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秩父の心霊スポットAでし [2009年08月20日(木)]

またまた 心霊スポットの お話でしが 昨日 両親と買い物で

秩父の町中を走行中 お昼過ぎ 2時位かな 国道が混雑していて

裏道に迂回しようとしました、 秩父駅から 西になるのかな

聖地公園なるものがあります



こんなところがありまして お墓ばかりの 霊園ですねぇ



こんなところを抜けて 下り坂になるのですが


あれ いま あそこに 誰かがいたなぁ と 両親もどこどこと

覗き込んだのですが そのときは消えていて

あの家は 有名なお化け屋敷じゃないのっと 車を

Uタウンさせてまた見に行きました そのときの写真です



昼間から いつも雨戸が閉められている 夜通っても 

明かりもついていない 何年も前から このままなんですよ

降りてくるときは 印した部分が正面にみえて まどから

顔を出しているのが 見えたんですが 



もう一度 登って降りてきましたが 今度はなにも見えなかった

でも確かに 顔だしてたんだよっと 言ったのですが

信じてはもらえず 帰りにでもとおもいましたが 時間が

とあわてて 帰ってきたので残念ながら 今回は ここまでですが

秩父または埼玉県の北部とかまだまだ 恐怖スポットいっぱいありますよぅ

そのうちにじっくりと 紹介していきまーす

秩父心霊スポットは これにて おしまいでっす

でっぱ

秩父の心霊スポットでし [2009年08月20日(木)]

