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和気在貫
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毎日一品江戸料理 あみざこからいり [2012年08月31日(金)]

朝食:滑子粥(葱・庄内麩・腐乳)、香、紅茶(牛乳)
昼食:味噌豆(葱・青海苔・芥子醤油)、醤蝦雑魚若布と黄瓜の三杯、五穀飯、味噌汁(韮)、生玉子、香、白湯
夕食:豆腐田楽、サッポロ・ポテト(BBQ)、酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:上越国際の帰り道、ベルギアン・ワッフル、酎ハイ



 
 

おかず番附には「ざこ」の附くものが、3つ出てきます。
「ちりめんざこ」(魚・春・27)、「あみざこからいり」(魚・秋・49)そして「ざこのつくだに」(魚・秋・67)。

初めの「ちりめんざこ」は説明不要でしょう。
おしまいの「ざこのつくだに」は、おもにモロコなどの川魚の佃煮で、ちりめんざこの佃煮は、「ちりめん〜」となることが多いようです。
さて、まん中の「あみざこからいり」。‘あみ’はオキアミで、‘ざこ’はチリメンだと思うのですが、どちらも乾物です。
乾物をから煎りする、イメージが浮かばないのです。

芝煮にしてみようかとも思ったのですが、乾物の芝煮もピンときません。
思案のあげく、酢の物のトッピングにしました。

毎日一品江戸料理 長芋おでん・伍 [2012年08月30日(木)]

朝食:韮玉、高粱飯、味噌汁(大根)紅茶(牛乳)
昼食:薯蕷汁(青海苔)〈精・秋・56〉、茄子の刺身〈精・夏・37〉、蕎麦飯、味噌汁(滑子)、香
夕食:サッポロ・ポテト(BBQ)、酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:クッキー、酎ハイ



 
 

承前
関東煮の煮汁で、大根や豆腐、里芋などを煮る者がいなかったか。
それが後の関東炊の原型になったのではないか。
というようなことを考えていたところ、280年も前にすでにこんな料理があった。

『料理集』(1733)「た」の項、「たこ」
「高麗煮 湯に仕候たこ尺八切にして、わ切大こんか焼とうふを入、たれへ酒を加へとくとに、すりせうがの上置にて能候」
「鹿嫌(シカモドキ) 生たこを皮を去り小口切にして、牛房はす芋、大根いてうなどとり合煮、本汁に仕候。刻ねぎ同柚抔のうち上置にて能く候」

高麗煮の「輪切り大根焼豆腐」を「輪切り大根焼豆腐」に変えれば、関東炊まであと一歩である。

上の高麗煮は『料理物語』にある高麗煮とはまったく違うもので、鹿嫌とともに『料理集』にしか出てこない料理である。


未整理ですので、逐次添削します。
続く

秋風記 [2012年08月29日(水)]

朝食:酢豆腐、柱粥(葱・庄内麩・腐乳)、紅茶(牛乳)
昼食:韮菜豬肝、飯、羮(蛋花)、豆腐 ビール 〔亀有高架下:上海厨房〕
夕食:バゲット、酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:ガリガリ君・梨、サワー



 

毎日一品江戸料理 長芋おでん・肆 [2012年08月28日(火)]

朝食:オムレット・オ・リ、トマト、紅茶(牛乳)
昼食:納豆(葱・青海苔)、若布と胡瓜の三杯、五穀飯、味噌汁(豆腐)、生玉子、香
夕食:バゲット、酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:サワー



 

承前
江戸時代の文章に出てくる「おでん」は、味噌田楽であることがはっきりした。
煮込みのおでんを示唆する表現が出てこないかぎり、江戸時代の「おでん」は、味噌田楽のことである。

ところで「関東煮」という料理がある。
「かんとうだき」ではなく「かんとうに」という。
関東煮は、18世紀初めの頃からある料理で、一名蛸の太煮ともいうタコの丸煮のことである。

『素人庖丁』の初編(1803)に、図入りで載っているのでそれから引く。

「○同(蛸)関東煮 煮かげん(桜煮)に同しこと也。是は丸にて煮るなり。兎角水あらひよくし砂けのなきやう吟みすべし」
上の図からどんなものか、うかがえるかと思う。

わが家で作っている蛸の桜煮は、頭こそないが蛸の太煮とでもいうべきものであった。
その関東煮は、慶応3年まで存在が確認できるという。

続く

毎日一品江戸料理 蛸桜煮続きの続き [2012年08月27日(月)]

