おじは齢八十をすぎ、軽度ではあるが、
おばが体が不自由になってしまったのを面倒をみている。
介護、、と言えるのかもしれない。
子どもがいないため、そして、自分の親たちがお世話になり、
自分達も子ども時代お世話になった大事なおじとおば。
いとこ同士の数名で気にかけて応援している。
電話でいろいろと話を聞き、大変であることを言っていたので
「こういう制度もあるよ」と後から連絡すると
「いやあ、おばちゃんは良くなっているから大丈夫」。
そういうやりとりが何度もあってから気がついた。
そうか、自分が大変であると周囲に言いたいのだ。
問題解決よりも、周囲の関心が欲しいのだ、、、、。
長年連れ添った妻の姿に悲しみ、自分のことだって不安。
そして、何よりも、自分が頑張って面倒を見ていることを
認めても欲しいし、気にかけて欲しいのだ。。。。
一方、最近仕事で若い女性を叱らなければならず、
しか
しそのあと、二人になって「あなたには、こういう
いいところがあるから、ああいうことをするのよね。それは、
わかっているのよ。それは別に悪いことってわけじゃないの。
でも仕事は仕事。いいところは正しい使い方をしないとね。」
というようなことを伝えた。
すると、、、、、、、
他の若い子たちまでが一斉に甘えてくるようになった!!!!
ああ、そうなのか。もっと見ていて欲しいと思っているのだ。
自分は頑張っていると、誰かに見ていて欲しいのだ。。。。
将来があるから、自分が伸びることを本当は望んでいる。
適切に導いてくれる人がいれば、きちんと伸びていけるのです。
ひいては、そういう環境を作っていける人になれば、
一生大丈夫なんだろうと、思うのです。
「見ていて欲しい」「認めて欲しい」「励まして欲しい」
年齢を問わず、それは当然なのだと思うのです。
おそらく、きちんと見ていてくれる人がいて、自分を成長させる
ことができる。大変なことをこなしていけるようになる。
それが適切になされないと、「承認欲求」が満たされず、
間違った方向に向かうことになるのではないか。
モンスターペアレント、不倫、軽犯罪、、、、、、
これらは、私の中では、同類なんです、、、。
モンスターペアレントは自分が問題を抱えている。
不倫は、承認欲求をお手軽に性に求めてしまっている。
軽犯罪は自分に対するの責任を放棄している。。。
と、勝手に想像しています。
もちろん、どんな場合にも、止むを得ない事情有りという
ケースがあり、そういうケースまでは含みません。
細部まで語ると長くなるので省略しますが。
コミュニティーの崩壊は社会の危機。
散弾銃の犯罪を含め、
大本はそれに由来するように思うのです。
「がんばっているんだね。」
たぶん、普段なかなか言えないけど、
言葉で表すべきなんだろうと思うのです。
だって、皆が自分の位置で、がんばっているんですものね。