
これさえできたら、イメージに影響されて行動は願い通りになりやすいのです
「落とさないように」ではなく
「まっすぐ持てば大丈夫」と聞いたり、つぶやくと
そこでイメージしたシーンに向って体は動かされるのです
「三振だけはしないでね」は三振しているシーンを思い浮かべるから
「楽に、ヒットを打てばいい」と言えば良いのです
何に気をつけたら良いのかと言うと
@ その言葉を聞いた人、聞いた自分がまず何をイメージするのか考える
A 願い通りのイメージ、1シーンを思い描ける言葉ならOK
※ コツは否定語を入れない事です
「・・・しないように」ではなく「・・・出来ればOK」という言い方で
出来ているイメージが描かれていくわけです

コツわかれば子育てでも、仕事でも、自分の目標にも、大きな影響があります
「失敗しないでね」「あせるなよ」「こぼさないでね」・・・ってよく使いますよね〜
子育てにも言葉は大切です
子供のイメージを作り、行動を創って行くのですから
言葉に、子供への願いをこめて使うと
言霊にのって子供に伝わります
どうしようもない事&どうにか出来そうな事 [2007年12月04日(火)]
コーチングを行う時に必要な視点があります
「どうしようもない事」と「どうにかできる事」を自分で区別してみる事です
これを知っていると子育てが楽しくなる視点の1つでもあります
子供が反抗期の時は、言う事を利いてくれなくなります
反抗期を止めさせようとするとお互いに苦しくなります
だって反抗期は成長の過程ですから、どうしようもない事の1つです
「この子の人生の貴重な時期だから、しっかりと受入れようかな」
と味わい始めると、その行動も発言も結構おもしろかったりします
後で主人に報告するネタの一つだと思って見ていくと段々
反抗期の子供が愛おしく思えてきます

そして、どうにかできる事に目を向けてみます
「ねぇ、ねぇ、今どんな気分?」ってインタビューしてみるとか
「何か私にできる事はありそう?」って聞いて見るとか
放っといてみるとか
結果が出る事をしようとすると
子供の反応に左右されてイライラしてしまうから
色々試してみる事に価値を置いてみるなんてどうでしょうか
子供にとって反抗期も初めてだけど
母親にとっても始めての体験なのだから
「どうしようもない事」を何とかしようとせずに
「どうにかできる事」をたくさんやってみるうちに
「あれ?昨日までの反抗はどうしちゃったの?」
と終わってしまったりします
アトピーの子が生まれたら
「何でアトピーなの・・・」と充分に悲しんで良いと思います
動かす事のできない事をしっかり味わって気持ちが落ち着いたら
動かせる事、どうにかできる事に気持ちを集中すれば良いと思います
そして、それでも辛くなったら
「今日は、どうしようもない事に泣いても良い日にしよう」
って又味わえば良いと思います
子育てで「どうしようもない事」まで変えようとして悩んではいませんか?
1人だけで抱え込むと辛くなります
あなたはすでに頑張っています
そして忘れないでください
あなたは一人ではないです
三男くんへの願い [2007年12月02日(日)]
三男くんは、スーパースターです

