たくさんの人に励まされて
今日の私がいます。
ありがとうございます。
2年半の看病を終えたので、
この春からはもすこし自分のこともしようかな☆

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暑さ負け [2011年09月02日(金)]
昨日はひさびさに32℃という暑さで、このところ忙しくて疲れていた体にはダメージでした。

そんなこと言ったら、本州の方には申し訳ないですね。

でも、北海道は本来湿度が少なく、夏でも夜は涼しいものです。

そんな掟を破った今年の夏・・・。

昨日は母が具合が悪いので病院へ(しかも自転車で!!)行って点滴を受けてきたと・・・。

暑さ負け、ということですが、私も負けないくらいに昨日の午後は参ってました。
息をしてるのがやっとという感じ。
うちにはクーラーがなく、部屋の温度は32度です。
その前からの疲れもあるし・・・。

母の家にはクーラーがあるのにな。
せっかくクーラーがあっても、母、限界に挑むかのように、室温が30℃過ぎるまではクーラーはつけない、とか言っちゃって、この間も具合が悪くなったばかりです。

実は私が思うには、母、忙しくしすぎなんじゃあ・・・。

母、父の入院中から気晴らしが必要だとパッチワークのサークル、絵手紙のサークル、と習い事を始めましたが(それはいいんですが)、それに関してNPO法人への参加とか、未亡人になったからと未亡人仲間というものが出来たり、ご近所やらお友達のお友達とか、ひとり暮らしになったのだからと心配して声をかけて下さるのは嬉しいんですが、付き合う人がうんと増えて、出かける機会もうんと増えて、本来ならひとり暮らしに慣れる期間、父の看病疲れを癒す期間というものが、人付き合いで埋まっている―。

疲れすぎなんじゃないかと思うんです。

本当にいろいろなことに参加しているものな・・・。

休む暇がないんです。

そんなこと言ったら私もそうだったけど、私は先週でシルクスクリーンの講座の先生のお手伝いも終わったし、義母の法事も済んだので、ここからは私の休みです。来年の父の1周忌までは大きな行事はありません(娘の国試をのぞいては)。

それなのに、母、また以前の仲間から声をかけられて・・・。

かつて25年くらい前、母は詩吟をやっていました。
着物やら大会の遠征やらでお金がかかってついにやめましたが、今は余裕があるようにも見えるのでしょう。
お声がかかって、また詩吟をやらないかと・・・。

それは週3回あるのだそうですよ。

無理じゃないかな、と思うのですが。

まあ、身体を壊さないように遊んでくれたらいいと思います。

また看病するのは私だし。

せっかく自分のためだけに人生を楽しめるようになったので、健康に気をつけて長く楽しんでほしいです。

そういう意味では義父が亡くなって仕事を辞めた後、家に閉じこもって人との交友を嫌った義母とは正反対でそれは助かりますが、やりすぎて自分が見えなくなってはいけません。

ちょっと心配・・・。

posted at 09:55 | この記事のURL
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母の携帯電話 3 [2011年08月27日(土)]
Shopの人は親切で、いいですよ、と言ってくれました。
しかし、これは迷惑ものでした。

母は自分の前の携帯を見せ、そこのデータフォルダから曲名を知ることは出来ましたが・・・。

着メロ、着うた、って月額が違うんですね。そんなことも知らないので、係の人はどっちがいですか?と言いました。
歌が入っている方が高い。メロディだけの方が安いって・・・。

それが母、ピンとこなくて、これは歌が入っているのがいい、これは曲だけでもいい、とか言うので、係の人は「両方登録するとお金がかかってしまうので、どちらかにしてはどうでしょう?」

それで、着メロにしてもらうことになりました。

それが、登録料月額200いくらかだったんですが、その金額でひと月10曲まで取れるので(3曲以上取るとたぶん通信料限度額行くので10曲とっても同じなので)、10曲取ってその場で退会してしまいましょう、と係の人は言うのです。

ところがその10曲を母が思いつくのが難しかった・・・。

先の携帯に入っていた曲は4曲・・・しかし、以前取った曲のため、探すのが難しかった・・・。
でも、探してくれました。
残りの曲6曲・・・秋元順子さんとか、嵐、とか、韓国ドラマの曲、とか母は言いますが、曲名がわからないので「それってドラマの曲ですかね?」と苦労しながら、探してくれました。