埼玉県秩父方面 今でこそ 国道が整備されて 熊谷方面

飯能方面 ならびに お隣の県山梨県甲府に抜ける道ができましたが

もっともっと 昔は かなり狭い盆地だったんですよねここは

つまり 現在で 東西南北に伸びる 国道からここに来る以外には

本当に 山を越えてくる感じなんですよ なので ここ秩父には

いろいろな 因縁めいたお話はたくさんあります

寅が引越ししたころは まだ 存在していた 長瀞の赤痢病棟

当然 廃墟となっていましたが 長瀞の有名な観光地 石畳の

川の反対がわ ひっそりとたたずんている建物でした

ここも 一気に 道路整備がすすみ トンネルができて 

道も片道一車線はほぼ 確保できたみちなんですが

寅が引っ越してきたころは まだ トンネルも建設中で 

小さな山を 迂回して通行する狭い道でした ところどころ

車が一台なんとか通れるような 邪魔な木や石や建物があって

これが 長瀞対岸道路だったんですね ま そのトンネルを出たところ

すぐ 左側に 赤痢病棟がありました 

地上に見えている部分は 1階だけで コンクリートつくりの

昔の病院といった感じなんですが そんなに大きくないんですよ

土地全体はかなり広いのですが 建物は 18メートルくらいの

四角い建物でしたね 引っ越してきて新しい会社に勤めだして

ここの 赤痢病棟の話を きいたわけですが 

ここは 地下室があるんです しかも 地下2階まであって 一番下は

死体安置所だったそうです そして 地下1階が 1階で見えている

建物よりも もっと広い地下室になっていて ここが 隔離病棟

災害があったとき 地上では 崩れたときに 逃げられる

恐れがあるから 何かあったときは 生き埋めにできるようにとの

計画だったらしいですよ 聞いた話しですが

寅が ここに 引っ越してきたのが 平成3年の6月かな

9月くらいに この話を聞いて 流石に夜中はいやだったので 

昼間探検に行ってみました 一応懐中電灯をもってですが

1階は ま ごく普通の廃墟 建物も放置されていて 壁とかは

崩れかけていたり ま仕方ない感じで まず入ると 広いロビーかな

正面にカウンターらしきものがあり その奥がナースステーションかなぁ

診察室らしき部屋や手術室らしき部屋トイレなどがあり

奥側に 休憩室や宿直室がありました 窓の外は 長瀞が見えて

眺めは最高でしたね そんな場所にあったんですが

廊下の一番奥に 鉄の扉 それも普通の防火扉ではなく

城門の門のような 鋼鉄の扉がありました 銀行の金庫室みたいな

その中は結構広く 大きな階段で地下に向かっています

ここから先は 完全に暗闇のなかですが

階段の扉は 一応入る前に確認して 完全にさび付いていて

押したり体当たりしたくらいでは 動かない状態でした ここが閉まったら

出られなくなるのでね 確認しておきました そして いざ地下へ

廃墟の地下室 想像では じめじめのカビだらけという 想像でしたが

この辺秩父方面は 岩盤なんですよね なので 不思議にも

地下の1階は 乾燥しきっていましたね 階段から出ると

正面にまっすぐの廊下 それと 左右に広がる廊下

そして 廊下の両側が まるで 牢屋 でしたね 鉄格子の部屋で

警察署かなと思うところでした窓もなく 1階につながる階段は ここ一箇所

牢獄だったんですね 完全に 幅にして 1メートル位かな

人が一人寝れる位のスペースに 奥に トイレと流しかあるだけ

こんな部屋が 100以上はあったと思うが 数歩中にはいったとたんに

どこからとも無く 足跡がしてきたのです 最初は自分の足跡が

いろんな壁に反響して 聞こえるのかなとおもいましたが

どんどんと その音ははっきりと 大きくなって 近づいてくるんですよ

あまりの 恐怖に あわてて 階段を駆け上り 外にでました

あの 足音は なんだったんだろうか 今では 確認することはできません

まだまだ お話はつづきますが 大分長くなったので今回はここまでです

でっぱ

お岩さんAでし [2009年07月20日(月)]

メインの報告 前の方で紹介しましたので 残りということで

昨日の田宮神社だったんですね での チラシによると

もうひとつ 別な場所に 於岩稲荷があるそうです

中央区新川2−25−13 だそうです これはまた次回にね

それと お岩さんの お墓は 巣鴨の妙行寺にあるそうです

こちらも また 順次報告していきます が さてさて

昨日の 四ツ谷の方の お話ですが

舞台や物語で有名ですが 実際には そんな 怨念は無いそうで

物語的に 面白くしていったものが 世間に広まり 

現在の四ツ谷怪談となったそうなんでね

ここの 於岩稲荷も 家内安全 合格祈願 などのご利益があるそうで

ここの敷地内には 小さな 七福神がいろんなところに お祭りされていました

一つ一つ紹介すると 7枚になるので まとめて見ました



高さ15センチくらいだったかなぁ いろんなところに

隠れているのも あるので 探しましたぁ 

前回の門から見た感じが これでっす



おみくじや絵馬などもありましたでしよ



一応 チャレンジしてきました 大吉でしたぁ ふむふむ



絵馬がたくさん掛けられています 当然 他人様の願い事は

見てませんよ その横に おみくじが結ばれていますが

実際は おみくじの 凶 とか 大凶 などが出たときは

そこに結んで 来るのが 正しいそうですよ 大吉などを

そこに 結んでしまうと 運を そこに 置いてきてしまうといいますから

皆さんも 置きお付けを 寅は毎年 お正月のおみくじを

お財布に入れておきます 今年の運勢ということでね

で 新しい年を迎えるときに 古いおみくじは ちゃんと 

境内でやっている 名前知りませんが 償却用の ところに

入れてきますよ さてさて いよいよ 最後の1枚となりますが

於岩稲荷での 御参りがすんだところで ふっと 見ると

御朱印がおいてありました なんか 良い台紙かなにかと

いろいろと 考えましたが 残念ながら なにもないので

文庫本の最後のページに 押してみましたぁ こちらでし



なんの 本読んでいるか ばっちし 判っちゃいますねぇ

夏場は ホラーものでっす 今は 角川ホラー小説の

マタンゴ を 読んでいます 先日レンタルで でいぶいでぇー

を 借りてきて 映画を見てから 原作を 読んでいます 

大分 原作とは違うところもありますが まだ 半分くらいですのでぇ

今度のお休みは 26日日曜日たけのでぇ 

次回は 8月に入ってからでしねぇ

それまでには またまた いろいろと調べておかないとねぇ

今日は 帝釈天にいってきまーす お散歩でしよ

でっぱ
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