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カテゴリアーカイブ
ひとがひとに求めること [2012年01月30日(月)]
私はこういう穏やかならざる気性だから、自分が傷つくことよりも相手を傷つけてしまうことのほうが何倍も怖い。


と、言った。


誰かに傷つけられたとしても、その傷は自分サイドにあるから、自分の心の持ちようや時間の経過、あるいはほかの誰かの支えやフォローで消せるかもしれない。


でも、誰かを傷つけてしまうと、その事実と結果は私ではなく相手のものとなってこの手を離れてしまい、私の心の持ちようでは解決できないモノになるから怖いのだ、と。



「怖い、ねえ?」



師匠はちょっと首をかしげて言った。



「ひとを傷つけることが怖いの? ひとを傷つける自分になるのが怖いの? どっち」



どっち・・・私はオウム返しで口ごもったまま、答えられなかった。



「それにさ、えぇ〜ちょっと待ってよ? 傷つけられた事実って消える? そんなもん消えないよ、っていうか消さないよ、あたしは。悔しいじゃん」



ぎくりとする。


消せるふりで、忘れるふりで、許すふりで、相手にも事情があって思いがあって、相手も傷ついていたのかもしれないんだから、なんて無理に自分をごまかしつづけてばかりいるから、逆にいつまでも疼いて消えないんだろうかね・・・こういうのは。



正直者と嘘つきが鏡越しに目を合わせる。


嘘つきは笑うふりして目を逸らす。




「プライドが無いわけじゃないんだよね。でも、中身は空っぽ」



猫姫はプライドが高い、理想が高い、だから×××なんだ、という言い方をみんながする。


無いわけじゃない、程度? しかも、中身の無いハリボテ?(笑)




美しくないことがわかっているから、化粧や衣装で飾ろうとする。


自信がないからこそ不遜にふるまってみせる。


いつも元気で明るくてエネルギッシュでアクティブで、やりたいことをやりたいようにやってる自由人だと思ってもらえるのは、私の筋書き通りのなりゆきだから至極満足。


の、つもりで、当たり前で。


それが通用しないどころか、ことごとく、顔色ひとつ変えずにひっぺがされる。


今まで、周りの誰からも一度も言われたことがない言葉ばかりを浴びせられる。



わがままだと。


怖がりだと。


エネルギー不足だと。


求められて応じるひとじゃなく、世話焼きでも便利屋さんでもなく、自分から「与える」ひとになれ、と。


素顔を隠さずに堂々とさらして、それを好きになってくれるひとを見つけなさい、と。


そうする方が、自分で自分を好きになったり認めたりしようとするよりずっと簡単なことだ、と。



・・・・・・。



抱えきれない大量の「初めて」に理解が追いつかなくて持て余して戸惑っていると、からかうようにニヤリと笑われた。





「何が怖いわけ」


「何が怖いんでしょう」


とんちんかんな問答。




自分が何に怯えているのかさえわかっていない私のために、マスク姿の風邪っ引き師匠は真剣に考え込んでくれる。




うーん・・・ どう言えば・・・



そうだな・・・ 何かに例える、か・・・



んー・・・





大抵の場合、ひとは会話中の沈黙を怖れるから。


会話の内容がヘビィであればあるほど、怖れるから。


「まぁね〜、難しいんだけどね〜」 とか、「う〜ん、まあいろんな考え方あるけどさ〜」 みたいな、当たり障りのない合いの手を挟んで時間稼ぎをしようとしてしまうことが多い。



師匠、そういう逃げ方を一切しないんだよね。



当たり障りのないことは、イコール「障り」だと、毒にも薬にもならないものは「毒」だと、はっきり言い切ったっけね、そういえば。



言葉が見つかるまで黙って、眉間をしかめて真剣に考えてくれる。




「求めてないよ。ひとはね、そんなに求めてない!」



いつも元気で笑っていてフットワーク軽く、使えるヤツと認められて、ひとから頼られ、求められ、それらにいつでも応じられて、ひとの役に立っていなければ生きていていい気がしない私に、師匠はそう言った。



「ひとが、ひとに求めることがあるとすればね。その目の前の相手が幸せでいてくれるように、ってことぐらいだよ」



不出来な弟子は、今度こそ涙を堪えられなかったけれど。



あなたは歌の先生で、それ以前にプロの音楽家で、心理カウンセラーでも私の子守でもないのにね。



ありがとう。



私にはそれこそもったいないほどの師匠の真剣さ、正直さ、無駄にはしません。



ちゃんと受け止めて、考えて、必ず応えます。



言葉に尽くせない、感謝。




「ひとが、ひとに求めることがあるとすればね。その目の前の相手が幸せでいてくれるように、ってことぐらいだよ」




この言葉を、私は生涯忘れない。

posted at 01:17 | この記事のURL
♪No day but today [2012年01月28日(土)]
24&25日と連続で、山本耕史さんのライブに行ってきた


24日の夜は、18時になると同時にタイムカードを投げて(!?)会社を飛び出し、駅まで一生懸命とことこ走って (例の大雪の翌日で路面が凍っていたので、勢いよく走ると勢いよく転ぶ危険が・・・) 快速に飛び乗り、劇場前の綺麗なトイレに駆け込んで、スーツのジャケットを脱いでフワフワのセーターを着て、ベルトやアクセサリーをちょっと派手めのものに付け替えて、髪とメイクを直して、滑り込みセーフ!!


いちばん前の左端、という、いいのか悪いのかわからない席だったけど、とりあえずギリギリに駆け込んでも迷惑にならない位置でよかったかも?(笑)




しかし・・・


前なのは嬉しいけど・・・う〜む、しかし、だ、この席はヤバくないかい??


と、一抹の不安


私と舞台の間にそびえるように立ちはだかっているのは大きなスピーカー。




その図体で舞台の一部分が見えづらいことはさておき、問題は音だ。


始まったら私の体はステージの方、つまり右を向くことになるから、そのスピーカーから溢れてくるであろう大音量は、左耳をもろに直撃することになるわけで・・・




突発性難聴は再発しやすいですからね、ライブハウスやパチンコには行かないように、イヤホンの音もなるべく小さめにするように・・・なんて言われたしね、去年の今頃。


パチンコはべつに行きたくないからいいけど(笑)ライブは行きたいぞ〜、と内心で苦笑いしながらハイと返事しておいた。





・・・真っ黒な巨大スピーカーが、黙ったままひっそり笑う。


まもなく開演、のアナウンスが流れる。





・・・よし。


病は気から、というじゃないか




どんなに用心してたって、ひとの体なんて気まぐれで脆いもんだから、故障する時はするさね。


来るなら来てみろっ


大好きな、大好きな、心の底から惚れ込んだひとのライブで壊れるような、そんなトンチンカンな耳であってたまるかっ(笑)




1曲目は、愛してやまないロックミュージカルHedwig and the angry inch から “Tear me down”



♪ やるっていうの? 受けて立つわよ、さぁ、あたしを引き倒してみな! ♪



そんな挑戦的な歌詞、まぁ〜、何て私にぴったりな(笑)




You want me baby I dare you, Try and tear me down! 



客席は総立ち。


手拍子、ジャンプ、突き上げる拳。


ヒールブーツも何のその、私も飛び跳ねながら一緒に歌った。




愛しの師匠、中山眞美さんも、ボーカルとしてステージに居た。


舞台上の立ち位置としては、一歩下がった “コーラス” なのだけど、耕史さんはバンドメンバー紹介の時に、


「オン・ボーカル、眞美!」


と、とても嬉しそうに誇らしげに言った。




コーラスじゃなく、ボーカル。


些細なことだけれど、私まで嬉しくなった。


本当に互いを認め合い尊敬し合っているんだ、と。


最高の仲間だね。


いいね。


すごく、いいっ


見ているこっちまで幸せに満たされる。




1月25日は、あのブロードウェイミュージカル『RENT』の作者、ジョナサン・ラーソンの命日だ。


音楽を創りたい、みんなが聴いて、覚えて、幸せになれるような音楽を創りつづけたい・・・・・・そう願いながら、ニューヨークの安アパートでアルバイト生活をしながら作曲をしていたジョナサン。


1996年1月、ようやく上演にこぎ着けた『RENT』の幕が上がる前夜、リハーサルを終えて帰宅した部屋で突然倒れ、そのまま35歳の若さで旅立ってしまったジョナサン。