朝食:トマト、紅茶
昼食:ウズラの玉子、ポテト・フライ、バゲット、チェダー・チーズ、カヴァ
夕食:バゲット、カヴァ、酎ハイ
間食:巨峰パイ



17世紀中葉の『料理物語』から、19世紀初頭の『素人庖丁』までの間、18世紀の料理本の「桜煮・桜煎」を見てみます。

『料理集』(1733)「たこ」
「桜煮 湯煮仕候たこを皮を去り小口切にして、汁はせんば程仕懸、酢を加へ煮候て、柚など上置にしてよく候」

『伝演味玄集』(1745)
「桜煎 蛸を颯と湯煮して、二三寸程に切、皮に竪たちめを入、庖丁むねにて皮をむくなり扨小口より薄二枚宛切りかけて、切りはなつなり、いり物の下地へ入て颯と煮へし、花散りたるていに見ゆるといふ心なり。(後略)」

『料理伝』(1785〜1787)
「桜煎 蛸 たこをよくあらひ、さつと湯にして二三寸切て皮をむき、小口より二三枚つつきりにして、塩梅よき煎物下地入さつとにるべし。花のちりたる躰に見ゆるなり。しんちよふわ/\の取合よろしき也。たこのいぼ附たるがよし」

上の図は「桜煎」を彷彿する図が見つからなかったので、『素人庖丁』の「蛸桜たゝき」の挿絵を流用いたしました。

「桜煮・桜煎」は、タコの足を小口切りにしたものを、桜花に見立てたものであったということが分った。桜色ではなかったんです。

では『料理伝』から『素人庖丁』までの20年たらずの間の、どこで煮詰めるようになったのでしょう。

逐次添削します。

地見屋片腹痛日記 [2012年08月26日(日)]

朝食:奴豆腐青唐がらし〈精・夏・36〉、葱玉雑炊(椎茸・玉子・葱)、香、紅茶
昼食:野菜スープ、マトンカレー、サフランライス、タンドーリチキン、サラダ、冷チャイ 〔赤坂新町:ゴータマ〕
夕食:酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:紅茶



 

腹痛です。

毎日一品江戸料理 白瓜三杯の続き [2012年08月25日(土)]

朝食:長芋とジャガ芋の煮物、小松菜浸し物〈精・雑・7〉、雑穀飯、清汁(とろゝ昆布・削節)、香、紅茶(牛乳)
昼食:八珍刀削麺 〔赤坂東急プラザ:唐朝刀削麺〕
夕食:酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:クッキー、紅茶



 

いくらなんでも、芋の煮物を‘おでん’という人はいないでしょう。

閑話休題。
先日の「しろうりさんばい」ですが、念のためほかの5種の番附をを見るに、楽草紙版の番附の魚類物之部の前頭19枚目(楽草紙版には四季はない)に「白瓜いわし三ばい」があります。
「白瓜三杯」との間聯が分りませんが、近いうちに試してみましょう。

毎日一品江戸料理 蛸桜煮続き [2012年08月24日(金)]

朝食:菜にはんぺん〈魚・春・22〉、冷飯、即席味噌汁(あさげ)、香、紅茶(牛乳)
昼食:揚げ茄子そぼろあんかけ、切干し煮付、玉子焼、飯、味噌汁(豆腐、滑子、三葉)、香、ビール 〔金町:ときわ食堂〕
夕食:酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:蒲焼さん太郎、サワー



 

菜にはんぺんはすでに書いたので、桜煮の続き。

『料理物語』(1643)には、桜煮は見えませんが、桜煎があります。
第十二煮物之部
「桜煎は たこの手ばかりいかにもうすくきり、だしたまりにてざつとに申候」

国語辞典には「桜煎は桜煮ともいう」とあるのですが、私の感覚では少し違うように思うんですけれどね。
両者作り方を比較すると、桜煮は煮込むが桜煎は煮込まない。
桜煎は桜煮の前身のように思えます。

『料理物語』から『素人庖丁』までの160年間で、どこで桜煎が桜煮と変ったのか調べて見たいと思います。

書きかけです。

毎日一品江戸料理 蛸桜煮 [2012年08月23日(木)]

朝食:チキン・ライス、トマト、紅茶(牛乳)
昼食:蛸桜煮〈魚・秋・70〉(青とう)、小松菜浸し物〈精・雑・7〉(みぞれ和え)、五穀飯、味噌汁(博打汁)、香
夕食:マヨトー、酎ハイ、白葡萄酒
間食:サワー、

処暑

 

おかず番附の魚類方、秋の70枚目に位置する「蛸桜煮」。
わが家をはじめとして、今では↓のように、タコの足を丸のまま煮ているのではないでしょうか。

 

