メタボ治療薬を服用しつつ、「らくらく」「なめらか」「さえざえ」「ダイエットパワー」「フォースコリー」「ニュースリム」「COQ10」「ブルーベリー」「DHA」「パーフェクト野菜」などを毎日1錠 。3年以上続けています。

体重68s→62s台、体脂肪率26%→22%台、血糖値は下がりつつあるが、基礎代謝量、筋肉量、骨量は減り気味。どこかおかしくないか。

身体的、地域的、文化的、精神的な活動面はブログの他自己紹介欄を。(初回2012.01.12 ths 。一部改訂14.9.28 sun。)

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講習予備検査と高齢者講習(75歳以上の免許更新) [2015年07月16日(木)]
昨日、午後1時から4時過ぎまで、千葉の教習所で受けた。

これらを受けないと免許証の更新はできない。

講習予備検査 = 判断力、記憶力の状態を知るための簡易な検査と 「時間の見当識」・「手がかり再生」・「時計描画」の3つの検査

高齢者講習 =  座学+ 運転適性検査等+ 実車

無事、更新の際に必要な講習終了証明書が交付された。
更新手続は、この証明書を持参し、運転免許試験場、運転免許更新センターまたは警察署で行なわれます。


詳しく知りたい向きは、各都県警のホームページを見てください。



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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[141] [2015年07月11日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/7月例会報告

T 市の出前講座 「情報公開制度と個人情報保護制度について」(総務課)

<情報公開制度について>

 市民の市政への参加を促進し、より開かれた市政を推進するため、市では、「富津市情報公開条例」を定め、市民の皆さんからの請求(行政文書の開示請求)と市が保有する情報を積極的に提供しています。

☆行政文書の開示請求

 市民の皆さんからの請求に応じて、市が保有する行政文書を開示します。

 対象となる情報は、職員が職務上作成し、または取得した文書、図面、写真、フイルム及び電磁的記録であって、職員が組織的に用いるものとして、市が保有しているものです。

 手数料は無料ですが、コピー代等の実費は請求者に負担していただきます。

☆審議会等の会議の公開

 市の附属機関として設置されている審議会や、その他の市民の意見・専門的知見等を市政に反映する会議を原則公開し、会議の傍聴、会議資料及び会議録の閲覧を実施しています。

☆情報提供施策

 市民の市政への参加を推進するため、行政資料の有償頒布(販売)、行政資料コーナー(市役所1階)、広報紙、市ホームページ等を活用して市政情報の発信など、市が保有する情報を市民の皆さんに対して積極的に提供・公表しています。

・行政資料コーナー

  行政資料コーナーには、予算・決算書をはじめ各種の計画書・調査報告書・統計書など、市の刊行物や行政に関する資料を配置しています。
  これらの資料は、どなたでも自由にご覧になれますので、お気軽にご利用ください。

1階フロアにコピー機(有料)も設置していますので、併せてご利用ください。
  

・行政資料の有償頒布(販売)

  市では、積極的な情報公開施策の推進を図るため、行政資料コーナーで閲覧している統計書、基本計画、予算書、決算書などの行政資料の頒布(販売)を行っています。
 
・購入の方法

  販売場所は、市役所3階の総務課です。
  送付による販売も行っていますので、ご希望の行政資料がございましたら、お問い合わせださい。
  なお、複数冊購入される場合、重量によって送料が変動する点にご注意ください。

・お問い合わせ 富津市役所総務部総務課
電話: 0439-80-1209 FAX: 0439-80-1350

<個人情報保護制度について>

 市では、市民の皆さんの生活に密着したさまざまな仕事をしているため、多くの個人情報を保有しています。
 そのため、個人情報保護条例によって個人情報の取扱いのルールを定めて、皆さんの個人情報を適切に保護しています。

★保護の対象とする個人情報

 氏名、住所、生年月日、学歴、職歴、疾病、思想・信条、資産や税金などの個人に関する情報を保護の対象とします。
 また、氏名、住所などが記載されていなくても、他の情報と組み合わせることによって個人が特定される情報も含みます。

★個人情報の保護のルール

1 個人情報取扱事務の届出

  市は、個人情報を取り扱う事務について、個人情報の記録項目、対象者の範囲、利用の範囲等を記載した届出簿を市役所1階行政資料コーナーで公表していますので、どなたでも閲覧できます。個人情報取扱事務の件名及び件数は、次のとおりです。
 
pdf個人情報取扱事務届出簿(H26.3.31現在)

Adobe ReaderPDFファイルの閲覧には Adobe Reader が必要です。同ソフトがインストールされていない場合には、Adobe 社のサイトから Adobe Reader をダウンロード(無償)してください。.

