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友・朋・共・供・智・・・♪ [2008年12月03日(水)]
友達は大事。

友達は大切です。

宝物です。

みんな、大好き

左上の曲、送ります・・・
聖人になるということ・・・ [2008年12月03日(水)]


 ピンクの薔薇は「愛の勝利」。



祈りをもって成聖の道を日々 ひた走り

自分と善く戦い

自分を捨て

愛に燃え尽き

惜しみなく自分と苦しみを献げ

愛しながら死を迎え

十字架の上で人生を完成されることに任せるように思える


すべてを委ねて


主が求められる御望みはとても高い

高飛びのハードルのように

生涯をかけて

毎日挑み続ける

回心の過程そのものが道となって

後ろに出来ていく


私は神と人と世界を

どれだけ愛せるだろうか

愛のために死ねるだろうか


けれどももう

人間的に考えるのはよそう

私の中に御摂理だけがあればいい


恵みを受けて

恵みを生ききる



神の御母にやさしく また厳しく

導かれるままに


主のみ元へと

愛してやまない十字架へと  
イギリスの♪ [2008年12月02日(火)]
新しい曲UPしました。

左上です。
出エジプト・・・ある方のメッセージより [2008年12月02日(火)]
 聖書というのは、学ぶものではない。

神のことばとして受け止め、神の業を信じ、神を信頼するためのものである。

そういう意味では、この出エジプトの物語はいつでも、私たちに希望を与える書となって読むことのできるものである。

だが問題は、私たちの心の側の問題であったりする。

モーセは、エジプトの苦難からイスラエルの民が解放されることを伝えたが、民は、

落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった」とある。(9節)

 もう、何十年も前の話になるが、祖父が、私の母である自分の娘の行く末を案じて、わざわざ、郷里から牧師を訪問させるようにしたことがあった。


当時は蒸気機関車の時代で、郷里から私たち家族が住んでいる所まで約6時間かかったであろうか。崩壊家庭の中で、苦しむ母に、キリスト教会へつなげることが出来たら、救いがあると思ったのである。


その牧師はまだ若かったが、青白い顔をして、生活にくたびれたようなみすぼらしい姿をしていたようで、薄っぺらな財布を取り出すと、

お金を叩いて、タクシーで近くの教会まで連れて行ってくれたのである。


私も当時は幼稚園生であったような気がするが、母と一緒に連れられて教会へ行き、礼拝の間外で牧師婦人が遊んでくれた記憶がある。


ただ、母に聞くと、当時は、どんなによい話でも、悩みが深くて受け入れられなかったのだという。

だから、
「神様がいるんだったらなんで私はこんなに不幸なんだ」

とその牧師に吐き捨て、以降、教会にもいかなくなったのだという。

だが、それから、数年、母がいよいよどん底に陥って、母はもはや神によりすがる以外生きる道を失った時のこと、
母は、16年前に癌で無くなった自分の母が、

つまり私の祖母が、死の間際まで、

床の中で自分の子どもたちが救われることを祈った祈りの姿を思い浮かべたのである。

教会へ行こう、

教会に救いがあるかもしれない、

と母は再び近くの教会の門を叩いて、

結果的に信仰を持つに至った。最近その牧師が80歳近くになって、


住んでいる場所を知る機会があった。

元気な内に会いに行って、かつての失礼を詫び、母ともどもお礼を言いたいところである。

 私はそんな経験からも、

「落胆と激しい労役のためモーセに聞こうとはしなかった」

ということが良く理解されるし、


そういう人に対しては、信じられないのであれば信じなくてよい。

ただ無理に神を信じようとせず、

どこか心の片隅に、希望を与えてくださる神がおられることを覚えていくようにしたらよい、

と言いたいと思う。

そのように、神様を否定したくなりつつも、やはり希望を神に抱く心があれば、信仰を決断する機会もあるだろう。神が期待を裏切ることはないと私は思っている。


 世の中は真直ぐなことばかりではないし、

むしろ、馬鹿馬鹿しいことの方が多い。

いかんとしがたくねじれていることが多い。

そういう中にいると、自分自身も愚かになり、ねじれてくる、それが人間として一番悲しいことでもあると思う。けれども、そういう中で、もし、正しく守られて生きたいと願う気持ちがあるならば、やはり神に希望を抱く他はない。


