日々のつれづれ日記です。
本や映画や舞台の感想、友達の話、犬猫の話、ひとりごとetc、etc。
気まぐれ更新なので、気ままにお付き合いください♪

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大晦日ですネ☆ [2011年12月31日(土)]
さて、日付が変わりました。

今夜も猫のように宵っ張り


焼き上がってオーブンから出てきたばかりの林檎のケーキの香りも漂って、う〜ん、いい感じ


年越しは都内の従姉妹一家のところに交ぜてもらって過ごすので、ケーキは手土産ね(笑)




あ、そうそう。


休暇初日の28日に、年賀状を書きかけていたら、忘れてた野暮用を思い出し、慌てて身支度して電車に飛び乗って出かけた。


7月、仕事中に(そう、あのとんでもない前職よ)ちょっと怪我をして、それは労災扱いになったわけだけど、肝心の手続きが遅々として進まず、退職する段になっても終わっておらず、こんな年末まで持ち越してしまったわけ。


杜撰な会社のやることは、どこまでいっても杜撰。


さっさと縁切ってよかったわよ、ホント。



ま、縁切ったところに文句言ってもしょうがないので、気を取り直して、とりあえず2ヵ所の病院をハシゴして、依頼していた診断書をもらってきて、その日のうちに年賀状(今年は40枚弱)を書き上げ、翌日の “お師匠サマ” のライブの時に渡す手紙も書き上げまして




ところが、翌日は待ちに待ったライブで舞い上がって、出かけるときに年賀状の束を持って出るのをすっかり忘れてたもんで、投函はさらに1日延びて、昨日の朝になっちまいましたデス


私の年賀状は間違いなく、元旦には届きませんので、皆様どうぞあしからず・・・m_ _m




夜ごと三軒茶屋の劇場へ通いつめていた去年ほどではないにせよ(笑)、今年の師走も思い出してみれば結構遊んだので(仕事もしたけど)、慌しいのも若干寝不足なのも当たり前で、うん、元気だからそういうのもまあ悪くない。


最強の厄もようやく抜けたっぽいですね



ひとの命は、一寸先もわからないから。


今日したいことや、今日できることは、しよう。


好きなひとには好きだと言おう。


逢いたいひとには逢いに行こう。


来年も。再来年も。ずっと。


生きてる限り、ずっと。




本当は、眞美センセのライブのことも書きたいんだけども (今回行けなかった友人から、レポート待ってるよ、とも言われているし)、 これはまだ酔いが醒めてなくてまともに書けないので・・・新年に持ち越そう(笑)



誰の心にも、あたたかく優しいものが降る新年でありますように

Posted at 01:07 | この記事のURL
ありがとう [2011年12月30日(金)]
とても嬉しくて、気持ちが高揚しすぎて眠れそうにないから、ブログ書いて落ち着こう・・・と思ってはみたものの、さて、どう書き始めていいものか悩む


いやなに、今夜は中山眞美センセのソロライブに出かけていて、また惚れ直したというか、魂を持ってかれたようにボーっとなってるだけなんだけども


ソロライブは約3年ぶりだとか。


3年前は、知らなかったんだよね、私。


もったいない・・・悔しい!(笑)


仕事仲間やら昔からのFANやら、各方面からせっつかれながら、ひと前でメインボーカルとして歌うのは苦手だからと断りつづけてきたけれど、この3月の震災の後、思うようになったのだという。


ひとの命はいつどうなるかわからない、と。


それなら、今、自分にできることを精一杯やろう、と。




苦手だ苦手だと言ってたわりに(!?)、「もう〜ね、嬉しいの!」 と満面の笑みで連発し、時間がおしていることも気づかないほど熱くノンストップで歌い、喋り、被災した知人 (原発の避難指定区域に住んでいた・・・) の話をしかけた途端に涙があふれて声がつまって、迷子の子供のような顔をして。



圧倒的に力強く優しい、ソウルフルな歌声。


照れくさそうに掠れた、低い笑い声。


この素晴らしい仲間を見てよ、あたし果報者でしょう! とばかりに誇らしげにメンバー紹介をする、明るく華やいだ声。


大好きだ。


私はあなたが大好きだ。




「あたし 他人を喜べる数で 時を数えたい」



中島みゆきさんが 『夜を往け』 というアルバムのライナーノーツに書いていた言葉を、ふいに思い出した。



彼女はボイストレーニングの先生でもあるのだけれど、生徒さんはほぼ全員が役者とか歌手とか、あるいはそれらを本気で志す若い子とか、なので。



さしあたり何ものでもない私が弟子入りしたってのは、自覚していた以上にものすごく無謀な、身の程知らずなことだわね、とあらためて感じた。


私ごときが煩わせていい相手じゃないんだわよ、実際(笑)




終演後のDivaにそう言ったら、あっけらかんと一言、




「えー、なんで」




なんで、って(笑)


それはさ・・・たとえるなら、野球観戦の好きな小学生が自分もやりたくなって、プロ野球選手をつかまえてボールの投げ方やバットの持ち方を教えてくれと頼むようなもんだよ、私のしていることは


そこいらの草野球サークルのコーチじゃなく、いきなりトップレベル。



これを身の程知らずと言わずして、何だ?



