前の記事の続きです → 『
東日本大震災 〜会社にて〜』
やっと会社から出られる。
少しホッとしました。
時計を見たら17時20分。
バスは17時30分に出発なので慌ててバス乗り場へ。
でも停電のせいで階段は真っ暗だったから降りるのに時間がかかったな。
私の携帯はバックライト付きなので照らしてみたらこれが意外にも先まで光が届く。
携帯
はこーゆー使い方も出来るのね
と少しお勉強になりました。
他のコはカメラ機能でなんとか足元を灯してたけど、私のライトが点いた時は感動してましたよ。
バスに乗ってからは徐々にみんなの顔にも明るさが出てきました。
外の状況が分からないのも不安だったからどんな様子かを知れてホッとしたし、内陸側に少しでも行けるのも安心した。
どこも停電で信号機も点いていなかったけど、警察の方が誘導してくれて交通はなんとか安全に保たれたみたいです。
ただ所々のマンションやビルは明かりが点いてたけどそれはなんでだろう。
同じ一帯でも停電している所とそうでない所がありました。
なので私たちは駅まで行けば明るくなってるだろう
と期待していたのですが。
実際はやっぱり停電で電車も止まってました。
それにとにかく寒い
ここ何日かは暖かい日もあったのに、よりによってなんでこんな時に寒いのか
モデルさんなんて着替えの最中での地震だったから慌ててて、撮影用の商品を着たまま出てきちゃってたし。
待機中は気付かなかったらしいです
お店も停電で営業していないので、駅前のホテルの非常階段で風をしのぎました。
途中、トイレに行きたくなって近くにある居酒屋サンに何人かと借りに行きましたが、真っ暗闇をろうそくを借りて入って・・・怖かったな。
結局駅に来ても電車がないし、どうやって帰ろうか
頑張って歩いても4時間はかかりそう。。。
それでも私は近いほうで、みんなは都内や横須賀方面ばかり。
そうこうしているうちに、すぐ近くに区の施設があってそこを開放しているとの朗報が
早速みんなでゾロゾロと移動しました。
建物内は非常電灯が点いていて明るいし、暖房こそないけれど暖かい
それから何人かは身内が車
で迎えに来てくれることになり、それを相乗りして帰ろうという話になりました。
でも東京方面はアシがない。
そのうちここも非常電灯が尽きて真っ暗になるとのこと。
結局、東京方面チームは歩いて次の場所を探すことにしました。
あとで聞いたところ、ある小学校の体育館が開放されてて、そこで一夜を明かしたそうです。
電車は翌日のお昼に動き始めたので家に着いたのは翌日の夕方。
「帰宅難民」という言葉はこの地震で初めて聞きました。
私も派遣サンの妹サンが迎えに来てくれるとのことで、有難いことに乗せてもらえることになりました。
こんな状態では道路も渋滞だろうから申し訳ないので歩いて帰ろうと思ってたのですが、もう一人私と同じ方面の方がいて。
彼女は乗って行くとのことだったので私も甘えさせていただきました。
迎えに来てくれた派遣サンの妹サンの話では、いつもなら30分で来れるところが1時間半かかったとのこと。
正直、私としては3時間以上かかると思ってたので早いと思いました。
が、彼女の地域一帯は大きな揺れはあったものの停電はしてなかったので、向かうにつれて信号が点いてなかったりするのに驚いたそうです。
初対面の私たちをこんな渋滞のなか送ってくれることに有難いやら、申し訳ないやら。
ホントは横浜駅付近で降ろしてもらってあとは歩いて帰ろうとしてたんだけど「こんな状況だから家の近くまで送ります」と言ってくださって・・・
派遣サンは最近入られた方なのであまりしゃべったことがなかったのですが、車内で色々とお話が出来てそれは嬉しかったです。
私が家に着いたのは23時半。
正直、あの状況でその日中に家に帰れるなんて思ってもいませんでした。
上り方面の道路は全く動かず。
それを見たときは派遣サンと妹サンはちゃんと帰れるのか心配でしたが、どうやら彼女たちの家の方面は空いていたそうです。
お礼として取り急ぎガソリン代を渡してたのでちゃんとガソリンも入れられたそう
よかった。
私は、運が良いのかもしれません。
だって車中からの光景は、もう夜中なのに大勢の人がぞろぞろと歩いてるんです。
どこから来て、どこまで帰るのか。
私も、派遣サンとその妹サンがいなかったら同じように歩いてたでしょう。
感謝してもしても、足りないくらいです。