RENT』がこんなにも愛される、愛され続ける作品になったことを、彼自身は見ることができなかった。





2001年に耕史さんがマークを演じた『RENT』の舞台を私は観ていなくて、その時の3曲が収録されたCDと、映画版(ブロードウェイのオリジナルキャストによるもの)しか知らなかったので、今回は、やっと夢が叶う! という嬉しさもひとしおだった。



今回のライブで歌われたのは、「Rent」、「What You Own」、「Seasons of Love」 の3曲。


Japan RENT のキャストが14人、耕史さんの初演出作『GODSPELL』のキャストも4人(眞美さん以外で)、そして天国からも1人。




姿のない彼のためにもスタンドマイクが用意され、


「健ちゃん!」


と、メンバー紹介もされた。


舞台と客席から湧き上がる拍手は、誰の時よりも大きかった。




うん。


居てくれたよね。


あそこでみんなと視線を交わし、笑いながら歌っていたよね。


体はなくても。


サイドボーカル・Daiさんのお兄さん、結樺健(本名・渡辺健)さん。




彼の優しい眼差しと深い声を、私もちゃんと確かに感じていた。


願いや想像じゃなく、体じゅうで感じていた。


彼は今頃、ジョナサンと並んでひとつの譜面を覗き込み、楽器を抱いて曲作りをしたりしているかしら。


向こうの世界で。


そんなふうに考えると、何だかね、死ぬのもまんざら寂しくない気がする。





いやいや、もちろん、まだしばらくは生きてたいけどさ(笑)


こっちの世界の、大好きなひとたちと一緒に



今日のブログのタイトルは、今回のライブでは歌われなかったけれど『RENT』のナンバーのひとつ「Another Day」の歌詞。




昨日も明日もない、過去も未来もない、今日しかないんだよ、と。




それは、刹那的とはちょっと違う。


本当に、今日しかないかもしれないんだから。


たとえば誰かに、あなたが好きだと伝えるのは。


たとえば誰かに、ありがとうと言うのは。


たとえば誰かの手を握るのは。


たとえば誰かを抱きしめるのは。


明日、私はこの世に居ないかもしれない。




そういう「明日」は、遅かれ早かれ、誰にも訪れる。




舞台も客席もみんなで声を合わせて歌った「Seasons of Love」は、こんな歌詞。



「 52万5,600の過ぎた時
  3,153万6,000秒
  Five hundred twenty five thousand
  Six hundred minutes
  どう数える 1年を



  それはLove きっとLove
  How about love?
  季節は
  Seasons of love 



  52万5,600の旅のあと
  Five hundred twenty five thousand
  Six hundred minutes
  どう数えればわかるの その重さが 」





中島みゆきさんのアルバム『夜を往け』のライナーノーツに書かれていた、




「君は何年 生きていますか あたし 他人を喜べる数で時を数えたい」



という言葉を思い出して、胸が熱くなった。




あ、みゆきさんといえば!!


RENT』のキャスト陣の中に、坪倉唯子さん!!


Japan RENTのジョアンヌが彼女だったなんて、知らなかったわ〜


舞台、観たかったわ〜〜〜


そう遠くないうちに、再演してくれそうな気がするけど。


このひとたちなら。




感極まって、歌いながら泣いてしまったね、唯子さん。


あなただけじゃないけど。


大丈夫、私のほうが先に泣いてたから(笑)


心を揺さぶる歌声をありがとう。




No day but today・・・


今日しかないから。




本当に大切にしたいひとを、大切にしたいことを、心いっぱいで抱きしめていよう。


縁を繋ぎ合った相手に感謝しながら、縁を手放した相手の幸せを祈ろう。


時は移り、ひとは変わる。


過ぎ去った何もかもをずっと抱え続けるには、人生はたぶん早すぎる。




明日も(あ、もう今日だ)、大好きなひとに逢ってくる。


Seasons of love は、A day of love が積み重なってできている。きっと。


52万5,600 の I love you



そうやって少しずつ、自分の人生も慈しめるようになりたい、ね



あ、そうそう。


私の左耳、無事に元気です!(笑) 



posted at 02:29 | この記事のURL
海の向こうの Working Girl [2012年01月22日(日)]
2007年から、ワールド・ビジョン・ジャパン(開発途上国の子供たちの生活をサポートする支援団体)の会員になっている。


1人目として紹介された“チャイルド”は、ラオスに住む10歳のB.Kちゃんだった。


プロフィールカードに貼られていた、かすかに眉をひそめてカメラを見つめながらすっくと立つ彼女の写真は、背が高いせいもあってか、実年齢よりかなり大人びて見えた。


年齢は10歳でも、小学校での学年は2年生だった。


翌年には3年生になったが、その次の年は「家業手伝いのため」ということで学校には行っていなかったらしい。


ワールド・ビジョン・ジャパン事務局が年に数回、近況レポートや彼女からの手紙や絵を郵送してくれていて、私も返信をしたり、ささやかなプレゼント(可愛いカードや文房具、ブレスレットなど)を送ったりしていた。


年が明けてすぐに「もうすぐあなたのチャイルドのお誕生日です」という案内が届いたので、それじゃまた何か綺麗なバースデイカードを選ぼうか、と思っていたら、数日前にまた封筒が届き、そこには彼女への支援が終了となった旨が書かれていた。




「理由は、チャイルドが仕事に就き、今後は自分の力で生活できる状況となったからです。チャイルド及び家族との話し合いの結果、現地スタッフは、チャイルドが働きたいという意思を強く持っており、この選択がチャイルドと家族にとって最良のものであると判断いたしました」




弟や妹が3人いて、家の仕事の手伝いに時間を取られ、小学校に籍をおいていてもスムーズに進級はできなかった彼女。


この4月に、14歳になる。


「支援を受けながら学校へ通う子供」であることをやめて、「自分の力で働いて生きる大人」になることにしたんだね。





そこにどれほどの「選択肢」があったのか・・・


それを考えると、複雑な気持ちになるけれど。


学校に通うことをやめて働くことを「選択」した彼女はまだ13歳。


日本でなら、親や周囲に甘えっぱなしで当たり前の中学生。





支援終了となったチャイルドには、もう手紙などを送ることはできないシステムになっているから、今年のバースデイカードは届かない。


でも、私はあなたを忘れないよ。


ブレスレットをありがとう、という手紙の最後に、綺麗な龍の絵を描き添えてくれたB.Kちゃん。


微笑みのかけらも見せない凛とした眼差しは、少女というより生真面目な青年のようだった。




生きることは闘うこと だと、こんな豊かな甘い国に生きている私ですら感じるけれど、あなたにとってはもっと切実だよね。




頑張れ、B.Kちゃん。


家族のために働くお姉ちゃん。


海を越えて、時を越えて、エールを送ります。




posted at 22:12 | この記事のURL
癒しの代償 [2012年01月17日(火)]
仕事は相変わらずアンバランスに暇で、それが逆に疲れちゃう


今朝は、出勤したら私のデスクにパソコンが設置してあったので、あぁ、やっと! と思ったら、コードはぐるぐるとまとめられ、ディスプレイには「修理中」と書いた大きな紙が貼ってある。


何ですかコレ、と訊いたら、ネット回線は繋がったが、肝心のパソコン本体を起動させようとしたら見事に故障していて、修理(もしくは交換)ができるのは来週になるとか。


だったらコレ、何さ(笑)


修理中じゃなくて、単に故障中でしょうが!


置いといて自然治癒するもんじゃあるまいし、直してから持って来いよぉ〜


限られたデスクスペースに、文字通りの「使えないヤツ」が大きな顔して居座っているのは、邪魔以外の何ものでもナイ


年明け前から雇い入れた派遣社員を1ヶ月もとことん暇人にしておいて高い時給をくれることからしても、大らかというかアバウトというか、なかなか不思議な会社だ。


・・・実際、暇で退屈なんて、あまりにも贅沢すぎる悩みだけどさ。


身を粉にして働いても雀の涙ほどの収入しかないひともいる、というか、そういうケースのほうが多そうなこのご時勢。


明日は我が身、かもしれないけどさ、みんな。


バランス悪いよね。


もうちょっと、何とかならないのかね。


・・・と、今さらのように考えてしまったりもする。






さて、ここからはちょっと汚いハナシをします。


食事の前後の方はどうぞUターンを






・・・・・・




・・・・・・




・・・・・・






帰宅したら、犬猫トイレの脇にあるトイレ用ゴミ箱がひっくり返されて中身が散らばっていた。


いくら退屈しのぎにしても、美味しい匂いが残っている台所ゴミならともかく、自分たちのトイレゴミをオモチャにするか、普通!?


