朝食:山芋薯蕷(鶏卵、青海苔)、白子、糅飯、
味噌汁(滑子茸)、海苔佃煮、香、梅干、
ミルクティー
昼食:粥(豚肉、大根、白菜、葱)、香
夕食:チャパティー、ビール
間食:牛乳
天気が悪いので、終日家で読書。
以下、「江戸切絵図」をながめながらの
メモ。
「両国橋」は、武蔵と下総の間に架かる橋。隅田川の東は下総国だった。
隅田川の東岸地域を「本所」という。下総葛飾郡本所○○村
その後江戸の人口が増え、東岸の一部が江戸に編入された。(時期については諸説あり)
今の江戸川までの地域
(葛飾の西部〔葛西〕)を武蔵国に合併した。(時期については諸説あり)
『尾張屋板江戸切絵図』の「本所絵図」
(1863年)には「両国」という町名はない。
西岸のエリアである日本橋側は「日本橋北内神田両国浜町明細絵図」
(1859年)となっている。
川岸に「両国広小路」
(火除地)があるが「両国」という町名はない。
もっと古い「近江屋板の絵図」には「鎧之渡柳原両国箱崎辺絵図」とあるが「両国」という町名はない。広小路はあるが「両国広小路」の表記はない。
下って、明治11年と20年の東京地図の日本橋エリアにも「両国」という町名はない。
もっと下って、明治40年と45年の東京地図にもない。
もっと/\下り、昭和20年敗戦直後の『35区区分地図帖』に、かつての「米沢町」「薬研堀町」のあたりが「両国」となっている。
※大正から昭和初年(震災前後)の地図が手許にないので、その間の町名改竄については不明。
さて、とあるヘド本に「…両国、武蔵、上総など
云々」とあった*。
おそらく「両国=下総(千葉県北部)、武蔵=埼玉、上総=千葉県南部(下総の南)」のつもりなのだろう。江戸も武蔵国なのに。
すなおに「(今の)千葉や埼玉に」とでも書けばよかったのに、こんなところで馬脚を露わすのね。
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