『素人庖丁』(1803〜1820)
初編、四季混雑素人庖丁仕様、魚類之部
「○蛸魚さくら煮 惣躰よく水洗いし、砂けなきやうにいぼの中もよく吟味し、首の皮もとるべし。小口よりふつ/\と切、酒と醤油当分にていかにも煮つめ、汁のとろりとなる程に煮るがよし。せうがのせん切上におきて出すへし」

上の記事、桜煮というより、蛸の佃煮のように思えるのですが、いかがでしょう。

毎日一品江戸料理 茄子田楽 [2012年08月22日(水)]

朝食:茄子田楽(〈精・夏・43〉)、ピリ煮人参、冷飯、冷汁(滑子)、香、紅茶(牛乳)
昼食:酸辣湯麺、ビール 〔日本橋高島屋:糖朝〕
夕食:マヨトー、酎ハイ、白葡萄酒
間食:サワー



 

式亭三馬の『浮世風呂』に出てくる「茄子田楽」。
第4編巻之中、上方下りのけち兵衛と番頭との会話。
 けち「…ヤ、茄子田楽。或は蛤焚たのといふて…
茄子田楽の、右に「なすでんがく」、左に「江戸にいふしぎやきの事」とルビがふってあります。
茄子の鴫焼きを、上方では茄子田楽といっていたようです。

今日は田楽刺しにして焼いてみました。
この形こそが、田楽にもっとも相応しいのだとか。

『浮世風呂』この後にも、茄子料理の名前の違いのやりとりが出てきます。
それは、いずれまた。


記事を訂正しました。

毎日一品江戸料理 若布の奴田 [2012年08月21日(火)]

朝食:ホワイト・シチュウ、食パン1/8、白湯、紅茶(牛乳)
昼食:若布の奴田〈精・春・10〉、人参罌粟〈精・冬・90〉、麦飯、潮汁(鱧)、香、白湯
夕食:サッポロ・ポテト(つぶつぶヴェジタブル)、酎ハイ、ウィスキー・アンド・ウォーター
間食:サワー



 

おかず番附の精進方、春の10枚目に位置する「わかめのぬた」。
「取合一覧」の「奴田」の項にも「わかめ」が見えます。

実は江戸時代のヌタと、今(明治以降)のヌタとでは、少し違うのです。
もとは鱠を和えたり、指身を附けたりするソースだったのだそうです。

今では酢味噌がほとんどですが、かつてはさまざまな材料が利用されていました。
そのなかで、ベーシックなものが酒粕でした。
酒粕と酢・塩、ときには砂糖を混ぜたのが初めとか。
後には、さまざまなヌタが工夫添加されたようです。

今日は酒粕に酢・塩・鰹節・砂糖を加えてみました。
味は、まあそれなりに、です。

毎日一品江戸料理 長芋おでん・參 [2012年08月20日(月)]

朝食:半平おでん、冷飯、冷汁(若布・葱)、香、紅茶(牛乳)
昼食:フィッシュ・アンド・ポテト、トマト、モロキュー、ビール
夕食:サッポロ・ポテト()、酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:鍾乳洞のしずく、サワー



 

承前
では、江戸時代に出てきた「おでん」は、いかなるものなのか。

○『浮世風呂』
「大福餅から、ゆで玉子*。お芋のお田」の部分を取り上げて、江戸時代‘おでん’存在節の根拠にしている。
だが、ごった煮が身上であるはずの‘おでん’なのに、芋だけを単品で売り歩くのは変ではないか。これでは、たんなる芋の煮物ではないか。
大根や、はんぺん、竹輪はどこで売り歩いているのだろうか。
芋の煮物に串を田楽刺しにたところで、‘おでん’とはいわないはずだ。
さらに、話者が老婆であることも考慮すべきである。
60過ぎの親爺だったら「大福餅やら、うで玉子、芋の田楽」と言った可能性も考えられる。

○『東海道中膝栗毛』
地の文ではっきりと「豆腐の田楽の名物」とことわっているから、ここでいう「おでん」は、豆腐の田楽以外ありえない。
弥次郎兵衛が川柳を持ち出して、豆腐の田楽が名物であることも承知している。
茶屋女との会話で、豆腐の田楽を「おでん」と言っても、弥次喜多ふたりにはなんの違和感ももたずに通じている。
もし、蒟蒻田楽のみを「おでん」というのであるならば、
 「ハイおでんが出けました。」
 弥次「おらァ、おでんと云ふから、てつきり蒟にやくかと思つたら、とうふの田楽が出てきやした…」
といった、やりとりになるだろう。

