「ぞ。ぞぞ。ぞぞー」
僕の耳はその奇妙な音に反応して、眠りから覚めるように命令していた。2時か、3時か。闇の重たさが真夜中を教えていた。風が葉っぱをざわざわ揺らす程度の小さな音なのに眠りから引き戻す、なんだか寂しげな音だった。
なんの音だろう?
僕はふとんに包まったままでそっと、音の方向をみた。
そこには彼女がへたり込んでいた。仕事帰りのまま着替えもせず、女のコ座りの格好で床にへたり込んでいた。
「ぞぞ。はふ。ぞぞぞー」
彼女がお茶漬けを食べていたのだった。きっと日ごろからなにもない僕の部屋に、その夜唯一あったご飯とインスタントのお茶漬けを見つけたのだろう。
音の正体がわかった途端、胸が締め付けられた。彼女は仕事着の派手なドレスを脱ぎもせず、客からもらった150万円のシャネルを腕にしたまま、お茶漬けを食べていた。
彼女は銀座のホステスをしていた。出会いは近所のファストフードだった。仕事の原稿を書いていたら、横に座っていた彼女に声をかけられた。
「あなたは何をしてる人?」
整った顔だちだけど、寂しい雰囲気の人だった。男に興味があるのではなくて、話し相手が欲しい、そういったもの憂げなたたずまいだった。
彼女としばらく話してその日は別れ、なんどか同じ店で顔を合わせるうちに、仲良くなった。ふざけあう仲良しというより、彼女が悩みを言葉にし、それに僕が遠慮なく意見をいうといったこなれ方だった。
僕は彼女よりも5歳も年上で、おまけに貧乏だった。なにかにつけ下品だった上司と大喧嘩し、タンカをきって出版社を辞めて、しばらくたった頃だった。安定した収入はなくなり、仕事は知り合いのつツテで原稿を書く程度だったから、食費など一日に500円で精一杯だった。けれど僕は、自分の魂が削り取られるような下品な仕事から開放されて心からよかったと思えたし、自分の判断で受ける雑誌の仕事が楽しかった。辛い気持ちを会社に捧げて豪華な外食をするより、自分が好きになれる仕事をしながら牛丼をたべるほうが、ずっと幸せだった。
500円しか持っていない僕はいつも、彼女に200円のコーヒーをおごり、その1杯で2時間も3時間もしゃべっていた。それも面倒くさくなり、部屋の鍵を渡したら、それから彼女は気ままに来て、気ままに帰るようになった。
(後編に続く
)
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ロマンチックな話じゃなくてすまんです