男の恋愛 その9 [2008年09月01日(月)]
彼女ほどの人でも「最近気付いたんだけどさあ」と前置きをして。エッセイストのUさんは言ったです。
「男はオンナがキレイだったら求めると思ってたの。だけど、それだけじゃないよね。オンナは男にリスペクトされちゃダメなのよ。たちまち性的対象じゃなくなるから」 乱暴だけど、多くの男たちはうなずくと思う。
わかってくれ。見てくれだけの問題じゃないんだ。新しい下着をつけているキミが足りないんじゃないんだ。愛があるからこそ、性的対象にみられないってこともあるんだよ。
尊敬できる。頭が下がる。いつもすまんのう。
そうした感覚は、相手の女性を雛壇の高いところに飾る。自分より奥さんのほうが稼ぐ、なんてのは最たるものだと思う。裸婦像であるミロのビーナスをみても、その気高さゆえに金角・銀角が大暴れしないのと同じように、相手を敬う、尊敬するという感覚は、男の性的欲求を抑制する。理屈じゃないよ。哀しいことに、そんな風にできてる。
言い換えれば。
男が、結婚を意識しない恋愛や、愛人や不倫関係で限りなくスケベなのは、相手を敬うことなく、お気楽ゆえに持てる劣情のなせるワザ。ここんところが、“恋愛≠セックス”な男性と“恋愛=セックス”な女性の決定的な相違であり、恋愛体質な女性を不幸に巻き込む構造だと思う。
恋愛に夢見がちな女性は肝に銘じておくべきだよ。
男の性欲は相手を見下すほど旺盛になれるんだってことを。
例えば、真面目なナオキチは、すぐに相手を尊敬してしまうものだからして、そのようなことを起こしたいときには、恐縮してしまって、大変です。
「あ、あのー。お疲れのところ大変恐縮ですが・・お、お風呂にする? おごはんにする? あああ! アレを見て! おベッドのお横におキャンドルとお薔薇のお花がおいつのまに!」
まあ、神経使うですわな。「おらあ! ひぃひぃゆわせちゃるぞお!」。こっちのほうが、よっぽど話が早いですわな。
もうひとつ。
日本男児の性的欲求を削る理由は、彼女や奥さんに対する慣れだけじゃないと思う。男女共に理想としている、男性の社会的成功を目指すことにあるのじゃないか。
人はパンのみに生きるにあらず。けれど、パンには不自由しない日本で、余力はさらなるパンを得ることに向けられる。社会に身を置く者の実感として僕は、経済活動に有利な性質のひとつは、人間的な優しさに欠けることだと思っている。キレイごとでは稼げない。優しければ勝てない。だから、仕事が生き甲斐と言う人は家庭をかえりみず、それを問題とは思わない。誰が稼いでいるんだ、何が不足なんだと、相手を悲しくさせる。
一方で、稼ぐためにと自分の人間性を殺す男は、ストレスをためる。言うまでもなくストレスは、性的欲求を削る。笑顔を奪い取る。
そもそも、結婚の条件として多くの女性が男性に求める経済活動的性質こそ、人間的な感情をスポイルしろという矛盾をはらんでいるのじゃないだろうか。
男の擁護をさせてもらうなら。
果てしなく続く仕事、果てしなく続く責任。年功序列も終身雇用もはるか彼方。
ほとんどの男が特別な才能もなく、後ろ盾もなく、胸突き八丁の坂をゼイゼイ登って、足元のガレキしか目に入らない毎日だ。鉛のように重い体と心。そこに、彼女や奥さんに対する尊敬や、もしくは日ごろの不満が追い討ちをかける。それは情熱のみなもとである男性ホルモンを確実に不足させる。恋愛的シグナルの減少を不服に思った彼女や奥さんが、無意識下の苦情や態度を日常の中に織り込むようになると、男女どちらが悪いということではなく、負のスパイラルが始まるだろうな。
GDP世界第2位の社会にいる日本人男性と、のんびり暮らしているギリシャ人男性のセックスの回数が違うのなんて、アンケートを取らなくても想像がつくよ。
男は何年か社会にいれば、悪い意味でも大人になる。女性が社会で頑張っていないという意味じゃないよ。女性は弱っているときほど恋愛に落ちやすく、男性は元気なときじゃないと、恋愛に手が出せない。その気質は、寂しさや不安を抱えて相手の胸に飛び込んでいける女性と、それを受け止める男性という構図に置き換えられる。セックスはその典型じゃないかな。役割上、ストレスフルな生活は男に不利だと思う。
「私のこと、永遠に好きでいてくれる?」
「もちろんじゃないか、ハニー!」
若さとはつくづく愚かだ。出来もしないことに夢をみる。ありもしないものを追いかける。
かつての僕には難解だった恋愛は、オッサンになってからはミもフタもない。
繁殖のための、なんて巧妙なシステム。
愛だ恋だと騒ぐんじゃないよ、ベイビー。
問題は、それを越えた先にあるんだろ。
男女のどちらが正しいなんて言うつもりはないのです。
けれど、女性が都合のいいように考える、男性が都合のいいように考える、ありもしない異性への妄想は、先々に問題を起こすと思う。男の体を持つものとして、参考になればと書いてみたのです。