ヤコブが、おじのラバンに騙されて、いいように利用された時に、

ヤコブは自分を救おうとして、おじラバンの富を逆に利用しながら自活の道を探っていた。

彼は自活できたが、結局それでどうなったか。

結果的には神に信頼することを繰り返し学ばせられていくのである。

神を信頼することなしに、彼の人生に救いはなかったのである。

人間的に自分自身を救おうとせず、神に信頼する。


神の救いを徹底して待つべきである。

いかなる落胆と激しい苦難があろうとも、聞く耳をもつことができずにいることがあっても、神に信頼する、これが最善であるというところに戻っていきたい。


 事実、モーセにとっても、パロの反対、民の不信、神の命令に従うことの思わぬ結末という、障壁は、

神の「強い手」(6:1)を知るための障壁であった。


いよいよ、神の全能性(6:3)に信頼するための機会であったのである。

耳を貸そうとしない民に、そのことを納得させていく課題に直面し、自身が口べたであると恐れをなすモーセに、敢えて命令をくだされている。

もはや神を信頼する以外にない。

使命を与えられる神が、その使命にそって事をなされる方であることを信じることである。

神はわが力、わが避け所と、今日も神のもとに安らぎつつ歩むこととしよう。


いのちのことば社のホームページより [2008年12月01日(月)]
<教会学校の実情を探る>愛と楽しさ満載 子ども礼拝−−アッセンブリー・エヴァグリーン・チャペル
 東京都町田市にあるアッセンブリー・エヴァグリーン・チャペル(内村義宜牧師)で11月9日、子どもたちのための礼拝「キッズ・セレブレーション礼拝」が開かれた。

礼拝は、11月15日の七五三を前に、「神様が造られたすべての動物に勝って、あなたは神様の最高傑作」というメッセージを子どもたち一人ひとりに伝えようと企画されたもの。

当日は、教会員や地域の子どもたち、保護者など約90人が参加した。
 子どもたちによる元気な賛美&ダンスで始まった礼拝は、お祈りや証も子どもたちが担当。

照れながらもはっきりとした言葉で語る姿に、保護者が目を細めた。


 内村牧師は、「神様からのプラン」と題してエペソ2・10、エレミヤ29・11からメッセージ

多色の布を縫い合わせたパッチワークキルトを例に挙げ、

「一つひとつは、使い端の布だが、縫い合わせることできれいな作品になる。

一つでもなくなってしまうと完成しない。

あなたはその一つで、愛されているということを忘れないでください」と語りかけた。


 (写真上:子どもたちの元気な賛美に拍手が。写真下:スナックパーティには数十種類のお菓子が並んだ)
-クリスチャン新聞2008年12月7日号より-
パパクッキング [2008年11月30日(日)]
昨日は友達の仁木博文君の衆議院選挙のお手伝い?

・・・というか、単に奥さまにお会いしたかっただけなのですが、

パパクッキング教室のお手伝いに行ってきました。

母が会員ですので、急に言っても快く入れてくださいました。

子供たちとお母さんたちは別室で遊び、

パパさんたちだけの教室・・・


楽しかったです。

同級生って、何でも言えるので、言いたい放題・・・

お医者さまって、野菜切るのも実験みたい・・・

おもしろすぎる〜〜

彼は真剣なのですが、

私は面白かったです。


彼の友達も来ていたようで、写真も撮りました。

彼のブログにUPするのかな〜楽しみ。

選挙は遠のきましたが、その分、ゆっくりと、ゆったりと、本来の彼の姿に戻って、

彼らしさを十分にだすことができたら、今度こそは国会にいくことがゆるされるのではないかなと、信じています。


相手が有名人なので、彼は相当な努力しています。

奥さまも本当はきこさまのようなお譲さまなのに、人に頭下げて、健気でかわいそうです。


あんなにかわいらしい純粋な心のやさしい気持ちをもったご夫婦、総理大臣になったら日本はどんなに素晴らしい国になるだろうと思います。

国際交流を小さい時から身につけている彼のご家庭のうえに、豊かな神さまの祝福がそそがれますように、心からお祈り申し上げます。


今日のカトリック教会の英語のミサ、三時からと、四時からの聖歌隊練習に、

忙しい中、導かれますように、

断る勇気を、彼らにお与えください・・・


今日の四時には、徳島県内の敬虔な素晴らしいクリスチャンたちが集まります。


聖歌隊、選ばれた方のみはいることが赦されます。


人生で一番楽しいひとときでした。

あと二回練習して、

12日の市民クリスマス、デビューです。


郷土文化会館、夜7時だったと、思います。

たぶん・・・
ヒーローUPしました♪ [2008年11月29日(土)]
私たちのヒーローはイエス・キリストです。

他にいません。

アベマリアの上にヒーローUPしていますので、左の上にあります。

これは、大震災の前の日のコンサートで一番最初に聴いた曲です。
岩をも動かす信仰☆ [2008年11月29日(土)]
かわらないことば
しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。(1ペテロ1:25)