○『守貞漫稿』上の2作より20〜40年後。
文中に、「蒟蒻の田楽」「芋の田楽」と記してあるから、「上燗おでん」の「おでんは」味噌田楽以外ありえない。
それよりも「上燗おでん」という看板は、江戸でも使っていたのかが気になる。

○『浪花の風』『守貞漫稿』とほぼ同時期。
著者が大坂町奉行在職期間中、任地で見聞したことを書き記したもの。「おでんさん年三つ」という地口の説明である。
著者が大坂町奉行という、かぎりなくアッパー・クラスに近いアッパー・ミドルであるということに注意しなくていけない。
しょせん、弥次さん喜多さんとは、視点が違うのである。

未整理だが、以上を私なりに整理すれると、1800年代初めには、
・江戸では芋の田楽が、大坂では蒟蒻の田楽、京では豆腐の田楽が好まれていた。
(『浮世風呂』には茄子の田楽も出てくる)
・それらの田楽を、三都では「おでん」と呼んで通用していた。
・「おでん」は主に、女の使う言葉であった。
・文献上あらわれる「おでん」に、煮込みおでんを示唆するものはなかった。

これまでの、「江戸時代‘おでん’存在節」は、文献上の「おでん=煮込みおでん」を前提としているため、かなりの無理があった。
確たる証拠がないかぎり「おでん=味噌田楽」とするのが自然ではなかろうか。

「おでん」は、もともと田楽の女房詞であった。
この言葉が、味噌田楽に転用されるのに、さして時間はかからなかったはずである。
そして、上方から大都市間に広まるのも、かなり早かったのではあるまいか。

言葉の伝播は、料理の伝播よりもはるかに早いのである。

この時代、たんに芋といえば、サトイモを指した。
つまり、芋の田楽は、里芋の田楽なのである。
番附作者が、ポピュラーな里芋の田楽ではなく、長芋の田楽を載せた理由はなんだろうか。

未整理です。逐次添削します。
続く
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赤坂一ツ木残暑之記 [2012年08月19日(日)]

朝食:奴豆腐青唐がらし〈精・夏・36〉、三白飯、味噌汁(大根)、白瓜浅漬け、紅茶(牛乳)
昼食:弁当(キューカンバー・サンドウィッチ、ラディ・チリ、トマト、チェダーチーズ)、即席スープ(クリーム
夕食:マヨネーズド・トースト、酎ハイ、白葡萄酒、生姜湯
間食:紅茶



 

毎日一品江戸料理 白瓜三杯 [2012年08月18日(土)]

朝食:白瓜三杯〈魚・夏・30〉、牛房太煮〈精・秋・52〉、白子粥(葱)、紅茶(牛乳)
昼食:酸辣刀削麺 〔赤坂東急プラザ:唐朝刀削麺〕
夕食:サッポロ・ポテト(BBQ)、チェダー・チーズ、酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:紅茶、サワー

 

s/

おかず番附の魚類方・夏の30枚目に位置する「しろうりさんばい」。
おそらく「白瓜三杯酢」のことかと思われます。
嫌われものの黄瓜に対し、白瓜はたいそうな人気だったとか。

さて、この「しろうりさんばい」。魚の名前がどこにもないのに、どいうわけか「魚類方」にあるのです。

再三申しますように、この番附作者、はなはだ油断がならない。
昨日の太煮しかり、いったい何を仕掛けているのやら、皆目見当もつかぬのです。

残念ながら、今は詮索する時間がありません。

毎日一品江戸料理 牛房太煮 [2012年08月17日(金)]

朝食:トマト、スクランブルド・エッグ、トースト(バタ)、紅茶(牛乳)
昼食:生利節大根おろし〈魚・夏・40〉、牛房太煮〈精・秋・52〉、五穀飯、味噌汁(豆腐)、香、梅干、白湯
夕食:サッポロ・ポテト(BBQ)、チェダー・チーズ、酎ハイ、ウィスキー・アンド・ソーダ
間食:朱鷺のいたずら巣ごもり、サワー、氷菓子



 

おかず番附の精進方・秋の52枚目に位置する「ごぼうふとに」。
太煮は古い料理で、なんでも室町時代にまで溯ることができるらしいのですが、あいにくと目にしていないので、詳しい事は分りません。
どうやらダイコンや、ニンジン、ゴボウといった細長い素材を、ぶつ切りにして煮たもののようです。

『素人庖丁』3編、精進酒菜拵様・牛房の項から、
「太煮 是も前のごとく、ふとき牛ぼうの上皮をよく取、五六分程つゝに切そろへ、先のごとく飯のとり湯と水とにていかにもよく煮、其後またみりん四分・しやうゆ三分・水三分のつもりにて、牛ぼうの上にのる程沢山に汁を入、大てい汁気中半になりたる時、極上の葛をつよく引て交かへし、葛の色かわりたる時器物入て、上に青のり沢山に置て出すべし」