寒い中、お腹すいて帰ってきて、着替えるのもそこそこに、これでもかというほど派手に散らかされたトイレの始末に追われるってのは、なかなか本気でむかっ腹が立つもんだわよ


とはいっても相手が犬猫なので、もーッ、アンタたちはさぁ、どーしてこういう、もーッ、疲れてンのにッ、いいかげんにしてよね、もーッ・・・と文句を言う(叱る、というわけじゃない。過ぎたことを叱っても無意味なので、単なる大声の独り言めいた文句にしかならない)だけなんだけど。





やっと片付いて、チビたちのゴハンを出して、自分も着替えて作り置きのおかずやら何やらチンして、お茶も淹れて、録画しておいたWOWOWの洋画を観ながら食べ始めた、ら。



カリカリといい音を立ててドライフードを食べた直後から、えらいハイテンションで猛烈ダッシュ&ジャンプをくり返していた美羽にゃんこが、棚の上から床に向けて勢いよく吐くし・・・



・・・・・・



食べた直後に飛んだり跳ねたりしたせいか、はたまた毛玉がある程度溜まったのか、月に1度くらいこういうことがある。



血液や異物が混じってさえいなければ、猫が吐くこと自体は異常ではないけど、当たり前ながらキレイなもんじゃないから後始末は大変。



せめて普通の床の上でやってほしいもんだけど、猫にそういう常識や気遣いは皆無だから、棚の上から降らせたり、ベッドの上でやらかしたりする。



・・・今日も。



最初のを掃除している間にベッドに飛び乗り、羽毛布団も毛布も厚手のニットのカーディガンも、さっき外したマフラーまで、見事にやられた。



うわッ、もう、ちょっとッ! いいかげんにしてよッ!!



と、私の文句はほとんど悲鳴



食べかけの夕飯ほったらかしで、大急ぎで吐いたモノを取り片付け(布団に染み込まないうちに)、汚れた場所を水洗いしてから、毛布、掛け布団カバー、シーツ、ベッドパット、枕カバー、コットンマフラーを洗濯機の脇に積み上げ(もちろん全部同時には洗濯できないから3回に分けなきゃならないし、厚手のニットは手洗いするしかない)、そうこうしている間にもやたら小分けにしてあちこちで吐くから、ネルが踏んだりなめたりしないように追いかけ回して片付け・・・・・・



あぁ・・・疲れた・・・すごく




犬と猫がいます と言うと10人中9人は、


「わぁ〜、いいですね! そういうのがいると癒されるよねぇ〜〜〜


と言ってくれるけどさ。




そりゃ、どんなに手間かかっても文句言っても、どうしようもなく可愛くてたまらないけどさ。




「癒されるイメージ」の陰にあるこんな現実を、あなたは想像できるかい?(笑)


ま、人間の乳幼児も同じだろうけど、カワイイカワイイだけじゃすまないこと、いっぱいあるわよね


まったくもって面倒くさいからこそ愛しい、とも言える






ベッドリネン、洗い替えたばかりだったのに、も〜〜〜


どうせだから、毛布の洗濯&乾燥が済むのを待つ間に羽毛布団を「ふとん乾燥機」にかけて、ふかふかのほかほかにしてやった。


今夜は新品のベッドで早寝するんだ


性能のいい洗濯機に感謝、感謝(笑)

posted at 23:33 | この記事のURL
すぽん!? [2012年01月17日(火)]
何が始まりだかわからないくらい前から、あるような無いような・・・微妙な感じでひっかかっていた何かが、すぽん! と抜けた気がする。


身軽になった気がする。


なんせ、あるような無いような不確かなレベルの違和感にしかすぎず、私ひとりの気持ちで解決できることでもなかったし、手放すきっかけを作ってくれたひとに感謝、かな


厄も完全に抜けたな、これは


いや実際、抜けててくれなきゃ困るんだよ(笑)、何たって女の30代は厄年ループだから、前厄・本厄・後厄のいずれにもあたらない歳ってのは今年ぐらいだと思うし


やりたいことは両手でも数え切れないけれど、目の前の現実をなおざりに流しておくわけにもいかないから、やっぱりバランス。


厄年が明けたら、「躍年」だよね




「夢を右手で抱えて 夢を左手でなぞって」

       ――Song by 『3 wish』 (Koji Yamamoto&K.D earth)




大好きな歌を口ずさみながら、いざ、Action!!


私の取り得は行動力と想像力くらいのもの(笑)


・・・たまに勢いよくつむじ風起こしすぎて周りもぶっ飛ばしちゃうかも、なので、そうならない程度に、自分も疲れすぎない程度に、走ります

posted at 00:11 | この記事のURL
ボニー&クライド [2012年01月15日(日)]
ミュージカル『ボニー&クライド』@青山劇場、観てきました


アメリカに実在した若き犯罪者カップルで、最期は警官隊に取り囲まれて100発以上の銃弾を浴びて死んでいったんだっけ・・・、くらいのことしか知らなくて、原作の映画『俺たちに明日はない』もちゃんと観たことはなかったので、あえて予習はしなかった。




中山眞美さん同様、一昨年の『GODSPELL』でFANになった明星真由美さんが目当てではあったのだけど、ヒロインのボニーを演じた濱田めぐみさんも素晴らしかった!!


ハリウッド女優になる夢としがない家業手伝いの現実とのギャップに苛立つ、勝気で美人でちょっとあぶなっかしい少女が、クライドとの出逢いをきっかけに、一途な愛と壮絶な覚悟で人生を駆け抜ける女へ変わってゆく。


目つきも、声も、別人のように変わってゆく。




クライドの母親を演じた明星さんが、パンフレットで、


「単にスタイリッシュな物語にはしたくない」


と言っていた。




とても、腑に落ちた。


古今東西、一般人はとかく型破りでアウトローなものに惹かれがちになるけれど、実際に彼らがしたことは、夢を叶えるためには金が要る、という単純な理由であちこちの店や銀行で強盗をはたらき、抵抗した相手や追ってきた警官などを何人も射殺したという、どう見ても同情の余地はない「凶悪犯罪」だったのだから。


幼なじみや親きょうだいの心配も振り払い、悲しませ、苦しませた。


それでも憎めないのは・・・、こうして何十年もたっても、ひとびとの心を惹きつける物語として成立してしまうのは何故だろう。


ワルのカッコよさ、以上に、ボニーとクライドの愛があまりにもまっすぐで。


――二人で手を取り合って走れるところまで走りつづけ、だめになったら二人一緒に死ぬだけだ。


その捨て身な覚悟はあまりにも幼くて、一点の迷いもなく堂々としていて、いっそ眩しいほどで・・・、だから何も言えなくなってしまうのだ。



物語の結末をわかっていても、どうか逃げ切って生き抜いてくれないか、と願ってしまうのだ。





誰が何と言おうと、世間に後ろ指さされようと、私はあなたを愛している。


この命と引きかえにしても、大切なあなたを守ってみせる。





それが恋か、愛か、情か、男か、女か、友か、きょうだいか。


そんなことはたいした問題じゃない。


相手が自分をどう思ってくれて、自分に何をしてくれるか、そんなことはもっと、どうでもいい。



「心のままに 愛するひとを 愛する」



ボニーの歌声がいつまでもこだまする。





帰りの電車の中で、女友達のことを考えていた。



先日、付き合っているひととの間のかなり重たい話(というか、不安と憶測にもとづいた愚痴)を私にぶちまけた彼女から、午後に電話がかかってきた。



おいおい、またこの間の続きか・・・と思いつつ、出かける予定があるから3時頃までならOK、と最初にタイムリミットを宣言して話を聞いた。



「猫姫ちゃんが言ってたみたいに、ホント、人生は短いって思うわ・・・」



としみじみと言っていた。



そんなことをあらためて感じる何かがあったのか、わざわざ聞かなかったけれど、うん、そうだよ。


短い人生。いつどこで終わるか、誰にもわからない人生。


本当に大好きな、大切な相手なら、信じようよ。


連絡が途切れがちになった不安を、すわ浮気と決めつけて、相手の見当はついてるのどうのと女友達を相手に愚痴って泣いてる場合じゃないぞ〜、私の嫌いな恋愛ドラマじゃあるまいし(笑)


愛してるなら、顔上げて堂々としてなよ。


周りの全員から祝福はされない形だとしても、あなたの恋は誰かの幸せを奪ったり傷つけたりするものじゃ、ないでしょう?