「いいじゃないですか」



こともなげにそう言って笑ってくれる懐の深さ。



「はい! そういう無謀なことができる自分が、すごく嬉しくて、幸せなので、これからもよろしくお願いします!」




それこそ子供みたいなワケのわからないこと言っちゃった


だけど、本気。


ずっと、あなたを追いかけていくから。




「誰かが見ていてくれるなら

 心をふるって 風を見て

 知ってる道を思い出す」





これも、中島みゆきさんの言葉。




眞美センセ。


あなたが見ていてくれるなら。




ずっと逃げ続けて目をそらしてきたことと、ちゃんと向き合ってみようと思う。


まるで最初から無かったように蓋をして扉を閉めて知らん顔を決め込んできたものを、開ける勇気を与えてくれたのは、あなたです。



ありがとうございます、は、あなたじゃなく、私が言う言葉です。



今日もまた先を越されてしまったけど。




最高の夜をありがとう。


魂を抱きしめるような歌をありがとう。


優しい笑顔をありがとう。




私も、頑張ります。


生きる ということが、惰性でなく、言い訳でなく、地に足の着いた希望であるように。




心がうまく言葉にならないので、みゆきさんともう一人、尊敬する大好きなひとの言葉を借りて。



茨木のり子さんの詩、『待つ』。




“ わたしの心は かたくなな 鉄の扉
  どうしようもなく 閉ざされ 軋む

  鍵を持って まだどこか 遠くを
  のんびりとふらついているのは誰?

  ぱっと開けて吃驚させてくれるひと
  とても自然に 昔からの約束のように ”




この詩は10代の頃から好きだったけれど、自分自身のようだというわけじゃない。


私は、待たない。




たとえば柳美里さん、たとえば高樹沙耶さん、そして眞美さん。


惚れることは理屈じゃないから。


私にとっては、惚れることは信頼とイコール。


出逢った時、そのひとが私について何も知らなくて、何の根拠もなくても。





鍵を開けてください、と言いに行く、向こう見ずな行動力だけは私、持ってるんだ。


でも、応じてもらえるかどうかは相手次第。





だから。


感謝。


言葉なんか追いつかないけど、ありがとう

Posted at 02:35 | この記事のURL
玄関の篝火 [2011年12月25日(日)]
11月の下旬頃、あちこちの花屋で色とりどりのシクラメンを見かけるようになって、好きな花だし、そのうち買おう〜 と思っていてね


あ、買わなくても実家が花屋なわけだから、おとーさんにおねだりしちゃおう、と思ったりもしてね(笑)


で、玄関の土間に鉢を直置きってのもナンだから、何かシンプルな花台も一緒に


・・・どさくさにまぎれて日が経って12月に入っちゃうと、実家はお歳暮の繁忙期に突入でして、連日休みなしに朝から晩まで・・・もとい、朝から丑三つ時までの大忙しになるので、こんな時にわざわざ1つ2つでも余計な仕事増やすのも気の毒だし、うん、やっぱりこっちで買おう、と(笑)


考えてみればそもそも、こういう私好みのグラデーションの色みは、説明するのややこしいしね





花台をどうしようかと思ってたんだけれど、百均ショップの植木鉢スタンドと陶器皿を組み合わせたら、なんかいい感じになりました



シクラメンの和名は、篝火花(かがりびばな)あるいは篝火草。

これは、綺麗なほう


もうひとつ、おかしな和名があって、そっちは“豚饅頭” ・・・ぶひ♪


綺麗なほうの和名は咲いている花の姿から、変ちくりんな方は根元の球根の形から来ているものだとか。


花が咲き終わって根元があらわになると、本当にもう、豚饅頭ほど美味しそうでもないヘタクソな泥饅頭みたいな姿だけになって、いとあわれ・・・なんでございますが


でも、その愛想なしの豚饅頭をポイと放り捨ててしまわずに、ちゃんと水をやって育てておけば、次の年にもまた綺麗な篝火を咲かせてくれるわけ



掃除のついでに、玄関のプチ模様替えも。





無印良品の壁掛けシェルフを1つ追加して、これも先日あまりにも可愛くて衝動買いしてしまったパキラの居場所に


水栽培なので、世話はラクチン

安っぽいプラスチックのカップに入っていたので、ガラスの器に植え替えた。


ピンクのガラスにピンクの用土だから、写真ではわからないけど、この器には “Yu Miri” と贈り主の名前が刻まれていて、私にはとても大切なもの。


こういう大事なガラス製品を無防備な棚の上に置くというのは、震災以来ずっと避けてきたことなんだけども、あえてやってみた。


祈りをこめて。



「地震で壊れるかもしれないから置かない」 というのは、災害が起きることを予測して想像していることだから。


私はわりと、思ったことや願ったことを現実に引き寄せる力が強いみたいなので・・・、あまり悪いことをリアルに考えていると悪いことが起きてしまいそうなので、なるべく、考えないようにしたくて。



あの震災が起きた時、私は外出先だったので、家に残していたネルと美羽のことが心配で心配で、すべての電車が運休している線路沿いを夜通し走ってでも帰りたいほど居たたまれなくて、友人の厚意であたたかく眠れる場所に恵まれていたにもかかわらず、実際には一睡もできなかった。


朝、急いで帰宅してみれば部屋の中は何ひとつ落下も破損もしていなくて、ネルたちもちょっと空腹ではあるものの普通に元気にしていたからよかったけれど。


そもそも、ヤンチャな猫がいるせいというか、おかげというか、で、落ちたり倒れたりして壊れるようなものを室内に一切置いていなかったのがよかったんだよね。



あんな災害はもう起きてほしくないし、想像したくもないけれど、実際ありえない話ではないから、コワレモノ以前に私自身の心の置き場所がなかなか定まらない。




でも、祈りをこめて。


大切なお気に入りのガラスが、ずっとそこに在るように。


でも、もしも揺れに見舞われてしまった時には、破損の被害が玄関先だけですむように・・・と、これはネルと美羽を危険にさらさないための現実的対策。



ネルと美羽が歩き回る室内には、ガラスは飾れないよ。


美羽がヤンチャだから、という、それだけの理由にしておく。そこは。




さて。


日付が変わって、クリスマスムードもおしまい。


寝ます。


See You

Posted at 23:54 | この記事のURL
Christmas Eve☆ [2011年12月24日(土)]
12月に入ってすぐ、この部屋もささやかな飾り付けをした。




これは東急ハンズで買った、ワイヤー細工のツリー。


キラキラゴールドラメ、大好き〜〜〜


気に入って買ったガラス細工のツリーも実家にはあるけど、なにしろ我が家にはいたずら美羽にゃんこがいるもんで・・・


ガラスはさすがにコワイので


こういう素材なら、にゃんこがちょっかい出して落としても壊れないからね





DVDラックの上には、友人たちにもらったクリスマスカードと、亡き妹・アリーの写真。


ふと足もとにひんやりした鼻を感じて、目をやると、アリーと同じ褐色の愛くるしい目をしたネルがしっぽを振って見上げている。


この子の笑顔と、食いしん坊なところは、本当にアリーにそっくりだ





窓辺にはステンドグラスのクリスマスツリー、エンジェル、雪の結晶のハンギングオブジェ。


これ、作ったのは母です。


私がまだ中学生くらいの頃だと思うから、何年前だ? ・・・20年近く?