ところでこの太煮とやら、文政年間(1825)を期に、文献から姿を消しているのだそうです。
それがまた10年以上も経ってから、何故お菜の見立番附の片隅に顔を出しているでしょうか。
どっこい番附もりっぱな文献だ。
太煮は天保以降(1839)まで、命脈を保っていたと解釈しよう。

毎日一品江戸料理 長芋おでん・貳 [2012年08月16日(木)]

朝食:とまと、牛乳、紅茶(牛乳)
昼食:豪油牛肉、飯、羮(蛋花)、咸菜、杏仁豆腐、碑酒 〔赤坂新町:三彩居〕
夕食:サッポロ・ポテト(BBQ)、酎ハイ、白葡萄酒
間食:



「日々徳用倹約料理角力取組」(1839〜)に見える「おでん」。


左・ながいもおでん、右・こんにゃくおでん

この番附のほかに、明治以前の記録から「おでん」の語の見えるものを年代順にあげる。

『浮世風呂』3編下・女湯遺漏(1811)
(正月の午後から夕方。60がらみの老婆2人の会話。身持ちの悪い息子の泣き言)
●「…手/"\に出しツこで奢りかけるだ。大福餅から、ゆで鶏卵。お芋のお田。なんでも通るものを買う云い出して騒立てるだ。…*

『東海道中膝栗毛』7編上(1802〜1814)
(京都八坂神社の境内の茶屋で、地の文から、茶屋の女と弥次喜多との会話)
二けんぢや屋、とうふでんがくのめいぶつにして、あかまへだれしたる女ども…
弥次「ハヽアこゝが川柳点に、とうふ切ル顔にぎをんの人だかりと、いつた所だな…
 北八「でんがくで飯にしようふ。...
 「たゞ今、おでんがでけます。...
 「ハイおでんが出けました。
 弥次「こいつは変な田楽だ
 「ソリヤ葛ひきじやわいな。おむしのは只今
 弥次「でんがくはいくらづつだ

『守貞漫稿』巻之六・生業下(1837〜1867)
「また三都ともありて、夜のみ市街を巡る生業は(けだし二更以降前は日賈も行き巡るあり。夜は二更以後のみ出る。五更に止む)『饂飩屋』『蕎麦屋』『善哉売り』『汁粉売り』」に続いて
「上燗おでん 燗酒と蒟蒻の田楽を売る。江戸は芋の田楽も売るなり。けだしこの賈、また大いに異なるの扮なし、故に略して図せず」

『浪花の風』(1855〜1863)
「おでんさん年三つ これハ蒟蒻の田楽にて此地でもこん蒻の田楽をおしなべておでんと呼故これも亦女にたとえておでんさんと呼と見えたり。年三ッとは一串価ひ三文といふことの山なり」

引用が長くなったが、孫引き曾孫引きに騙されないためにも、当該箇所を読まれたい。

さて、上に出てきた「おでん」はどんなものなのか。

続く
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眼球と少女たち [2012年08月15日(水)]

朝食:とまと、油揚粥(葱・腐乳)、香、紅茶(牛乳)
昼食:茄子鶏丁、飯、羮(蛋)、豆腐 ビール 〔亀有高架下:上海厨房〕
夕食:白ワイン、ホッピー、オープニング、二次会でいろいろ
間食:サワー

/

 

渋谷文化村の「眼球と少女たち」展に行ってた。
S氏の厚意で、オープニング・レセプションに参加。
会場内はなので、写真はありません。

会がはねてから、銀座S画廊のT氏、O画伯らと宇田川町の肉横丁(屋号失念)で痛飲。
T氏から、種村季弘や、澁澤龍彦、滝口修造などの面白いはなしが聞けた。

毎日一品江戸料理 菜にはんぺん [2012年08月14日(火)]

朝食:菜にはんぺん〈魚・春・22〉、人参罌粟〈精・冬・90〉、冷飯、冷汁(若布・葱)、香
昼食:生利木瓜揉み(擂り生姜)〈魚・夏・36〉、凍み蒟蒻のあまから煮、蕎麦飯、味噌汁(豆腐・芥子)、香、梅干、白湯
夕食:食パン1/8、チェダー・チーズ、酎ハイ、白葡萄酒
間食:サワー

/

 
 