何か吹っ切れたのか、彼女がかなり元気になっていたので嬉しくなって、今度はまたノロケ話を聞かせてよね、愚痴は重いけどノロケならいくらでも喜んで聞くから、と言ってやった




私があの時、話を聞きながらすこぶる不愉快になったのは、彼女の話し方の中に悲劇のヒロインくささみたいなものを感じてしまったから、かもしれない。(と、本人にも言ったけど。今日の話し方の中にはもうそれが無かったから


女ってこういうものなのよね、私も女だからどうしようもないのよね、猫姫も恋をしたらわかるようになるだろうけどさ・・・みたいな「いかにも女っぽい」ベタベタ感。




直接そういう言葉ではなくても、言うことの端々に見え隠れする「アタシって恋愛経験豊富なオンナ」の優越感。




べつの女友達からも、


「そんなふうだから彼氏できないんじゃない」


という台詞を一度二度ならず言われたことがある。



そりゃ男性とお付き合いした経験はないし、今も「彼氏」はいないけど、いないという事実と、できない=求めているのに叶えられない、ということはまるでニュアンスが違ってくるじゃない。



べつだん悪気がないことはわかっていても、昨日今日の付き合いでもない友達からそういう台詞を聞くのは、気分のいいもんじゃなかったりして。



とはいえ、私も自分の感覚が、いわゆる「一般的」「普通」と少しばかりずれているらしい自覚はあるんだわよ(笑)



相手が男か女か、恋人か愛人か伴侶か友達か家族か、あるいは憧れのひとか尊敬するひとか守ってあげたいひとか・・・、そういうタイプ分け、カテゴリ分けができないから。



大事なひと。


かけがえのないひと。


ただ、それだけ。




そういうひとが、数人いる。


もしもそのひとに銃口が向けられたら、一瞬の迷いもなく自分の体を盾にできるような相手。



この広い世の中で、この短い人生の中で、そんなにも愛おしい相手に出逢えたことを誇らしく、嬉しく思う。





猫姫は生き急いでいる、とよく言われる。


まだ若いのに、元気なのに、どうしてそんなに息を切らしているの、と。





昔はいろいろあったから。


今この歳になってようやく自分の人生、自分の意思や希望や欲望らしきものをつかんで、失くしたものを取り戻そうとするように焦っているのも否めまい。


でも、それだけじゃなくて。


えっ、まさか今日、今!? という周囲の予想外のタイミングで命を終えてしまったひとを、身近で何人も知っているから。




人生は短い。


ひとはいつ死ぬかわからない。




「たとえ今日死んでも悔いのないように生きよう」


なんて言葉があるけれど、そんなふうにできるひとはまずいないだろうから。


だから、尚更。


黙って悩むくらいなら一歩、ほんの一歩でも違う方向に自分が動いてみよう。


他人に愚痴るくらいなら、当事者に当たって砕けよう。


それが正しい道か間違った道か、わからなくても。


単純だけれど、真剣に生きたい、と思う。


適当に力を抜いてじゃなく、その場しのぎの綺麗ごとじゃなく、真剣に受け止めて、真剣に考えて、感じて、動きたいと思う。


やっぱり息切れする人生かな、私は・・・(笑)


こういうのを近くで見ていて疲れる、と思うひとは、遠慮なく距離をおいてくれたらいいと思う。


そのひとの人生だって、短いんだから。


疲れる相手と無理して付き合うことなんか、ないんだよ





『ボニー&クライド』から大幅に脱線して、いろんないろんなことを考えてしまいました。


そろそろ寝よう。


愛しき次女、もとい、ホカホカのにゃんこを抱っこして(笑)



おやすみなさい

posted at 03:23 | この記事のURL
よのなかは ちろりに過ぐる [2012年01月13日(金)]
あー、眠い。

時間が足りない(笑)

今週はなぜか、うんざりするような厄日続きなんだもんさ。



私は結構短気で怒りっぽいので(ウジウジと持続はしないけど)、こういう時って、眠ってても心安らかじゃないらしく、自分の怒声で夜中に目覚めたりする。


添い寝ムスメの美羽たん、ごめんよ〜



携帯から、要らなくなったアドレスや画像や受信メールの類を整理(年に1〜2回やる)していたら、何の操作を間違えたんだか受信メールをみんな消してしまったのがケチのつき始め。


もっとも、大切なメールは保護をかけるかPCに転送するかしているから、すごく大きな支障はないんだけども、それでもこういう予想外のアクシデントは、何だかねぇ


引き続き、女友達(しかも2人も!)からの、それぞれ結構ヘビィな愚痴が降って来るやら、そろそろ片付く頃だった前職の労災の処理が書類の不備で滞っているという連絡が今になって入るやら、詳しくは書かないがもうひとつふたつ不愉快な出来事もあり、日替わりメニューじゃないんだからどいつもこいつも(もちろん自分自身も)もう〜、いい加減にしろよっ!! と



なんか、自分がゴミ箱になったような気分だった。




「よのなかは ちろりに過ぐる」



そんな言葉を思い出して、荒んだ心をなだめてみる。



これはね、15年くらい昔のNHK大河ドラマ『毛利元就』の中の、元就の妻・美伊(演じていたのは富田靖子さん)の台詞。


人生なんて、あっという間に過ぎてしまうのよ、という意味。


実際のところ、彼女は元就と深く愛し合って、素晴らしい息子たち(三本の矢、ね)にも恵まれながら、40歳そこそこで病死してしまう。


決して豊かではない小さな山城で、家族や家臣たちと力を合わせて懸命に生きた、ちろりの人生。


あたたかな愛と堂々たる笑顔と、しなやかなバイタリティだけは絶やさなかった人生。


いつどうなるかわからない、所詮短い人生なら、美伊さまのようでありたい。





さて、今日は本当は書きたいこともいろいろあったのだけど、なんせイライラしっぱなしであまり寝てないので寝不足で、眠くて・・・



毒消し&厄払いの写真を紹介しますです、ハイ





子供のように背伸びしてテレビを見つめるネル。


これは『くろねこルーシー』という連続ドラマを観てるところ。


2匹の真っ黒な子猫が出てくるから、ミィー、ミィー、と重なり合う鳴き声がするのね


ネルはうたた寝していた炬燵から飛び出してきて、ベッドの下やらカーテンの陰やら、その鳴き声の主をあちこち探し回った挙句、わかった、ここだっ! の図(笑)




ルー&シーならぬ、かつて縁結びのお手伝いをした黒猫姉妹のクー&チャー、元気にしてるかにゃ・・・


そっくりだから思い出す。


私に出されたケーキに鼻をくっつけて、白くなった鼻をペロリとなめて満足げだったおちびさん猫。


なつかしや〜





昔のお嬢さん、ならぬ、昔のおちびさん。


理屈抜きに、愛しいです。


ママにとっては、いつまでも赤ちゃんみたいなもんなんです。にゃ





これは今夜ではなくて、昨夜のお月さま。


もちろん、いちばん上の大きいのがそうで、周りにぽろぽろといる小さいのはアパートや電柱の外灯(笑)


イライラ満載に詰め込んだ心には、いい安定剤になってくれた。





長年にわたって大切に持っていたものを、今日ひとつ手放した。


とても寂しいかと思いきや、意外とそうでもない。


楽になった、ような気がする。


重ねた時の長さゆえに、疲れた部分もあったのかもしれない。


また時を経て、再び手に取ることがあっても良し、なくても良し。




少なくとも後悔は何もないことだし、先のことは ケ・セラ・セラ だと思うことにしよう





「ほかの誰にも言えない 本当のこと

 あなたよ あなたよ 幸せになれ」




ザ・ブルーハーツの『ラブレター』が頭の中をエンドレスで回る。


回れ、回れ、もっと回れ。




荒んだひとも疲れたひとも、みんなみんな、幸せになれ

posted at 00:38 | この記事のURL
あなたよ あなたよ 幸せになれ [2012年01月12日(木)]
寒さのせいか過労のせいか、父が風邪をひいたらしい

