朝食:奴豆腐青唐がらし〈精・夏・36〉、柱粥、かくや古漬、紅茶(牛乳)
昼食:生利胡瓜揉み〈魚・夏・36〉、金平牛蒡〈精・雑・小〉、源平飯、
味噌汁(滑子)、香、梅干、白湯
夕食:すっぱム〜チョ、
マヨネーズド・トースト、白葡萄酒、酎ハイ、生姜湯
間食:丸ぼうろ、インスタントコーヒー
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以前にも書きましたが、おかず番附にキュウリが出てくるのは、この「なまりきうりもみ」1つしかありません。
また「取合一覧」にも「三杯酢」に「きうり」と1つあるのみです。
同じ番附にはナスが7つ、行司の「なすびづけ」を加えると8つも載っているのです。
そのキュウリ、どうやら江戸時代にはそうとう嫌われていたようでありまして、
「黄瓜又の名ハ胡瓜
(こくわ)、是下品の瓜にて云々」
(『農業全書』)
「大抵蔬として佳からず。惟塩漬・糟漬にして蔵し香物とするに佳し云々」
(『本朝食鑑』)
貝原益軒も「是瓜類の下品也。味よからず。且小毒あり。性あしく只ほし瓜とすべし云々」
(『菜譜』)
水戸黄門にいたっては「此瓜穢多し、食して仏神へ参詣すべからず(中略)植るべからず、食すべからず」
(『西山遺事』)とクソミソにけなしている。
よくもまあこうも嫌われたものだと、感心してしまったくらいなのであります。
これだけ嫌われていながら、絶滅しなかったのがかえって不思議で。
ところで『本朝食鑑』には「塩漬・糟漬にして蔵し」とあって、糠漬がないのが気になる。
はたしてキュウリの糠漬けはあったのか。
あったとしても青々としたものではなかったことだけは確かで、これより100年ほど前、ルイス・フロイスの『日本覚書』
(1585)に
「われらにおいては、果物はすべて熟したものを食べ、胡瓜だけは未熟のものを食べる。日本人はすべての果物を未熟のまま食べ、胡瓜だけはすっかり黄色に熟したのを食べる」(「毛嫌いした」とは書いていないから、この時代には嫌われていなかったのか)
と書いてあるので、黄色くなってから食べていたようだ。ただし「だから黄瓜と書く」というのは附会。
したがって、青いキュウリの漬け物を江戸料理と称したら、それは嘘っぱち。
明治の終り頃に半白という品種ができてから、普及したのだそうだ。