おかず番附の魚類方、春の22枚目に位置する「なにはんぺん」。
「日用惣菜取合倹約一覧」の小松菜の項にも、はんぺんが見えます。

調理法が書いていませんが、青菜のお浸しにはんぺんの煮付たものを合せたのだと思います。
菜は、時菜。今日は、庭にはえているミツバを使いました。

水菜とはんぺんの清汁も美味しいものです。

毎日一品江戸料理 葱に穴子 [2012年08月13日(月)]

朝食:馬鈴薯塩煮、鶏香草粥、紅茶(牛乳)
昼食:葱に穴子〈魚・秋・69〉、人参罌粟〈精・冬・90〉、源平飯、味噌汁(韮)、香、白湯
夕食:揚げ煎餅、酎ハイ、白葡萄酒
間食:サワー、おむすび(トウキビ)



 

おかず番附の、魚類方・秋の69枚目に位置する「葱に穴子」。
以前にも書いたのですが、やはりどじょう鍋のようにするのが、一番美味いようです。

ネギとアナゴをいっしょに煮るのではなく、アナゴの甘煮を作り、その煮汁でネギを煮てアナゴとともに器に盛ります。

このアナゴの煮汁で、サトイモやヤマノイモ、ゴボウなどを煮るとたいそう美味しく出来ます。

寿司屋の煮穴子ほど甘くなく、佃煮ほど辛くない「穴子の甘煮」
・1尺くらいのアナゴをよく水洗いしてヌメりをとる。
・水、醤油、酒を等分に味醂を少々加え、たぎったらアナゴをを入れる。
・落とし蓋をして、弱火で10〜20分くらい烹る。
・平らなザルにあげ、ぬれ布巾をかけておく。

冷蔵庫で3、4日は持ちます。

ホワイト・シチュウ [2012年08月12日(日)]

朝食:ホワイト・シチュウ(鶏肉・ジャガ芋・玉葱・ひたし菽)、人参甘煮、菽飯、香、紅茶(牛乳)
昼食:弁当(キューカンバー・サンドウィッチ、ラディ・チリ、チェダーチーズ)、即席スープ(クリーム
夕食:揚げ煎、酎ハイ、白葡萄酒
間食:塩煎餅、紅茶

/

 

きょうび、肉ジャガを日本料理ではない、という人はいないと思う。
では、同じ具を使ったカレーライスは日本料理なのか。
そして、同じ具を使ったホワイトシチュウはどうなのか。
そのホワイトシチュウが、クリームシチュウと名を変えたらどうなのか。
はたまた、オムレツやオムライス、スパゲッティーは?

毎日一品江戸料理 長芋おでん [2012年08月11日(土)]

朝食:長芋おでん〈精・秋・71〉、奴豆腐(削節)、冷飯(白胡麻)、冷汁(大根)、香、紅茶(牛乳)
昼食:麻辣刀削麺 〔赤坂東急プラザ:唐朝刀削麺〕
夕食:サッポロ・ポテト(野菜)、酎ハイ、白葡萄酒
間食:


今朝、一ツ木町でツクツクホウシが鳴いていた。

 

幕末のおかず番附『日々徳用倹約料理角力取組』(にちにちとくようけんやくりょうりすもうとりくみ)の精進方、秋の71枚目に位置する「長芋おでん」。
‘おでん’といっても煮込みおでんではなく、味噌田楽です。

『素人庖丁』二編 ○精進青物仕様 ○長いも
「○田楽 是も前のごとく湯煮したるを皮をとり程よく切串にさしこせうみそわさびさんせうみそとからしみそふきみそ抔にてでんかくにすべし」

続きます。
週明けにでも整理する予定でいましたが、少し長くなりそうです。

日暮れて道遠し [2012年08月10日(金)]

朝食:辛茄漬、韮玉雑炊、香、紅茶(牛乳)
昼食:納豆(葱・青海苔)、若布と胡瓜三杯酢、鯨飯、味噌汁(韮)、生玉子、香、梅干、白湯
夕食:サッポロ・ポテト(野菜)、酎ハイ、白葡萄酒
間食:サワー



日暮れて道遠し。
「納豆」も「粥・雑炊・おじや」もすでに書いたので、今日もとりたてて書くことがありません。

 
 

毎日一品江戸料理 料理物語 [2012年08月09日(木)]

朝食:酢豆腐、生利粥(塩昆布・葱)、香、紅茶(牛乳)
昼食:味噌豆(葱・青海苔・芥子醤油)、茄子油煮〈精・夏・45〉、五穀飯、味噌汁(若布)、生玉子、香、梅干、白湯
夕食:するめ、マヨ・トー、白葡萄酒、酎ハイ
間食:サワー