これは友人たちへのプレゼントとしてもいくつか作っていたはずだから、同じものを持っているオバサマたちもいるはず(笑)


『黒の舟歌』 じゃないけど、母と私の間には 「深くて暗い河がある」 ので、母の手製のものはどんなに綺麗でも、かつて気に入っていたものでも、何となく飾る気がしなくてね、ここ4年。


引越しの時も何も持ってこなかったのだけど、先月に帰省した時に、ほんのいくつかだけ持って帰ってきて、これらステンドグラスもその一部。


ほんの少しだけど、歩み寄り、かな





フォトフレームの上にある布のツリーも、母の手製。


これは私のいちばんのお気に入りで、数年前に見よう見真似で似たようなものを作って、友人にプレゼントした


私が選んだ生地はこんなおとなしい色柄じゃなかったので、まるで雰囲気の違うものになったけどネ




私の母は、季節ごとの飾りものが好きなひとだった。


クリスマス、お正月、お雛祭りなどのカレンダー行事に限らず、春になったら玄関や寝室やトイレに吊った小さな額絵 (べつに値打ちのあるものじゃなく、カレンダーや雑誌から切り抜いた絵や写真ばかりだったけど) を桜や菜の花の絵柄のものに替えたりして。


梅雨が明けて暑くなってくると、玄関の下駄箱の上に大きめのガラス皿をおいて大小の青いビー玉を敷き、拾った貝殻や、小さなガラス細工のヤドカリや人魚をあしらったりして。


秋になると、その場所の住人たちは暖色のスカーフやコースター、紅葉、どんぐり、小さなリスのぬいぐるみなんかに替わったりして。


そういう稚気というか、時間を忘れてままごと遊びをする子供のような心を、いくつになっても持ち続けたひとだった。




事実、私が学校から帰ってくると、


「見て、見て!」


と得意げに笑い、


「今日はこれをやってたら時間があっという間で、お昼ゴハン食べ忘れちゃって」


などと言って私を呆れさせたことも一度や二度や三度ではない(笑)




実家は今や、父が夜遅く寝に帰るだけの場所になっているから、季節が変わることによる変化は扇風機とヒーターが入れ替わるくらいだと思うけれど、私は結構、喜ぶ子供のひとりもいない独り暮らしの部屋で、母と同じようなことをやっていたりする。



自分の中でずっと目を逸らし続けていた部分は、ずっと逃げ続けてきた部分は、母と似た部分であると認めざるをえなくなった、三十路の冬。



どうして、どうして、ねえ、何でそう思うの、何でそう思ってくれないの、どういうことなの、どうしてそんなに違うの、どうして・・・?



ことあるごとに、どうして、どうして、どうしてと父や私に問い続け、理由なんか最初からないほど些細なことにもしつこく理由を求め続けた母は、独りぼっちの子供のような寂しさを抱えたひとだったのだろうかと、最近思う。



自分の思いは誰にも理解されない、と。



あなたは素敵、あなたは素晴らしい、あなたは何でもできる、あなたは優しい、いつも自信にあふれるあなたのように私もなりたい・・・ 周りのひとから羨望の笑顔でそう言われるたびに不安で不安でたまらなくて、本当は違うのよと言いたくても、そう言ってしまったら最後、自分が何者なのかもわからなくなってしまうから、中身のない優等生の笑顔でごまかすしか、ごまかしつづけるしかできなくて。



せめてたったひとりの娘には理解して欲しかった?


自分と同じ心で、同じ目で、同じものを見て同じように感じてほしかった?



「ねえ、あんたはどうしてそんなに私と違うの!?」



どうして、って言われてもね。


・・・違うじゃんね、最初から。(笑)



そもそも親が違う、生まれた場所も年代も違う、家族構成も違う、もちろん見た目だって違う、負った苦労や悲しみも違う、負わされた傷の深さも痛みも、後遺症も癒し手も違う。


同じなわけがないじゃんね。


せつないよね。



あなたがあれほど、自分と違うと、似ていないと、嘆き続けて拒絶した娘は、悔しいほど同じものをいくつもいくつも持ってるみたいだけどね。





ステンドグラスは専用の道具や機械を揃えないとできないから、やっていないけど、もの作りが好きなのは間違いなく、あなた譲りだ。



これからミシンを出して、先日買ったキーボードのカバーを作ろうと思う


キーボードってさ!


ピアノと違って、ケースも蓋もついてないのね!(笑)


まるだしのままじゃ、埃かぶっちゃうじゃないの


しょうがないから、無いものは作る。



あ、年賀状もまだだから、やらなきゃなんだけど・・・


順番、順番
Posted at 17:19 | この記事のURL
師匠 [2011年12月19日(月)]
当たり前にできると思い込んでいたことが、驚くほどできなくなっていることに気づく。

こんなにも歌が好きで、音楽から離れたことなんかなかったのに、今、ここで鳴っている音と同じ声を出すという単純なことが、どうしてこんなに難しいんだろう。

どうして、できないんだろう。

何に怯えているんだろう、私。



感じることができていない。

感情のままに体を動かすことができない。

心と体が繋がっていない。

どこかで、自動的に蓋が閉まってしまう。

思いは、声や表情という形をとる前にどこかで絡め取られて口をふさがれ、そのまま行方知れずになる。



私の声には支えが無い。

よく通る声ではあるのだろうけれど上っ面をフワ〜と通り過ぎるだけで後には何も残らない、だから説得力が無い、聞いていて落ち着かない。



自分で漠然と感じていたことを、はっきりとした言葉で指摘してくれるひとに出逢えて、私は今、未体験の感覚にじたばたもがいている。



地声でひとと話したことがないのか、と言われた。

自分の本音って、わかる? と。



わからなかった。

私の声は、地声ではないの?