高熱は出なかったもののお腹に来ちゃったそうで、えらく弱った声をしていた。


独り暮らしはそれなりに気楽でいいもんだけど、病気になると心細いんだよね。

それも、家事全般に手慣れた女と還暦過ぎの男とでは、全然違うしね。

とりあえず今朝病院へ行って、厄介な大きい病気でないことはわかったそうだし、夜にかけても悪化はしていないようだからよかったけど。


ホント、離れてると、健康以上の家族孝行はない気がするわ、お互いに

何はともあれ、元気でいたいもんです。




さて。


今日は久々に女友達と言い争い(正確にはメール争い。顔を合わせたものではないから)をした。


お互い、ふんわりおっとりした性格の持ち主ではないからして(笑)珍しくはないことだけど、いろんなやりとりの最後に来たメールが傑作だった。



「そりゃ、彼氏もできないよ」



珍しく30分のプチ残業だったので、昼過ぎに送られてきたそのメールを見たのは帰りがけの駅のホーム。


思わず吹き出してしまい、こりゃどういう返事をしたらいいもんかと首をひねった。



要するに、彼女の恋愛絡みの行き詰まりに、私が慰めや同情を一切寄せずに現実的なことばかり言ったものだから、それが寂しかったか腹立たしかったかしたんだろう、と思う。



昨日今日の付き合いじゃないんだからさ。


私がその場つなぎの耳ざわりのいい慰めを言う性格じゃないことも、リアリストなことも知っているはずだし、何より、己れの恋に結構大きい障壁があることを誰より知っていたのは彼女本人のはずだから。



慰めてほしいなら最初から話す相手を選びなよ、と突き放した直後のメールが、それだった。



彼氏ねえ・・・確かにいないけど、できない=求めて望んでいるのになかなか叶わない、ってわけではないんだから、そう見くびらないでほしいもんだわよ



昨日だか一昨日だか、朝のニュースで、初詣を終えたひとたちに何を願ったのかとインタビューすると、若い女性は圧倒的に恋愛絡み(好きなひとが振り向いてくれますように、彼がプロポーズしてくれますように、とか、今年こそカレシがほしいです、とか)が圧倒的に多かったのね



うん、恋は生きるエネルギー源になるもんね。



ホントに大好きなひとがいると、心が元気になり、髪が柔らかくなり、気持ちの持ちようがしなやかになり、いろんなことに意欲がわく。


それは、カレシだのレンアイだのという狭い意味じゃなくて。


男でも、女でも、どっちの歳が上でも下でも、関係ない。



たぶん私が彼氏を求めていないのは、そういう役名(!?)でなくても、大好きなひと、心底惚れてるひとが何人もいるからだろうと思う。


普段はご無沙汰続きでも、いざという時、頼ってくれるひともいる。


普段は頼らないけど、いざという時は力になってもらえると私が確信しているひともいる。


憧れているひとも、尊敬しているひともいる。


わが子のようなネルと美羽もいる。



私は心から望んだことや願ったことはことごとく叶ってきているから、かなり強運の持ち主なんだろうとは思うけれど、中でもひととの縁はいちばん、自分の努力や希望だけでは叶いづらい類のことだし・・・・・・うん、むしろ奇跡のような、ありがたい贈り物みたいなものだよね



カレシ、という言葉は嫌いじゃないよ。

背伸びした少女っぽい感じで、なんとも可愛い響き



でも、三十路を過ぎた女が、カレシができないとか、いないとか、ほしいとか、そういう言い回しはさすがにちょっとおかしい気がするな(笑)


結構みんな、言うけどね。


猫姫にもカレシができたらわかる、とか。


カレシがほしいと悩んだり、そんなふうだからアンタにはカレシができないんだ、と友達に捨て台詞を吐いても可愛げがあるのは、せいぜい25歳くらいまでじゃないかなぁ・・・ と、そういう年齢の頃には今より格段に醒めていて頑なで、恋のひとつもしてこなかった私は、漠然と考えてたりしてね



自分に恋愛経験がなくても、ひとの恋ののろけ話を聞くのは大好き


それは、カレシやダンナに限らず、いいんだよ、憧れのひとの話だって。


のろけるのも、のろけられるのも、大好きっ


その代わり、どんなに親しくてもカレシやダンナの愚痴なんざ聞くのは大嫌い


恋愛がらみの「相談」は、ただの愚痴になる。


個々の事情は違っても、私に何ができる?



そもそも他人の色恋に興味ないし、恋愛がらみのゴタゴタなんて、はっきり言ってウザいだけ(笑)


オトナなんだし、当人どうしでよろしくやっといてよ、と


しょうがないんだからもう〜、と言いつつ惚れてるな、慈しんでるな、というのが透けて見えればいいけど、その関係に本当に疲れていたり、別れようか悩んでいる、みたいなことを聞かされても、こっちはどうしようもないもんね。




振り回されようと束縛されようと困らされようと、それでも愛しいなら、諸々万障ひっくるめて私はあなたが大好きだ! と笑い飛ばしてみせなよ、と。


ため息ついて、他人に本気で愚痴るくらい疲れてるなら、別れちゃいなよ、せめてやせ我慢でも黙って距離をおいて、自分の気持ち確かめてみればいいじゃん、と。



そう思ってしまうもの。

そう言ってしまうのは、薄情?



そりゃ、付き合ってた相手がストーカー化して怖いとか、あるいはこういう病気になってどう看護していいかわからない、とかいうようなことなら、自分の経験のみならず、持ち前の行動力も情報収集力も友人知人の知恵もフル稼働して力になろうとするけどさ。



ホレタハレタ、くっついた離れた、連絡があるのないの、ほかのオンナの影が云々、そんなことは当人どうしでやっとくれ(笑)



だって人生は短い。ひとの命は、誰でも、若くても老いてても持病があってもなくても、いつどうなるかわかりゃしない。


ひとと関わり合うことはとても大きなエネルギーが要る。


プラスの意味でもマイナスの意味でも。





ひとと本気で関わるということは、大げさじゃなく「命がけの行動」だと、私は思う。


そこまでできる相手じゃないと思うのなら、自ら距離をおくしかない。




それにしても、まぁね〜、言葉ってのは難しい。


面と向かっていても難しいけど、メールだと尚更。




表面的に優しけりゃいい、ってもんでもないしね。




バカヤローッ!! という怒声がこれ以上ないほどの深い愛情にあふれている場合だってあるだろうし、逆に、大丈夫? 大変ね、無理しないでね、何でも言ってね・・・なんていう優しげな言葉に、血の涙が滲むほど心を抉られて、もうお前なんかに二度と何も話すものか、という気持ちになってしまうことだってある。




「猫姫は、私はこう思う、私はそれは好きじゃない、私はこういうひとが好き、私にはできない、って『私』を主語にして話すよね、いつも。普通は・・・とか、女ってさぁ・・・みたいな一般論じゃなくて。だから信頼できるんだわ」




年上の女友達に、そう言われたことがある。




「私は、私は、ってやたら言うひとは我が強くて頑固だと思われがちだけど、違うんだね。私はこう思う、これは私個人の考え方だけど、あなたはどうなの、あぁ、違うんだねぇ、って感じじゃない、猫姫は? 違ってるからおかしいとか、そんなのはダメだよとか、言わないもんね」




面白いひとだよねぇ、と彼女はしみじみと言った。


・・・面白いひと・・・、これはわりとよく言われる(笑)


面白くしようと奇をてらっているわけじゃなく、そんな器用さもないし、本人はいたって真面目だったりするんだけどね



母のせい、もとい、おかげかもしれない。


優等生育ちの因果か、自分と違う好みや考え方をなかなか認められないひとだった。


どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、ただ単に「違う」、それのどこが不都合なのさ?


