とても嬉しくて、気持ちが高揚しすぎて眠れそうにないから、ブログ書いて落ち着こう・・・と思ってはみたものの、さて、どう書き始めていいものか悩む
いやなに、今夜は中山眞美センセのソロライブに出かけていて、また惚れ直したというか、魂を持ってかれたようにボーっとなってるだけなんだけども
ソロライブは約3年ぶりだとか。
3年前は、知らなかったんだよね、私。
もったいない・・・悔しい!(笑)
仕事仲間やら昔からのFANやら、各方面からせっつかれながら、ひと前でメインボーカルとして歌うのは苦手だからと断りつづけてきたけれど、この3月の震災の後、思うようになったのだという。
ひとの命はいつどうなるかわからない、と。
それなら、今、自分にできることを精一杯やろう、と。
苦手だ苦手だと言ってたわりに(!?)、「もう〜ね、嬉しいの!」 と満面の笑みで連発し、時間がおしていることも気づかないほど熱くノンストップで歌い、喋り、被災した知人 (原発の避難指定区域に住んでいた・・・) の話をしかけた途端に涙があふれて声がつまって、迷子の子供のような顔をして。
圧倒的に力強く優しい、ソウルフルな歌声。
照れくさそうに掠れた、低い笑い声。
この素晴らしい仲間を見てよ、あたし果報者でしょう! とばかりに誇らしげにメンバー紹介をする、明るく華やいだ声。
大好きだ。
私はあなたが大好きだ。
「あたし 他人を喜べる数で 時を数えたい」
中島みゆきさんが 『夜を往け』 というアルバムのライナーノーツに書いていた言葉を、ふいに思い出した。
彼女はボイストレーニングの先生でもあるのだけれど、生徒さんはほぼ全員が役者とか歌手とか、あるいはそれらを本気で志す若い子とか、なので。
さしあたり何ものでもない私が弟子入りしたってのは、自覚していた以上にものすごく無謀な、身の程知らずなことだわね、とあらためて感じた。
私ごときが煩わせていい相手じゃないんだわよ、実際(笑)
終演後のDivaにそう言ったら、あっけらかんと一言、
「えー、なんで」
なんで、って(笑)
それはさ・・・たとえるなら、野球観戦の好きな小学生が自分もやりたくなって、プロ野球選手をつかまえてボールの投げ方やバットの持ち方を教えてくれと頼むようなもんだよ、私のしていることは
そこいらの草野球サークルのコーチじゃなく、いきなりトップレベル。
これを身の程知らずと言わずして、何だ?
「いいじゃないですか」
こともなげにそう言って笑ってくれる懐の深さ。
「はい! そういう無謀なことができる自分が、すごく嬉しくて、幸せなので、これからもよろしくお願いします!」
それこそ子供みたいなワケのわからないこと言っちゃった
だけど、本気。
ずっと、あなたを追いかけていくから。
「誰かが見ていてくれるなら
心をふるって 風を見て
知ってる道を思い出す」
これも、中島みゆきさんの言葉。
眞美センセ。
あなたが見ていてくれるなら。
ずっと逃げ続けて目をそらしてきたことと、ちゃんと向き合ってみようと思う。
まるで最初から無かったように蓋をして扉を閉めて知らん顔を決め込んできたものを、開ける勇気を与えてくれたのは、あなたです。
ありがとうございます、は、あなたじゃなく、私が言う言葉です。
今日もまた先を越されてしまったけど。
最高の夜をありがとう。
魂を抱きしめるような歌をありがとう。
優しい笑顔をありがとう。
私も、頑張ります。
生きる ということが、惰性でなく、言い訳でなく、地に足の着いた希望であるように。
心がうまく言葉にならないので、みゆきさんともう一人、尊敬する大好きなひとの言葉を借りて。
茨木のり子さんの詩、『待つ』。
“ わたしの心は かたくなな 鉄の扉
どうしようもなく 閉ざされ 軋む
鍵を持って まだどこか 遠くを
のんびりとふらついているのは誰?
ぱっと開けて吃驚させてくれるひと
とても自然に 昔からの約束のように ”
この詩は10代の頃から好きだったけれど、自分自身のようだというわけじゃない。
私は、待たない。
たとえば柳美里さん、たとえば高樹沙耶さん、そして眞美さん。
惚れることは理屈じゃないから。
私にとっては、惚れることは信頼とイコール。
出逢った時、そのひとが私について何も知らなくて、何の根拠もなくても。
鍵を開けてください、と言いに行く、向こう見ずな行動力だけは私、持ってるんだ。
でも、応じてもらえるかどうかは相手次第。
だから。
感謝。
言葉なんか追いつかないけど、ありがとう