昨日はおじいちゃんちへ新年の挨拶へ行く途中にひどいめに遭いましたが、
おじいちゃんちだけでも結構辛かったのに、夫はそのあと実家に寄ると言い出しました。
義父がおじいちゃんちに忘れて行った帽子を届けるためです。
おなかの具合も悪いし、安定剤も持っていなかったし、先に家まで送ってほしいと頼んだけど、
夫は、「あんたも行ったほうがいいよ。とって食ったりしないから。」
というわけで、半年以上の沈黙を破ることになりました。
畏る畏る、新年の挨拶を述べ、帰省の土産を手渡す。
義父はわたしに笑顔を向け、義母は息子の遊び相手をしていて、わたしとは目を合わせなかった。
「その後
掃除はどうなったのか」という最も恐れていた質問は一切なかった。
何もなかったかのように、とはならないが、わたしを受け入れてくれたと思った。
遅かったので、あまり長居はしなかったが、
帰り際、義父が、「実家の両親は元気だったのか」ときいてきた。
前々回の記事にも書いたが、父の酒浸りと、お金がないことが問題だと正直に告げた。
義母が、「向こうに住んで実家を助けて欲しいとか言われないの?」ときいてきたが、
やせ我慢が得意で、結婚するまでにたいしたこともしてやれなかったと思っている父だから、
結婚したあとまで娘の幸せの足手まといになるのはいやだと思っているようで、
そういうことはいってこない。
弟が一人いるが、生計は別で、そちらはそちらでなかなか苦しいようだ。
できれば助け合って暮らして欲しいのだが……、
わたしが居辛いと感じる家だから、弟だって寄りつきたくないのだろう、
実家で生活するにはよほどの覚悟が必要だと思う。
わたしが向こうに住むのでなく、両親がわたし達のもとへ来るかたちで面倒を見るなら、
それならいいかな、という気もしている。
家事は母に手伝ってもらえるだろう。養ってやるのだから、父の酒も強制的にやめさせる。
夫は勝手ができなくなり、遊んでばかりはいられなくなるだろう。
息子も学校から帰って来ると家に誰か居るから、
わたしも安心して残業がある日はがんばって仕事ができる。
しかし、ここはわたしの家ではない。わたしはここの嫁という立場だし。
両親だって、慣れ親しんだ土地を離れて新しい土地で生活するのはストレスだろう。
義父が、父の仕事選びには甘さがあると指摘した。
家に帰って一杯やるのが最大の楽しみだと言うなら、
それができるだけのお金が稼げる仕事を見つけないとならないだろう。
60歳ちょい過ぎならまだ仕事はあるはずだ、と。
わたしもそう思う。
そうだとしたら、わたしが生半可な気持ちで少しばかり仕送りをするのは、
その甘さを増長させるだけなのかもしれない。
やはり遠くの親より近くの他人か。
わたしの親は、夫の親であるこの人たちしかいないようだ。
嫁としても、がんばっているな、と思ってもらえるようにしたい。