2 収集の制限

 市が個人情報を収集するときは、収集の目的を明らかにし、原則として本人から収集します。また、思想・信条・宗教に関するもの及び社会的差別の原因となる個人情報は、原則として収集しません。

3 目的外利用・外部提供の制限

  事務の目的以外の目的で、個人情報を市の内部で利用したり、市の外部に提供したりすることは、原則として行いません。

4 電子計算機結合の制限

 市の外部とのオンライン結合を制限するなど、電子計算機による個人情報の処理に必要な保護措置を講じます。

5 適正な維持管理義務

  市が保有している個人情報を正確かつ最新の状態にし、改ざん、滅失、き損、漏えいの防止等のため、必要な措置を講じます。保管の必要がなくなった個人情報は、速やかに廃棄・消去します。

★個人情報の開示請求等

 適切な個人情報の取扱いを保障するために、市の持っている個人情報について、 開示、訂正、利用停止の請求をすることができます。

★個人情報の取扱いについての審議

  市の附属機関として、情報公開・個人情報保護審査会を設置して、実施機関の個人情報の取扱いについて審議検討を行います。

お問い合わせ 富津市役所総務部総務課
電話: 0439-80-1222 FAX: 0439-80-1350

詳しくはここをクリック。


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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[140] [2015年07月04日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

◆聖書勉強会報告

T 今日(07/04)の聖書/エレミヤ38・1〜13 使徒20・7〜12 ルカ7・11〜17

■使徒20・7〜12 ◆パウロ、若者を生き返らせる
20:7 週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。
20:8 わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。

20:9 エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。
20:10 パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」

20:11 そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。
20:12 人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。


U 要旨/生命の回復

▼眠りこけて3階から転落した青年がいた。エウティコという名の青年だった。説教中に眠ってしまうとは、なんという不心得者だと思う人があるかもしれないが、私はそうは思わない。

パウロの説教は夜中まで続いた。熱心に話していたのだろう。聴き手も熱心であったからこそ、説教者も熱心に語れるのだ。その部屋には「たくさんのともし火がついていた」ということだが、それはあたかもそこに集まる人々の情熱の炎であり、その情熱を燃やす聖霊の炎でもあったと言えるような気がする。

キリスト者の集会は貧しい人たちが仕事を終えてから集まるので、夜に行われることが多かった。エウティコも一日の仕事を終えてから、疲れていたにもかかわらず、集会に参加していた熱心な信徒の一人だった。

もしかすると「窓に腰を掛けていた」のは、新鮮な空気を吸って、眠気を覚ますためだったのかもしれない。睡魔と闘いながら、パウロの説教を聞き逃すまいと精いっぱい努力をしていたのだ。しかしついに疲れは限界に達し、眠ってしまった。

そして窓から転落したのだ。「心は燃えても、肉体は弱い」(マタイ26・41)
使徒言行録の著者は「もう死んでいた」と報告している。仮死状態だったのではなく、死んでいたのだ。人間の知恵や力では、死んだ者を助けることはできない。

神を信じ、その幸いにあずかりたいと期待していた人々の目の前で、熱心な信徒の一人が事故死をしたことは、彼らに大きなショックを与えたのではないだろうか。神を信じることの空しさを感じさせたかもしれない。

このとき、パウロの行動について細かい報告がされている。「降りて行き」「彼の上にかがみ込み」「抱きかかえて言った」とのこと。死んだエウティコに対して、愛情のこもった丁寧な接し方だ。

パウロはエウティコを信仰の角度からよく調べ、本当に死んでいるのかを、自分の目で確かめたのだ。そして確信をもってパウロは言った。「騒ぐな。まだ生きている」(使徒20・10)と。

