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夏と風のバラード [2019年08月02日(金)]
風の唄が 聴こえる
風は 君 風は あなた
私の心の中を 吹き抜けてゆく
遠い夏の日
あなたと過ごした
夢・・・幻・・・愛おしい
日々 胸にこみ上げ・・・夏
日差しは ただ 眩しく

風の唄が 聴こえる
風は 君 風は あなた
私の中を 強く 駆け抜けていった
あの 夏の日
あなたと 見たのは
夢・・・幻・・・心 震える
日々 胸に抱き・・・夏
木洩れ日は ただ 眩しく

風の唄が 聴こえる
風は 君 風は あなた
この大空(そら)を 吹き抜けていく
つきぬ 夏の日
あなたと 過ごす
夢・・・幻・・・時は 過ぎても
日々 心に抱きしめ・・・夏
太陽は ただ 輝く
夏・・・太陽は ただ 愛しく・・・




歌はこちらから↓
http://youtu.be/DoQj1-3C29c



毎日、暑いですね。お元気ですか。

初夏の頃のことですが、夏の歌を書いてみました。
ちょうど、いま頃の梅雨明けして暑くなった……夏の強い日差しを思い浮かべながら。

叔父がしっとりとした、唄の世界を拡げるような曲を作ってくれて、とても嬉しかったです。

私の中では、少し哀しい歌でもあるのかなと思っていたのですが、何かもう少し大きいイメージになったというか……。叔父に心から感謝しています。

もし良かったら、聴いてみて下さいね。


この週末は少し気温が下がるようですが、どうぞお体大切になさって下さい。


posted at 19:42 | | この記事のURL
初めてのしもつかり2 [2019年07月22日(月)]
鮭は焼きあがったら骨ごと細かく刻みます。

出刃があると便利ですが、普通の包丁でやってしまいました。

母は鰹節の出汁を取りますが、今回は野菜が少なくて鮭が多かったので、鮭の旨味だけで作ることにして、沸騰したお湯にお酒を入れて煮始めました。

アクを取ったら、みりんを入れて豆を加えます。

お魚の匂いが飛んだかなと思ったら、ふたをしてしばらく煮ます。

ふたが重いので圧力鍋ほどではありませんが、早くふっくらと煮えるような気がします。


その間に大根と人参を卸します。

鬼卸は刃の部分が竹でできていて、かなり鋭いので要注意です。

あまり細かくしたくないのですが……
やってみると力の抜き加減が難しかったです。





最後の部分は小さくなって危ないので、母の真似をして肉たたきで叩いて、卸したのと同じような状態にしました。先ほどの鍋に加えます。

油揚げは半分の幅に切ってから細切りにして入れます。

この頃には鮭と豆はかなり柔らかくなっています。





ここで塩を小さじ1くらい足しました。

それと大事なのが隠し味のお砂糖だそうです。
量がよく分からないので、ざらめを大さじ1くらい入れてみました。
野菜からの甘味もありますものね……。


お醤油も加えます。

最後にも入れるので、想定した量の3分の2くらいでしょうか。





酒粕のタイミングはよく分からなかったのですが、すべてがほぼ出来上がった頃に入れてみました。

手で細かくちぎりながら入れて、ヘラでなじませて溶かします。

最後に香りづけにお醤油をもう一度回し入れて完成です。





お味の方は……豆が主張していました。きっと、大根や人参が少なめだったせいでしょうね。

それと少し塩辛かったかな。

お酒のあてにはちょうどいいぐらいではありましたが、どうなんでしょうね。

寒い頃にはもう少し薄味でも大丈夫でしょう。


季節外れのしもつかり……母がとてもよろこんでくれたのは嬉しかったです。

そして弟と叔母。妹には暑い季節なので送れませんでした。


今年は変わり事があり、季節には作れませんでした。

生きているといろんなことがありますね……。


五月頃になってから母が「作ってあげようか」と言っていたので、食べたいのかなとも思い、その一月ぐらい後にやってみました。

作っている時はもう金輪際無理と思いましたが、こうして書いているとこの次はもっとこうしようかなと考えている自分もいるので不思議です。




posted at 00:08 | simple food | この記事のURL
初めてのしもつかり 1 [2019年07月21日(日)]
お久しぶりです。お元気ですか。