私が考えたり感じたりしている「はず」のことは、本音ではないの?

だとしたら、それらはどこにあるんだろう。

本当に、どこかに存在しているんだろうか。



私は、生きている、よね。

幽霊じゃ、ないよね?



そんなわけないじゃんと苦笑しながら、本当は迷子の幽霊だったりして、なんて不安が全身を包む。




私はいつも理由を欲しがる。

その痛みに、その悲しみに、その切なさに、その孤独感に、思い当たる理由が無ければ、強引にでっち上げてでも理由らしきものを頭と心に満たして、自分を納得させようとする。



攻撃の矛先が、誰かに向かないように。

誰かに恨みをぶつけないように。

もう、自分のこの身も傷つけたりせずにすむように。



たえまなく理論武装して身を守ろうとする。

・・・誰から? 何を、守りたいの?



すべて私が決めたこと、私が選んだこと、私がそう考えてそうした、もちろん違う道もあった、拒絶することも本当はできた、しなかったのは私の弱さ、私の不甲斐なさ。


そうやって最初から最後まで自分の中だけで理屈を通して完結させておけば、誰のせいにもしなくてすむ。


過去の落とし前を他人につけさせようなんて、ぶざますぎるじゃない。


すべて私が決めたこと。すべて私が選んだこと。


その時傍にいる相手が望むとおりの、何人もの「私」を演じ分けることも、誰に命じられたわけでもなく、私がそうせずにはいられなかっただけの話。



ねえ。

私は間違ってた?

いつ、何を、どうすればよかった?

今さら過去をどうこうできないのはわかってるけど、でも、誰か正解がわかるなら、おしえてほしい気もする。





何を言っても言い訳にしか聞こえないよと、ぴしりと言われてしまった。

見破られたと感じて、悔しいけれど嬉しかった。


「病んでるね」


という言葉が、荒っぽくも、見下されているようにも聞こえなかったのは、彼女の芯にある揺るぎないあたたかさ。



「相手の姿勢見てて、見どころがあるとか、本気で関わろうと思ったら私、まず優しくないから。バカじゃないのッ!? とか、結構、毒吐くから」



だから、言われるうちが華よ。


・・・そんなことを言ってニヤリと笑い、私の虚飾も強がりも屁理屈も全部突き崩しておいてから、



「絶対、変わるから。自分の声、ちゃんと取り戻せるから」



と微笑んでくれた。




「聴こえてるはずのものが実は聴こえてなかったんだ、ってことがわかれば、意識して聴こうとするようになるでしょ? たとえば周りの音とか、ひとの話し声とか。それだけでも、だいぶ変わるから。女の低い声は、男とは全然違う、すごく魅力的なものだってこともわかってくる。そういう声、せっかく持ってるのに、使いこなしてなきゃもったいないよ」




彼女は自らがプロのシンガーであり、作詞作曲や舞台の音楽プロデューサーも手がける傍ら、ボイストレーナー=歌の先生でもある。


教え子はほとんどがタレントさんだそうで、こんな私みたいな素人が弟子入りするのは珍しいケースだと思う。


そもそも、私は歌の上達法を教わりたかったわけじゃない。


いやいや、そりゃ歌もヘタクソより上手いほうが楽しいに決まってるけど(笑)、そういうことじゃなくて。


彼女の手がけたステージを観た日の夜、ブログにこんなことを書いた。



『私は言葉に厚化粧させすぎるから。

言葉に限らないかな、表情も、言動もか。


心に感じたことを、見える表情に、聞こえる言葉にするまでのわずかな秒数のあいだに、いったい何枚のフィルターを通して、何色の化粧品をぶっかけてしまうんだろうと、しみじみ痛感すると溜め息が出る。


私のいちばんの悪癖だと思う。

かつて、そうでなければ生きられなかったのは事実だとしても、時は流れるものだから。


いいかげん、脱皮したいもんです。


(中略)


彼女のように、心を声に乗せて解き放つすべを覚えたら、生きることがもっと鮮やかに楽しいものになりそうだ。


職業が、女優じゃなくても、歌手じゃなくても。


本当に好きなひとは、好きなものは、理由なんか説明できないね。

それでいいの。


あなたに惚れてます。

それだけで、いい! 』





このブログを、彼女は読んでいて、私を縛る “何枚ものフィルター” の話を覚えていてくれた。


だから最初から、真剣に向き合ってくれた。


ひとの顔色ばかり気にして自分を見失った、支えのない声だと、はっきり指摘してくれた。



私の言動に対して、それはおかしい、違うよ、とダメ出ししたり、ましてこんなパワフルな女をつかまえて 「病んでる」 なんて言うひとはまずいない。


この歳になれば、いろんな建前と言い訳を何となく混ぜ合わせた化粧品を顔にも心にも塗って生きることが 「普通」 と思われがちだから、それをわざわざ、言い訳するなと叱ってくれるひともいなくなる。


私は幸せものだ。


「当たらず触らず波風立てない人間関係なんて、無いほうがまし」


と言い切り、優しい目をして厳しいダメだしをくれる、最高の師匠に逢えたもんね




大好きだよ、師匠!


