自分の何気ない日々をブログに・・

食べ物ネタが多いかも(^_^)v
どうぞお付き合いくださいね(^_-)-☆

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大変でした。 [2012年11月26日(月)]
お久しぶりです

3ヶ月以上も放置していました 放置している間に足跡を残して

いただいた方、本当にありがとうございます(*_*)


なんだかんだで11月も終わりに近い


ぼちぼちですが、ブログ再開しようと思います。


タイトルにも書いてますが、大変な思いをしました。

入院をしたわけではありません。

立ち直るのにも時間がかかりました・・・

焦らすのアレなんで、ここで気持ちをのこしたいと思います。


9月30日深夜0時17分、私の母が他界しました。

多器蔵不全でした。

1年前に退院して以来、調子が良くなったとは言えないけど

何もなく無事に過ごしておりました。

猛暑も乗り越え、「涼しくなったから何処かへ行きたいね」って言ってた。

亡くなる3日前「次女の運動会、一度も行ったことがないから行きたいわ」と次女に

電話をかけてきた。次女が「来てよね」って話をした。

次女と話をして、「あーちゃん(私の母)を招待しよう!電話かけよう!」と

固定電話に電話をしようとした矢先、父から携帯に電話が入った。

「お母さんが救急車で病院に運ばれた! とりあえず報告する」と言ってきた。

何回も入退院を繰り返しているから、パニックにはならなかった。

数時間後、兄から「ヤバイ!今すぐ病院に来て。」と連絡が。

主人に病院まで送ってもらい、母に会いに行った。

私が到着したときは、母は息を吹き返し話ができる状態に。

主治医の先生に呼び出され、父、姉、兄、妹、私に「心臓がもちません。今日が峠です」と宣告を受ける。

延命するかしないかの選択をせまられる。延命だと人工呼吸器を付けるが

話ができなくなる。

母本人に聞いてみた。「あんたらのお世話になりたくない。話できないのはイヤ。」

苦渋の決断、延命治療はお断りをしました。

いつお別れがくるかわからないまま、入院の用意をする。

母に「パジャマ持ってきたよ。」と見せたら、

「薄すぎるわ!!ちょっとは考えなさいよ!!」と

注意された言葉が私との最後の会話でした。

一旦家に帰り、子供の塾へ迎えに行っていた時

兄からの電話。もうダメだと覚悟を決めた夜。

病院に到着したときは母の姿は数時間前のしんどい顔ではなく

穏やかな顔をしていました。危篤状態で会いました。みんなで体や手を触り

「よく頑張ったね。もう楽になれるよ。兄弟でお父さんを支えるから

安心して。」みんな泣きながら声をかけた。


母はあっというまにこの世を去りました。





ここから大変でしたね。葬儀の手配など、戸惑うことばかり。




四十九日も無事に終えました。


関西の風習なんでしょうか?真言宗では重ね餅をお供えするんですね。







一番上の笠もちを お遍路さんの形に切り、丸餅をお弁当の形に。

珍しいのでカメラに収めました。



長々と書いちゃいました。
23:01 | この記事のURL
こんな私ですが・・よろしくね


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