「 友達のようでいて 他人のように遠い
愛しい距離が ここにはいつもあるよ
キッチンにはハイライトとウイスキーグラス
どこにでもあるような 家族の風景 」
これはハナレ
グミさんの
『家族の風景』 という歌の詞。
年末の、中山眞美センセのライブでも歌われていた。
彼女もリハーサルの最中から 「ウッときてしまった」 そうだけど、私もいろんな思いが交錯して込み上げて、涙を抑えられなかった。
歌詞もだけど、歌声がさ。
あったかいんだもん。
あまりにも。
抱きしめるみたいにあったかいんだもん。
今の私には、あまりにも。
客席が真っ暗になる劇場ならもっとクシャクシャボロボロに泣いてしまっていたかもしれないけれど、その会場はわりと普通に明るくて(笑)、しかもステージからよく見える位置の、ほぼ真正面のテーブルに私は (3人の友人たちと一緒に) いたので、ボロボロに崩れるってのはちょっとさ〜・・・家じゃないんだしね
大晦日の午後から元旦にかけては、都内の従姉妹の一家にまぜてもらった。
姪っ子 (ではないんだけど、正確には。従弟の娘、という表現ってないんだよね) の、もうすぐ2歳になるレアちゃんにフカフカの羊の
ぬいぐるみをプレゼントしたら、 「めぇめ、めぇめ」 と喜んで抱っこして片時も離さず、結局抱いたまま
ぐっすり眠ってしまったりして
(笑)
にゃははは・・・ 可愛ゆいねぇ〜
元来、子供好きなたちではないけど、従弟やら友達やら、親しいひとの子供はやっぱり違うね。
単純にイキモノとして面白いし(笑)、愛しい
一緒に食卓を囲み、こたつでお茶を飲んでチョコレートをかじったりしながら紅白を観て、1年ぶりに会った叔母とは深夜3時近くまでお喋りをした。
私の話し方や笑い方が母にますます似てきたと言われた。
母は評判の美人で、頭がよくて誰にでも優しくて上品で手先が器用で、完璧で理想的な良妻賢母で、病気がちなのにいつも健気に明るくふるまう、素晴らしき “みんなの憧れ”!
・・・みたいなイメージのひとだったから。
お母さんに似てきた、というのは、褒め言葉なんだと思う。
頭ではわかる。
でも、ごめん、ひとかけらも嬉しくない、私。
似ている部分を、どうしようもなく自覚してしまうことは実際あるけど、それをひとから言われると・・・ 100%まじりっけなしの素直な褒め言葉や慰めのようなものとして言われると、やるせなくて、そのやるせなさを誰に・・・ そもそも自分に対してさえ、どう説明すればいいのかわからなくて、母とそっくりな声を出すこの喉を思いきりぶん殴りたくなってしまう。
いやいや、実際にはしないけども。
去年あやうく失くしかけた声だし、罪のないものにそんな乱暴はたらいちゃ可哀想だよね(笑)
顔は化粧である程度変えられても、声はそうはいかない。
そもそも変えたいほど嫌いなわけじゃない、というか、生まれ持ったものの中では結構好きだ。
だから尚更、せつない。
私が無意識のうちに地声を見失っていたとすれば、それは母と似ているものを無意識に拒み、避けていたということなのかもしれない。
せつないね。
もうじき、5年にもなるのにね。
受け入れることも許すことも懐かしむことも、何もまだできないよ。
心、狭いね、私。
受け入れられない、受け入れたい・・・
許せない、許してはいけない、それでも許したい・・・
まだまだ、当分じたばた
しそうだ。
そんなことを考えていたら、眞美センセの昨夜のブログ。
タイトルは『♪GIFT』(※彼女のブログのタイトルは、いつも何かしらの曲名)
http://ameblo.jp/mami5521/entry-11124047236.html
ここにも、家族の風景。
どこにでもあるような、どこにもないような、あたたかい、家族の風景。
そうなのよ、ライブのMCで弟くんとの思い出話をしてくれて