来年も、その先も、ずっと末永く付き合ってよね。


私の心は、自分でも気づかないくらいの大小さまざまなフィルターや柵や蓋や、そういうもので散らかってるから、きっとすごく手のかかる弟子だけど。


自分というヤツが、こんなに厄介なものをいろいろ背負い込んでるなんて、気づいてしまったからものすごく、悩んで、戸惑って、自分に呆れ返って、あがいてる。


気づかないでいる方が楽だったかもしれない。


でも、それは何も成長しないということ。

それ以上、幸せにはなれないということ。


パンドラの箱を開けたのは、もとい、開けて風を通してくれたのは、あなたなんだからね。


いつか、少しでも追いつけるように、離れないようについて走るからね、師匠




ずっと欲しいと思いながら、場所を取るしな〜、限られたひと部屋の空間に趣味のものばっかり増やしてもな〜、と思って躊躇していたYAMAHAのキーボード、自主トレのためという理由をつけて、買っちゃった(笑)



聴いた音をそのまま声に反映させること。


その単純なことができるようになったら、私の心は今よりだいぶ、自由になりそうだ。


感じたことをそのまま声に、言葉に、表情に、映すこともきっとできるようになる。


自分の体が、声が、こんなに無限大に多機能の面白いオモチャだなんて、知らなかったわよ。


子供みたいにわくわくしてる。


何がどう変わってゆくか、すごく楽しみだ!!

Posted at 23:38 | この記事のURL
仕事始め [2011年12月18日(日)]
新しい仕事の滑り出しは順調


ちょうど去年の今頃に働いていたコールセンターもそうだったけど、やっぱりそれなりの知名度や立場のある会社ってのは、普通にきちんとしてるからいいね


通常、派遣で働く場合、派遣会社に登録 →希望に合う仕事の紹介や説明 →履歴書選考 →職務経歴書を携えて面接 →内定 →派遣先での勤務開始、という流れになることが多いわけだけど、今回はわりと急募だったようで、登録の際にカンタンな説明を受けて履歴書を渡したら、それで面接も職務経歴書もすっとばしたまま内定してしまった



ええぇ〜、いいのかい?



と思ったけれど、今回はどうも、クライアント=派遣先の賃貸アパート会社からの希望がとても単純で曖昧なものであったらしい。


経験や学歴は特に問わない、宅建などの資格も要らない、ただ基本的なビジネスマナーが身についていて、基本的なパソコン操作(Word、Excel、ネット、メール、印刷etc)ができるひと、とだけ。


仕事に関する知識は実務の中で徐々に覚えればいいから、とのことで、その会社の業務に関する基本的な研修も派遣会社で1日きり、しかもわずか4時間程度


書類選考を通過して研修に参加したのは3人。



同期になるはずだった男性2人は、ほぼ私と同年代だったが、


「基本的なパソコンの操作は必要ですし、あと、基本的なビジネスマナーが身についていないひとはすぐクビになりますよ」


という派遣会社の担当者の説明にだんだん腰が引けて、ちょっと自信がないから、ちょっと考えさせてもらってもいいでしょうか……とぼそぼそ俯きながら、結局2人とも辞退してしまった



それを言うなら私だって、取引先や重役との接し方だの、名刺交換だの、会議室やタクシーではどこが上座だの、いわゆるビジネスマナーが日々必要とされるような企業勤めはしたことがないから、去年、基礎知識を得るためのシミュレーションとして秘書検定を学んでおいたくらいのもので、今回求められているレベルに自分が達しているのかどうかはわからなかったけれども。



まあ、とりあえず三十過ぎのオトナ、それも 「普通よりは礼儀正しい言葉を使う社会人」 だから(笑)、そこがポイントなら私は大丈夫だろうと軽く流して、特に確認もしなかった。




初出勤の日、私が配属されたのは、男性マネージャー1人と女性スタッフ5人で構成された第3班。


ベテランのスタッフ(私より少し若いかな)Nさんのアシスタントにつきながら少しずつ仕事を覚えていくように、とマネージャーには言われたけれど、初日はほとんど仕事らしい仕事がなかった


法人相手の営業部なので、みんな出たり入ったり電話をかけたり受けたり、絶え間なくバタバタ忙しくしていて、誰も新人の私にものを教えるような時間的余裕がなかったワケ(笑)



たったひとりの新人なのに、見事にほったらかし・・・



しょうがないから、「暇な時に読んどいて」 と渡された社内マニュアル (実務で使う検索ソフトの使い方から、さまざまな賃貸契約プランの詳細な説明、不動産の基礎知識までいろいろ載っていて、本のムシとしては結構面白い) をゆっくり読みながら、電話が鳴ったら出て、担当者に取り次ぐ。



「お疲れ様です、XYZコミュニケーションズの原田様よりお電話が入っております。お願いします」



それだけ。(笑)

高い時給をいただいてるのに、ラクな仕事で申し訳にゃい



電話をかけてくる「お客様」はすべて企業なので、名乗る名前がやたら長くて参っちゃうけど


長い横文字でも、「○○コミュニケーション」 とか 「××インターナショナル」 みたいな耳慣れた単語ばかりなら苦労はないけれど、



「オルディーネットワークソリューション事業本部の山崎です、いつもお世話になっております。遠藤様はいらっしゃいますか?」



なんて早口で言われると、寿限無寿限無五劫のすりきれ・・・ みたいなもので、頭の中で和訳もできないしメモ書きも追いつかないから、聞いた音を丸覚えするしかない。


頭の体操になりそうだ(笑)




でも、2日めの金曜日は、Nさんのアシスタントとして、彼女の担当する企業から依頼された部屋探しを任された。


先方が希望する場所 (具体的な番地、駅から徒歩何分以内、沿線など)、家賃、契約期間 (長期か、マンスリーか) などの条件を専用の端末に入力しながら、2つのソフトを行き来して条件に合いそうな物件をピックアップして、提案用の図面をおこす。


