介護施設のストレス [2019年11月27日(水)]
毎週末、基本土日の2日間は脳出血で寝たきり
となった母の介護施設に出向く。母がこの状態
になって2年半が経過した。

いろいろな記事で取り上げられている通り、介
護施設の仕事は過酷だ。24時間体制、食事介
助、おむつ交換、入浴など介護師さんたちの腰
ベルはほとんど鳴りっぱなしだ。常に誰かから
せかされ、認知症の入居者から理由もなく罵倒
される。相当なストレスだと思う。

離職率は残念ながら高いようだ。ここ数か月、
以前勤務していた人が退社し、新しい人が入っ
て来た。仕事に慣れるまで一定期間必要だ。入
居者の顔、名前に加えそれぞれの要介護の状態
を把握し適切な対処をする必要がある。

ひとりとても感じの悪い人が入って来た。相手
が認知症であるのをいいことに棘のある言葉を
言いたい放題、家族がいようと愚痴を聞こえよ
がしに言う。完全にチームワークが乱れている
のが見てとれる。そんな矢先、母は右腕を骨折
した。介助時の事故だとは思うがそんな意地悪
な人の素行を見ていると本当に心配だ。

仲良しのMさんが私に告白した。その人にひどい
言葉を投げられてから精神的にまいっていると。
90歳を超えるMさんは地元自民党の婦人会を取
り仕切っていた才女だ。認知症でもないので会
話は成り立つ。

ストレスは理解する。大変な仕事だと思う。し
かし、常に不機嫌さを出し入居者の尊厳を害す
る行動は許されるべきでない。介護施設の課題
を目の当たりにする。人事部長魂が刺激される。
posted at 06:39 | Mother | この記事のURL
母の意思表示 [2019年11月04日(月)]
土曜午前中は介護施設に入居する母の右腕骨折
のため、同施設内の病院の整形外科診察に同行
した。寝たきりなので何をするにも大変。大げ
さだが担架に乗せ、徒歩30秒の距離を救急車
で搬送。予約済であったものの、週末の病院は
混みあっており結局1時間近く待つことに。

異変に気付いたのは金曜朝だったそうだ。大声
を上げており、腕はパンパンに腫れていた。脳
出血以降、言葉を失った母は説明ができない。
子供みたいに泣いて知らせるしかない。それで
も感情表現が残っただけいいのかもしれない。

どのタイミングで骨折したのか不明だが、、レ
ントゲン写真を見ると確かに右腕付け根の骨は
無残にもぎざぎざに折れていた。私が独自に考
案した腕ぶらぶら運動(硬直しないようゆすぶ
る)が悪かったとしたら、申し訳なく思う。

恐らくはその晩担当だったと思われる介護師の
方が申し訳なかったと言うようなことを言って
来た。介護するほうも毎日重い身体を持ち上げ
るのに必死だ。原因は誰にもわからない。

私は私の勝手なリハビリ体操が原因だったのか
もしれないと伝え、その場をやり過ごした。お
金を払っているからと言って施設に任せきりに
したり、非難したりするのは不適切だ。私も自
分のできる範囲でしっかり責任を果たして行き
たい。
posted at 09:23 | Mother | この記事のURL
寝たきり母の右腕骨折 [2019年11月01日(金)]
勤務時間中、15時過ぎに携帯が鳴る。母の介
護施設の看護師さんから。何でも右腕を骨折し
たとのこと。

脳出血で寝たきり、右半身は全く動かなくなっ
た母は痛みを感じるのか感じないのかすらよく
わからない。完全な失語症で言葉を発すること
もできないからだ。

元々寝たきりになってすぐに右腕を脱臼した。
身体を起こしたり車椅子に移動したりする際、
どうしても負荷がかかる。腕は元には戻らず、
この約2年脱臼したまま状態になっていたこと
は事実。

私はまた自分に問いかける。もしや、私が独自
に考案した右手ぶらぶら運動が悪かったのか。
(勝手にいろいろなリハビリ体操を施してる)

いやいや、どのタイミングかわからないし、誰
も責めることはできない。母さん、ごめんよ。
気づいてやれなくて。。今宵も自分をなんとな
く責める金曜日。
posted at 22:20 | Mother | この記事のURL
介護施設の浸水 [2019年10月16日(水)]
TVで川越の老人ホームが完全に水に浸かってし
まったものの、全員が無事救出された映像が流
れていた。よもや大惨事、逃げられて良かった。

母の入居する介護施設は川越より手前の指扇。
先日ラジエーターハウスのドラマ撮影で窪田正
孝さんや本田翼さんも来られていた病院だ。台
風翌日病院前の道路は冠水し、介護施設の1階
は水で埋まっていた。これは復旧に相当時間が
かかると思ったが、あら驚き。翌日にはすっか
り水が引いている。夕方到着し守衛のおじさん
に挨拶すると、1日がかりで泥をかき出してい
たとのこと。手伝いに来れば良かった。。