小学校の時から個人懇談会に行くと担任の先生から

「どうしたらあんな子供が育つのか聞かせてください」

と握手を求められました

中学校の時は生徒会長をしながら

サッカー部のキャプテンをして県大会で優勝もしました

職員室に行くと

「古くからある、引っ込み思案の風習を変える程、同年代に影響力もあり、

学年が変るクラス編成の時、職員で取り合いになるんです」と言われ

卒業式では生徒代表の答辞で、用意した文章を閉じて自らの言葉で

「先生方、そして支えてくれた両親に感謝します」

と言って、保護者の方からも絶賛していただきました

親が見ても、スーパースターだと思います

だから、彼の事が1番心配です

自分のあり方を見失っていないでしょうか

3男くんは周囲から、出来て当たり前」の期待の中で生きています

「強く、立派でなくてはいけない」

「優等生でなくてはいけない」

「勝たなければいけない」

と、自分のあり方を見失ってはいないでしょうか

スーパースターを演じなくて良い

人から評価され、絶賛されるから

あなたに価値がある訳ではない

そのままのあなたを愛しています

人の評価は、1つの側面から見た結果でしかありません

結果ではなく、あなたの人生のプロセスを全うしてほしい

今、親元を離れてサッカー部の寮生活をしている彼に

私の思いが届く事が、私の願いです
長男くんはすごい [2007年12月01日(土)]
長男くんは板前さん修業中の22歳
「この子と結婚した相手の人は幸せだなあ」といつも思う
受け止める力、受入れる力を持っているのに
そこに努力も、覚悟もない
だから、一緒にいると本当に自分も楽でいられる
何かあっても、長男くんは自分の軸から外れない
だから良い事も悪い事も堂々と受入れてバタバタしない
凛としていて、おだやかだから
一緒にいると楽で、元気が出て、自分の心地良い居場所を感じる
毎日朝から夜中まで、和食のお店で修行を重ねている彼は
世の中がお休みモードの時が忙しく泊り込みになるし
お休みは少ない
私の安心の為に「大丈夫なの?」って聞いたら
長男くんはこう答えました
「はい。そういう風に育ててもらいましたから」
ク〜ツ!また彼の言葉にしびれました
アトピーの次男くんから教えてもらった事 [2007年11月30日(金)]
次男くんは今19歳
生まれる日から長男の時とは全てが違っていました
出産時、担当医の先生は私が破水したのを見て
「わっ!」と声を上げました
羊水がドロドロだったからです
何とか無事に出産はしましたが
生まれて直ぐに紫色・・・
そして新生児室に寝かされる頃には真っ白になりました
他の赤ちゃんが文字通り真っ赤になって泣いている中で
皮肉なもんですね、次男くん一人だけが白くて綺麗な赤ちゃんに見えました
湿疹は、退院してすぐに出てきました
「アトピーなの?でも明日には良くなっているかも・・・」
と、だましだましの時間を過ごし、ようやく覚悟を決めて
アレルギー外来に通院し始めたのは生後1ヶ月後の頃でした
重度のアレルギー、絵に描いたようなアトピーっ子でした
検査の結果、食べ物の制限は・・・食べるものを挙げる方が早いくらいでした
5歳の長男くんが牛乳をこぼして何度も拭いた床をハイハイするだけで
手がはれて、その手で顔を触るから、顔中湿疹で真っ赤になりました
ハウスダストや、ほこりの反応もあったので、1日に何度も掃除機をかけました
母乳で育てたので、自分も同じ食物の制限をしましたが
どんなに気をつけて決まったものしか食べないようにしても
どんなに気をつけて1日に何度も掃除機を掛けて生活していても
一向に改善はされませんでした
塗り薬に、飲み薬、血液検査の注射も、1度も嫌がらない次男くんが
余計に不憫に思えて、私は泣いてばかりでした
公園に連れて行っても、あまりの湿疹と膿だらけの次男くんを見て
他のお母さん達は自分の子供さんを連れて離れて行かれました
仕方ないですね、耳たぶも3cm程裂けて
顔も体も、黄色い膿で覆われてましたからね
こんな状態で、小学校に入学できるのだろうか
就職も、結婚も・・・無理だろう
アレルギー反応で呼吸困難になり危篤状態も経験しました
大人になるまで、生きている事はできるのだろうか・・・
毎日、毎日、何度も彼に懺悔して
私は泣いてばかりでした
もし彼に何かあったら私も後を追おうとも思っていました
長男くんは、私が泣いていると
「よしよし」と言って頭をなでてくれ、余計に泣けました

そんなある日、私は気付きました
「次男くんを他の子と比べるから苦しくなるんだ」って
「どうして、こんな子が生まれたのだろう・・・」と抵抗するのではなく
今、目の前にいるこの子を受入れて
私が今できるだけの事をすればいい
結果に振り回されずに、目の前の事を受入れてこの子と生きていこう
そう思ったら落ち着きました
気持ちが落ち着いた頃に、多くの方の出逢いがあって
一足飛びに改善はしませんでしたが
アトピーが落ち着き、喘息に形を変えましたが
いつも、その時に出来る事を一緒にやって来ました
そして次男くんは、今元気な青年に成長しています

「もの創りを通じて世の中に貢献したい」という願いが通じて
今年の春に、世界1の自動車会社の一員にならせていただき
毎日、感謝の中で仕事をさせていただいています
次男くんは、自分を他の人と比べたりしません
自分を大切に生きて行く力を持った青年になりました
だから、自分に強く、そして人にやさしいのだと思います
あなたの母をさせてもらって
私はようやく「自分のあり方」にたどり着けそうです
子供を産んだら母になるのではなく
子供を育てて母にさせてもらい、人にならせてもらうのだと
ようやく自分が何者なのか見えてきました