 
 

「生利」も「味噌豆」も「酢豆腐」もすでに書いたので、今日はとりたてて記すことがありません。

『料理物語』について、このことを書いたひとはあまりいないので、ひとこと記しておきたいと思います。

寛永20年(1644)の奥書きのある『料理物語』の料理は、室町時代から江戸時代前期にかけての、アッパー・クラス、アッパー・ミドルの饗応料理でした。
けして、長屋の八さん、熊さん(寛永年間に‘八さん、熊さん’のような町人がいたとは思えませんが)が食したものではありませんでした。

また、アッパー・クラスとて、日常このようなものを食していたわけではなく、いたって質素なものでした。


向後『料理物語』にかんする記事を読むさいには、思い出してください。

毎日一品江戸料理 船場汁 [2012年08月08日(水)]

朝食:オムレット・ナチュール、トースト(バタ)、トマト・ジュース、紅茶(牛乳)
昼食:薯蕷汁(青海苔)〈精・秋・56〉、三河和え、麦飯、船場汁(鱸・大根)、香、梅干、白湯
夕食:サッポロ・ポテトBBQ味、マヨネーズド・トースト、白葡萄酒、酎ハイ
間食:サワー



いよいよ秋めいてきて、朝夕、秋風が吹いてきました。
秋風は吹けども、秋波は…。

 

おかず番附の魚類方・夏の35枚目に「さばのせんば」があります。
これは、鯖の船場汁でしょう。

船場汁は船場煮ともいって、今では塩サバの専売特許になりましたが、もとはといえば鳥肉の煎り付け煮であったとは、前にも記したとおり。

『料理物語』第十二煮物之部に、
「せんばは 小鳥にても大鳥にても、だしにかけをすこしおとしてよし」
とあるのは、寛永年間には、まだ鳥肉を使っていたことを示しています。

試みに『料理物語』から「せんば」にする素材をひろってみると「鶴・雁・雉子・鶉・雲雀・鳩・(山鳥)」と、鳥類のみで、魚類はありません。

毎日一品江戸料理 酢蛸 [2012年08月07日(火)]

朝食:酢蛸〈魚・秋・54〉、柱粥(腐乳・葱)、香、紅茶(牛乳)
昼食:ちらし寿司(鮪・鯛・烏賊・鱒・腹子・中落ち・かっぱ・酢蓮・玉子焼・酢生姜)、味噌汁(石蓴)、茶碗蒸し、ビール 〔松戸伊勢丹:寿司清〕
夕食:酢蛸(朝の残り)、サッポロ・ポテトBBQ味、マヨネーズド・トースト、白葡萄酒、酎ハイ
間食:梅の醤油漬け

立秋
払暁コオロギが鳴いていた。

 

幕末に出版された、おかず番附「日々徳用倹約料理角力取組」(にちにちとくようけんやくりょうりすもうとりくみ)の魚類方・秋の段、前頭54枚目の「すだこ」。


先代三遊亭金馬の十八番(おはこ)「居酒屋」から。

「出来ますものは、汁・柱・鱈・昆布・鮟鱇のようなもの。鰤にお芋に酢蛸でございます。えぃ〜〜」(つゆはしらたらこぶあんこうのようなもん。ぶりにおいもにすだこでござい)

書きかけです。えぃ〜〜…

毎日一品江戸料理 いちょう大根ばか [2012年08月06日(月)]

朝食:いちょう大根ばか〈魚・秋・58〉、奴豆腐(茗荷)、高粱飯、味噌汁(蜆汁)、紅茶(牛乳)
昼食:キューカンバー・サンドウィッチ、キューマヨ、チリラディ、ビール
夕食:マヨネーズド・トースト、白葡萄酒、ビール、酎ハイ
間食:冷コー、揚げ煎餅

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おかず番附の魚類方、秋の58枚目に位置します「いてう大こんばか」。
これまで幾度となく作っていながら、今日が初の項目だてです。

いちょう切りにした大根と、バカ貝のむき身を煮たものです。
味噌で和えても美味いんでしょうが、いちょう切りだと食べづらいので、やはり煮たほうが宜敷いかと思います。

味付けは、人々作次第の物なれば、さしてさだまりたる事はなく候。

これが本当の、手軽屋惣菜門というんだろうねぇ、直段屋安右ヱ門さん。

ドラコニア忌 [2012年08月05日(日)]