「わたしの教えを聞いてまもる人は、

かたい岩の上に自分の家をたてた、

かしこい人ににています。

大雨がふりつづき、こうずいになっても、

大風がふきつけても、その家はたおれません。

岩の上にたててあるからです。」

『イエスさまはいつもいっしょ』11/29から引用



岩のような信仰・・・

信仰は岩をも動かすと書かれてあります。

実際に阪神大震災の前の日、シャウトゴスペルクワイヤーのコンサートが堺であり、

ホームレスさんたちを助けるために叫びました。

次の日堺のライトハウスの礼拝に出て、


徳島に帰ってきた朝、揺れました。

テレビつけると恐怖の・・・


神戸の方たちもホームレスさんになってしまいました。


神さまのご計画は、今は私たちにはわかりませんが、

今、弱い者は叫ぶとき。

貧しいものは立ち上がる時です。

民主党の応援していると、弱い、困っている人たちが弁護士の先生のところに相談にきます。

話聴いていると、日本の国は本当にひどい。

強い者のために動いてる。

弱いものにするのは表面だけの偽善。・・・


辛い世の中です。

勘違いされ、影ぐちたたかれ、


キリシタン弾圧はすごいです。


でも、イエス様がいつも朋にいてくださり、

助けてくださるのがわかるから、

求めるものは与えてくださるから、


安心です。

たくさんの奇跡を見てきました・・・・・・・・

イギリス人の友達に会いたい〜


イエス様に祈りましょう〜


アーメン、本当ですの意味。

ハレルヤ、神様を称えます。

神の国とその儀をまず第一とする時、

すべては与えられる・・・ハレルヤ



フィンランドミッションから働きに感謝します。
待ちわびて・・・ [2008年11月28日(金)]
それはユダヤ人モルデカイが……自分の民の幸福を求め……。(エステル10:3)

モルデカイは真の愛国者であった。

そのため、アハシュエロス王によって最高の地位に上ったが、その高い地位を、イスラエルの繁栄を促進するために用いた。この点において彼はイエスに似ている。

イエスは、栄光の御座にあって、ご自身のことを求めないで、その御力をご自身の民のために用いておられる。

もしクリスチャンが、教会に対してモルデカイのようになり、能力に応じて教会の繁栄のために尽くすならば、それはよいことである。


ある人たちは豊かであり、権力のある地位についている。

彼らに、この地上の高い位において、彼らの主をあがめ、人々の前でイエスのために証しをさせよ。

他の人々ははるかによいものをもっている。

それは、王の王なるお方との親密な交わりである。

彼らに日ごとのとりなしをさせよ。

主の民のうちの弱い者、疑う者、誘惑のうちにある者、慰めのない者のために。

もし彼らが、暗やみの中にあって恵みの御座に近づくことのできない者たちのために多くのとりなしをするなら、それは彼らの名誉となるだろう。教養ある信仰者が、その才能をよい事のために用い、人々に神のことを教えることによって、彼らの天の学問の富を人々に与えるならば、彼らは主のために力のある奉仕をすることができる。私たちイスラエル人のうちで最も小さい者も、神の民の幸いを求めることができる。そして彼の願いは、ほかに何もすることができなくても受け入れられる。


信者が自分のために生きることをやめるのは、キリストに最も近いことであり、しかも最も幸いな道である。


他の人々に祝福を与える者は、必ず自らも祝福を受ける。

それに反して、自分自身が大きくなろうと求めるのは、邪悪で不幸な人生の計画であり、その行路は悲痛、その終局は致命的である。
友よ。あなたに問う。あなたは教会が富むことを求めて、最善を尽くしているか。

友よ。


主にある貧しい者と一体となり、彼らの十字架を負い、できる限りの益を与えよ。

その報いをあなたが失うことはない。

『夕ごとに』11/28から引用

【今日の聖書】 [2008年11月27日(木)]
【今日の聖書】
宮にはいられたイエスは、商売人たちを追い出し始め、こう言われた。

「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』と書いてある。

それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」

                         (ルカ20:45&46)


いろんな牧師がいます。

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