私たち人間は、肉体を持っている。肉体には限界がある。いつかは死ぬ。しかし復活のキリストを信じて死ぬ者は、復活の恵みにあずかることができる。それによって「まだ生きている」という確信をもつことができる。死からよみがえり、永遠に生きておられる主イエス・キリストによって、私たちは死んでも生きるのだ。200

▼人々は12使徒から少し離れたパウロを旧約の預言者との流れの中で理解したでしょう。しかし、それはパウロ自身の力というよりも、神の言葉をあずかっているものの力、神の言葉自身の力として受け取られるべきものです。

つまりそのことはわたしたちも神の言葉にあずかり、その言葉をたずさえていこうとするとき、神の力がわたしたちを通して働くことを信じてもいいということです。わたしたちも神の言葉をたずさえていく限り、預言者、イエス、そしてパウロに繋がるということです。

神の言葉の力によって実際の病気が治ったり、死人が生き返るという現象を期待するのではなく、そこに象徴されている「いのちの回復」を信じることは出来るのではないでしょうか。

イザヤ書が、「わたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす」(55章11節)と語るように、わたしたちは宣教において神の言葉がどのように働かれるのかをワクワクと期待していいのではないでしょうか。

V 教会の暦  明日(07/05)は  C年 聖霊降臨節第7主日


W その他

お昼は、いつものように、富津イオンにあるスタバで摂った。

帰りに、いつものスーパーで飯岡のメロン、葛桜などを求めた。

いつも乍ら館山道は往路復路ともに、順調だった



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一生の間のガイド [2015年07月03日(金)]
若い頃から1日1章1年分を書いたテキストを用いて、朝晩黙想をしてきました。

カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために」上下2巻(自己紹介欄参照)、内村鑑三「一日一生」、「ローズンゲン」、「日ごとの糧」などです。

今は、C.H.スポルジョンとオズワルド・チェンバーズの著書を用いています。自己紹介欄参照。

【黙想54】

■神は私たちを死に至るまでも導かれる。(詩篇四八・一四)

私たちにはガイドが必要である。何をなすべきか、どこで曲がるべきかを正確に教えてもらうためには、有り金残らずはたいてもかまわないと思う時すらある。

私たちは正しいことをしたいと欲するが、二またの道に出ると、どちらへ行ったらいいのかわからなくなる。ガイドはどうしても必要である。

主である私たちの神は、ガイドとして私たちに仕えようと身を低くしてくださる。主は行くべき道を知っておられ、私たちが平安のうちに旅路の終点に着くまで案内役を引き受けられる。

私たちは、これ以上の誤りのない指示を望むことはできない。だから主の導きに徹底して従おう。そうすれば、道に迷うことなどあり得ない。

主を私たちの神にすれば、主は私たちのガイドとなられる。主のおきてに従えば、人生の正しい道を踏みはずすことはない。ただし私たちは、踏み出す一歩一歩で主に拠りたのむことを体得すべきである。

主は永遠に私たちの神であるため、私たちのガイドとして絶えず共にいてくださる。ここに私たちの慰めがある。主は私たちを「死に至るまでも」導かれる。それからは私たちは永遠に主と共に住み、再び外に出かけることは永久にない。

この神の導きの約束は一生にわたっての安全を保証する。まず救いがあり、次に私たちの最後の時間に至るまでの導き、そして終わりのない祝福が続く。きょう私たちが外に出る前に、主の導きを求めたいものである。(C.H.スポルジョン/自己紹介欄参照)

■詩篇 48:1 【歌。賛歌。コラの子の詩。】  
48:2 大いなる主、限りなく賛美される主。わたしたちの神の都にある聖なる山は
48:3 高く美しく、全地の喜び。北の果ての山、それはシオンの山、力ある王の都。
48:4 その城郭に、砦の塔に、神は御自らを示される


48:5 見よ、王たちは時を定め、共に進んで来た。
48:6 彼らは見て、ひるみ、恐怖に陥って逃げ去った。
48:7 そのとき彼らを捕えたおののきは/産みの苦しみをする女のもだえ

48:8 東風に砕かれるタルシシュの船。
48:9 聞いていたことをそのまま、わたしたちは見た/万軍の主の都、わたしたちの神の都で。神はこの都をとこしえに固く立てられる。〔セラ