浸水した1階に厨房や風呂がある。水は出るよ
うになったものの、まだ泥水で安全の確認がと
れないため、料理は全くできない。よって母も
カップに入ったかゆにのりの佃煮、牛乳プリン
だけ、と言う寂しい夕飯であった。それでも、
食べられることに感謝すべきだろう。

施設の職員さんも若干パニック気味。水は3階
まで手作業で運ばなくてはならず、ほぼ入居者
全員おしめなのでその処理も大変だ。

介護施設なので病院とは異なり、機材面での不
安はそれほどない。とは言え、何をするにも倍
はかかるであろう職員の方々の苦労は図り知れ
ない。感謝の言葉しかない。
posted at 06:09 | Mother | この記事のURL
母のソファにさよなら2. [2019年10月09日(水)]
土曜介護施設から戻ると無事、新しいソファー
が到着。ジーンズ風の布とステッチが印象的な
ワッシュ風水色は約20年前に買ったブルーの
机ともマッチする。サンフランシスコで描いて
来たゴッホの星月夜を思わせる自作の絵も飾り、
読書コーナーの完成。秋の夜長、天窓からの月
の光に照らされ、瞑想するのもいいかも。

私の外出時間と搬入時間が重なってしまったた
め、父に対応を依頼した。父は1階の和室を自
分の部屋にしており、2階の2部屋が私用、そ
して今回母の部屋にも進出。。

80歳になった父が2階に上がって来るのも一
苦労である。通常の歩行は問題なく自転車で外
出もしているが、どうも階段の昇り降りは危う
い。えっちらおっちら昇って来た父にソファー
の設置場所を指示。降りる際、階段の踊り場で
一呼吸置いている父を見て、ああ、大分年を取
ったんだなーと思った。自宅の階段の昇り降り
でいちいち休んでたら、何やるのも時間がかか
ってしまう。

新しいソファーが到着した母の部屋は大分モダ
ンになった。そして、母が嫁入り道具として持
って来た三面鏡と着物の入った桐ダンスが残っ
た。嫁いで来た時の思い出の品。これらは大切
に。
posted at 08:27 | Mother | この記事のURL
母のソファにさよなら1. [2019年10月08日(火)]
母が倒れて2年半。介護施設に入居し要介護5
の寝たきりとなった今、すでに母が自宅に戻る
可能性はゼロ。と言うことで2年目以降、隣の
母の部屋を定期的に勝手に断捨離している。

衣類は頻繁に着ていた物と着るであろう物(可
能性は限りなくない)を残し大分捨てた。大量
のメモやその他意味不明なゴミとしか思えない
品はばっさばっさ、処理。

ついに母がいつも座ってた1人掛け用のたいそ
う古いソファー(恐らく近所から不用品をもら
った)を買い替えることに。

土曜のソファー搬入。ちょうど介護 施設に行く
夕方の時間と重なってしまっため父に立ち合い
を依頼。まずは間違っても不要になったソファ
ーを自分用に部屋に置かないことを念押し。父
も母も戦後世代で何でももったいない症候群な
のだ。

その古いソファーを見て父が一言。十分使える
ではないか。危険だ〜。くれぐれも業者に引き
取ってもらうよう繰り返す私。二言目。お前が
使うのか?そりゃそうだろう、そのためにいい
ソファーにしたのだ。明らかに不満そうな父に
私は、置いとくだけだよ(そんなわけないだろ
う)と嘘八百。その場を収めた。

「母ちゃんがいつも座ってたソファーか。。」
どことなく寂しそうな父だった。
posted at 06:25 | Mother | この記事のURL
母のつらさを想像する [2019年10月02日(水)]
母が脳出血で寝たきりになってから間もなく2
年半だ。週末の介護施設通いが習慣。施設職員
の皆さんはまるで家族の延長みたいになって、
訪問中は私も自宅のようにリラックスできる。

脳出血のつらさとはどのようなものなのか、体
験した者しかわからないだろう。ネット情報な
んか読むとその瞬間、頭には激痛(血管がぶち
切れて一気に血が流れだすんだからその衝撃た
るやすごいだろう)が走るとか。想像だけど、
恐らく血が流れ出した感覚はあるのではないか。
そして痛みとともに遠のく記憶と身体の感覚。
言葉も出ない、身体も動かない。自分のすべて
が自分でないみたいになってそのまま意識を失
う。

意識が戻った時は別世界だ。身体は動かない。
人が動いているけどどこの世界に自分がいるか
わからない不思議な感覚。毎日見舞いに来る人
は誰だろう。家族と言う概念ももはや消え、自
分のアイデンティティも存在しない。

