こんなことがありました。1631年にイギリスで出版された聖書で「not」を書き漏らし、「汝、姦淫すべし!」になった版が流通したそうです。これは姦淫聖書と呼ばれています。姦淫とは「男女が道義に背いた肉体的交渉をもつこと」(大辞泉より)。まあ、平たくいえば神様が大乱交せよと、おおせになったわけですな。きっと国中が祭りになったことでしょう。僕だってその時代に居合わせたなら言いたい。
「ちょっくらイギリス行ってくる」。
女子のみなさんは姦淫聖書をどう思いますか。いやらしい! そう思ったって、あなたたちの恋愛対象はみんな「ちょっくらイギリス行ってくる」野郎ばっかりなんです。それに・・オーランド・ブルームやヒュー・グラントと姦淫してもいいですよ、だって聖書が認めていますから! そういわれてあなたは「ちょっくらイギリスに・・」行ってみたくないと言いきれますか?
恋愛感情を低く見るつもりはありませんよ。けれど、恋愛感情は消費してなくなるものです。非難を恐れずに言うなら、ロマンスの永遠を主張するほど、薄っぺらく、こっけい。恋愛は3年、なんていう学者もいます。恋愛感情を引き起こすホルモンは脳には負担が大きくて、リスク回避の意味でも、次第に薄れるようにできているのだそうです。
ですから、恋愛は始まった瞬間にパンドラの箱が開いてしまっている。甘いロマンスは少しずつ漏れ出し、やがてすべて無くなってしまうか、ごく稀に、底に情が残ることがある。その小さな欠けらを拾って、大事に温めるのが結婚というものではないでしょうか。
恋愛はホルモンが作り出すひと時の舞台装置。人生には大事なものだけど、それは演じて楽しむものだと自覚するべきもの。緞帳(どんちょう)の降りない芝居はない。そして、緞帳は降りなければならない。すべての恋愛の数だけ結婚がある、そんなことが現実になれば、世の中には不幸の種がワンサカ蒔かれることになるでしょう。
だからね、女子のみなさん。恋愛を、いや、人の本質をよく理解してほしい。
恋愛時代の彼氏が素敵に見える。人のダンナさんが素敵に見える。
「しゅわっち!」
それは、男たちがあなたの前で無理してウルトラマンに変身しているからです。けれど、ウルトラマンはたった3分しか戦えない。舞台裏では、ショッボーイ、なんの取り柄もない横分けの男に戻ってしまいます。見えないものを正しく想像できず、ロマンスで埋めるのは愚かです。あなたの前で素敵な彼は、家族や奥さんの前では「これ以上変身できません。しゅわっち!」なダメ男。モコミチとイマイチくらいの差があります。
結局、無理にして変身している以上、ウルトラマンに地球は救えない。けれど、もしも。横分けに戻った男がその弱々しい手に情を握っていて、あなたがそれを一緒に苦労して育てる気があるのなら。
そこで初めて、恋愛のその先を考えるべきだと思うのです。
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いい言葉ですよねえ。
僕は結婚に前向きでないまま歳をとってしまったけど、
nahnaさんのような結婚観に触れると、やっぱり人の成長のために必要なことなんだろうなーと考えてしまいます。
一度壊れても大丈夫。
もう一度作ればいいだけのことですよ