48:10 神よ、神殿にあってわたしたちは/あなたの慈しみを思い描く。
48:11 神よ、賛美は御名と共に地の果てに及ぶ。右の御手には正しさが溢れている。
48:12 あなたの裁きのゆえに/シオンの山は喜び祝い/ユダのおとめらは喜び躍る。

48:13 シオンの周りをひと巡りして見よ。塔の数をかぞえ
48:14 城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。後の代に語り伝えよ
48:15 この神は世々限りなくわたしたちの神/死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。



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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[139] [2015年06月27日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

◆聖書勉強会報告

T 今日(06/27)の聖書 ルツ1・1〜18(19〜22) 使徒11・4〜18 ルカ17・11〜19
■使徒11・4〜18 
◆ペトロ、エルサレムの教会に報告する
11:4 そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。
11:5 「わたしがヤッファの町にいて祈っていると、我を忘れたようになって幻を見ました。大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、天からわたしのところまで下りて来たのです。


11:6 その中をよく見ると、地上の獣、野獣、這うもの、空の鳥などが入っていました。
11:7 そして、『ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声を聞きましたが、
11:8 わたしは言いました。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は口にしたことがありません。』

11:9 すると、『神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない』と、再び天から声が返って来ました。
11:10 こういうことが三度あって、また全部の物が天に引き上げられてしまいました。
11:11 そのとき、カイサリアからわたしのところに差し向けられた三人の人が、わたしたちのいた家に到着しました。

11:12 すると、“霊”がわたしに、『ためらわないで一緒に行きなさい』と言われました。ここにいる六人の兄弟も一緒に来て、わたしたちはその人の家に入ったのです。
11:13 彼は、自分の家に天使が立っているのを見たこと、また、その天使が、こう告げたことを話してくれました。『ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。

11:14 あなたと家族の者すべてを救う言葉をあなたに話してくれる。』
11:15 わたしが話しだすと、聖霊が最初わたしたちの上に降ったように、彼らの上にも降ったのです。
11:16 そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました


11:17 こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」

11:18 この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。

U 要旨/すべての人に対する教会の働き

▼異邦人であるコルネリウスー家に、ペトロが洗礼を授けたことがエルサレムの教会で承認された。このことをきっかけにして、キリスト信仰は、ユダヤ人以外の人々にも宣べ伝えられ、やがて世界中へと広がっていくことになる。

使徒言行録は、この出来事は人間が判断して行ったことではなく、聖霊によって導かれた神の業であると伝える。

すべての人に福音が宣べ伝えられるということについて、私たちは当たり前のように思っている。しかし、当時のユダヤ人たちにとっては、それは驚くべきことであったにちがいない。

神の祝福はユダヤ人にしか与えられないと、ユダヤ人は考えていたからだ。ペトロもユダヤ人であったから、彼の判断だけなら、異邦人伝道は不可能であっただろう。

あるとき、ペトロは「革なめし職人シモン」の家に泊まっていた。「食用の家畜が死んだとき、その死骸に触れた者は夕方まで汚れる」(レビ11・39)とあるように、革なめしという仕事は、ユダヤ人たちの中では差別を受ける職業であった。

ペトロがこのような「革なめし職人」の家に泊まっていたということは、ペトロに何か新しい導きが始まっていたしるしである。そこからすでに聖霊の導きがあったのだ。

「革なめし職人シモン」の家で、ペトロは、律法で禁じられているはずのものを食べなさいと神に命じられる幻を見る。

律法では、らくだや、ふくろうや、カメレオンなどは汚れているとされ(レビ11章)、食べてはいけない生き物に指定されているが、ペトロが見た幻において、それらを含めた生き物が示され、「神が清めた物を清くないなどと、あなたは言ってはならない」(使徒11・9)と告げられる。

私たちも、らくだや、ふくろうや、カメレオンなどを食べよと言われても、とてもではないが食べられないだろう。ユダヤ人であるペトロにとって、異邦人を受け入れることは、このような生き物を食べろと言われるほどに戸惑うことであった。

だからこそ、聖霊はあらかじめ、ペトロに幻を見させた。それは異邦人を受け入れることができるように張られた伏線だった。ちょうどそのとき、コルネリウスも幻を見て、ペトロを招いて話を聞くようにと命じられる。

そのような神の手厚い根回しによって、頭の固いペトロも異邦人を受け入れることができるようになる。聖霊は力強く教会を導き、すべての人々にイエス・キリストの福音を伝えさせる。