そんなこんなで曲を入れてもらうのに1時間・・・やはりその日もお昼になってしまいました。

その日、帰る前にみんなにメルアドを変えたよ、というメールを送るやり方を教えて帰って来たんですが、花音の携帯に3度も4度もその「メルアド変えました」のメールが来るので変だなと思ったら、今度はアドレス帳の新規登録画面に戻れなくなったと・・・。
アドレス帳では新規登録のボタンが、メール画面では送信ボタンですから、最後の花音へのメールがボタンを押すたびに送られてきたわけで

母、前の携帯の時は、写真を撮ると自動的にSDカードに保存されるようになっていて、そのSDカードを取り出してプリンターに入れると写真が作れる、というのがお気に入りで・・・(はっきり言ってうちより電気製品は進んでいる)。
それが、今度からは完全防水のため、SDカードは裏蓋を外して、バッテリーを外してからでないと取り出せない。
PINカードを傷つけてしまってはいけないし、もうSDカードから写真を作るのは諦めて、ちゃんと写真にするものはデジカメ(母は自分のと父のと、割と新しいデジカメを2台持っています)で撮るようにして、普段お友達に送るメール用の写真だけを携帯で撮るようにしたら?と言ったんですけど、やはり前の夜自分でSDカードを取り出してプリンターに入れたらしく、次の日、SDカードが認識されないと言ってきました。

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posted at 11:08 | この記事のURL
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母の携帯電話 2 [2011年08月27日(土)]
携帯の口座引き落としの手続きを、銀行のキャッシュカードの読み込みでできると言うので、カードを出しましたが、読み取れません。
違う銀行のカードも、更に違う銀行のカードも駄目・・・

夫、「お母さん、カード全部磁気やられてるんじゃないの?」
母、「いや、この間も使ったばかりだもの、ここの機械がわるいのよ」

それで、結局書類に手書きしました。

そして、前の携帯から新しい携帯へデータの書き込みをするときのこと。

10分たっても20分たっても終わりません。
係の人も「もう少しお待ちくださいね」「あと5分くらいだと思います・・・」と、画面を見ながらたびたび言うのですが・・・。
結局データが取り出せない、前の携帯が機械に認識されない、ということで、データはなにも移せませんでした。

この日お昼からシルクスクリーンの講座に行かなければならなかったため、もう時間はぎりぎりでした。

それで、帰る道すがら、私の携帯からうちの家族や親せきのデータ、移せるものはみんな赤外線で移して、基本的な使い方を教え(母はこれで携帯3台目だし)、アドレス帳の打ち方(データが移せなかったのでまた入れ直すから)とか教えて、私たちは帰りました。
もう時間がなかったので、アトリエ直行です。

講座が始まる前に母から来たメールは全然知らないアドレスからで・・・。
そうだ、メルアドは機種にもともと登録されているのを自分のに登録し直さなきゃいけないんだった・・・と遅ればせながら気づきました

だから母に、お友達や姉妹たちに今メールしても向こうが知らないアドレスで届くから、直すまで待ってて、と言いました。

母は設定は自分ですると・・・。
しかし、取扱い説明書がないといい・・・。

結局次の朝、またShopが開くのを見計らって出かけていくことに・・・。
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posted at 10:37 | この記事のURL
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母の携帯電話 1 [2011年08月24日(水)]
母は花音が携帯電話の手続きをしている間、Shopの中を見ていました。
それで、自分の携帯も替えたい、と言い出しました。

母は他社から乗り換えなので、0円です(0円にするためにはいろいろ契約しなければなりませんが)。

でも、その日はもう遅かったので、翌日また出直しました。

すると契約にはいろいろと必要なことがわかりました。
解約する方の携帯会社から予約番号をもらうのと、母の身分証明書、母の住所と名前が入った公共料金の領収書(しかも郵送で届いたもの)、私の家族と家族割(家族間は通話料タダ)にしてもらうため私との親子関係を証明する戸籍謄本・・・。

それで戸籍謄本を取りに市役所へ行くと・・・知る人ぞ知る、今、北見市の市役所は解体工事に向け部署の引っ越し中で、戸籍係はぱらぼ(将来的に市役所になる)に引っ越したと言われ、また移動して行って出してもらったらすぐ私の名前があるか確認しました。
そうしたら、父と母の名前しかなく、親子関係を証明出来ないためこれじゃ使えない、と私が言ったので、会計の人が確認してくれて、お金を追加して、原戸籍という過去の戸籍にすぐ取り換えてくれました。
平成8年から、戸籍が今の様式に変わったので、結婚して除籍になった人は載ってこないそう。父の相続の手続きの時にさんざんやったのに、忘れてました。

