たまにはちょっぴり真面目っぽい記事を書いてみようかなということで書いてみました(いつもが不真面目というわけではありませんが)。
今や現実世界は多様化した価値観・思想で多い尽くされている。
かつてヒトラーはプロパガンダでドイツ国民の心を一つに纏め上げてしまったが、もはやそんなことは世界のどこでも起こるまい。
しかし、民主主義の浸透で自由を手にした人々は古から続いた村落共同体などの自分の居場所たる組織まで失い、孤立化してしまった。
そうなってしまうと人は孤独に耐えられず自分を理解・共感してくれる人を追い求めるようになる。
先日読んだ「日経MJ」にはそんな孤独を抱える人々がインターネットの普及によって”心の価値観を共有し、人と繋がり交流したい”と考えるようになってきていると述べ、そういった人々を新たな大衆として『鏡衆』と名づけていると記されていた。
新聞によると、90年代までは『個衆』の時代だったが、2000年代に入りインターネットによる情報を共有することができるツールが普及したことで『鏡衆』が出現することになったのだそうだ。
鏡衆の構成年代は20〜30代が多いそうだ。言われてみれば、僕もmixi(特にコミュニティ)やこのブログ(健康の話題)を通じて自分と他者との共通点で繋がり交流しているし、そうする事を求めている節があるので「なるほどぉ〜」と納得してしまう。
鏡衆の現象は悪く言えば、携帯やネットの普及によって人々のコミュニケーション能力が低下してしまったことにより、現実世界での心の交流に支障をきたし孤独感を深めてしまったがためにオンライン上での共鳴者を求める動きとも読み取れるだろう。
ポジティブな観点から考えれば、人は自分自身が抱える心の内面へ下りていく時には不安で寂しいものだが、オンライン上で共鳴できる友と一緒に語らい合えば力強く生きるエネルギーを手にすることも可能なのだと言えるだろう(これを鏡衆効果と名づけてみたり)。
果たして、弱き心の自分がオンライン世界での人との交流を通じでオフラインを生き抜く強さを手にすることができるのか?
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コメント感謝です。
そうですよね、周りに流されてしまわぬ強い心があれば上手にオンラインの中でも良い人間関係が築けそうですね。
身近な人と同様に>ん〜、鏡衆の仲間たちとも身近な人たちと同様にコミュニケーションをとるかどうかは人それぞれかもと思ってしまいます。
社会生活に優れたコミュニケーション能力で適応している人ならば、"身近な人と同様"のコミュニケーションがネットの中の鏡衆の間でも可能だと思いますけど、そうではない人(例えば現実社会では表現できないような心に溜め込んだものを持っている人)なんかは、鏡衆仲間と本音で語り合えるものだと思います。
ちょっと話はずれますけど、
いろんな方のブログを見て思うにやっぱり女性と男性の脳って違うなぁと感じております。女性は積極的にブログで友だちを作って"身近な人と同様"の人間関係を築いている場合が多いように思います。代わって男性は日記と言うよりも自分が考えている主義・主張を綴っていることが多くブログ内で親密且つ頻繁なコミュニケーションを面倒臭いこともあって取っていないように思います。あくまでそういうような傾向があるかなぁという程度のことですけどね。
なんとも生意気なこと言ってすみません。