広汎性発達障害の兄弟の子育てに奮闘しています!
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私自身はひどい偏頭痛に悩まされ治療中です。
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思い出のスーザフォン [2011年08月11日(木)]
私の肩こり歴は長いです!

それは 中学生から始まりました・・・

きっかけは スーザフォン。

こちらのことね。



YSH-301 ヤマハのマーチング用チューバですな!

とっても大きくて重たいこの楽器・・

なんと9・1Kg


これでも 商品説明には堂々と

軽量化に成功

・・・と書いてある。

そうか。

そうなのか。

重いけどな・・・・

肩にめりこむように重かったけどな!!

ちなみに これの中にスポンと入って

左肩だけに乗っけて歩きながら吹いたりするのである。

初めて私がスーザフォンを吹いたのは 

中学1年生の時。

いやーーーーー

肩 腫れました。


それから 両肩のバランスがヘンになり・・。

肩こりも慢性化。

毎年 体育祭にマーチングを披露することになっていた

我が吹奏楽部。

練習は夏休みから始まるのだが

これがもーーーー暑い。

灼熱の太陽の元 ひたすら等間隔に歩く練習やら

回る練習やら フォーメーションの練習・・・

気が狂いそうになるが楽しかった!

曲が入ると 足がついてこない。

足に集中すると 手がおぼつかない。

スーザフォンはリズム隊だし それはやっちゃなんねー!

必死でしたが おくれちゃなんねえ!!

優雅に歩けていたかって・・・

多分無理でしたね

めっちゃ必死の形相。

それでも思い出深かったのが3年生の時。

ずっと、伝統の業があったのですが

私が女の子だからと封印してきたことがありました。

それは このスーザフォンをなんと持ち上げて

頭の上でクルクル回転させる「スーザ・マーチ」

ずっと男の先輩達が伝統でやってきたことを

私が女だから途絶えさせてしまっていたのです・・・

どうしてもそれがイヤで

3年生の時に 顧問の先生に「やりたい!」と訴え

卒業した先輩に教えてもらい

何度も何度も失敗しながら青あざをつくり・・・

重たいスーザフォンがそんなに簡単に持ち上がるはずもなく。

本番を迎えました。

母も見守る中、本番を迎え・・・

ドラムが響く中、私と2年生の男の子は中央に立ち、楽器を逆さまに。

そのあとは、夢中でよく覚えていなかったのですが

スーザフォンを身体のまわりでまわしたり

頭の上でまわしたり、とにかく落とさないように

必死でやりました。

終って、拍手をもらって定位置に戻った時の安堵感は

忘れられません。

その日、用事があって職員室に行ったら

ある先生が

「ちさちさ!!!!!!」って大声でさけんで

「オレは感動した!!もう見られないと思ってたから

まさかお前で見られるなんて!!

いつ練習してたんや!!

ようやったなあー!!

頑張ったなあ!!!!」

そう言って肩をバンバン叩いてくれたんです。

K先生、私はあれが本当に嬉しかったんですよ。

伝統が守れたこともだけど

頑張って良かったと 何より思えました。

見てくれている人がいるというのは

本当に大切なんですね。

こんな色々な思い出がつまったスーザフォン。

重たいだけではないな・・・

よく考えたら・・・・

いいこともあったね

今 持ったら崩れるだろうなぁ〜〜

でも もう1回吹いてみたいです
Posted at 19:50 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(4) | トラックバック(0)
高校時代 [2011年07月25日(月)]
なつかし〜〜い写真発見

なんと高校生の時の写真です!!

