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父親探し、その後 [2008年10月19日(日)]
自分なりに父親探しをしてる私だが…


事情をご存知ない方のためにこちら。(前ブログでは記事にしたのだけれどもう一回サラリと…)

私が中学校3年生の時に両親が突然離婚してしまい、結局それ以来会っていない。

自分が大人になるに連れて、父を探したい気持ちが募り今に至ってます…



いくつか賭けの行動に出てみたのだけれど、なかなか見つからない状況が続いてます。

職場の人に「いっそのことテレビの番組に応募してみたら?」と言われたけど、さすがにそこまでは…


思うことは、どっちの言い分(父母)も、今の私にはよ〜く分かるので、それを一言伝えたいだけ。

間違った結婚も、間違った離婚もないです。

ただ、それだけ言いたい。


彼は彼なりに、他の場所で学びを得ることも必要だったし、彼女は彼女でお別れして学ぶべき何かがあったのだと。

私はその後、母しか知らないので父のことはなんとも言えないのですが…


母の生き方を見ていると(ここでは私たち親子の関係はスルーしときます、いろいろトラブル母子関係なんで)、すげー進歩じゃんって子の目線から思います。

離婚当初は本当に苦労したと今になって思う。 なんかいきなり貧しくなったし、Gumんち(笑)。




でも、今では自分のやりたいこととか目標を設定して、時々「韓国に行って来た〜」なんて言ってのけるところあたりが、ずいぶんと変容したなぁ…と…。

子の私からしても、メソメソされるよりずっと嬉しいし、安心して見てられます。

(しっかし、いつの間にか私より韓国語の知識増えてるあたりがちょっとね…苦笑)



父のほうに思うことは…

時々自分を責めてないだろうかと。

結構ガツンガツン行くタイプの危っかしい男でしたが、今思うと心に傷を抱えていたのではないかと…。

それが幼少期の過ごし方に起因しているのではないか…と最近気づきました。

誰かに助けて欲しかったのかな…って。

そういうところが、実は私も似てたり。なのでちょっぴり彼の気持ちも理解できたり。



離婚当初はね、もう家庭を捨てるとか、捨てられたとか親族を巻き込んでイヤだった。

15歳の私に全ての期待がのしかかり、すんごいしんどかったよ。


親族からお互いの悪口聞かされるのもしんどかったし。



実は、高校生の時だか大学生の時だか、父にこっそり連絡したことあるんです。

どうやって連絡先を知ったかは忘れちゃったけど。

その時、私言ったんです。


「ごちゃごちゃしてる時、反抗しちゃってごめんね。」って。

いつの間にか、だんだん父母の離婚をニュートラルに見ることができて来てたんでしょうね。

それ以上の会話はなかったと思いますが、それはそれで意味のある会話だったのだと。




もし、私にとって父母の離婚に落ち度があるとしたら、それは両親と自由に連絡を取ってはいけない雰囲気になっていたこと。

それがなかったら、私は「捨てられた感」はなかったのだと思います。


多分、本当は全然見捨てられてないんだろうけど。

(…と信じたい・笑)



最後に父に会った博多駅。

すんごい突っ張ってて、私の顔を見ようともせずに去って行った父の姿、今でも目に焼きついています。

母は「なんて非情な人なんだろう」って悲しそうだったけど、あれはあれで彼の生き方。

超不器用な男だな。

本当は寂しがり屋なんだろな…。




「血の繋がり」があるから探してるのではありません。血の繋がりがなくても「真の親子」はいます。実際に見たこともありますから…

ただ、一つの魂として聞いてみたいことがあるのです。


「私が生まれてきたこと、価値のあることですか?」


それだけ聞けたら、私は満足です。

どんな答えでも。



私はこう言いたいと思います。

生を受けさせてくれてありがとうって。