で、母の公共料金の領収証を探しにいったん家に戻ったら、今度はそれがない・・・。
なぜなら母は未だ父の名前のままに公共料金を払っていたので、自分の名前に変えてなかった・・・。

父が亡くなった後に届いた税金や固定資産税、国民年金などの領収証は母の名前ですが、それは住所が記載されていない・・・。

ということで、その日は諦めて、後日、ということにしました。
その間にあちこち連絡して、支払者を母に変えてもらいました。
それはほとんど電話1本でできるそうです。

いつまでも父の名前で郵便が来て、生きているみたいにしたい気持ちもわかりますが、こういうとき困るよね・・・。
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posted at 11:15 | この記事のURL
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お墓参り [2011年05月25日(水)]
おかげさまで先週の火曜日、盛会(?)のうちに作品展は終了致しました。
その次の日、父の百ヶ日で、納骨をしました。

作品展の日程は、1月の下旬には決まっていたものですから、作品展の終わった翌日が百ヶ日にあたるというのは、父の葬儀が終わった直後にお寺さんから頂いた供養の日程表を見るとわかったので、びっくりしました。

もしその日が作品展中にあたっていたら、作品展自体をキャンセルしていたかもしれないし、作品展を留守番なしでやったかどうか・・・と考えると、不思議な感じがしています。

作品展の日々は、お天気が悪い日が多く、桜もやっと咲いたのにきれいな色に見えない日々が続いていたのに、父の納骨の日は晴天で、墓地の周囲をぐるっと取り囲む桜が満開で、「お父さんもいい花見ができたねえ」と母が言うほど、素晴らしい眺めでした。

作品展の中ほどに桜が咲いたので、会場に詰めている間に桜はあらかた散ってしまい、今年は見頃を逃した、と思っていた私にも、素晴らしいプレゼントでした。

父は通夜も葬儀も晴天に恵まれ(その前後は吹雪だったというのに)、ここでまた、雨や風にも押されずいいお天気に恵まれ、なんだか生前の父の心がけに対するごほうびなのかなあ、と感じます。

お墓に残してきたお花を片づけて、と先週母に言われておりまして・・・でも、すぐに片づけてしまうのも、と思い、1週間をめどに・・・とは思っていました。私は車の免許を持っていないので母は迎えに行けませんが、実は私の家からは墓地まで歩いて20分です。

今朝、夢の中で母が「お墓の花を片づけてったら!」と言うのを聞いたので、お天気も回復したので(朝まで雨だった)、歩いて出かけました。山坂あるので、自転車ではちょっと辛いです。

お墓には誰もいませんでしたが、ところどころに新しいお花が活けてあって、他にもお墓参りに来る人がいるんだなあと思いました。

お花は管理の人が片づけてくれたらしく、私はお菓子とお水をあげて、お墓の周囲の草をむしっていました。

すると、砂利を踏む足音が聞こえました。
でも、だれもいないのです。

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posted at 20:19 | この記事のURL
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真夜中・・・ [2011年02月11日(金)]
父が2月8日午前3時17分に亡くなりました。

最期は眠ったまま逝きました。

友引をはさんだので、今夜がお通夜でした。
今はひとりで線香番です。

二年半の闘病中みなさんにはいろいろ励ましていただき、ありがとうございました。



posted at 03:25 | この記事のURL
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父の不満 [2011年01月17日(月)]
父が肝性脳症になる数日前から、もしくはなりかけの時から、母に向って嫌味を言うことが多くなったんですよ。そのことで母は私に愚痴っていました。