と、それこそ何度も何度も同じようなことで衝突した。




ある時、はっきり言った。




「私を、母さんと同じに染めようとしないで。私は母さんと同じ考え方をして、母さんと同じようにだけはなりたくないの。幸せになれる気がしないもの!」




いやはや、はっきり言いすぎだし(笑)


でも、母はその時納得していた。娘が自分に反発する理由を、初めて納得して、安心したような表情さえ浮かべていた。




友達、恋人、夫婦、親子、家族、師弟、男、女、あるいは共有する秘密・・・・・・、誰とどういう関係を結んでも、その関係に喜んでいても苦しんでいても酔っていても、それぞれの人生。


自分が幸せでありたいのと同様に、近しいあなたたちにも、やっぱり幸せでいてもらいたい。



そのひとを本当に愛しく思っているなら、誰に何と言われようが、凛と立って微笑んでいればいい。


それが、相手と自分にとって幸せだと思えるなら。


もちろん、誰かの幸せを奪うのと引換えでさえなければ、だけど(笑)




幸せになれない人間関係なら、自分の意思で手放すのもありだ。


手放して、少し遠くから、そのひとの幸せを願ってあげればいい。


一度は愛したひとなら。




“ ほかの誰にも言えない 本当のこと

  あなたよ あなたよ 幸せになれ

  あなたよ あなたよ 幸せになれ ”


       (ザ・ブルーハーツ『ラブレター』)





愛してくれるひと以上に、愛するひとがいてくれることに、感謝。

posted at 01:38 | この記事のURL
フィジカル・シアター【後編】 [2012年01月10日(火)]
さて、昨日の続きです。


歩き方ひとつでもなかなか奥が深いのね〜、ということを実感したところで、今度は全身を使ったワークに移行。



全員で円陣を組み、Aさんが輪の真ん中に出て、何かポーズをとって静止する。


次にBさんが出て行って、Aさんのポーズとコラボするような恰好をつくって静止する。


数秒の静止の後、Aさんはそっと離れ、円陣に戻る。


するとCさんが進み出てBさんとコラボするポーズをとって静止し、Bさんが退場するのと入れ替わりにDさんが輪の中に出ていって・・・という、その繰り返し。


無言の単純なパントマイムながら、その気になればストーリーだって作れそうだ。想像力は自由かつ無限大!



「はい、そこでストップ!」



早智さんが声をかける。



輪の中では、Jさん(女性)が片肘をついてごろ寝をし、その脇でKさん(男性)が両手をまっすぐ前に差し出しながら全身を前につんのめらせて、開いた足を踏ん張っていた。



「これは、どういう光景だと思いますか?」



早智さんの問いに、参加者が口々に応える。



「奥さんが昼寝をしていたら、本棚が倒れてきそうになったので、ダンナさんが慌てて受け止めようとしている」



なんて愛情あふれるストーリーを描いたひとがいる一方、私は、



「健康のために不慣れなヨガを頑張ろうとしているダンナさんと、あ〜たよくやるわねぇ〜、とごろ寝をしながら眺めているだけの奥さん」



と言ったものだから、一同大笑い


だってそう見えたんだも〜ん(笑) いきなり倦怠期の夫婦を連想するとは、色気もへったくれもありゃしないね、私



あるいは、Lさんが両腕をクロスさせて自分の体を抱くようにうずくまり、その前にMさんが立ちはだかってLさんを見下ろしながら指差している、という構図。



「家に強盗が入ってきて、そこを動くな! と脅されているところ」


なるほど、Lさんは怯える被害者、Mさんは強盗ね。



「刑事が犯人を追いつめて、証拠は挙がっている、もう逃げられんぞ! と言ったところ」


今度はうって変わって、Lさんは逃げ切れなくなった犯人、Mさんは正義と執念の刑事さん、というわけだ。



「赤ちゃんを奪われそうになったお母さんが、必死で抱きしめて守ろうとしているところ」


うむむ、これはヘビィだ・・・。でも、確かにそうも見える。




「今、DVDの一時停止ボタンを押している状態です。これを解除して再生を始めると、どうなりますか? 何が起こりますか? スローモーションでやってみてください、ハイ、再生!」




早智さんの言葉を合図に、輪の中の2人はそのポーズから続く物語を(ほんの十数秒だけれど)演じてみせる。


みんな初対面どうしなのに、息ぴったり(笑)




ほかにも色々、声も体も表現力も想像力もフル活用して楽しんで、2時間はあっという間だった。



早智さんのワークショップは来月と再来月にもあるそうなので、予約してきた。



来週はコンテンポラリーダンス、再来週はラップ、というこれまた面白そうなテーマで(それぞれ違う講師だけど)開催されるそうなので、眞美センセのレッスンとかぶらなければ行ってみようと思ってる



三軒茶屋の駅前のSUBWAYで腹ごしらえして、また深川のお不動さまへ初詣も兼ねて行こうと向かう途中、以前いたコールセンターの同僚と偶然再会しちゃったりもして(笑)、心身ともにアクティブな楽しい日だった



普通は、とか、一般的には、という言い方が私はあまり好きじゃないのだけど、でも「普通は」1、2、3、4、5の順番でみんなこういうことは経験してきてるよね、と当たり前のようにとらえられてしまう事柄が、世の中には結構あると思う。



「若い頃は自分のことで必死でしたが、30代になってからはもう少し周りとの調和を考えようと思って・・・」みたいな有名人のコメントもあったりする。



幸か不幸か、私はどうも違う。


4、5、あたりを子供時代にすませ、「普通は」40代以降に経験するような9や10を20代のうちに通り、1? 2? それ何? そんなもんがあったの? と、この歳で驚き戸惑っていたりして。



要するに、だな、順番が多少違っても、生きてる間に辻褄があっていけばいいんだわよ。



と、最近思う。



とはいえ、もう子供が何人かいてもおかしくないような歳だし、あまり際限なく悠長に構えているのもどうかと思うので、とりあえず、35歳まで。



あと2年足らず。



とりあえず35歳までは、成長期の子供のように、自分に対して貪欲な興味と好奇心を持って、心も体もいろいろひねくり回して探ってみようと思う。



知らないことが多すぎるもの。


できないことが多すぎるもの。


だからいろいろなものが怖い。


恐怖に唯一対抗できるものが怒りだから、私のマイナスの感情はすべて・・・・・・悲しみも不安も切なさも孤独も痛みも後悔も、全部同じ色の激しい怒りに変わってしまう。


ひとの心って、そんなものじゃないからね。


揺れて泣いて闘って頑張って、息を切らして笑おう。


優等生のふりをするのは、もう飽きたし疲れたし。


それを私に望んだひとは、そうでない姿を一生認めてくれなかったひとは、もうこの世にいないんだものね。


自由になっていいよね。


ヘタクソな歩き方でも。




どうも元気が出ない、気分が乗らないときは、爪先立って歩いてみる。


テンション高まって暴走しそうな時は、足の内側に重心をかけて歩いて、ブレーキをかけてみる。



まずは、そんなところから

posted at 01:37 | この記事のURL
フィジカル・シアター 【前編】 [2012年01月09日(月)]
年明けからどうも仕事がヒマすぎて (私以外の社員さんたちは忙しいから、バランス悪いというか申し訳ないというかね) カラダもアタマも鈍っちゃいそうなので、昨日はちょっとカラダを動かしに、フィジカル・シアターなるワークショップに参加してきた。


場所は、一昨年の12月に夜ごと通いつめた、なつかしの(笑)シアタートラム


トラムの真上にある稽古場の1つだから、もしかしたらあの 『GODSPELL』 のキャストの皆さんもこの場所で、歌ったり踊ったり走ったりしてたのかも!?


「感じるままに動く」 とか 「思ったことを言う」 という至極シンプルなことが私にはなかなかできない。


でも、ひとから見えるキャラクターってものがあるから、さ。


私のことを、いつでもどこでも自信にあふれて、自分の意思をしっかり確立しながら望むことを望むとおりに叶えている、強くてラッキーなオンナ、と思っている友人知人も結構多いのかもしれないけど。


私自身、そういうキャラって嫌いじゃないから、あわよくばそのイメージを崩さないで自分自身さえも騙し通そうとしちゃってた部分もあるけど。


そろそろ、化けの皮が剥がれる時が来たらしい。


ようやく、来てくれたらしい




自分の心と体がどうも素直に繋がっていないようだと自覚せざるをえなくなったのは「声」がきっかけではあったけれど、それだけですむ話じゃないし、いったん興味を持ち始めると、声だの顔だの心や体の感覚だのっていうのは際限なく面白くてね。




昨日の講師は、女優&演出家の木村早智さん。


小柄で華奢で、ふんわりと可愛いたたずまいながら、身のこなしが鮮やかで、しなやかで、魅力的な笑顔のひとだった



参加者は男性2人、女性13人、小学2〜3年くらいの女の子1人、ということでまずは自己紹介



呼ばれたい名前(本名でなくても構わない)の前に、自分を表現する一言をプラスして、


「おしゃべりなヤマダです」

「泣き虫ナッちゃんです」

「詰めの甘いゴローです」

「ひねくれアキコです」


といった感じで一巡すると、続いて 「10秒間にできるだけたくさんのひとと握手をする」 とか 「ボールの代わりにクラップ(拍手)をパスし合う」 というユニークなウォーミングアップをしてから、次は・・・・・・鬼ごっこ!