「男はオンナがキレイだったら求めると思ってたの。だけど、それだけじゃないよね。オンナは男にリスペクトされちゃダメなのよ。たちまち性的対象じゃなくなるから」 乱暴だけど、多くの男たちはうなずくと思う。
わかってくれ。見てくれだけの問題じゃないんだ。新しい下着をつけているキミが足りないんじゃないんだ。愛があるからこそ、性的対象にみられないってこともあるんだよ。
尊敬できる。頭が下がる。いつもすまんのう。
そうした感覚は、相手の女性を雛壇の高いところに飾る。自分より奥さんのほうが稼ぐ、なんてのは最たるものだと思う。裸婦像であるミロのビーナスをみても、その気高さゆえに金角・銀角が大暴れしないのと同じように、相手を敬う、尊敬するという感覚は、男の性的欲求を抑制する。理屈じゃないよ。哀しいことに、そんな風にできてる。
言い換えれば。
男が、結婚を意識しない恋愛や、愛人や不倫関係で限りなくスケベなのは、相手を敬うことなく、お気楽ゆえに持てる劣情のなせるワザ。ここんところが、“恋愛≠セックス”な男性と“恋愛=セックス”な女性の決定的な相違であり、恋愛体質な女性を不幸に巻き込む構造だと思う。
恋愛に夢見がちな女性は肝に銘じておくべきだよ。
男の性欲は相手を見下すほど旺盛になれるんだってことを。
例えば、真面目なナオキチは、すぐに相手を尊敬してしまうものだからして、そのようなことを起こしたいときには、恐縮してしまって、大変です。
「あ、あのー。お疲れのところ大変恐縮ですが・・お、お風呂にする? おごはんにする? あああ! アレを見て! おベッドのお横におキャンドルとお薔薇のお花がおいつのまに!」
まあ、神経使うですわな。「おらあ! ひぃひぃゆわせちゃるぞお!」。こっちのほうが、よっぽど話が早いですわな。
もうひとつ。
日本男児の性的欲求を削る理由は、彼女や奥さんに対する慣れだけじゃないと思う。男女共に理想としている、男性の社会的成功を目指すことにあるのじゃないか。
人はパンのみに生きるにあらず。けれど、パンには不自由しない日本で、余力はさらなるパンを得ることに向けられる。社会に身を置く者の実感として僕は、経済活動に有利な性質のひとつは、人間的な優しさに欠けることだと思っている。キレイごとでは稼げない。優しければ勝てない。だから、仕事が生き甲斐と言う人は家庭をかえりみず、それを問題とは思わない。誰が稼いでいるんだ、何が不足なんだと、相手を悲しくさせる。
一方で、稼ぐためにと自分の人間性を殺す男は、ストレスをためる。言うまでもなくストレスは、性的欲求を削る。笑顔を奪い取る。
そもそも、結婚の条件として多くの女性が男性に求める経済活動的性質こそ、人間的な感情をスポイルしろという矛盾をはらんでいるのじゃないだろうか。
男の擁護をさせてもらうなら。
果てしなく続く仕事、果てしなく続く責任。年功序列も終身雇用もはるか彼方。
ほとんどの男が特別な才能もなく、後ろ盾もなく、胸突き八丁の坂をゼイゼイ登って、足元のガレキしか目に入らない毎日だ。鉛のように重い体と心。そこに、彼女や奥さんに対する尊敬や、もしくは日ごろの不満が追い討ちをかける。それは情熱のみなもとである男性ホルモンを確実に不足させる。恋愛的シグナルの減少を不服に思った彼女や奥さんが、無意識下の苦情や態度を日常の中に織り込むようになると、男女どちらが悪いということではなく、負のスパイラルが始まるだろうな。
GDP世界第2位の社会にいる日本人男性と、のんびり暮らしているギリシャ人男性のセックスの回数が違うのなんて、アンケートを取らなくても想像がつくよ。
男は何年か社会にいれば、悪い意味でも大人になる。女性が社会で頑張っていないという意味じゃないよ。女性は弱っているときほど恋愛に落ちやすく、男性は元気なときじゃないと、恋愛に手が出せない。その気質は、寂しさや不安を抱えて相手の胸に飛び込んでいける女性と、それを受け止める男性という構図に置き換えられる。セックスはその典型じゃないかな。役割上、ストレスフルな生活は男に不利だと思う。
「私のこと、永遠に好きでいてくれる?」
「もちろんじゃないか、ハニー!」
若さとはつくづく愚かだ。出来もしないことに夢をみる。ありもしないものを追いかける。
かつての僕には難解だった恋愛は、オッサンになってからはミもフタもない。
繁殖のための、なんて巧妙なシステム。
愛だ恋だと騒ぐんじゃないよ、ベイビー。
問題は、それを越えた先にあるんだろ。
男女のどちらが正しいなんて言うつもりはないのです。
けれど、女性が都合のいいように考える、男性が都合のいいように考える、ありもしない異性への妄想は、先々に問題を起こすと思う。男の体を持つものとして、参考になればと書いてみたのです。