ヤマダこっち来んな [2010年05月01日(土)]

ヤマダデンキが駅前にOPENした

ヤマダ嫌いの自分にとっては良い気分はしないが

まあ、その分ヨドバシが混雑しないので行き易くなるかも

しかし、なんでヤマダデンキの店員はあんなに駄目なのか

おっさんだか爺さんみたいな偉そうな店員は、態度はデカいし

知識は浅いし

逆に若い店員はダルそうだし、キビキビしてるかと思ったら今度は

せわしなくてゆっくり尋ねることも出来ない

やっぱ態度も悪い

それに比べてヨドバシはイイ

なんか店員さんがマニアックな感じがいいね

丁寧だし知識も豊富、安心して買い物が出来る

別に自分は金持ちでもないけど、仮に値段が高いとしても

ヨドバシを選ぶ

同じ買い物するなら気持ちよくしたいもんだ

障害者について [2010年02月17日(水)]

今日子供と買い物に行く際、駅の改札を通った。

ゆっくり歩いていると目の前から車椅子の少女が来る。

当然こちらは邪魔にならないように避けようとすると

かなりすごい勢いで突っ込んできた{走る}

あと少しで車椅子のタイヤに子供が激突しそうな勢いだ

なんとか回避したものの、その少女は私達をチラっと見て

なんと舌打ちしたのである

「チッ、おまえら邪魔なんだよ」と心の声が聞えてくるようだった

あんたねえ…そりゃ違うでしょうよ



最近この手の問題すごく多い気がする

例えばかなりの障害を持った我が子を

無理やり普通高校に入学させたがる親

子を持つ親としてその気持ちはわからないでもない

でもね…自分で何ひとつ出来ない子が学校生活送るには

周囲の生徒の誰かが世話をして犠牲にならなきゃいかんのよ

地方で実際にあった出来事を例に出すと

とある学校で気の弱い女の子が障害を持った生徒の世話係を

任されてしまう

当然お世話が忙しくて授業も身にならない

疲労困憊である日ついに体調を崩し学校を休むと

障害児童の親御さんからの電話



「ちょっと勝手に休まれたらうちの子が困るじゃない!!!!」

これまた良識のある人間の言葉とは到底思えない

でもこれに少しでも反発しようもんなら

「差別だ!障害者への、弱者への差別だ!!!」

とまたやっかいな人権団体とやらもしゃしゃり出て学校も大迷惑ってなパターン

おきまりですよね

他の皆にだって人権はある

誰にでもあるんだよ

生徒達それぞれにこの先の人生があって

将来の為に勉強してるんだって

そりゃ家が裕福なら高い私立中学や高校に入れて

こんな悩みもなく勉強に集中できるかもしれない

でも一般人は大抵経済的にも公立に行くことになる

そうなると金持ちはますますエリートコース。一般家庭の子は

そこそこ…もしくはこんな事件で勉強に集中出来ないこともある

話は戻って

その世話係の女の子は結局どうなったかと言うと…

親が別の高校に転校させたそうです


文句も言えない、言えば障害者差別と言われ、かといってまた学校に行って

世話係になるのもしんどい、もう残るは転校しかないっしょ

それも小さな田舎町だと近所の噂になりかねないよね

「あの子は障害児童の世話が嫌で転校したのよ」

ってね

おかしいよどう考えても

養護学校とか専門の先生がいて、同じ境遇の障害を持つ子供達もいる

ちゃんとした場所があるのに(今は特別支援学校というのかな)


うちの子は違うの!他の障害児みたいにそんな特殊な学校には行かせたくないの

だから普通の学校に行かせてもらう!

世話??そんなの助け合いの精神でしょ?誰かが助けてくれればいいわ


それかこの子の為に専門の先生を1人いれば問題なしよ!

っていうかこれこそ差別じゃないかい?

養護学校には入れたくない。子供の希望と言うより親の願望でしょう。

我が子は果たしてどう思ってるのかね

皆に気を遣いながら、普通学校で過すことを

交流会という形でたまに普通校の行事に参加するとか

色々手段方法はあるはずで

障害を持ったお子さんにとって一番勉強しやすい環境を

作る事が親の役目なのではないか

勿論そこで誰かが強い犠牲を払うのだとしたらそれは違うだろう


この前もこの手のニュースがあったね…

自分でテストのページもめくれない、親が問題を代読…そんな状況で普通高校の

入試を受けた親子がいたけど…

何かと問題はるだろうけど、差別的だ!!とくだらない指摘ばかりせず

健常者も障害者も、その親御さんも対等に話し合える環境が必要だ

健常者側が差別発言と捉えられるのを恐れて何も言えない

そんな社会はやはりおかしいと思う

まるで、外国人参政権に反対したら「外国人蔑視だ!」

とわめきちらすのと同じだと思う

色々なことに区別は必要である

障害がある以上それは区別しなければいけない

区別した上で、いかに暮らしていくか

社会と馴染んでいくかを周囲と一緒に考えなければ