休んでいる間もいらして下さり、ありがとうございました。

更新していない時に足跡を残してくださった方にも感謝いたします。



以前にも何度か、母が作ってくれたしもつかりのことを書かせていただいたように思います。

今回このブログを書くにあたってトップページから検索してみましたら、どうもこのDHC さんのブログ内では私以外の方は書いていないようですね。

しもつかり、しもつかれ、しみつかれ……いろんな言葉で検索してみましたが、出てこないようです。

栃木県の郷土料理といわれていますが、千葉から埼玉、茨城まで主に北関東に拡がっていると聞いていたので、とても意外でした。

思ったほど、ポピュラーじゃない?

でも、NHK の首都圏のニュースなどでは何度も見たことがあるんですよね。

節分前後のしもつかりのシーズンになると地元のスーパーではしもつかり用の材料のセットがいまでも売られているというのは叔母から聞いています。

とても美味しいお料理なので、令和の時代もなくならずに伝わっていってほしいなあと願っています。


そんなことを書いている私自身もいままではしもつかりは食べる専門、作るのも眺める専門でした。

余りにも大変そうで、仕込む材料も多く、とても自分に関わりのあることに思えなかったからです。


この時はたまたま、鮭の粕煮でもしようと酒粕や油揚げが買ってありました。

鮭もカマだけですが、冷凍庫に凍らせてあり……。


そんなところにいつも押し麦を買っているお店から大豆を買う機会がありました。





この大豆も普通に煮豆にしようと思いながら、全然味付けのイメージが湧かず……。

ネギとこんにゃくはありましたが、はたと「あれ、粕煮からネギとこんにゃくを引いて大豆を足したら、しもつかりの材料じゃない?」と思いつきました。

それで挑戦してみることにしました。

たぶん、全体量が少なかったのが良かったのでしょうね。大根も1本に満たず、人参も1本……。失敗しても大丈夫かなあと気軽に始められました。

ちょうど、ルクルーゼのお鍋いっぱいに入る分だけ作ってみようと……。


この料理がなぜ節分前後のものかといえば、昔は節分で撒いた煎り豆の残りを使って煮て、昔の納豆を包んだような藁づとに入れ、初午にお稲荷さんのお供えにしたからだそうです。

考えてみたら、油揚げは御眷属(ごけんぞく)さま……お狐さまの大好物ですものね。

何となく鮭もお好きそうだし……?

まあ、お下がりをいただく人間の楽しみが一番なんでしょうけれど。


ところで、煎り豆って作ったことがありますか。

何年か前のNHK ドラマ『坂の上の雲』でモッくんと阿部寛の兄弟が食べていた印象があるのですが、あれって弱火の焙烙の上でただ静かに煎っていれば出来てしまうものなのかと思っていました。

違うのですね。今回初めて知りました。

詳しくはこちらのサイトをご覧ください↓
http://noukaurata.com/recipe/irimame.html



ソフトタイプとハードタイプ……。

なるほど。両方ありますよね。

豆まきに買うでん六豆などの市販のものはソフトタイプだし……しもつかりはよく煮るのでハードタイプで大丈夫?