毎日毎日 部活ばっかりしてた高校時代。

ずっと楽器のことしか考えてませんでした。

ええ、勉強なんて・・・・

してないよ(笑)

まあ、それは置いといて

朝練するほど 楽器が好きだったんです



私が吹いていたのはチューバです。

向かって右側の でかい楽器がそうです。




ルーズソックスはいてる

楽器も 高校の時に買って卒業の時にまた買って・・

しめて 車が買えるぐらいのローンは組んだなあ・・

後悔はしてないけど 苦労はしたね(笑)

大きな楽器のおかげで 泣くぐらい移動も大変だったし

電車もバスも乗るの大変だった。

電車の乗り換えするの 走れないし

重いから背負って歩くんだけど

肩こりで頭痛が出てくじけてた

それもまた 懐かしい思い出



休みなんていらなかった

ただ 楽譜があれば幸せで

上手くなかったけど

練習が好きなわけでもなかったけど

それでも 渡り廊下で吹いたこととか

合奏の空気とか  

今でも ふいに思い出すよ。

懐かしくて ものすごく 大切な思い出。



兄弟にも こんな宝物みたいな経験が出来ますように。


Posted at 20:28 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)
昔の記事 [2010年11月10日(水)]
ふと、昔の記事を読み返してみた。

アラ・・・・

昔の記事の方が、なんだか楽しげだなあ

最近は、ちょっとナーバスな記事が多いですよね。

でも 現実を知ってもらいたくて

色々 真実を書いてます・・・・。

こんな暗いブログではおもしろくないだろうなあ

それでも!

ここで吐き出していいよ、って言ってくださるので

遠慮なく書いています。

こんな私のブログを読んで下さっている皆様。

本当にありがとうございます。

応援マークやコメントに励まされながら

明日も頑張りたいと思います。




寝る前に、将ちゃんともう一度指きりをしました。

「小さな約束」の再確認です。

私にも、将ちゃんにも勇気が出る約束は

きっと、いい方向に結果が出ると思っています
Posted at 22:42 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
思い出 [2010年02月16日(火)]
時々思い出す子がいる。

いじめられている、って感じでもなかったけど

みんなから避けられていた。

その子にとって学校は決して楽しい場所じゃなかっただろう。

途中で転校していったけど 元気かなあ。

同い年なんだから彼女だって30歳はこえている。

今、どんな暮らしをしているんだろう。

あの時の思いを忘れることはないだろう。




手を差し伸べれば良かった。

もっと話したらどんな子かわかったかもしれないのに。

得意なこととか話せたかなあ。


休み時間 一緒に遊んだりしたのだろうか。

私はずるい。

直接いじめはしなかったけど彼女に手は差し伸べなかった。




今将ちゃんが「いじめられている」と言う度に

彼女のことが頭をよぎる。

からかいは紙一重でいじめに変わる。

将ちゃんも泣いて帰ってくるわけではない。

時々ぽつりと「悲しかった」と言うだけだ。


親になってしみじみ思う。

兄弟には優しい子に育って欲しい。

多少バカでもその方がずっといい。

命を重んじて大切に育ってほしい。



そう思って2人を抱きしめる。
Posted at 19:41 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
部活って何してた? [2009年11月26日(木)]
皆さん部活って何してました?

