朝食:焼き飯、熬り玉子、人参甘煮、紅茶(牛乳)
昼食:チビ太のおでん(蒟蒻・鴈もどき・鳴門巻)、牛房太煮〈精・秋・52〉、五穀飯、
味噌汁(大根)、香、白湯
夕食:マヨトー、酎ハイ、白葡萄酒
間食:酎ハイ
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桜煮の煮汁で、蒟蒻・飛龍頭・鳴門巻を煮込んでみました
承前
関東煮の文献上最後の記録は『篠田伝左衛門鹿児嶋旅日記』の慶応3年3月29日の記事にある「蛸くわんとふ煮」だそうである。そしてこれ以降文献から姿を消した。
この記事を読んでいないので、どのようなシーンで書かれたものか分らないが、慶応3年というのが象徴的ではないか。
翌慶応4年は明治元年である。
想像をいくら書き連ねても意味がないので、明治になってからの「煮込みおでん」を探してみる。
私の知る限りでは「煮込みおでん」の初出は、二葉亭四迷の『浮雲』(1887)である。
『浮雲』第1編 第4回 言ふに言はれぬ胸の中
…
「其通り品格がないから嫌ひ
「また始まツた、ヘン跳馬ぢやアあるまいし、万古に品々も五月蠅い
「だツて人間は品格が第一ですワ
「ヘンそんなにお人柄なら、煮込みのおでんなんぞを喰度といはないがいゝ
「ヲヤ何時私がそんな事を言ひました
…
次に国語辞典から。
『言海』大槻文彦著(1889)には「おでん」の項はない。
『日本大辞書』山田美妙著(1893)
「
おでん 又、食物ノ名。きのめでんがくカラ分カレタタモノ。コンニヤク、芋ナドヲ串ニサシテカラ煮込ミニシタモノ『煮込ミノおでん』」
『ことばの泉』落合直文著(1898)
「
おでん 蒟蒻、芋、はんんぺんなどを、煮こみにしたるもの」
明治20年(1887)当時、東京にはすでに煮込みおでんがあったが、それは下饌であった。
だが、この時点で、まだ国語辞典に登録されるには至っていない。
上の記事から、どんなものがおでん種になっていたか、多少なりともが分った。
書きかけです。