若い頃から1日1章1年分を書いたテキストを用いて、朝晩黙想をしてきました。
カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために」上下2巻(自己紹介欄参照)、内村鑑三「一日一生」、「
ローズンゲン」、「日ごとの糧」などです。
今は、C.H.スポルジョンとオズワルド・チェンバーズの著書を用いています。自己紹介欄参照。
【黙想50】
■お話しください。しもべは聞いております。(Iサムエル3:10)
神の言われることに対して鈍感であることは、神を愛してもいなければ敬ってもいないということを明らかにする。
もし私が友人を愛しているとしたら、私は彼の欲するものが何であるかを直観的に知ることだろう。イエスは、「あなたがたはわたしの友です」と言われる。
今週、私は主の戒めに不従順であっただろうか。もしそれがイエスの戒めであるとわかっていたら、意識的にそれに逆らうようなことはしなかっただろう。しかし、私たちの多くは、神をあまりにも軽く見ているので、神の言われることに耳を傾けようとしない。
私の信仰生活の究極の目標は、イエス・キリストと全く一つになることである。そして、絶えず神に聞き、また神は私の願いを絶えず聞いてくださる(ヨハネ「一・四『)ということを知ることである。
私がキリストに結び付いているとしたら、どんな時にも神に聞くという態度をとるはずである。花や木、あるいは神のしもべを通して、神のメッセージは運ばれる。
他の事柄に心が捕らえられているということが、神に聞くことを妨げる。それは、私が神に聞こうとしないということではなく、私の心が正しい位置にないということである。
心が物や奉仕、信念に向けられているなら、神が語ってくださっても、私たちは神に聞くことはない。
神に聞くというこの習慣を身につけないなら、私たちは一時的に神の声を聞くだけで、あとは、私たちがしなければならないと思っている事柄に心が奪われ、神に対して耳がふさがれてしまうのである。それは、神の子供の生き方ではない。私は今日、神の声を聞いただろうか。(オズワルド・チェンバーズ/自己紹介欄参照)。
■サムエル記上 ◆サムエルへの主の呼びかけ
3:1 少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。
3:7 サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。
3:8 主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、
3:9 サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。
3:10 主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
3:11 主はサムエルに言われた。「見よ、わたしは、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。
3:12 その日わたしは、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。
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