DHCブログ仲間のMegumiさんから、コメントのやりとりの中でこの小説(10頁)を紹介された。
早速目を通させていただいた。
文学は全くの素人なので、まともなコメントは出来ないが、この年(78才)になるまで、聖書に親しんできた者として、聖書的視点に立った或る一つの感想を記してみた。
この小説をご覧になりたい方は、http://novelist.jp/member.php?id=36772 へ。
Megumiさんのブログからも辿れるかも。
題名「天の階(きざはし)〜蒼穹のかなたに見たものは〜」
■作品のあらまし/江戸時代、異人との間の混血児として生まれたがゆえに 虐められてきた富松。
だが、迫害を受けたがゆえに、誰よりも優しい心を与えられた。
幕府による激しいキリシタン信徒弾圧に耐え、最後まで信仰を捨てずに貫いた男の生き様を描く。
正義感の強い江戸娘お璃久の目を通して、薄幸でありながらも運命に屈せず生きようとした富松の姿を描く。(著者の作品紹介より)
■聖書的視点に立った或る一つの感想/富松は、イエス(神又は御霊と言っても良い。)に支えられ、導かれて、ヤコブのように
「天の階」を駆けあがり、永い眠りについている。
イエスの再臨により永遠の命に復活し、イエスに召された人たちと共に
新しい天と新しい地に。
お璃久、夫−卯吉、お璃久と卯吉の子〈妊娠中〉、富松の子−お勝達とこの人達を取り巻く江戸の地域社会は神様の
摂理の内に、それなりに恵まれた生涯を送るに違いない。
もし、お璃久、卯吉、お璃久と卯吉の子、富松の子−お勝達が富松の影響を受けて、イエスと出会い、交流をもつことになったとすれば、富松と同じ人生を送ることとなるのは間違いなかろう。
■天への階段(ヨハネ1・51)□□□□□□□□□□□
1:51 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」
このような光景を、信仰によってきょうも見ることができる。イエスは自ら、天の御国をすべての信仰者に開かれた。
彼が啓示された神秘と栄光の場所を、人間はじっと見つめる。彼がそこへの道であるため、人間はまもなくそこへ入る。
人は
ヤコブのはしごの意味を知っている。天と地の間にはきよい交流がある。(創28:10-22)
祈りは昇っていき、答えは仲保者であるイエスという道を伝わって降りてくる。主を見る時、人はこのはしごを見ることになるのである。
イエスのうちには光の階段があって、それが至高者のいます御座への道筋を照らし出す。
この階段を用い、祈りのメッ
セージを上へと送り届けよう。とりなしの祈りをもって天へと駆け上るなら、人は御使いの役に参加することになり、契約による祝福をしっかりととらえることになる。
それから人は、いただいた祝福の賜物を分け与えるため、再び地上に降りてくるのである。
これはヤコブが夢の中で見た光景であるが、それが今や輝かしい現実となっていることを知ろう。
■「摂理」については、「絆/癒し/赦す/喜び…」(アーカイブ。11/21)を。
■ 新しい天と新しい地(黙示録21:1-8)□□□□□□□
21:1 わたしはまた、
新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
21:2 更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
21:3 そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた<
太>。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、
21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
21:5 すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。
21:6 また、わたしに言われ
た。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。
21:7 勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。
21:8 しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」
□ 悪から新しいものを造るには、無から造るのと同じ力が必要である。
イエスはすでに働きを開始し、幾世紀にもわたって、人々の心や社会の秩序を新しくしてこられた。
彼は少しずつ人間の政府の全機構を新しくされるので、人間の性質は恵みによって変えられるようになる。しかも、体が新しくされ、主と同じ栄光の体となる日が来る。
イエスの力によってすべてが新しくされる神の国に所属することは、なんという喜びであろうか。私たちは死んで滅びるのではなく、いっそう栄光ある生命に向かって急いでいるのである。
悪の力があるにもかかわらず、イエスはご自分の目的を達成しておられる。こうして私たち、そして私たちにかかわるすべてのものを「新しく」しておられる。それだけでなく、神の手から最初に出てきた時のように、すべてのものを美しく輝くものとしておられる。