母が豆の問屋さんで買ってきたものも確か、青みの残ったハードタイプだったような気がします。

何よりハードタイプの方が早く出来そうなのでそちらを採用して、まず軽く洗った豆に熱湯をかけました。

書いてある通りに手ぬぐいで覆った上から、満遍なく……。





この手ぬぐいの間に豆が拡げてあります。

きっと、すぐに豆が乾燥しないようにですよね。

そして30分置きます。


その間にほかの材料や道具を準備することにしました。

鮭のカマを解凍して、大根、人参、油揚げ……鬼卸(おにおろし)は必需品です。
いま家にあるのは茨城県の笠間稲荷の門前で買ったものです。

豆用にはいつものフライパンより厚手の、アメリカ製の鉄のものを出しました。本体と取手が一体になっているようなタイプです。





30分弱で豆の水気もなくなり、良い感じだったのでフライパンを170度に固定して煎り始めました。

15分とありましたが、11、2分で出来上がった匂いがしてきたので後は余熱でOKということにして……。

一つ二つ味見をしてみたら……煮ちゃうのがもったいないくらいのお味でした。
このタイプは冷めるととても硬くなってしまうそうです。

まだ温かかったから食べやすかったのかもしれませんね。

鮭のカマはこのくらいの量でした。





普通に食べるより、かなりこんがりと焼き目をつけて焼きます。

油揚げも同様に……。





たぶん、鮭の臭みを取るためだと思います。

それと、風味を良くするため……香ばしくするためですよね。

豆も焦がすというほどではありませんでしたが、一部焼き色を付けるような感じにしてみました。


もしかしたら、この鮭を焼くというのは母のオリジナルかもしれません。

いままでTV で見た時は皆さん、生のままいきなり煮ていましたから。


まあ、こういうものは作る人の数だけレシピがあるのでしょうから、中には焼く方もいるでしょうね。

作る人によって少しずつ味が違うしもつかり。

地元では七軒分のしもつかりを食べるとその年は無病息災という話が伝わっているそうですが……。


(2に続く)

posted at 23:49 | simple food | この記事のURL
[2019年06月19日(水)]
叔父のチャンネルの方では、『花』という曲をアップしてみました。

桜を題材にした歌です。

いままで桜をテーマにした曲はいくつも書いているのですが、どれも不出来というか……自分で心から納得できたことがありません。

そのくらい日本に住む私たちにとって、桜という花の存在が大きい、大きすぎるということなのかもしれませんね……。


この曲は少し短いというか、オール一番……ワンコーラスだけでできています。

一つひとつの言葉も短いですし、おそらく作曲する人にとってはやりにくかっただろうと思います。

叔父には本当に……心から感謝しています。


歌詞を書いてみますね。


『花』


こんなに 風が吹いては

花が 散ってしまうでしょうね

愛しいあなた どうしていますか

桜の季節に あなたを 想っています


春の嵐の 風誘い

高く 高く 天(あま)駆ければ

あなたのもとに 行けるでしょうか


春爛漫の空の下 もの想う頃です

花 幾たりと咲けども 桜 想う季節(ころ)です



歌はこちらから聴いていただけます↓
http://youtu.be/T75DghjgAeE



一番最後のところが、何故かクラシックな表現になってしまったのですが、自分でも何故だか分かりません。

その方が気持ちに合うとしか……。

このあたりも歌いにくかったでしょうね。


すっかり季節外れというか、もう梅雨の季節になってしまいましたが、桜の季節の気分を思い出していただけましたら……桜の季節の気分に合うような……そんな唄になっていましたら嬉しいです。
posted at 03:02 | | この記事のURL
もう一つのCuddly Brown [2019年06月19日(水)]
先日は、叔父が作りましたカドリーブラウンの曲を聴いて下さいましてありがとうございました。

ブログの方にも温かい応援のメッセージをいただきまして、嬉しかったです。心から御礼申し上げます。

私がこちらのブログを休んでいる間も叔父のTadao と弟、KAICHIRO の音楽活動は続いていました。

数年前には、同じ歌詞をYouTube で知り合いになった“音友”さんと叔父と弟が同時アップするという企画もあったりして、二人は張り切って……楽しんで取り組んでいるようでした。

その企画の忘れ形見のようなものかもしれませんが、この頃同じ歌詞に二人で曲を付けるということをやっています。

以前は母も私もそれぞれに当て書きしていたので、これもその企画の名残ではないかと思います。

その音友さんに感謝しないといけないかもしれませんね……。


人間が違うということは音楽のバックグラウンドも、個性も違うので出来上がる曲も全くというほど違います。

毎回、こうも違うのかと非常に興味深く……、作者というより聴き手として楽しませてもらっています。

カドリーブラウンも、少し遅れて弟もアップロードしました。

もし良かったら、聴き比べてみて下さいね。
楽しんでいただけましたら、幸いです。


歌はこちらから↓
http://youtu.be/-yu3kB8bCjA



歌詞をまた載せておきますね。テディベアの歌です。



『Cuddly Brown...君はテディベア』

公園につづく 緩い坂道
僕の足取りも 昔のようではない
たくさんの 出会い
たくさんの 別れ
目に 映り
心に 浮かぶ
離しては いけない
手を 離してしまったこともある
今となっては
どうすることも できなかった
巡り合わせ

Cuddly Brown
君を 胸ポケットに
Cuddly Brown
歩いて 行こう


母が 縫ってくれた 君
小さな体で 立派な態度さ
僕は 大きな体で
いまも ふるえる心
抱えている
おびえる心を
かくしているんだ
つぶらな瞳 あどけない口元でも
僕には
君の 優しさが分かる
とても なつかしい...