そりゃもう本当に、情景がリアルに浮かんで観客みんな大笑いの話だったんだけども
きょうだいがいない私には、そういう情景って、永遠の憧れでもあり。
そりゃあね、家族だの親兄弟だのっていうのは 「いればいい」 ってもんじゃないし 「いなけりゃ不幸」 ってわけでもないけど、でもね。
うまく言葉にならないけど、彼女のブログを読みながら今度こそクシャクシャボロボロに泣いてしまって、理由も
はっきりしないけれど涙も嗚咽も止まらなくて、ようやく落ち着いた時には、観ていたはずの『相棒』元旦スペシャルのストーリーがさっぱり訳のわからないことになっていた(笑)
CMの時によそ見してブログ読んだりしてちゃダメってことです、ハイ
でも、あの涙は羨望や孤独感や、そういう胸を締め付けられるような感じのものじゃない。
すごく綺麗なものを見たり聴いたりして心が震えた時のような、理屈でも感情でもない本能的な涙。
ただ、いいね・・・ と。
いいね・・・
もっと、聴かせてよ、と。
のろけでも親馬鹿でもいいから、あたたかい家族の話、聴かせてよ、と。
行ったことのない外国の街や、深い海の話みたいに、黙って想像しながら聴いていたい。
自分が知らないことだからといって、想像力まで失くしたくはない。
そんなふうじゃあまりにも、生きていることが寂しく薄っぺらくなってしまうもんね。
そう、それで、話があっちゃこっちゃ飛ぶけど、眞美センセのライブ
13曲のうち、彼女のオリジナル曲が3曲あって。
この恋が早く愛に変わればいい、その傷ついた心をひらいて預けてくれたなら、私があなたを守るのに・・・ と歌う一途な少女のラブソング、
『恋が愛に変われば』 。
歌詞もメ
ロディーも歌い方も、すごく大好き、この歌
違う道を歩き出して今は傍にいないひとに、静かな祈りにも似たエールを送るようなバラード、
『足跡』。
憶えてるもんだな・・・、あたたかいな・・・、愛してるよ・・・と、素直な子供のような言葉が、終わった恋の相手を慈しんでそっと抱いているような
『キオク』。
CDになっていない (いや、かつてCDを出していないわけじゃないから、入っていたのかもしれないけど、とりあえず今は手に入らない
) ので、歌詞が正確にわからないのがもどかしいんだけども・・・
CD、出して!!
(笑)
これからはライブの回数増やすつもりだと言ってたけど (この間のライブは、なんせ3年ぶり)、 そんなんじゃ足りない!!
もっと、いつでも聴きたいっ!! ♪♪♪
弟くんにも、
「たまには姉チャンの歌ば聴きたいなって思うとばい」
って言われたんでしょ?
家族も、教え子も(笑)、待ちわびてるよ〜、眞美センセ!
私のお正月休みは1週間あったけど、父は1日しかなくて、そもそも帰省したところで一緒に楽しめるような共通の趣味や話題がそうそうあるわけじゃなし(!?)、そんなこんなで私は帰省しなかった。
大晦日の深夜 (というべきか、元旦の早朝というべきか)、 帰宅した父は、連日連夜の長時間労働&深夜帰宅で溜まりに溜まっていた洗濯物を一掃すべく、洗濯機を2回も回してベランダに干したそうだ。
そんな話きくと、日帰りででも洗濯と大
掃除 (いや、見えるとこだけの大雑把
掃除くらいで精一杯か・・・) だけでもしに帰ってあげればよかったかなと思わないわけじゃないけどさ・・・う〜ん・・・
私はまだしばらく自由なおひとりさまを楽しむのもいいけど、父にこそ伴侶がいてくれたらな、と切に思う。
こればっかりは、知り合いから猫を1匹譲ってもらうような話じゃないから、簡単に叶うことじゃないけど、でもね。
もしも父が、このひととなら家族になりたい、と思うような相手に出会えたなら、そのひとが私より若いコでも、関西弁コテコテの “もろ、大阪のおばちゃん” でも、私は心から祝福すると思う。
話がどんどこ脱線して、終わりそうにないので、今宵はここまで。(笑)
おやすみなさいマセ