父は普段、母に思うところがあっても我慢して言わない人なんです。
逆に母はなんでも言ってしまうので、父のほうは心にたまっていたんだと思います。

かつて母がいない時をみはからって、父が私に愚痴っていたのは、母が買い物をしすぎること。
確かに昔貧乏で、欲しいものが欲しいだけ買えなかったとは言っても、それでも時々母も父も競争するように、お金を借りてまで買い物してました。
それは性格なので、買い物好きはやめられないのは仕方がないかもしれませんが、どんどんエスカレートしてしまって、昨年、一昨年と、もともと持っていた家具や電化製品はなくなるんじゃないか?というくらいに物を買い替え、先月もカーテンをオーダーカーテンにし(猫が爪を立てて登るのに)、1週間としないうちに猫にぼろぼろにされ・・・父はあきれていました。
ただ、父も負けじと買い物をしたので、そのことは言わなかったようなんですが・・・。

父が母に対して嫌味を言ったのは、母が習い事や旅行など、自分(父)の面倒を見ないで、自分の好きなことばかりしていること。
「趣味ばっかりするのもいいけどね、お母さんはいつも大事な時にいない」って言うんだと、母が怒って私に言いましたが、父が文句を言いたくなる気持ちもわかりました。
確かに母はパッチワークや絵手紙、姉妹での旅行、仲間との旅行、と、父が入院していようと自宅療養していようと好きな時に出かけてしまって、心配な時もありました。

でも、私もシルクスクリーンと七宝を習っているので、母の気持ちもわかるんです。
そういうところへ行くと、普段の日常から離れて、リラックスできて、元気が出るんです。
だから、父の看病ばかりでなく、そういう楽しみは必要だと思って、母の趣味の日には私が病院へ行くようにして、今まではお互いにうまく趣味をやりくりしていたんです。私も七宝やシルクスクリーンに行かせてもらいたいし、リフレッシュは必要なので、母もそうだろうと思って・・・。

ただ、やはり父は面白くなかったんでしょう。
しかも、年初めに入院してきた向かいのベッドの人が、奥さんが朝から晩までベッドわきについていて、話し相手をし、かゆいところに手が届く状態なのを見て、自分との差を感じてしまったみたいです。母が「あの人一日中旦那さんのそばにいるのよ。大変だねえ」と言っていたことからも、わかりました。

それで、昼時2〜3時間いて帰る母に、しかも、毎日は来ない母に対して文句を言いたくなったんでしょう。

だから、今は父は多少もうろうとしているけれど、母にこんなにそばにいてもらって幸せだろうと思います。
だって、朝から、私が行く3時くらいまでは母にそばにいてもらえるから。

posted at 13:13 | この記事のURL
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回復の兆し [2011年01月16日(日)]
おととい、父が母のことも私のことも思い出し、自分の名前もフルネームで言えるようになりました!

ご心配おかけしました。

まだまだ変な行動や、意味の分からない話もしますが、とりあえずはひと段落です。

毎日朝から夜まで付き添いをするのはまだ続きそうですが・・・。

毎日ついているのが当たり前になってきたので、看護師さんにあてにされることが多く、帰ろうと思っても、「もう少しいて下さい」と、いろいろと頼まれることが増えてきて、なかなかさっと帰ることができません。
昨日は花音のセンター試験のため、母が夜までついてくれるので、私は行かないでいいと言ってくれたんですが、看護師さんが「もう少し」「もう少し」と言っているうちに母の帰りのバスがなくなり、結局タクシーで帰ったと電話が来ました。母の家は街外れなので、タクシー代は3000円近くかかります。
こんなことを毎日続けていては、付き添う方の体もお金も持ちません。

父にはかわいそうだけど、寝ている時間が多いのだし、起きた時のためにずっとベット脇で詰めているのもつらいので、意識がしっかりしてきたので、そろそろ朝から夜までつかなくても、冷たい話、お金は払っているのですから、看護師さんに少し見ていただいて、家族も身体を休めないと、患者だけでなく、家族が倒れることになってしまいます。

看護師さんたちは良くしてくださいますが、どうしても人数が足りないので、家族が来ている人には、家族にやってくださいということが多くなってしまいます。当たり前のことなのかもしれませんが、60代の母が自分より大きい父を車いすに乗せて、トイレまで押して歩くのは大変です(腰の骨を折ってから腰が悪いので)。
自然、私がやらなければならないことが多くなり、「まだ若いんだから」と母から見ればそれは若いですが、私も身体を壊してしまっては、自分の家族の面倒が見られなくなるのです。

こういう時には兄弟姉妹がいたら・・・と思います。
ひとりでなく、誰か急な時に代わってもらえる人がいたら・・・。

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父のその後(2) [2011年01月13日(木)]
次の日、父が前の晩寝ていない、と母から電話がかかってきました。
行動がおかしくて、見ていると疲れる、自分も眠れない、と泣きそうな声でした。