Cuddly Brown
君のように なれたら
Cuddly Brown
いいのにね


色づいた たくさんの 落ち葉
心地良い 乾いた音 踏みしめながら
遠く想う 温かな日々
静かな...たそがれ
増えてゆく
街の灯りに
人びとの 日々の
暮らしを 想い浮かべてみる
丘の上から
遠く 離れた あなたを 想う
はるかな...日々

Cuddly Brown
毛むくじゃらの
Cuddly Brown
君は 愛おしい

my little teddy bear
my little teddy bear



KAICHIRO は元の歌詞のまま唄ってくれているだけでなく、彼らしいアレンジもしていてなるほどなあと思いました。

特に最後のところがファンシーな感じで、やられたぁという気持ち……?

彼は自分でも歌詞を書くからかもしれませんね。
九年ぶりのちりめん山椒 [2019年05月23日(木)]
月曜日、千住のルミネの地下の八百屋さんでこんなものを見つけました。





そうです、山椒の実……。
毎年、5月の終わりのほんの僅かな期間だけ出回りますが、家の傍ではほとんど見かけたことがありませんし、あっても茶色く縮んでしまっていたり……。

最近はなかなかご縁がありませんでした。

山椒の実と言えば、私の中ではちりめん山椒です。
忘れかけていたお料理をまたやってみようかなと思いました。


ルミネの八百屋さんは、デパ地下のような構えでありながら、そんなに割高ではなくリーズナブルなものが多いです。
また、家の周りのスーパーでは手に入らないようなめずらしい品……この山椒もそうですが、ビーツや大阪の水茄子、ディルなどのハーブ類を買うことができます。ベビーリーフも100円以下で手に入りご近所よりずっと安いです。

それで、助かるのと楽しいのとで、出掛けたついでに寄ることが多いです。


山椒にご縁がなかったのは、自分の心に余裕がなかったのもあるのでしょうね。

売っていても目に映らなかったのかもしれません。

今回は、少し少なめに2パック買いました。それも、その内の一部はやはり今年10年ぶり位で再開した糠味噌に入れようという考えで……。

糠床に入れておくと、真夏になっても腐敗防止になったり、虫封じになったりするそうなのです。

山椒のすーっとした爽やかな風味がお漬け物に付いたらこれも美味しいかもしれませんしね……。


そんな訳で、以前作った折に比べるとずっと少なめの6パック、ちりめんじゃこを買いました。すぐ隣が乾物やお惣菜系のお魚やさんなので非常に便利です。

家に帰って計ったら……じゃこは360グラムでした。いままでに確か3回作ったと思うのですが、一番少なめの量です。


指と瓜先を使って弾くように小枝から外して……、この位になりました。





糠味噌の分は枝のまま、大さじ2ほど取り分けてあります。

そして、いつもなら村上昭子さんのレシピを参考にするのですが、丁度この日に見た『きょうの料理』が余りに違う作り方だったこともあり、全く自由にしかも時短を目指してやってみることにしました。

作り方を書いてみますね。


<2019年 ちりめん山椒>

ちりめんじゃこ 360グラム
実山椒 2パックより大さじ8

醤油 50ml(+仕上げ用 約20ml)
味醂 100ml
酒 180ml
水 200ml
塩 小さじ1
ざらめ 大さじ2

*水飴 くるみ大(最後に)


@洗う前に山椒を小枝から外す。ざるに入れて、ボールの中で水を替えながらよく洗う。最後は流水で。

A大きめの鍋に湯を沸かして3分茹でたら、茹でこぼし、流水にさらして、再びお湯を沸かす。もう一度3分茹でる。流水にさらして、ボール一杯の冷水に浸す。水を替えながら、小一時間ほどさらしておく。

