ようこそ、rosemaryのブログへ。


大切な過去記事は宝箱の中にしまっておくことにしました。
コメント欄はすぐ対応が可能なときのみ再開する予定です。

2009年07月  >
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
fxwill.com
最近の記事です
カテゴリアーカイブ
マイコレBOX
バレンタインの思い出 [2009年02月14日(土)]
今年は14日は土曜日だし、昨日も会社は休みだったし、明日も休みだし。
会社で木曜日に早めのバレンタインが行われたのかどうかすらもわからない。
わたしは出勤時間が遅いので、イスの上にそっと紙袋が置かれているところへ、
管理者たちが出勤してきて照れくさそうにそれを回収するところは見ることができない。
そして、わたしも今年は敢えてなにもしない。
せいぜい息子へ、つめ放題チョコをやらせたくらいなもの。

女子が男子へチョコレートを贈るという習慣が、
チョコレートメーカーの仕掛けた商業的戦略によって作られたものだということは、
担任の先生に小学高学年のころに教わった。
それより前だったと思う。あの甘酸っぱい出来事があったのは。
続きを読む...
Posted at 21:00 | 追憶 | この記事のURL
つよくいきるとは?:4 [2008年09月14日(日)]
直前の記事「つよくいきるとは?:3」の続きです。


思えば高校3年の頃の十二指腸潰瘍は、過大なストレスによる心身症であったのだ。
その後、高校を卒業してみんなと離れると、
わたしは劇団からはフェイドアウトして、仲間とはなるべく会わないようにした。
報われない先生への思いを断ち切るために、新しい恋もした。そして恋にやぶれた。
そのときそばにいてくれたのが、今の夫だった。

ある意味、わたしは新しい環境に流されまくりであった。
「成長するため自分に向き合うことから逃げて、楽になることを求めてオトコに走った。」
劇団の仲間達からはそう見られてもしかたがない。
きっとそう見られているだろう……という思いから、あの喫茶店の前を通れなくなった。
続きを読む...
Posted at 06:43 | 追憶 | この記事のURL
つよくいきるとは?:3 [2008年09月13日(土)]
直前の記事「つよくいきるとは:2」からの続きです。


演劇部のみんなももちろんマスターを礼賛していた。
高校を卒業してもこの劇団に残ることが、演劇部員の正しいあり方のように、
部員のあいだでは言われていた。
「人生、どんな仕事につくかよりも、どんな仲間と生きるかが問題だ」といわれ、
わざわざこの劇団から離れて進学しようなんてとてもみんなにはいえない。
だいたいが地元に就職するか、地元の学校に通うことを選んだ。

そうでないと、
「逃げるのか? 流されるのか?
ここにいればいい人生が送れるとわかっているのに。」
という目を仲間から受けることになるのがわかっているから。
続きを読む...
Posted at 21:22 | 追憶 | この記事のURL
つよくいきるとは?:2 [2008年09月13日(土)]
直前の記事「つよくいきるとは?」の続きです。


わたしが落ちこんでいるのは、部活の先輩にすぐに見抜かれた。
「何か悩んでいるなら、マスターに相談するといいよ」と言われた。
マスターは、その集団の中ではかなりのカリスマ性を発揮していて、
何も知らなかったわたしから見ても、只者ではないオーラが出ていた。

何かに縋りたい気持ちだったのかもしれない。
いまでは考えられないことだが、
その日すぐに、畏れ多くもマスターに直接会いにいった。
続きを読む...
Posted at 20:49 | 追憶 | この記事のURL
つよくいきるとは? [2008年09月13日(土)]
高校生の頃は演劇部に入り、みんなで創作脚本による芝居を年一本、
大会のために仕上げていた。部としての定期公演などは無かった。
年一本なのに、土日もなくほとんど毎日部活していた。
思えば、部活動以外にかなりの時間を、地元のアマチュア劇団の皆さんと過ごしていた。

この劇団は、ある喫茶店のマスターが主宰で、
演劇活動以外にも、福祉活動や草野球など、いろんなことをやっていた。
部の先輩たちがその劇団に出入りしていたので、
わたしも自然と、その喫茶店に通うようになった。

ここで、わたしは、たくさんの大人と出会い、いい話もたくさん聴き、
ある意味、子どもを卒業した(決してイヤラシイ意味ではない)。

ここからはちょっと辛い話になりますので、見たくない方はご遠慮下さい。
続きを読む...
Posted at 18:51 | 追憶 | この記事のURL
ハナダイコン [2008年04月04日(金)]

この植物は、今わたしが住んでいる地域では雑草同然の花です。
名前をハナダイコンといいますが、大根の花ではありません。
アブラナ同様、日当たりのいい肥沃な土地を好むらしく、
よく道路脇の並木の下などに自生しています。



この植物は、わたしが生まれ育った地域には自生していません。
この地域で暮らし始めた7年前の4月に、初めて知った植物です。

生まれ育った地域と、今暮らしている地域。
どちらも田舎で、冬は寒いし夏は暑くて、
大して違いがないように感じるけれど、
植生が違う場所に来てしまったことに気がつくというのは、
わたしにとって結構ショックでした。
とんでもなく遠くに来てしまったように感じて。