▼人間が努力して悟りを開き、救いに至るのではなく、神が人間と神との隔たりを越えてご自分をイエス・キリストにおいて啓示されたことによって人間は救いにあずかることができる。その隔たりを越えた福音は、人間の世界においても様々な隔たりを越えていく力を持っている。

福音を受け入れたユダヤ人は、その救いが民族的・宗教的隔たりを越えてユダヤ人以外の人にも及ぶことを経験した。その福音の内容とその方向性から言ってそれは当然のことであったかもしれないが、当時の人たちにとっては受け入れがたいことだった。

神と人間との隔たりを越えて与えられた救いにあずかりながらも、その福音を自分の中にある隔たり(割礼問題)を越えて伝えることを躊躇し、その可能性について想像することさえためらってしまうのは、何とも悲しい人間の現実である。

しかし、神の福音はそういう人間の限界に閉じ込められるものではない。

それは単に神学的議論にとどまるものではなく、異邦人と共に食事をすることの可否にまで関わる問題であり、異邦人の救いの可能性を認めるときに、これまでタブー視されていた異邦人との共食という具体的な問題の克服にまで及ぶものとなる。

使徒言行録には「異邦人にも」「異邦人をも」という表現がある。

異邦人自身に限界があり、その限界を超えて救いが及んだのではなく、福音を伝える割礼を受けたユダヤ入の中にその限界があったことを覚える。「神は異邦人をも悔い改めさせ」(18節)とあるが、実際悔い改めたのは自らの限界に神の福音を閉じ込めようとしたペトロではなかったか。


V 教会の暦  明日(06/28)は  C年 聖霊降臨節第6主日

W その他

お昼は、いつものように、富津イオンにあるスタバで摂った。

帰りに、いつものスーパーで桃、柚子饅頭などを求めた。

いつも乍ら館山道は往路復路ともに、順調だった。




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食べる前にまず1枚 [2015年06月26日(金)]
 

 少し早いですが、

 家内が来月用に、作

 成したものです。絵葉

 書教室に提出します。

 このところ、怠けがち

で、ご無沙汰しています。


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posted at 22:02 | 日々好日 | この記事のURL
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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[138]  [2015年06月20日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

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その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

◆聖書勉強会報告

T 今日(06/19)の聖書
エゼキエル34・1〜6 使徒8・26〜38 ルカ15・1〜10

■ルカ15・1〜10
15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。
15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。
15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、
15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。

15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。
15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。

15:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。
15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」

U 要旨/個人に対する教会の働き

▼最初の異邦人の回心と洗礼は、新しい教会の歴史を迎えるために、重要な出来事となる。このために働いたのはフィリポであった。フィリポは使徒の一人ではない。使徒たちの働きを補佐するために立てられた七人のうちの一人である

彼らは「"霊"と知恵に満ちた」(使徒6・3)人の中から選ばれたヘレニストであり、そこか
ら見ても、聖霊はすでに異邦人伝道に向けての準備を、教会の中で始めていたと言える。

フィリポは、この時も自分の意志ではなく、「主の天使」(8・26)によって遣わされる。これは「"霊"」(8・29)とか「主の霊」(8・39)とも書かれているように、聖霊を意味していると考えることができる。

聖霊は人間の知恵や思いを超えて、新しく世界に向けての伝道へと導くのである。
フィリポはエルサレムからガザへ下る「寂しい道」に遣わされた。その道を、エチオピアの女王カンダケに仕える宦官が通っていた。

宦官はエルサレムに礼拝に来て帰る途中であった。彼は主なる神を信じていた。しかし律法によると、彼のような者は「主の会衆に加わることはできない」(申命記23・2)。彼は自分が異邦人であり宦官でもあったので、神の祝福から遠いと思っていた。

その心境は、彼が通っていた「寂しい道」という言葉が象徴している。
しかし、主はこの一人の宦官に目を留められ、彼一人を神の祝福に導くためにフィリポをお遣わしになった。それはイエスがお話しになった"見失った羊のたとえ"に重なる。

主は、一匹の見失った羊を見つけるまで捜し回る方なのだ。九十九匹を野原に残して、一匹を捜しに行くなど、あまりにもばかげていると思うのが人間の常識である。しかしこの伝道を命じたのは聖霊であって人間ではない。