Bその間にちりめんじゃこをフライパンで空炒りする。少し乾燥して、良い香りがしてくるまで。
大きなざるに入れ、あら熱が取れたら、軽く振るって細かな部分を除く。
フライパンは洗っておく。

C先ほどの深めの鍋に醤油からざらめまでの材料を入れて煮とかし、沸騰したらじゃこを入れる。中弱火に調整して時々混ぜながら九分通り水分がなくなるまで煮る。(この間、山椒は冷やしたまま)

D水分が少なくなって底が見えるようになってきたら、初めて水を切った山椒を入れる。少し煮たらすぐにフライパンに移す。水分を飛ばしながら炒り煮する。

E火を止める少し前に残りの醤油と水飴を入れ、手早く溶かす。

Fバットに拡げて、時々上下しながら冷ます。出来上がり。






……という訳で、いとも簡単に短時間で出来てしまいました。

これで良かったのかしら。

次回にはまた、ころっと違う作り方をするかもしれないけれど……。

こうして書いておくことで備忘録になれば嬉しいかな。

本の書き込みを見ると前回は2010年だったようです。
次は来年となるかどうか……。


今回の良かった点は、山椒を煮る時間が短かかったので実がふっくらしたままで風味がフレッシュだったことです。

改善点は、お砂糖類を入れてしまって良かったのかと実山椒を2回に分けて茹でたのはどうだったのかということです。

いままでは味醂の甘さだけでした。
山椒の風味はちゃんと残ってはいます……。

食べてくれた家族の感想をよく訊いてみようと思います。
posted at 00:24 | simple food | この記事のURL
ありがとうございました。 [2019年03月15日(金)]
先日は、数年ぶりにブログを書いたにも関わらず、ご覧下さいましてありがとうござました。

余りに久しぶり過ぎて何から書いたら良いか分かりませんでした。
旧友に会って詰もる話がありすぎてかえって何も話せなくなってしまったような、そんな気持ちでした。


音楽も聴いて下さったのですね。

『カドリー・ブラウン』の再生回数も増えていますから、聴いて下さったんだわ……と嬉しくなりました。ありがとうございました。


DHC ブログをお休みしている間も、時々来て、愛読させていただいていた方のブログは拝見していましたし、更新していないのに「ほしい」や「おうえん」が増えてゆくのを見て、待っていて下さる方がいらっしゃるのだろうかと……とても有難く、また書けない自分がもどかしく……恐縮したり、心温かいご支援に感謝申し上げていました。


先日のブログにも、さっそくに足跡を残して下さり御礼申し上げます。

いつも拝読させていただいている方ばかりですが、懐かしいお名前が並び……感激していました。ありがとうございます。


再開はしてみましたが、続けられるかどうかは分かりません。

自分でも心の方の元気が全然ないなあと思っています。
このブログを始めるときに辛い日常の中でも楽しいことだけを書いてゆこうと決めていたのですが、辛いことばかりになって押し潰されてしまったとき、書けなくなっていたのだと思います。


『にゃーにゃのお城の物語』も、始めの方だけで止まってしまっていて10年以上前の記憶は薄れるばかりでしょうから、困ってしまいますし……。

姪や甥にでも将来読んで貰えたら……とこちらで公開することを考えずに個人的に、自分の心の旅のお話として残しておけたら良いのかなあと思ったりしています。

そういうことをするにも、いまの自分からしたら莫大なエネルギーが必要そうで、戸惑ってしまう自分がいることも確かです。


でも、こうして再び書き始められたことに感謝しながら、自然体でいられたら良いなあと思います。

いま心の中は涙の泉でいっぱいな気がします。

それでも毎日笑顔にもなりますし、家族のために美味しいものを作りたいなあと頑張っている自分もいます。

少しずつ書いてゆく内に、心のリハビリのように……なったら良いかなあとも……。

これからもお付き合いいただけましたら、嬉しいです。
どうぞよろしくお願い致します。


今日は、下書きに入ったまま中ぶらりんになっていたブログを載せてみました。

2016年の2月まで遡るようで、びっくり。

少し書き足して、日付は変えないまま前々回のところに「林檎のケーキ 2016年ブログ」として載せています。

もしよろしければ、ご覧下さいね。
posted at 12:38 | その他 | この記事のURL
カドリー・ブラウン [2019年03月08日(金)]
お久しぶりです。