母はまるで子供みたいに泣くふりをする。痛い、
眠い、そして怒り。そんな母につらいと言う思
いがあるのかすら、わからない。
posted at 06:19 | Mother | この記事のURL
穏やかに旅立つ [2019年09月17日(火)]
Sさんとの出会いは母が介護施設に入居してす
ぐだったと思う。食堂の席が近かったこともあ
って母に良く話かけてくれてた。言葉の出ない
母だけれどもまるで会話しているように笑顔で
語り合う姿が見られた。しゃべれない母に変わ
って日々の様子を伝えてくれるのもSさんだった。

様態が悪くなったのは2か月ほど前だったと思
う。食堂に来れなくなり少し調子のいい時はベ
ッドごと運ばれて自力で食事はできていた。私
は少しでも励まそうと声かけし、Sさんもそれに
応えてくれた。

看取りが近いと教えてくれたのは仲の良い介護
士の方。私は胸にそっとその言葉をしまい、Sさ
んへの声かけを続けた。出張で2週間来れない
ことを伝えた時、Sさんの反応は弱くそれでも何
か言葉をくれた。内容は聞き取れないほど弱々
しいものだった。

施設に行く前、父がSさんはもうダメかもしれな
いと言った。到着し次第、看護師さんに聞くと
金曜日に旅立たれたとのことだった。穏やかな
顔だちだったと聞いて少しだけ安心した。

この間まで生きていた人がもうこの世にいない
と言うのは何か不思議な感じである。生きる者
にとって常に死は背中合わせであり、日々事故
や紛争でも人はたくさん死んでくのにどこか遠
い世界のことのよう。身近な人が亡くなって初
めて現実を見る。

短い付き合いだった。何かの縁あって私たちは
出会った。人生は一期一会、どんなに短い付き
合いでもありがたく、学ぶことがある。
posted at 05:47 | Mother | この記事のURL
時差ぼけ回復 [2019年09月16日(月)]
昨晩21時過ぎに帰宅。さすがに20時間近い
移動は疲れるし、出張中現地の会議が終わった
頃に日本は朝。寝る間も惜しんで一気に押し寄
せるメールに対応。やっぱり家は落ち着く。た
っぷり7時間は寝たものの、起き抜け縛られる
ような頭の痛み。普段あまり見ない夢も見てい
た。何となく眠りは浅い。

疲労の蓄積を感じつつも帰国したらしたで生活
面のやる事に追われる。買い物、洗濯に料理。
介護施設への支払いも準備。フラメンコレッス
ンは初回のリハ含め、3回欠席してしまったた
め、午後から東中野にて同じチームの2人と集
まって自主練。変わった振り付けや歌の感じを
つかむ。

その足で介護施設に向かう。2週間空いてしま
ったので母はどうしてるだろう。水虫感染の炎
症は治まったのかしら。

母はすでに食堂に車椅子で移動済だった。最近
は座っていても寝てしまっていることが多くな
った。Sさんのことを介護士さんに聞く。間に
合わなかった。3日前に旅立たれたとのことだ
った。2週間後に来るから待っててねと言った
のに。母にいつも声をかけてくれていた優しい
Sさんの笑顔を思い出す。ありがとう。今頃天国
で穏やかに過ごされていると思う。
posted at 22:45 | Mother | この記事のURL
水虫で死ぬ!? [2019年09月06日(金)]
母の介護施設から戻って来た父が言う。39度を
超える発熱があり炎症を起こした足はぐるぐるに
包帯巻きにされていたとのこと。そう、原因は水
虫の細菌感染!

すぐに心当たりが思い浮かんだ。土曜日に行った
際、足をマッサージしているとどうも指周辺がカ
サカサになっている。さらに指の間を見るとじゅ
くじゅくして完全にくっついてしまっているでは
ないの。慌てた私は指の間をウェットティッシュ
でごしごし。水虫なので炎症が。それでも悪化し
てはまずいと皮をこそぎ取ってしまったのだった、、

調べると水虫の細菌が体内に入ると発熱などの症
状を起こし、免疫力の弱っている高齢者の場合は
最悪死に至るとのこと。日曜夜、痙攣しているか
に見えた母は高熱の悪寒に苦しんでいたのだ。話
ができないので状態が良くわからず、私はただ母
の手を握っていた。。

母さん、ごめんよ。。翌日病院に電話し、原因は
私ですと謝罪。看護師さんは優しく、水虫感染は
寝たきりの高齢者によくあることなので心配は必
要ないとのコメント。抗生物質で熱が下がったと
聞き、安心した。
posted at 06:46 | Mother | この記事のURL
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