私は何度か書きましたが吹奏楽部でした。

チューバという金管楽器で一番重い楽器を担当。

なぜかって言うと当時の私は今と同じぐらい身長があり

たいてい男子が担当する楽器なのに

入部した男子3人がみんな小さいかガリガリで

チューバなんて無理!状態だったのです

そして私は幼なじみがチューバをしていたので

えいっ!とチューバを担当することに決めたんです。

でもチューバって低音楽器。

いつも縁の下の力持ち。

主役のメロディーなんて回ってこないんですよ。

みんな高らかにソロとかメインのメロディー吹いてるのに。

当時はおもしろさが分からなかった私。

でも吹奏楽は大好きだったので高校でも続けました。

専門学校も行きましたがレベルの差に唖然。

私は1年で辞めてしまいました。

学費も高かったし・・・何より私の実力ではもったいなかった。

音楽で就職しようと思うと大変なんですよね・・・・。

私はリペアを学んでいましたが

ドンくさい手なので修理も学んでもあまりに成績が悪く

本当に親に申し訳なくてやめました。

そのころ今働いているスーパーで準社員にしてもらい

夫と出会い、将ちゃんがおなかに来てくれたのです。

もちろん産前6週まで働きましたよ。

「授かり婚」だったのでお金がなく私はマイ楽器を売りました

夫も車を売りました。

私は楽器を合計3台買ったんですが3台目のローンが

終った頃に将ちゃんポン。発覚。

なので本当にお金がなくてなくて。

夫のお母さんに色々買ってもらってしまいました。

お義母さんあの時はありがとうございました

うちの母もおばあちゃんの使ってた家電をもらってくれたり

引越し当時はビンボー超ビンボー



話がそれました。

この間の運動会で中学生がファンファーレとか色々吹いて

くれたんですが

低音が利いててめっちゃカッコよかったんですよ。

その時初めて低音の大切さを知りました。

めっちゃカッコイイ楽器を担当したんやなあ。

嬉しかったですよ、正直。

また兄弟の手が離れたらやってみたいなあ。

皆さんにはそんな思い出、ありますか?
Posted at 11:31 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(7) | トラックバック(0)
 [2009年05月02日(土)]
結婚当初の家はお風呂が怖かった。

古いし、手動式のなんかレバーまわして火をつけるタイプので

湯船が狭く、そして高さがあるためチビの私は臨月の時

もう湯船に入るのが大変で大変で仕方なかった。

それでも将ちゃんのときは自分のことだけ考えてりゃいいから

シャワーですませればいいけど

あーちゃんがお腹にいる時は将ちゃんだけ風呂にいれ

見守っていなければおぼれるかもしれない1歳児と

のんびり風呂に入ったものだった。

そしてあーちゃんが生まれた。

お風呂は最大の課題であった。

夫はいない、夕方。

将ちゃんは下手すると寝てしまう夕方にどうしても

風呂に入れてしまいたい。

しかし首の座ってないと2歳児でどうやっていれりゃ

いいんだろう。

自分は少なくても洗えない。

悩んでいたらお隣さんに

「赤ちゃんは昼間入れたらええんちゃう?」と言われ

目からうろこ。

そーよ。

何も一緒に入れなくてもいいわけよ!!!!

で、将ちゃんが保育所行ってる間にあーちゃんを入れ

あーちゃんが飲んでご満悦のときに

将ちゃんとマッハで入っていた。

とりあえず将ちゃんを洗い湯船に突っ込み

私をザザッと洗う。

そうすると将ちゃんはその頃あったまってて「上がる」となる。

で、自分は髪の毛だけまとめて

将ちゃんを拭きつつあーちゃんが寝てるかチェック。

パジャマの将ちゃんを脱衣所から出し、やっと自分の番。

ってゆうかいつも自然乾燥してたよ

これまた適当に頭を拭いて乾かして・・・

当時あまりに急がなければと思いリンスインシャンプーでした。

すすぐの1回ですむからね。

古いマンションだったから玄関扉が内開きとか

やたらとベランダの扉が重いとか大変でしたが

思い出深い家でした。

結局4年ぐらい住んで今の家を買いました。

もースイッチでお風呂沸くの!?

クローゼットあんの!?

台所こんなに広いの?

ベランダも広いの!?って

夫婦でおおはしゃぎでした。

丁度将ちゃんの自閉症がわかったころだったんで

引越しは賭けでしたが

将ちゃんを連れて何度も下見に来たことや

おもちゃを先に運んだことにより解決。

パニックもなくなじんだ将ちゃんでした。

ちなみにあーちゃんは当時8ヶ月。

なにも覚えちゃいまい。

今の家は玄関から部屋がすぐなので

8ヶ月のあーちゃんは必死でみんなの靴を家の中にいれる、という

犬のようなことをしてたっけ。

あとは掃除用の歯ブラシで歯を磨いたりの

うっかり悪行もやってたなあ。

そして9ヶ月で立って10ヶ月で歩いて追いかけるのが大変でした。

将ちゃんは大荒れの時期。

精神的に大変だったのはこの頃からかなぁ。

引越しして色々変わったりしたけど

兄弟の爆裂は変わりません。

お風呂は広くなってみんな喜び。

部屋も増え広くなり。

なのにみんなリビングにしかいない。

休みの日はリビングでわらわら〜〜〜

部屋が増えても増えた部屋にはほとんど行かず。

結局貧乏性?みたいな???