テディベアの歌を作りました。

良かったら、聴いてみて下さいね...。



曲はこちらから↓
http://youtu.be/8dc5hSTcaTg



歌詞はこちらです。
これは原案なので、叔父の歌っているものと少し違っています。


『Cuddly Brown...君はテディベア』

公園につづく 緩い坂道
僕の足取りも 昔のようではない
たくさんの 出会い
たくさんの 別れ
目に 映り
心に 浮かぶ
離しては いけない
手を 離してしまったこともある
今となっては
どうすることも できなかった
巡り合わせ

Cuddly Brown
君を 胸ポケットに
Cuddly Brown
歩いて 行こう


母が 縫ってくれた 君
小さな体で 立派な態度さ
僕は 大きな体で
いまも ふるえる心
抱えている
おびえる心を
かくしているんだ
つぶらな瞳 あどけない口元でも
僕には
君の 優しさが分かる
とても なつかしい...

Cuddly Brown
君のように なれたら
Cuddly Brown
いいのにね


色づいた たくさんの 落ち葉
心地良い 乾いた音 踏みしめながら
遠く想う 温かな日々
静かな...たそがれ
増えてゆく
街の灯りに
人びとの 日々の
暮らしを 想い浮かべてみる
丘の上から
遠く 離れた あなたを 想う
はるかな...日々

Cuddly Brown
毛むくじゃらの
Cuddly Brown
君は 愛おしい

my little teddy bear
my little teddy bear


昔、代官山にカドリー・ブラウンというテディベアのお店があったそうです。

きっと素敵なお店だったんだろうなあ...といつも想像していました。

そして、最近数年間悲しいことが続いたこと...昔、代官山の街にお菓子を習いに通っていたこと...よくフランス人のシェフPさんがお散歩をするのを見かけたこと...彼がベルを中庭に入れて下さったこと...ヒルサイドテラスの桜の下の食事、ベルも一緒に...など街の思い出、叔父を元気付けたい気持ち...

意識した訳ではありませんが、そんな想いがこの歌につながったような気がします。

桜を待つ季節ですが、落ち葉の歌です。


*Cuddly Brown...は「抱きしめたいような、茶色の...」というような意味です。



林檎のケーキ 2016年のブログ [2016年02月17日(水)]
お元気ですか。また少し間があいてしまいました。

その間にいろんなことがありましたが、こうしたネット環境で大きなことと言えば携帯を新しくして、タブレットを買ったことでしょうか。

いまこのブログもタブレットで書いてみています。

しばらくマイページにログインしていませんでしたが、ここ数日たくさんご覧いただいていたようでありがとうございました。

せっかくだから何か書いてみようと思ったら、眠らせてあるブログを見つけました。

写真だけが貼ってありました。ご覧くださいね…。


少し前のことですが、エーデッガー=タックスに行った後、何だかドイツやオーストリア風の平らに焼きっぱなしで作るケーキが食べたくてたまらなくなってしまいました。

お店でも売っていたけれど、もうたくさん買ってしまった後だったので横目で眺めるだけで諦めたのでした。

人形町のタンネに行っても、平らに伸ばしたバターケーキの生地の上に黒いケシの実やその時々の季節のフルーツをのせて焼いただけの素朴なケーキが何種類も並んでいます。食べる時もひとつずつ四角く切るだけです。

そんな焼きっぱなしのケーキが何故だか昔から好きです。普通の深い型で焼くのと違ってさっくり焼けるので少し水分が多いフルーツを入れても外側がカリッと焼けるし、焼く時にのせれば良いので、生地とフルーツが混ざってしまわず、ケーキの部分はそのままキャトルカールの味がするのも嬉しい…。

そんな訳で、たまにですがこのタイプのケーキを作ります。

今回は林檎です。年が明けてからの林檎は、保存品になってしまうので、どうしても味がぼけてしまいますよね。シーズンの紅玉ならそのまま刻んでのせれば美味しくできそうですが、この時のふじはちょっとふわふわしかかっているほどでした。