もちろん、一般サイトには公開されていない「要確認事項」の項目も必ずチェック。


電波が弱くてテレビ映りが悪い可能性があるとか、窓を開けると墓地が見えるとか、大通りが近くにあって騒音と振動があるとか、いろいろ。


こういうことは、図面に転記して、提案時にきちんと確認して了解を得なければ後からトラブルやクレームになるから、大事なことなのだ。




なるほど、パソコンの基本操作ができること、という単純かつ曖昧な募集要項はこういうことね、と納得した。


最初に、立ち上げるべきソフト名とIDやパスワードだけは教わるけれど、具体的な操作方法やレイアウト、印刷のしかたを手取り足取り教えてくれる時間はやっぱり誰にもないから。



同時進行で使うソフトの片方は、一般的な賃貸アパートのホームページと似た仕様だからまだ使いやすいけれど、もう片方はマウス操作が無効で、キーボードもテンキーとFキーしか効かないものなので、なかなかクセモノ・・・


習うより慣れろ、で、触って仲良くなるしかないね、これは。

パソコン操作に関しては、そういうの、わりと得意かも。



とはいえ、もちろんこちらが訊いたことには誰でもちゃんと答えてくれるから、そこでメモを取って、オリジナルマニュアル代わりのノートを作れば、特に不都合はない。



依頼された数件を終えて、お昼休憩をとって戻り、電話の取り継ぎをしながらまた社内マニュアルを読んでいたら、はす向かいの席で電話を終えたばかりのNさんが手を振って笑った。



「猫姫さん、さっきありがとう。探してくれた物件、契約決まりましたよ」



そうですか、よかったです! と答えたところを、ちょうど外から帰ってきたマネージャーが聞きつけて、



「え、何、もう物件探しできたの、猫姫さん?」



へぇ、なかなかやるじゃん、とニヤリと笑った。



嬉しかった。ほっとした



ビジネスマナーの方は、秘書検定2級持ってりゃ大丈夫だろう、と特に心配していなかったけれど、パソコンはきちんと習い覚えた経験も資格もないので、どの程度のスキルが「基本操作」の範囲で必要なのか、ちょっと不安だったから。



とりあえず、春までの首は無事につながりそうかな(笑)



みんな普通に親切だし、あとは体調管理に気をつけて(あの突発性難聴なんかは気をつけようがないことだったけど)、元気に働きつづけたいものです



今日は(あれ、日付が変わった、もう昨日だ・・・) 先月から始めたヴォーカルレッスンの2回めだったのだけど、それを話し出すとまたまた長くなるから、また明日にでも



仕事に関しては特に、いろんなひとに心配してもらっているので、近況報告でした。


それでは Good Night
Posted at 00:27 | この記事のURL
再就職♪ [2011年12月14日(水)]
年の瀬ぎりぎりになって、やっと仕事が決まりました


大手賃貸アパート会社の、法人向け営業部


やっぱり派遣で、とりあえず3月末までだけど、無職の無収入のまま年越しをせずに済んでよかったにゃ〜(笑)




4月以降は正社員登用の可能性があるそうで、それだけ見るとラッキーなことのようだけど、そこの正社員は連日21〜22時頃までの残業が当たり前にあるとのこと


もちろん割増の残業手当は出るから、収入はかなりイイんだけども、私はチビさんたちもいるし、趣味もあるし、家でやりたいこともいろいろたくさんあるし、 「帰ったらシャワー浴びてベッドに直行するのみ」 の仕事人間になりたいとは思わない。


ほぼ定時に帰れる、派遣のままで続けられたらベストなんだけどな(笑)


ま、そういうことが出来るか出来ないかも含めて、春先になったらまた考えよう


この歳だしさ〜、そろそろちょっと将来の心配を手放して落ち着きたい、と思わないわけじゃないけど (あ、いわゆる永久就職=結婚したい、って意味ではないよ)、 わりと好奇心旺盛な性格ではあるし、こうして繋ぎ繋ぎでいろんな仕事をかじってみるのも面白いか、と思うことにしてる。


ひとつが終わった時に、すぐまた新しいものに繋ぐことさえできりゃ、そういうふうでも問題ないんだけどもね


このご時勢、相手(会社)の都合であれ自分の都合であれ、ひとつ手放すと、繋ぐスペアがなかなかスムーズに見つからないのが問題なのよね(笑)




今日1日で、派遣会社でのカンタンな研修がすんで、明日からは派遣先へ出勤


いい縁でありますように!


Posted at 19:15 | この記事のURL
Light of the world [2011年12月13日(火)]
10日の夜、恵比寿ガーデンプレイスに行ってきた。

いつものごとく、おひとりさまヨ

別に何かイベントや目的があったわけじゃなくて、綺麗にライトアップされた大きなクリスマスツリーやバカラのシャンデリアを観に行きたかっただけ


綺麗なものは、大好き。


自然からの恵みのような、夕陽や月光や虹ももちろんだけど、同じくらい人工の灯りが大好き。


凝ったイルミネーションじゃなくてもね。


夜の電車から見えるビルやマンションの灯り、たまらなく好き。



こんな好き嫌いの激しい、気性の荒い私でも、そんな時だけは、すべてのひとが愛おしいと思う。



メリークリスマス!↓




明るいほどの満月。・・・皆既月食は、見事に忘れてました(笑)

次に見られる機会は2014年だってね




バカラのシャンデリア。↓



そういえば私は成人式に出なかったので、当日何をしてたかというと・・・、母と女友達と3人で、サントリーミュージアムのバカラ展に出かけたんだよね(笑)


美しいものを観て美味しいものを食べて、私たちは満たされたけど、その日は雨だったから、せっかくの艶やかな振袖の裾をたくし上げてびちゃびちゃと歩く女の子たちがホントに可哀想だったのを覚えてる・・・