でもこの家はいつか兄弟にあげるのです。

私はこの家のローンが終れば

夫の実家の側に住もうかなと思ってます。

今は私の我がままでここに住んでますので・・・

今度は私がお義父さん、お義母さんに親孝行したいんです。

だから兄弟よ、さっさと自立よろしく。

そんなに上手くいくかはわかんないけどね
Posted at 01:51 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
思い出の吹奏楽 D [2008年06月02日(月)]
さて。

2号は専門学校に行くために必要でしたので

買わざるを得ない、というか・・・・

またまたタイミングよくヤマハの新品が格安で

手に入ったのです


格安と言っても60万以上しましたよ。

まさにローン地獄

毎月母にすこしずつ返しました

専門学校で私は自分の実力の無さに気が付いて

この道は無理だ!と悟り学校は辞めました

で、買ったものの大きすぎるチューバ・・・

部屋に置いとくだけで邪魔

音がでかいから おいそれと吹けやしないし・・・

持ち運ぶだけでもえらいこっちゃ。

で、早々に売ることに

もう一回り小さいユーフォニウムに買い換えました

で、チューバを引き取ってもらって、ユーフォニウムを買ったんですが

それでもまた20万円ローン組みました(アホですね)

すると今度は仕事が忙しくなり吹く暇がないっ!

そうこうしている間に将ちゃんがお腹に来て・・・・

ユーフォニウムは現金に化けたのでした

今頃きっとどこかで誰かがかわいがってくれていることでしょう。

Eへ
Posted at 19:32 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
思い出の吹奏楽 C [2008年05月30日(金)]
ブラバンシリーズCです


さてここは関西では有名すぎるほど有名なG店。

偶然通りかかった時に手招きされ、店に入ると・・・

チューバの中古が1台、ドーンと置いてあった。

そして興奮気味に

「これ!買わない!?」


あまりに突然の交渉でたじろぐ私。

当然だ。

ハードケースに入れたら一畳分はある楽器ですよ。

「いや〜、これ今入ったばっかりなんだ。ちさちさちゃんが行く高校には

チューバないはずだから・・・どうかと思って!



私も楽器吹き。マイ楽器、欲しいに決まってる。

でも・・・・

デカイ、ゆえに高い

でも中古だし・・・

「えと、状態もいいしきれいだし、欲しいのは欲しいんですけど

なんせの問題が

「それなんだけど!これ、すっごく安いんだよ。

ちょっと凹みがあるから新品なら64万円のとこ

ソフトケース(2万円相当)をつけて25万でどう?




「めっちゃ安いっ!!!」


あくまで中学生の時の話ですからね。

でもでも値段を聞いたら本当に欲しくなっちゃった私。

「家に帰って母に相談してきていいですか?」と言って一旦帰宅

貯金をはたき、母に借金をして無事マイ楽器を手に入れることができました

その楽器は今、神戸の吹奏楽団でチューバやってる人が

吹いてくれているはずです

高校時代はその楽器でずっと頑張りました

本当に愛着がありましたが、専門学校進学と共に

もう少しグレードの高いモノに買い換えることに。

そして1号は15万円で売られていきました・・・・

Dに
Posted at 13:48 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(4) | トラックバック(0)
思い出の吹奏楽B [2008年05月30日(金)]
今日は仕事はやく上がれたんで時間に余裕が

