僕は無神論者でおまけに無知なので、神学的なことはサッパリですが、チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』なら見ました。物語を知らない人のために説明しますな。
奴隷として労働を強いられていた大勢のヘブライ人を引き連れて、ファラオの軍勢から逃げるモーゼ。いよいよ海っぺりに追いつめられて、もうダメだあああーってなったとき。海がですな、こう、こぱあっと、こぱあこぱあっと、割れてですな、海が。むき出しになった海底をわらわらーっと歩いてヘブライ人は逃げ伸びるんですな。そんで、シナイ山のふもとまで辿り着いたモーゼは、神様に導かれて山頂をあふあふうって目指すわけです。そこに神様が雷みたいなのでどかーん!どかーん!ってなって石板に文字書いて、そんでモーゼがまたあふあふうってなって・・そういうお話です。わかりましたね。
さて、こうして神様から授かった十戒です。宗教によって解釈はすこし違うようですが、カトリックの場合、こんな感じです。(宗教は解釈が複雑なので、もし間違っていたらごめんなさい)
わたしはあなたの主なる神である。
1. わたしのほかに神があってはならない。
2. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3. 主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4. 汝、あなたの父母を敬え。
5. 汝、殺してはならない。
6. 汝、姦淫してはならない。
7. 汝、盗んではならない。
8. 汝、隣人に関して偽証してはならない。
9. 汝、隣人の妻を欲してはならない。
10.汝、隣人の財産を欲してはならない。
どう思います? 最初のいくつかは宗教色が強いですが、汝〜以降は、人間の本質そのものと思うのです。例えばこんな会話。聞いたことありますか。
「奥さまーっ! 聞きました? モーゼの十戒。またひとつ消滅したらしいですのよ」
「あーら、奥様。本当? これで残りはモーゼの六戒ってことですわね、おほほほ」
「順調に減りよりますわねえ」
「それで今回はどの戒律がご消滅なさったのかしら?」
「それはね、奥様。十戒、その9。『汝、隣人の妻を欲してはならない』みたいですの」
「んまあ。素晴らしいことですわねえ。というか、いまの私たちには考えられませんわ。人の妻や夫を欲しがる気持ちが湧くなんて」
「おっしゃるとおりですわ。一度人を好きになったら一生、その人とだけラブラブで、その他の異性にはまったく興味が湧かない私たちからしたら、過去の人間はバナナナメクジ以下の存在ですわよねえ、ほっほっほ!」
「ホントですわ、おーっほっほっほ!」
・・・
・・・
『汝、隣人の妻を欲してはならない』。
これは道徳上、絶対的にその通りであるにもかかわらず、それを心から欲しがらない人間がいたとしたら、不気味以外のナニモノでもないという矛盾。
『汝、隣人の妻を欲してはならない』・・
『汝、隣人の妻を欲してはならない』・・!!
『汝、隣人の妻を欲してはならない』・・!!!
言われれば言われるほどですな・・別に欲しくないか・・やっぱちょっとだけ欲しいかな・・いや、やっぱ欲しい気がする・・いやいや! 汝はめっちゃ欲しいです、人妻ーっ!! これがナオキチの本心、いやいや、人間というもの。
人間はこの100年で天然痘を根絶し、ペストを追いやったのに、紀元前に神から授かった十戒は、3千年を経た今も、ただの一つも克服できていない。過去の悪しき心の荷物として記念碑の底に眠らせてやることができない。これから100年後は? 1000年後は? きっと変わらない。僕らは人間だから。
(続く
)
聖書の言葉を不謹慎に引用したこと、お詫びいたします。
礼にはおよばないよ〜。
また遊びにおいで