見えないけど、両脇の木々の根元には色とりどりの可愛いミニシクラメンが植えられてました。↓




中島みゆきさんの 『LOVERS ONLY』 が頭の中でエンドレスになるような光景でしょ、もう(笑)


私もいつか、そのうち、ね


そういえば先日、友達と話していて、私に男っ気がないのは 「求めてないからじゃないの?」 と軽く言われて、軽くなくショックだった(笑)


求めてないわけ、ないじゃんね・・・


女友達とか家族親戚とか、そりゃたしかに大事だけども、今ここに居てほしいのはそういうひとたちじゃないんだよな、ってことも、あるじゃない。


カレシがほしい、とは思わない。


でも、伴侶はほしい。


こう見えても、結構寂しがりだったり怖がりだったり、本当は・・・本当の心の奥では、泣きたいこともしょっちゅうなんだからさ。


私の強がりなんて足元にも及ばないほどの大きい翼を広げて、笑い飛ばしてくれる伴侶がほしい。


いつか、ね



☆ ☆ ☆


タイトルの 『Light of the world』 というのは、新約聖書の 「あなたがたは地の塩、世の光である」 という言葉から生まれたミュージカルナンバー


ちょうど去年の今頃、毎日のように通いつめていたミュージカル 『GODSPELL』 の、1幕ラストの曲だった。



“ この世の光は この世の光は 君たちなんだぞ
  君が居なきゃ 何も見えない ”




そんな素敵な訳詞で始まるこの歌は、これでもかというほど力強い愛に満ち溢れている。



“ 大切なものほど 陰に隠れて見えなくなる
  だからそっと 日陰を照らせ

  その光 輝きで 照らすんだ
  世界を導くために 愛で照らそう

  天国の場所 天国の場所
  丘の上にあり 君も同じ丘の上から
  見下ろせば 愛しい世界 ”




そりゃ、22回も通いつめりゃ、歌詞も覚えるわよ(笑)

どの歌詞の部分を誰が歌ってたか、まで思い出せるもの。



ついこの間のことみたいなのに、1年経っちゃったんだね・・・早いね!



この世の光は、ひとの愛か。



うん。



愛するのと愛されるのと、両方バランスよくあるのがベストだけど、さしあたり片方しか満たされないとしたら、そりゃ、愛するほうが幸せに決まってる。



だから私はたぶん、とても幸せ者なんだ。


寂しいなんて、言うまい。




眩しい光の中に立って、Light of the world を小声で口ずさみながら、33歳の誕生日を迎えた。


今年はね。


これまでで、最高の誕生日なのよ。


とても大好きな、大切なひとから、どんなプレゼントより嬉しいメッセージカードが届いたからね


何度も、何度も、抱きしめるように読み返しちゃう



来年の誕生日は、もっともっと、幸せになれ

もっともっと、しなやかに優しくなれ、私。

Posted at 02:17 | この記事のURL
だけど死ぬまで春の服を着るよ [2011年12月06日(火)]
今日、寒かったね〜

1月並みの気候だったとか!?


風は北向き 心の中じゃ 朝も夜中もいつだって吹雪・・・


なんて、みゆきさんの昔の歌なんぞ、つい口ずさんでしまう



仕事がさ〜、決まらないんだわよ、なかなか



今日も派遣会社からの紹介で、赤坂まで面談に出向いたけど、結果は、


「申し訳ありません、今回はお見送りということになってしまいまして・・・」


判で押したような決まり文句。


今回は、じゃなく、今回も、でしょ?


雇う側や紹介業者からすれば当たり前の話だけど、ひとつの案件に対して、何人を(いや、十何人か、何十人かな?)同時に天秤にかけてるんだろう。



実家が会社だから、面接や選考に立ち会ったこともあるし、そっち側の事情も悩みもよくわかる。



その時にそのひとが不採用となるのは、必ずしもマイナス要素(能力不足、経験不足、性格や言葉の悪印象など)があるわけじゃないことも重々わかっている。



たとえば、仕事は普通にできても性格的にちょっとアクが強かったりイジワルな部分があったりする「先輩スタッフ」がいる現場に、追加で1人雇うなら、見るからにテキパキと仕事ができそうな雰囲気の「頼もしいひと」は、実務に役立ちそうな経験が豊富にあろうと笑顔がステキだろうと、NGだったりするから。


この場合なら、ただ真面目でおとなしそうで、何を言われても反論したり喧嘩になったりすることはなさそうで、その先輩スタッフより明らかに若くて力不足であることがわかる新人を入れたほうが、現場はスムーズに回りやすいだろうから。



やるせない妥協だけど、それも現実。



そもそも世の中全体として、泣いても笑ってもシゴトの需要と供給のバランスが取れていないのも事実だから、20脚の椅子を並べて30人が椅子取りゲームをするみたいに、かなりの人数が入れ替わり立ち代わりしながら常にあぶれてつっ立ってる状態にはなってしまうしね



だから、私の再就職活動が連戦連敗なのも、それは私が「採用する価値が無い、能力不足で性格に問題アリの使えないヤツ」だから、というわけじゃないんだけどさ。



わかってるけど、さ。



でもねぇ・・・



もう何連敗だか数えるのもばからしくてやめちゃったくらいの回数になるとさ、強がっててもやっぱり生身だからさ、ふと黙って蹲って泣きたくなったりもするわけよ



実際には、しないけど。


しそうになっても、絶対しないけど。


一度でも蹲ってしまったら、もう二度と立ち上がれないかもしれないこと、それも自分でわかってるから。


立ち上がれなくなった私を、それでも愛して支えてくれて、立ち上がらせてくれるひとなんてどこにもいない。


それは特別寂しいことじゃなく、どんな時も変わらずにある、当たり前の現実。




ちょっと美味しいパンを買ってきて、ソーセージとかぶのクリームシチューを作って、録画しておいたサンドラ・ブロック主演のコメディ映画を観ながら食べた


ん〜〜〜、美味しい


落ちそうなときは、美味しいもの食べて笑うしかない。



愛しきムスメたちもいることだし





ごろにゃん、ごろにゃん・・・


気持ちよすぎて変顔になってる美羽にゃんこ(笑)