朝食:茄子の刺身〈精・夏・37〉(大葉・茗荷)、奴豆腐青唐がらし〈精・夏・36〉、冷飯、味噌汁(滑子)、かくや古漬、紅茶(牛乳)
昼食:乾焼蝦蛋、飯、羮(豆腐・蛋花・木耳) 〔赤坂見附:慶賓樓〕
夕食:ム〜チョ、マヨネーズド・トースト、白葡萄酒、酎ハイ
間食:紅茶



 

毎日一品江戸料理 酒浸 [2012年08月04日(土)]

朝食:酒浸て(縞鯵・大葉・茗荷)、麦飯、味噌汁(蜆汁)〈魚・春・14〉、かくや古漬、紅茶(牛乳)
昼食:担々麺 〔赤坂東急プラザ:唐朝刀削麺〕
夕食:カラム〜チョ、マヨネーズド・トースト、ウィスキー・アンド・ソーダ、酎ハイ
間食:紅茶



 

「さけびたり」ではありません。「さかびて」と読みます。
どういうわけだか『大辞林』の第三版には「さけびたり」の項はあっても「さかびて」の項目がありません。
これもやはり、忘れられた料理といえそうです。

閑話休題。
『大草家料理書』に「酒びてとは何魚にても出し酒に塩を入て酢を少し加る也」とあります。
『料理物語』の第十一指身之部
「さかびて 鯛、あわび、たら、さけ、あゆの塩引、からすみ、かぶらほね、鶴、雁、鴨。右の内いかにも塩めよきを取りあはせつくりもり候。けんくねんぼ。其外作次第。だし酒かけてよし」
を見ると、指身の食べ方のひとつで、素材は必ずしも無塩ものとは限らないようです。

煎酒はかけ、酒浸は浸けて食べる。
ようは、「唯人々作次第の物なれば、さしてさだまりたる事はなく候」です。

毎日一品江戸料理 くくだちひたし [2012年08月03日(金)]

朝食:スクランブルド・エッグ、キューカンバー・マヨネーズ、トースト(バタ)トマトジュース、牛乳、紅茶(牛乳)
昼食:キューカンバー・サンドウィッチ、大根チリソース、トマト、ビール
夕食:カラム〜チョ、マヨネーズド・トースト、ウィスキー・アンド・ソーダ、酎ハイ
間食:ガトー・ラスク、冷コー、サワー



おかず番附の精進方、春の26枚目に位置する「くくたちひたし」。
くくだちは、茎立ち(くきたち)の訛で、春になって菘*の薹の出たものです。
『料理物語』にも、項目立てはしていませんが「くきたち」が出てきます。

結論を先に申せば、番附の発行された幕末には、すでに食材としては使用されてはおりません。
先の『日本料理法大全』にも、それらしきものが見出せなかったので、言い切っていいかと思います。

青物栽培が発達し、蔬菜類の供給が潤沢に行われるようになった元禄の頃から、東北の寒村**はともかくとして、江戸のような都会では、次第に需要がなくなったからだと思われます。

そして「しんきあへ」同様市井に忘れられ、俳諧の歳時記に季語としてのみ残るだけとなったのではなでしょうか。


『華実年浪草』春之部巻三

私をして、番附作者を茶人といわしむる所以です。

書きかけです。


*「菘」辞書には「スズナ」とあるが、『農業全書』には「ウキナ」と訓じて「蕪菁」(カブラナ)とは別種としている。水菜・京菜の類ようだがいずれにしても、アブラナ科の蔬菜であろう。
**秋田のある地方では現在でも、白菜の花芽の出たものを「ふぐだぢ(ふくたち・ふくだぢ)」といって食している。

毎日一品江戸料理 為御菜 [2012年08月02日(木)]

朝食:トマト、オムレット・ナチュール、トースト(バタ)、牛乳、紅茶(牛乳)
昼食:フィッシュ・アンド・ポテト、キューカンバー・マヨネーズ(マヨ・キュウ)、ビール
夕食:マヨネーズド・トースト、ウィスキー・アンド・ソーダ、酎ハイ
間食:サワー


向暁立秋前だというのに、虫が鳴いていた。



閑話休題。「吉田屋版」の番附と「川柳点版」の傍題とアミかけ部分を除いて、字形がまったく同じである。
同じ版木を流用した可能性が大きい。
新たに刻した部分(アミかけ部)は、あきらかに筆致が異なっている。
なにか憚るようなことがあったのだろうか。

思い当たるのが、この数年後にはじまった天保の改革である。
この改革によって、出版界も粛正の嵐に巻き込まれた。
ほとんどいいがかりともいえる理由で、かなりのものが処分されている。
それで板元を匿名にした。

「臺所をつめれバ見世が廣くなる」
という句は、明治のおかず番附にも幾度と出てきます。

……書きかけです。
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