その日寝ていないということは、2日続けて父は寝ていないということです。

探し物をしたり、歩き回ったり、ついには暑いからとストーブを消して(その日の朝はー18.9度で今季一番の寒さでした)シャツとパンツ一枚で走り回ったり・・・前に肝性脳症で入院した時と同じ症状でした。

しばらく母の愚痴を聞きましたが、どうにもならないので、その時病院へ連れて戻ればよかったんですが、一回寝かせることができればきっとおちつく、また病院へ連れて戻っても、病院を徘徊して看護師さんに叱られるか、自分が病院でずっとついていなければならなくなる、とうことになり、母はしばらく父を見ないで自分は寝るようにする、と言いました。

翌朝9時には救急車で病院へ運ばれた、と言ってきました。
その晩も眠らず、倒れたので、私たちが行っても重くて車に乗せられないし、救急車を呼んだ、ということでした。

私も病院へ行くと、父はもうかなりおかしくて、幻覚がひどくて、立って歩くので、また倒れてはいけないので抑えても、すごい力で動くので(火事場の馬鹿力みたいな)どうにもならなくて、先生が来てくれるまで大変でした。

わけもわからずずっとしゃべり、壁を見ながら怒鳴ったり・・・悲しいけれど、どうにもなりません。早く先生も処置してくれたらいいのに、祝日ですから、看護師さんの手も足りないのか、なかなか来てもらえず・・・。

その後、血液検査をしてやはり父は肝性脳症で、治療が必要だということがわかり(どうしてそこまでわからなかったのか・・・というか、血液検査の結果を見るまでもなく、症状がそうなので・・・)、点滴が始まりましたが、血管が細くなって何回も刺し直し、いつもは血が止まらないのに、今回は血がほとんど出なくて、そのことを言うと、「脱水症状の時は血が出ないから」と言われ、脱水もあったんだ・・・とわかりました。

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父のその後 [2011年01月13日(木)]
あれから大変でした・・・。
3日には病院へ戻った父ですが、放射線治療が一応7日には終わりました。
それで、放射線科の先生が「もう退院していいよ」と父に言ってしまって、消化器科の先生はまだ検査が終わるまで帰っていいとは言っていないのに、帰れるつもりになって・・・。
今思えば、どうもこの日から父はおかしかったんです。
携帯電話がつながらないと言って、前の日から公衆電話でかけてきたり、看護師さんに充電ができないと困らせたりしていたので、さらにその前の日からだったのかも・・・。

受け答えも緩慢で、言っていることに違うことで答えてきたり・・・。
私が行くと迎えに来たのだと思って、着替えようとしたり、今日はまだ退院できないよ、と言って「わかったよ」と言っているくせに、一緒にエレベーターに乗ろうとしたり・・・。

それで、7日はまだ帰れないと納得させて、母だけ連れて帰りました。
その日、病院の中で徘徊するようになり、夜中も寝ないで徘徊し、看護師さんから母に電話がかかってきました。
翌日、母は病院へ行って、看護師さんに迷惑になるからと、3連休の間一時帰宅することに勝手に決めてしまいました。退院は駄目でも、一時帰宅ならいいでしょう、どうせ、3連休中は先生がいないんだから処置もないんだし。というのが母の言い分でしたが、帰るから迎えに来てって言われた時にはびっくりでした。
私は父の様子がおかしいのは肝性脳症のせいではないのかと思っていたので、むしろ病院にずっといて、点滴してもらえないかと思ってました。
しかし、先生から指示がないので大丈夫、と看護師さんも言うし、母は連れて帰りたい(看護師さんから電話がかかってくるのが嫌だし、迷惑をかけたくない、それに毎日病院へ通いたくない、家でならどうにでも面倒が見れる)。

私はその時、ひと月ぶりにシルクスクリーンのアトリエに行っていました。12月から娘の用事、親の用事で、駆け回っていたので、やっとです。まさか今週も一時帰宅するとは思っていなかったため、気にしてませんでした。

ちょっと手を止められない作業中に電話がかかってきたのですが、母からの電話は緊急なことがあるので出ないわけにはいかない・・・。

すると、「家に帰るから迎えに来て」というので・・・すごくびっくりしましたよ。

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