大のオトナがみんなケラケラ笑いながらも真剣そのもの、稽古場の中をみんな裸足で所狭しと走り回ってタッチし合い、うん、私は思ったより身軽で足が速いな、とちょっと安心したり(笑)



まだ三十路も前半、そうそう鈍っててたまるかいっ



続いて、いろいろな歩き方をしながら、身体感覚や気持ちがどう変わるかを感じてみる、というワーク。



つま先で歩く、かかとで歩く、足の外側に重心をおいてO脚のように歩く、逆に内側に重心をおいて歩く、指をできるだけ(もちろん無理のない範囲で)丸めて足の裏で地面をつかもうとするように歩く、という5種類。



歩きながら、心に浮かんだ言葉があれば声に出してみたり、そのキャラクターのままで、目が合ったひとと言葉を交わしてみたりする。



「つま先で歩く」 を終えて、どういう気分になったかを全員が言い合うと、これが見事にてんでばらばらで面白い。


私は女優かモデルにでもなったような(ハイヒールで歩くイメージだね)感じの、とても優雅に満ち足りた気持ちになり、こぼれる言葉も 「いいねぇ」 「綺麗ね」 「素敵だねぇ」 とあたたかな余裕に満ちていたんだけども。




ほかの皆さんはというと、ものすごくバランスが取りにくくて、おっとっと、おっとっと・・・ と呟きっぱなしだったとか、やたら焦った気持ちになって、大変だ、忙しい、早く早く・・・ と口走ったひともいた。



はたまた、とても汚いところを歩いている気分になったらしく、顔をしかめながら、あ〜、もう〜、汚い〜、やだなぁ〜、とぶつぶつぶつぶつ言い続けたひともいたり。(笑)



続けて、かかとで歩く


これは、私は気持ち云々よりもまず物理的に痛かったので、イタタ、アイタタタ・・・と小声で言いながらおぼつかない足取りになったが、ほかのひとの感覚を聞くと、ペンギンになった気分で楽しかったとか、踊っているみたいにリズミカルに歩けたひともいたようで、これまたバラバラ。



足の外側や内側に重心をおくのは、いずれもひどく歩きにくい(笑)



でも、普通に歩きやすかったというひともいたし、歩き始めの赤ちゃんになったような気持ちで「おかあさ〜ん」と無邪気な声を上げたひともあり、なぜだか笑いが止まらなかったとか、焦って探し物をしている気分になったとか、とても自信がなくておどおどしたような気分になった(これは私)とか、まぁー、十人十色とはよく言ったもので



足の指を丸め込んで歩いた時の「体感」はなかなか面白かった。




自分の手足も見えないほど真っ暗闇の場所を歩いていると、何だか正体不明の違和感がある。

自分が人間の姿ではなくなってしまった気がする。

私は、誰だ? 

『美女と野獣』のビーストのように、指が消えた毛むくじゃらの手足に鋭い爪が生えていたりしないか?

もう少し行けば、ここよりは明るい場所に出るはずだ。

その明かりで自分の姿を見てみれば、わかるはずだ。

早く、早く、もう少し先まで。

もう少し明るいところまで。




もう少し、もう少し、とつぶやきながら歩き回る私は、ほかの参加者から 「こんにちは、どこへ行くんですか」 と声をかけられた時、それこそ怯んだ獣のように本気で飛びのいて口ごもったらしい・・・ そういうふうにふるまった自覚はなかったけれど




体って・・・


体の動きを単純に変えるだけのことで、気持ちってこんなにも連動するもんなの?



オモチャのロボットみたいだよね。


赤いスイッチを押したら頭のてっぺんが光り、青いスイッチを押したらワハハハと笑い出し、手を触ったら「ヤァ、コンニチハ」と喋る・・・とかそういうオモチャって珍しくないと思うけど、まさにそんな感じ。


面白いといえば面白いけど、怖いといえば怖いかも。





体と心をつなぐスイッチを、オフにしたまま忘れ去るのではなく、オンのまま暴走させてほったらかすのでもなく、ある程度の幅をもってコントロールすること。


それができたら、生きることはたぶん、もっと楽しい




今日のこれは、ブログというより私の覚え書きです。


眠くなってきたので、後半の話はまた明日にでも


posted at 02:11 | この記事のURL
毎日 [2012年01月04日(水)]
今日は年始の仕事始めだったけど、まだ取引先も休みのところが多いのか、全体的に何となくのんびりしていた。


そもそも、新人の、しかも派遣の私には担当するクライアント企業というものがないので、新年挨拶や営業の電話をする必要もなく、私指名の電話がかかってくるわけでもなく、も〜っ、暇といったらとことん、暇っ


とりあえず、かかってきた電話を取り次ぎながら、パソコンで自主学習・・・ をするふりして、President Online のビジネスコラムの連載が面白かったものだからずっとそれを読んでいた


ホントに自主学習できる画面(=社内ソフト)も、物件検索ソフトも図面ソフトも、5つ6つの画面を同時に立ち上げながら(笑)



私は広いフロアのいちばん隅っこの席で、しかも出入り口の反対側なので、私の背後をひとが通ることはまず無いんだよね



無口で真面目で礼儀正しく、頼まれた仕事は早い、というこのオシゴト用のキャラはなかなか便利だわね(爆笑)



遊んでても、そうは見えない



だ〜ってさ〜、何かできる仕事を積極的に見つけて出来ればいいけど、ここの仕事は担当ごとにわりときっちり分かれてるから、手が足りなくなった忙しいひとに何か頼まれない限り、自分じゃ見つけようがないんだもん


スタッフがそれぞれ専用で持っているパソコンも内線電話も、私の分を申請はしてくれているらしいけど、まだ支給されてないし。


む〜〜〜



「わたくし、退屈するのがいちばん怖いんですわ」

・・・By マリー・アントワネット(笑)



時間は有効に使わなきゃ〜ね



☆ ☆ ☆



友人のブログに触発されて、昨日 “5年日記” なるものを買ってきた。



毎日かかさず何かをきちんとやる、ということが今まで一度もなくて (気分が乗るときと乗らないときの波がかなりあるから)、 しかも日記という 「形に残るもの」 は、母のとんでもない置き土産のトラウマもあって、私は絶対やるまい、と思っていた。



でも。

私は、母とは違うから。



二の舞を踏まないように、決めたことはひとつだけ。

ひとを名指しで貶したり恨みを吐いたり罵倒したりしないこと。

そういうものは、そういうものだけは、形に残しちゃいけない。



冗談じゃねぇバカヤロー、と怒鳴るように書き殴ることはあってもいい。


でも、理由は書かなくていい。そんな広いスペースもないし。(笑)




書かなくても、私はわかってるでしょ?


時が経って、あれっ、このバカヤローは何の話だろ? と自分で首をひねるくらいになったら、所詮その程度のことだったんだと笑い飛ばせばすむでしょ?




そう、今ね。


毎日かかさず、という人生初のことを、日記より前から継続中なんだわ。


例の、YAMAHAのキーボード


眞美センセに教わった、キーボードを使った音取りの自主トレ。♪♪♪




・・・昔ピアノを習っていたし、耳も音感も悪くはないはずなんだけど、な。


どの辺りの音が鳴るか、なるべく推測がつきにくいように、目を閉じて両腕をクロスさせながら2つの音を同時に鳴らして、低いほうの音をとる。


その単純なことが、なかなかクリアできずにいる。


そりゃまあ、少しずつ正解率は上がってきてるし、とくに聴き取りにくいキーと距離の組み合わせもわかってきたけど、よっぽど集中してないとあやしい


つまり、まだ幼い子供のように素直な耳ではなく、理屈っぽいアタマに頼ろうとする習い性がしつこく残っているんだろうな、と思う。



これ、できるようにならないとさ・・・


次のレッスンに行けない


家でできることを教えてもらったのに、それがクリアできないまま中途半端な状態でのこのこ出かけていっちゃ、あまりにも失礼だもんね。




逢いたいよぉ、早く。


大好きなんだっ


逢いたいから、頑張るよっ!(笑)




毎日、キーボードを弾き (音取りだけじゃなく、たまには簡単な曲も弾く 昔に比べれば・・・というか比べものにならないほど指が動かなくなってるけど)、 毎日、日記をつける。




この歳になっての 「初めて」 は、なかなか楽しい。




5年後の12月、この日記帳が終わる時には、私39歳かぁ・・・。


何やってるんだろね?