これじゃあ、焼いたら何のフルーツだか分からないほど個性がなくなってしまいそうです。

そこで、あらかじめコンポートにしてみることにしました。たっぷりのバターでソテーすれば美味いでしょうけれど、父の体に悪そうだし、最近バターは貴重品です。



……とここで、2016年のブログは終わっています。

前の「コーヒーがくれた道」から10日ほどしか経っていませんから、間が空いたといってもそれほどではなかったのですね。

その頃にタブレットを買ったのですね……。自分でも忘れていました。

その二月から三月に祖母のお世話……介護が限界に達し、ブログも書けなくなってしまいましたし、私たち家族の生活も大きく変わってしまったのでした。

写真を見ると、ケーキは成功したようですね。

多分、コンポートはくし切りの林檎を三つくらいに切って、まずレモンが少し入った薄めのシロップで煮て、ほぼ煮つまってから最後に少量のバターを落として火を止めたのだと思います。

これは昔持っていたオーブンレンジの天板をケーキの型として取っておいたものなのでいまのオーブンより小さめですが、オーブンの天板をそのまま使うことももちろん可能です。

天板にアルミホイルを敷き詰めるだけなので、準備も実に簡単です。





こんな風にキャトルカール的な生地を敷き詰めた上にフルーツやナッツを散らして焼きます。

取っておかないでその場で食べてしまう場合は、分量がキャトルカール……四分の四……つまり、卵、バター、砂糖、小麦粉が同量でなくても大丈夫です。

以前何度かご紹介しましたが、佐藤雅子さんのレシピ粉200グラム、砂糖80グラム、バター80グラム、卵2個、ベーキングパウダー小さじ2の配合からキャトルカールまで幅はいくらでも応用がききます。

子どもが相手のときはバターだけを100gにしてボリュームを出すとか……。

天板が大きい場合は、粉の量を300〜500グラムに増やして計算しますが、このケーキは本当に底の方に生地があるだけの方が香ばしく焼けて美味しいような気がします。

生地の部分も思ったより膨らみます。





そう言えば、オーブンも一年近く故障したままにしていて、年内にようやく修理しました。

こんなに長いことケーキを焼かなかったのも初めてのことでした。

このタイプのケーキはオーブントースターでも作れるんですけどね……。





写真を見ていると食べたくなりますし、焼きたくなりますね。


昔、一度だけウィーンに行ったことがあるのですが有名なデーメルがある通りに小さなパン屋さんがあって、そこはデーメルと違っていつでもがら空きでしたから、妹とよく行ってパンではなくケーキを買っていました。

こんな風な本当に素朴な焼きっぱなしのケーキばかりです。

特に好きだったのは、モーンクーヘン……黒いケシの実がたっぷりのったケーキでした。

それで、こんなに美味しいケーキならぜひ家族に食べさせてあげたい……と帰国のときには奮発してデーメルで買って帰りました。

そうしたら何と、あの小さなパン屋さんのものの方が美味しかったんですよね。
不思議……。

「だから、そんな近くでもやっていけるんじゃない?」と妹や母と話した覚えがあります。


この手のケーキを見てもうひとつ思い出すのは森村桂さんのことです。

彼女が亡くなってからも、もう久しいですね。

もう一度軽井沢に行って、彼女のケーキを食べてみたかったのですが……。



*このブログの後半は、2019年現在に書いています。
posted at 12:26 | cake cake cake | この記事のURL
コーヒーがくれた道 [2016年02月05日(金)]
歌詞 : KAICHIRO  作曲・歌 : Tadao