聖霊は、イエスと一つの神である。一匹の見失った羊を求めて、神はフィリポを遣わされたのだ。宦官が朗読していたのは、イザヤ53章だ。そこでは屠り場に引かれて行っても口
を開かない羊のような救い主について預言されている。

イエスは十字架にかけられるために引かれて行っても、口を開かず、殺されるにまかせられた。そんな救い主が本当に現れるなどと、誰が信じたであろうか。主が歩まれた道は誰もが避けたがる「寂しい道」であった。

そして、主は寂しい道で悩む者に出会われる。"こんな私など神に救われるはずがない"と思っている人のために、教会を動かし、救いの喜びを与えられる。

V 教会の暦  明日(06/21)は  C年 聖霊降臨節第5主日 

W その他

お昼は、いつものように、富津イオンにあるスタバで摂った。

帰りに、いつものスーパーでびわ、鹿の子などを求めた。

いつも乍ら館山道は往路復路ともに、順調だった。



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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[137] [2015年06月13日(土)]
郷土の歴史文化掘り起こし隊/6月例会報告

T 市の出前講座 「男女共同参画社会の実現」(企画課)

私たちを取り巻く社会環境は、少子高齢化、高度情報化及び国際化などの進展により、著しく変化しています。

このような中で、将来にわたり豊かな社会を築くためには、男女が性別にとらわれること
なく、共にその個性と能力が発揮できる男女共同参画社会の実現が求められています。

平成11年6月に制定された「男女共同参画社会基本法」は、男女が均等に政治的、経
済的、文化的また社会的な利益を享受することができ、かつ、男女が共に責任を担うべき
社会を形成することを目的としており、基本理念や国・地方公共団体の責務も明記されました。

富津市におきましても、基本構想に「男女共同参画社会の推進」を掲げているところです
が、現状は固定的な性別役割分担意識やそれに基づく社会慣行が依然として根強く存在し、男女共同参画社会の実現のためには多くの課題が残されています。

これらの状況を踏まえ、平成18年度から平成27年度を計画期間とする「富津市男女共同参画計画」を策定しました。

今後は、この計画に基づき、男女共同参画社会の実現を目指して、市民の皆様方や企
業、関係機関の方々の協力を仰ぎながら、各種施策を推進してまいりたい。

詳しくはここをクリック。


U 協議

 1 田沼時代に活躍した工藤平助の資料を配布。

<< 平助は鎖国時代の日本にあっても世界情勢を知悉していた科学者。

海防、貿易への積極的な発言で注目をを浴びた「赤蝦夷風説考」を著わす。
これに関心を示した田沼は、和船、ジャンク、洋式船の長所を併せ持った千五百石積みの俵物廻船「三国丸」を建造し、蝦夷地と北方密輸の実態調査に乗り出した。>>

2 秋の文化祭の展示資料について話し合った。

V その他
  
帰りに地元のスーパーでスイカ、柚子饅頭などを求めた。。
    
  帰りの館山道の流れはよかった。




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完全有機栽培の高級食用オリーブオイル

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血糖値HbA1cの改善 [2015年06月12日(金)]
6月初旬の血液検査の結果 6.9>>>6.4

運動療法の結果によるところが大きいようだ。

今後の努力で薬の不要に繋げたい。

HbA1cについてはここをクリック


プラセンタ 30日分
女性のキレイをサポート

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後期高齢者‐ 館山道で故郷へ[136] [2015年06月06日(土)]
◆郷土の歴史文化掘り起こし隊

故郷にあった藩校(小久保藩盈進館)では、県内で最も早く洋学を教えていた(房総洋学 教育発祥の地)。そのせいか、国内でも屈指の教会が1900年(明治33年)に造られていた。

今、その藩校の資料館を創り、教会を復興し、由緒ある神社、有名なお寺などと共に街おこしに繋げようと、「郷土の歴史文化掘り起こし隊」(毎月第2土曜))を立ちあげ、頑張っています(詳しくは、「自己紹介」欄、「歴史文化掘り起こし隊(アーカイブ)」を。)。