今よりもっと、愛して、愛されて、ヤンチャでしなやかで優しいひとになっていたい。




さて。


キーボード弾いて、寝ます

posted at 23:25 | この記事のURL
家族の風景 [2012年01月03日(火)]
「 友達のようでいて 他人のように遠い
  愛しい距離が ここにはいつもあるよ

  キッチンにはハイライトとウイスキーグラス
  どこにでもあるような 家族の風景 」




これはハナレグミさんの 『家族の風景』 という歌の詞。


年末の、中山眞美センセのライブでも歌われていた。


彼女もリハーサルの最中から 「ウッときてしまった」 そうだけど、私もいろんな思いが交錯して込み上げて、涙を抑えられなかった。




歌詞もだけど、歌声がさ。


あったかいんだもん。


あまりにも。


抱きしめるみたいにあったかいんだもん。


今の私には、あまりにも。




客席が真っ暗になる劇場ならもっとクシャクシャボロボロに泣いてしまっていたかもしれないけれど、その会場はわりと普通に明るくて(笑)、しかもステージからよく見える位置の、ほぼ真正面のテーブルに私は (3人の友人たちと一緒に) いたので、ボロボロに崩れるってのはちょっとさ〜・・・家じゃないんだしね





大晦日の午後から元旦にかけては、都内の従姉妹の一家にまぜてもらった。



姪っ子 (ではないんだけど、正確には。従弟の娘、という表現ってないんだよね) の、もうすぐ2歳になるレアちゃんにフカフカの羊のぬいぐるみをプレゼントしたら、 「めぇめ、めぇめ」 と喜んで抱っこして片時も離さず、結局抱いたままぐっすり眠ってしまったりして(笑)



にゃははは・・・ 可愛ゆいねぇ〜



元来、子供好きなたちではないけど、従弟やら友達やら、親しいひとの子供はやっぱり違うね。



単純にイキモノとして面白いし(笑)、愛しい





一緒に食卓を囲み、こたつでお茶を飲んでチョコレートをかじったりしながら紅白を観て、1年ぶりに会った叔母とは深夜3時近くまでお喋りをした。




私の話し方や笑い方が母にますます似てきたと言われた。




母は評判の美人で、頭がよくて誰にでも優しくて上品で手先が器用で、完璧で理想的な良妻賢母で、病気がちなのにいつも健気に明るくふるまう、素晴らしき “みんなの憧れ”!



・・・みたいなイメージのひとだったから。



お母さんに似てきた、というのは、褒め言葉なんだと思う。



頭ではわかる。



でも、ごめん、ひとかけらも嬉しくない、私。




似ている部分を、どうしようもなく自覚してしまうことは実際あるけど、それをひとから言われると・・・ 100%まじりっけなしの素直な褒め言葉や慰めのようなものとして言われると、やるせなくて、そのやるせなさを誰に・・・ そもそも自分に対してさえ、どう説明すればいいのかわからなくて、母とそっくりな声を出すこの喉を思いきりぶん殴りたくなってしまう。



いやいや、実際にはしないけども。



去年あやうく失くしかけた声だし、罪のないものにそんな乱暴はたらいちゃ可哀想だよね(笑)




顔は化粧である程度変えられても、声はそうはいかない。


そもそも変えたいほど嫌いなわけじゃない、というか、生まれ持ったものの中では結構好きだ。


だから尚更、せつない。


私が無意識のうちに地声を見失っていたとすれば、それは母と似ているものを無意識に拒み、避けていたということなのかもしれない。





せつないね。


もうじき、5年にもなるのにね。


受け入れることも許すことも懐かしむことも、何もまだできないよ。


心、狭いね、私。





受け入れられない、受け入れたい・・・


許せない、許してはいけない、それでも許したい・・・





まだまだ、当分じたばたしそうだ。





そんなことを考えていたら、眞美センセの昨夜のブログ。

タイトルは『♪GIFT』(※彼女のブログのタイトルは、いつも何かしらの曲名)

http://ameblo.jp/mami5521/entry-11124047236.html




ここにも、家族の風景。


どこにでもあるような、どこにもないような、あたたかい、家族の風景。





そうなのよ、ライブのMCで弟くんとの思い出話をしてくれて


そりゃもう本当に、情景がリアルに浮かんで観客みんな大笑いの話だったんだけども


きょうだいがいない私には、そういう情景って、永遠の憧れでもあり。



そりゃあね、家族だの親兄弟だのっていうのは 「いればいい」 ってもんじゃないし 「いなけりゃ不幸」 ってわけでもないけど、でもね。





うまく言葉にならないけど、彼女のブログを読みながら今度こそクシャクシャボロボロに泣いてしまって、理由もはっきりしないけれど涙も嗚咽も止まらなくて、ようやく落ち着いた時には、観ていたはずの『相棒』元旦スペシャルのストーリーがさっぱり訳のわからないことになっていた(笑)



CMの時によそ見してブログ読んだりしてちゃダメってことです、ハイ



でも、あの涙は羨望や孤独感や、そういう胸を締め付けられるような感じのものじゃない。



すごく綺麗なものを見たり聴いたりして心が震えた時のような、理屈でも感情でもない本能的な涙。



ただ、いいね・・・ と。



いいね・・・

もっと、聴かせてよ、と。



のろけでも親馬鹿でもいいから、あたたかい家族の話、聴かせてよ、と。



行ったことのない外国の街や、深い海の話みたいに、黙って想像しながら聴いていたい。



自分が知らないことだからといって、想像力まで失くしたくはない。



そんなふうじゃあまりにも、生きていることが寂しく薄っぺらくなってしまうもんね。






そう、それで、話があっちゃこっちゃ飛ぶけど、眞美センセのライブ


13曲のうち、彼女のオリジナル曲が3曲あって。




この恋が早く愛に変わればいい、その傷ついた心をひらいて預けてくれたなら、私があなたを守るのに・・・ と歌う一途な少女のラブソング、『恋が愛に変われば』


歌詞もメロディーも歌い方も、すごく大好き、この歌



違う道を歩き出して今は傍にいないひとに、静かな祈りにも似たエールを送るようなバラード、『足跡』



憶えてるもんだな・・・、あたたかいな・・・、愛してるよ・・・と、素直な子供のような言葉が、終わった恋の相手を慈しんでそっと抱いているような 『キオク』



CDになっていない (いや、かつてCDを出していないわけじゃないから、入っていたのかもしれないけど、とりあえず今は手に入らない) ので、歌詞が正確にわからないのがもどかしいんだけども・・・




CD、出して!!(笑)


これからはライブの回数増やすつもりだと言ってたけど (この間のライブは、なんせ3年ぶり)、 そんなんじゃ足りない!!


もっと、いつでも聴きたいっ!! ♪♪♪





弟くんにも、


「たまには姉チャンの歌ば聴きたいなって思うとばい」


って言われたんでしょ?




家族も、教え子も(笑)、待ちわびてるよ〜、眞美センセ!





私のお正月休みは1週間あったけど、父は1日しかなくて、そもそも帰省したところで一緒に楽しめるような共通の趣味や話題がそうそうあるわけじゃなし(!?)、そんなこんなで私は帰省しなかった。



大晦日の深夜 (というべきか、元旦の早朝というべきか)、 帰宅した父は、連日連夜の長時間労働&深夜帰宅で溜まりに溜まっていた洗濯物を一掃すべく、洗濯機を2回も回してベランダに干したそうだ。



そんな話きくと、日帰りででも洗濯と大掃除 (いや、見えるとこだけの大雑把掃除くらいで精一杯か・・・) だけでもしに帰ってあげればよかったかなと思わないわけじゃないけどさ・・・う〜ん・・・





私はまだしばらく自由なおひとりさまを楽しむのもいいけど、父にこそ伴侶がいてくれたらな、と切に思う。



こればっかりは、知り合いから猫を1匹譲ってもらうような話じゃないから、簡単に叶うことじゃないけど、でもね。



もしも父が、このひととなら家族になりたい、と思うような相手に出会えたなら、そのひとが私より若いコでも、関西弁コテコテの “もろ、大阪のおばちゃん” でも、私は心から祝福すると思う。






話がどんどこ脱線して、終わりそうにないので、今宵はここまで。(笑)



おやすみなさいマセ

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