アンヂェラスの二階窓から 路地裏を眺めていた

少年が得意げに独楽を回している

僕の気配に気付いたのか 見上げる少年はにっこり笑って

オレンジ通りをかけていった

頭の中でジャズばかり流れていた頃を思い出しては

こうしてコーヒーを飲みながら 時を流している

懐かしむように 惜しむように

あぁ あの頃は何故 あんなに心がざわめいたのだろう

あぁ いまの僕は何故 こんなに安らかなんだろうか

あぁ 過ぎ去りし日々よ、、、


三社祭ではお神輿が舞い 人々の心は躍っていた

16の春に僕は そう 大人の道を選んだったな

あぁ 素敵なことが たくさんたくさん僕に訪れて

あぁ 辛いことも たくさん乗り越えてきた

あぁ 過ぎ去りし日々は 僕を優しく見つめている

あぁ 過ぎ去りし日々よ あぁ ありがとう


水出しコーヒーはいつも

僕のほろ苦い思いを流してくれた

そして今はこうして 満たされた時を

ゆっくり進めてくれている

明日へ、、、 明日へと、、、


背の高いウェイターがにっこり笑って 扉を開けてくれている

さあ この店を出よう 一日が終わる

そして また素晴らしい一日が訪れるだろう

歩いて行こう 明日へ 明日へと コーヒーがくれた道を

歩いて行こう 明日へ 明日へと コーヒーがくれた道を


歌はこちらから↓
http://youtu.be/QgWYu-zK6jM



人生太鼓』はさっそくに聞いてくださいまして、ありがとうございました。叔父もとてもよろこんでおります。

実は年末も押し迫ってから、録画会をしました。私が不調だったものでアップロードが遅れてしまいました。

今日は夕ご飯も早く終わったので、取りかかることができて嬉しいです。

この度は録画会すべての曲が弟の手による歌詞だったのも異例のことです。

これから折に触れて、聞いていただけたら嬉しいなあと思っています。


この曲は、私たち姉弟の育つ頃の思い出の店、浅草のアンヂェラスが舞台になっています。

そして主人公は限りなく弟に近いと思われる人物。

本人に聞いたら「違うよ、架空の人間だよ」と言うかもしれませんが、メンタリティはかなり近いと見ました。

なので、初めて聞いたときはとても考えさせられました。

最後にはガイコツさんだと思われる人物も登場するのですね。母は、このウェイターさんがもっと登場しても面白かったかもねと言っていました。

独楽を回す少年は、遠い昔の弟自身が投影されているのでしょうか。そんな気がしました。

駆けてゆく少年…。情景が目に浮かびそうです。


余談ですが、アンヂェラスはこの歌詞の通り水出しコーヒーなので、温かいコーヒーはそれを温めて出すわけですよね。

だから、通は冬でもアイスのダッチコーヒーを飲むわけです。ブランデーグラスのような形の香りが楽しめるグラスにクラッシュドアイスが入っていて、テーブルに持ってきてからお客さんの目の前で実に鮮やかな手つきで小さなグラスから勢いをつけて注ぎ入れてくれます。

ガイコツさんの手さばきは、他のウェイトレスさんやウェイターさんとはひと味違う「タメ」があって、実にお見事でこう言ってはなんですが一際美味しそうに見えるのでした。

この頃浅草に行くときは、大抵にゃーにゃが一緒だし、アンヂェラスも外から眺めるだけなのですが、どうもいつ見ても「彼」がいないように思います。

浅草自体めったに行かなくなってしまったので、分からないだけかもしれませんがもう引退してしまったのかしらとさびしく思っています。

もう開店から71年経つお店ですから、働くひとだって入れ替わりますよね。

何だか、私は彼が紅顔の青年でまだお仕事にも慣れず、コックコートのような白い半袖の制服を着て緊張している姿を想像できるような気がするのです。

幻かもしれませんが…。


アンヂェラスも長い間には変わらなく見えても内装が少しずつ変わってきましたし、昔は3階で結構な洋食もいただけました。

そのキッチンもいつの間にか閉めてしまって、いまでは喫茶に特化しているのですよね…。

弟は小さいのにいつもスパゲティのミートソースを3皿も食べていたように思います。

そんなときはいつもTシャツの上からお腹がぽこんと出ているのが分かりました。

私はハンバーグステーキ。お腹がそれほどじゃない時は、ミートソースにして…。妹はいつもナポリタンでした。

母はエビフライとマロンパフェ。父が何を食べていたかは、何故だか思い出せません。毎回違かった?


あら、何だか歌とは全然違う方にお話が行ってしまいましたが、ちょっとほろ苦い男の物語、聞いていただけましたら、幸いです。

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