選手交代、で今度はネルが膝によじのぼってきて、妙に静かだと思ったら、早くもウトウト・・・


さて、明日も1件、面接に行ってきます



   だけど 死ぬまで春の服を着るよ
   そうさ 寒いとみんな逃げてしまうものね

     ――中島みゆき 『断崖〜親愛なる者へ〜』


Posted at 22:50 | この記事のURL
今日より師走☆ [2011年12月01日(木)]
今日は本当は、深川のお不動さんの写経会へ行くつもりだった。


が、昨夜の食いだおれの名残で (女友達と2人、映画を観た帰りにお気に入りのイタリアンで満腹になりすぎ・・・) 胃痛胃もたれが結構しつこかったので、朝の気分で 「・・・やめとこっ」 と(^^;)


すごく美味しかったけど、気分はもう、腹八分目どころか腹十八分目でございました(笑)


写経会は毎月やっているみたいだから、また年明けでいいや


昔から、お腹をこわすことはめったにないものの胃はあまり丈夫じゃなくて、頭痛持ちならぬ胃痛持ち


今日のはかなり軽いほうで、日常生活に支障はない。


でも、どこかちょっとでも痛かったりすると、何となく調子出ないんだよね。


かといって、何もせずグタ〜っと無為に1日を過ごしてしまうと、人生を無駄にした罪悪感みたいなものでますます調子が出なくなりそうなので、こういう時はあまり頭脳も体力も要らないカンタンな野暮用をいくつか片付けるに限る。


とりあえず、ムダに過ごしたわけじゃないわよ、という甘えた自己満足ね(笑)


派遣会社に電話をして、よさそうな仕事に2つエントリーして、クリスマス飾りをいくつか出しながら、大雑把に掃除をしながら、ハードディスクに録画しっぱなしの映画をDVDに落とし、夕方になってから美羽にゃんこのワクチン接種のために獣医さんへ行ってきた。


・・・美羽にゃんこは、キャリーに入るのが大嫌い


今日も、オモチャやらオヤツやらあの手この手で機嫌をとりながら、隙を見てさっと捕まえて入れようとするも、



「イヤッ! ンモ〜〜〜ッ、イヤ〜ニャッ!



と猛然と抗議しながら私の体に思いきり爪をたててよじ登って逃げるので、私は思わずアイタタタと悲鳴を上げつつ、髪を振り乱してまたムギュッと捕まえ・・・



1年に1度のこととはいえ、とんだ重労働・・・


やっとこさキャリーに押し込んで息を切らせながら、まさに苦虫を噛み潰したような恨めしげな顔はいい勝負(笑)




・・・まったくもう、アンタね、ちょっとは力加減しなさいよッ、アタシにはそんな鋭い爪ないんだからね、第一アタシはアンタのおふくろさまだぞ、もうッ・・・




かかりつけの動物病院までは、電車とバスを乗り継いで約40分ほど。



キャリーに入ってしまえばおとなしい美羽、バスの中でふいに、ミャオン、ミャオン、とやたらよく通る女のコらしい声で鳴き出して注目されたり・・・皆さん、カワイイ〜とつぶやきながらくすくす笑ってくれたからホッとしたけど


病院について、診察室の台の上に乗れば、これもいつものことながら「借りてきた猫」状態でコチコチに固まり、体温を測ろうが歯を診ようが注射をしようが、微動だにしないので、まったく手がかからないんだよね


面白いヤツだにゃ、うちのムスメ・・・(笑)



で、また名前を間違えて呼ばれました


カルテを片手に、


 

「猫姫さま〜、あっ、ハイ、猫姫さくらちゃんですね!」




・・・いや、違う違う(笑)


さくらは、この私・・・、猫ではございません


このコの名前は美羽ですの


まあ確かにね〜、ネルはともかく 「美羽」 と 「さくら」 はここ数年、犬猫および人間のおちびちゃんに人気の名前だから、ぱっと見て勘違いしちゃうんだよね(笑)



今日はまたご丁寧に、診察室へ呼ばれる時と、出てきてお会計の時と、2回とも間違えられた




「猫姫さくらちゃん、のお母さんですね




違うってば〜〜〜(笑)




☆ ☆ ☆




昨夜は本当に、大満足の大満腹だったので、今日は反動で食欲がオフモードになっていて。


朝食はパス、昼食はフルーツジュースとクロワッサン1個、夕食は大根とはんぺんの煮物(一昨日の残り)をお茶請けにしてあったかいお茶を飲んで、充分にお腹が満たされてしまいました


寒くなるとね〜、この、味のよくしみた大根の煮物が美味しいんだわ・・・田舎のおばあちゃんみたいだけど(笑)


大根は、胃腸の調子をととのえるのにも、風邪予防にもいいらしいしね


具だくさんのおでんもわりとよく作るけど、おでんってのは地域によって、あるいは家庭によって、中身の具材がいろいろ違うよね。


我が家のレシピ (すなわち母のレシピ) は、大根、じゃがいも、こんにゃく、練り物 (煮込みちくわ、さつま揚げ、ごぼう天、いか天、つくね等々、いろいろあるのでその日の気分で2〜3種) 、厚揚げ、ゆで卵、鶏肉 (もも肉でもいいけど、骨付きの手羽元や手羽中のほうがいいダシが出そうで好き) が入るのが定番でした。


そういえば母は餅巾着も作って入れてたけど、私はそれほど好きじゃないので、わざわざ入れない



実家の隣の家のおばさんのおでんも美味しかったなぁ・・・


鶏肉の代わりに、たこと牛すじが入ってたっけ



さて。

ちょこちょこっと書き物して、寝よう。



Good Night

Posted at 23:27 | この記事のURL
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