なので記事多くなるかと思いますがご了承下さい。

ブラバンシリーズB です

さて。




夏と言えばコンクール

地区予選があって県大会があって・・・・

私は最高でも県大会までしか行ったことがないので

それ以上のことはわからにゃい

中学生の時は課題曲・自由曲本当に苦労して練習しました。

まず楽器がくそ重たい

ハードケースに入れて移動するのは一苦労

コンクールや演奏会で場所移動させるの毎回気が重かったです

なぜ音楽室は

4階にあるんだ!!
血の叫び

コンクール会場はいつも神戸文化ホールの大ホール

そこで何回吹いたっけ・・・

とにかくあのステージに上がって

ライトが当たる瞬間が大好きでした。

少し熱いライトでも心はいつもうきうきしてた。

あんまり上手でもないうちの中学校(今は有名らしいが!?)

それでも結果を聞くときはドキドキドキドキ

結果は金・銀賞とさらに金賞の中から県大会に行く学校が選ばれる。

うちの中学校は金賞だった。

まさか金賞が取れると思ってなかったのでみんなで大泣きして喜んだ

県大会には行けなかったけど

「金賞が取れた」って言うのはすごく自信になった経験でした。

それよりも

あのみんなで金賞を喜んだ瞬間が忘れられません

本当に、感動 だった。

朝早く起きて練習したこと。

怒られながら練習したこと。

みんなに支えられて練習したこと・・・・


私の中学生時代は主に吹奏楽でいっぱい。

勉強なんかしたことなかったように思う



楽しかったなあ、部活。

私は兄弟にもぜひ部活を一生懸命やってほしい。

あの時の感動のように、きらめいた瞬間を感じて欲しいと願ってる


さて

卒業・・・・

高校にも無事受かり、入学式の前に、ある楽器屋に立ち寄った私。

正確には、店の前を通りかかったら手招きで呼ばれたのだ。


その日はヤマハの中古のチューバが売りに出された日のことだった。

Cへ
Posted at 13:26 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
思い出の吹奏楽A [2008年05月26日(月)]
さて、仮入部が始まりました。

色んなパートの部屋に行って、実際に楽器を吹かせてもらいます。

人気があったのはやはり、フルート、クラリネットかな?

サックスも人気ありましたね〜〜〜。

トランペットも花形!って感じでワイワイしてたな。



私は色々なとこを体験して、吹かせてもらって、考えた。

まずパーカッションは無理だと判断した。

なぜなら全くドラムセットが叩けなかったから。

イヤ、もちろんパーカッションってそれだけじゃないですよ!!

その時は、もう自分のリズム感の無さに落ち込んでいたんですよ。

(ってゆうかリズム感ないとどの楽器でもアウトなんでは。自分よ。)
そしてホルンも

マウスピースがとても小さいホルン。

私は唇までもが不器用なのかろくに音が出なかった

そしてサックスも

クラリネットに比べると同じリードを使う楽器なのに難しい!と感じたのだ。

・・・と、言うか。

リード(消耗品)を使う楽器はパスしよう、と思っていた。

リードによってその日その日の調子が変わるのは大変じゃないですか!

私にそんな管理は無理〜〜〜

無理無理!と、勝手に思い込んでいた

・・・・となると・・・

フルートは競争率高いな。やめとこかな〜〜〜

トロンボーン・・・

あれはすごく難しいような気がする・・・



ユーフォニウム・・・なんだろう。なんだろう、あの楽器。いい音だ・・


チューバ・・・でかすぎだろ。女の子が吹く楽器じゃないよっ






そう思っていたのに!




なぜそうなったかは はしょりますが、


私は結局チューバ吹きになったのです



チューバって、これです。↑

金管楽器の中で一番大きな楽器です
ちょっとヤマハから画像を拝借してきたよ


運ぶだけでも一苦労

吹くのはもっと一苦労

帰る頃には疲労困憊


でも楽しかった中学時代・・・

次回はコンクールのことについてなど、語ろうかな。
Posted at 15:07 | 昔のこと | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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