その流れの中で、仲間の1人と、その他の土曜日に聖書の勉強会を始めています。

◆聖書勉強会報告

T 今日(06/06)の聖書 サムエル下7・4〜16 使徒2・37〜47 ルカ14・15〜24
■使徒2・37〜47 
◆ペトロの説教
2:37 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。
2:38 すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

2:39 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」
2:40 ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めていた。

2:41 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。
2:42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

◆信者の生活
2:43 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。
2:44 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、
2:45 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。

2:46 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、
2:47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

U 要旨/教会の一致と交わり
     
▼ペトロの説教によって、心を動かされた人々は、罪の赦しを求め、イエス・キリストの名によって洗礼を受けた。その人々はその日だけで「三千人ほど」であったという。

最初に生まれた教会には、人々の心を強く引き寄せるものがあったようだ。
ペトロは世の人々に対して、「力強く証しをし」たのである。何を証ししたのか。

すべての人は罪人であるということ。イエスはすべての人の罪を背負って十字架におかかりになったのだから、すべての人は神の子であるイエスを殺した者なのだ。おかした罪は消えない。しかし神は赦してくださる。

神が罪人を赦すほどに、愛してくださるのだ。罪人なのに愛され、赦されるということをペトロは語り、それを聞いた人々が洗礼に導かれたのだ。彼らの喜びは大きい。

その喜びは、キリスト者となった人々の生活において現れた。彼らは一つになって祈り、教えを学び、食事を共にした。みんな同じ罪人、しかしみんな神に愛され、キリストによって赦され、救われた者であることを確かめることができたことだろう。

その気持ちは、彼らを一つに結びつけた。本当に一つになると、他人だった人が家族になる。どうでもよかった人が、愛する人になる。他人の悩みが自分の悩みになる。一緒にいたくなる。助け合いたくなる。

それで、「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った」(使徒2・44〜45)ということが起こったのだろう

人が一つになるのは難しい。制度をつくって、一つになることを無理強いしても、うまくいかない。

最初のキリスト者たちは、神が自分たちのために独り子イエス・キリストという大きな犠牲をはらってまでも愛してくださったということを、強く感じていたにちがいない。そこから、人のために犠牲を惜しまない心が生まれたのではないか。

それが彼らを一つにすることができた力だ。このような喜び溢れるキリスト者の姿が、また新しく加わる人々を呼び寄せたのだ。

▼使徒言行録のテキストは初期キリスト教会における洗礼志願者に対するカテキスムスと模範的な敬虔さを示す。

「わたしたちはどうしたらよいのですか」という問いに導かれて、福音に出会ったわたしたちがなすべきことが告げられる。悔い改め、イエス・キリストの名による洗礼を受け、(諸々の)罪を赦していただき、聖霊を受けるということ。

その中でわたしたちが自分の力でしなければならないのが、悔い改めること。そして、洗礼、罪の赦し、聖霊はすべて外から、神の側からわたしたちに与えられるもの。

悔い改めるとは、その神の側からの恵みの業を受け入れる準備をするということ。しかし、この悔い改めという人間の側の働きを重視する前に、悔い改めが神の人間に対する働きかけのみによって、なされうることであることを知る。

悔い改めは、神がわたしたちの人間性を回復し、愛の中に受け入れてくださることによってのみ引き起こされるもの。神の圧倒的な愛の力によってのみわたしたちは悔い改めることが出来る。

悔い改めは洗礼、罪の赦し、聖霊の条件ではなく、これらの約束によって引き起こされる恵みの結果である。わたしたちは自分の欠点に目を向け、それをうち叩いて直そうとするが、わたしたちが見るべきものは、その自分を愛し、受け入れてくださっている神の愛です。

イエスの名による洗礼はイエスとの出会いと一致を示す。その恵み・神の国到来は罪に満ちたわたしたちの過去を破棄する。その神の国の救いから力、聖霊を受けて生きる。

その召しに応えるところに教会の一致がある。

V 教会の暦  明日(06/07)は C年 C年 聖霊降臨節第3主日

W その他

お昼は、いつものように、富津イオンにあるスタバで摂った。

帰りに、 今日も、小さいころお祭りで遊んだ神社や父の葬儀を行った青年館の前を通ってみた。

いつものスーパーでメロン、鹿の子などを求めた。

いつも乍ら館山道は往路復路ともに、順調だった。



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