以来、この花が咲く4月になると、
ここで暮らし始めたときの心細さを思い出してしまいます。

写真、ボケボケでスミマセン(汗)
Posted at 20:03 | 追憶 | この記事のURL
昔の仲間と語らう夜 [2007年09月30日(日)]
何の仲間かはちょっと説明が難しいのですが、
大学のとき、ある活動を共にしてきた仲間たちが、
後輩の呼びかけで5世代ぐらい集合しました。
わたしたちはそのなかでは最長老の学年。

当時は先輩後輩で、
どうしても活動に対しての熱意や技術に差がありました。
しかし今集まっているのはみな、
4年程度の活動期間を終えた、
同じオトナの人間なのだなぁとつくづく思いました。

今回の中心メンバーだった後輩たちの、
仕切りの上手なこと。
また、現在のメンバーの活動について、
当時と比較しながら熱っぽく語る姿は、
わたしたちがいなくなってからもしっかりと、
ポリシーをもって活動してくれていたことを物語っていました。

それから、
子どもと一緒に遊んでくれる後輩たち!
かあちゃんはおかげで心置きなく飲み、語ることができました。
子どもがすっかりなついて、いいパパになれそうな後輩。
そういうオトコの人っていいよねぇ〜♪
もう既にいいパパの後輩もいます。
もと幼稚園教諭もいます。
感謝です。


夫も、当時の仲間の一人なのですが……、
今回は不参加でした。
仕事の都合で休みが取れません。
(同じ理由でわたしの実家にも結婚以来一度も顔を出してません。)
みんな、楽しみにしていたんだろうけど……、残念。

みんな、また会おうね。
Posted at 22:29 | 追憶 | この記事のURL
報われない片思いの思い出 [2007年09月02日(日)]
高校生の頃、先生に恋をしました。

授業中脱線して、
「生徒には絶対に手を出さない」
と言ってました。
いまでもわたしは信じてますけど。

「恋人ができたらみんなの前ででんぐり返ししてやる!」
と言って、
数ヶ月後にはホントに、
教壇の上ででんぐり返しさせられている先生を見たとき。

笑うクラスメイトたちのなかで、笑えていないわたし。
なんとも言えない感情が沸き起こっていました。

そのとき、わたしは気がついたのです。
この人に恋をしている自分に。

卒業するまで、ほとんど毎日のように、
職員室に通いました。
わたしが先生に思いを寄せていることは、
誰から見てもわかっていたみたいです。
告白なんかはしていない。でも、
勿論先生本人も知っていたと思います。
ときどき先生の家に電話かけちゃうくらいですから。
先生は、動じないでしょうもないわたしの相手をしてくれた。

できれば、卒業して、
先生と生徒じゃなくなったら……、
なんてことも考えたこともありますけど、
恩師と教え子には変わりありません。
いつまでもそのときのままの関係です。

わたしは先生と机を並べて仕事をするのを夢見て、
教員免許をとれる大学に、
奨学金をを掛け持ちして、親戚にお金を借りて、
やっとの思いで、入学。
卒業後は1年常勤講師を務めた後、
晴れて教諭に。

おまけですが、
教諭として他校へ異動するわたしの後任に、
彼(←先生ね)が着任したんですよ……。
まったくニアミスです。

用事があってその学校に行ったとき、
高校生のわたしが書いた小論文に、
先生がみっちり添削している原稿用紙のコピーが、
生徒に配られ、授業で使われたことを、
生徒から聞いて知りました。
(実はわたしも自分の授業で使いましたが。)

先生は当時のものを何でも保管していて、
大学の合格通知のコピーまでとっておいてくれてました。
そしてなぜか一緒に映っている写真を持っていて、
「おまえにやる。」とくれました。


教諭としては、二年しか勤めていません。
動機が不純なもので、
実力に無理のある仕事は続かなかったんですね。
大学時代からの付き合いで、
他県に就職した夫との結婚を機に、退職しました。


いまでも年賀状のやり取りは続いています。

今は先生には奥さまもお子さんもいて、
幸せな家庭を築いていらっしゃる。

先生がご結婚されたのは、わたしが大学生のとき。
わたしは苦しい恋から逃げるように、
そのとき既に、今の夫と付き合っていました。
心から、先生の幸せを祝福できる自分になっていました。
Posted at 22:39 | 追憶 | この記事のURL
スピリチュアル体験 [2007年08月20日(月)]
それはわたしがまだ4歳くらいの幼い頃。


当時、弟が生まれたころで、
夜は祖母と一緒に寝ていました。

ある時期、毎晩のように泣くようになり、
家族は途方にくれました。

わたしは覚えていませんが、
「ヘビがいる」といって泣いたんだそうです。
朝起きると、覚えていないのです。

誰かの勧めで、
わたしはお払いにつれて行かれる事になりました。


御払いをしてくれる霊能者の方がいうことには、

わたしには母の姉にあたるおばがいて、
当時のわたしの歳の頃に亡くなっています。
そのおばが、
自分の母親、つまりわたしの祖母と、
一緒に寝ているわたしをうらやましく思い、
いたずらをしに現れている。
ということでした。

甘えたい盛りに母親と一緒にいられなくなって、
よほど無念だったのでしょう。


御払いを受けると、
その後、わたしが夜泣くことはなくなったそうです。


わたしの霊的体験はこれっきりです。
Posted at 21:09 | 追憶 | この記事のURL
おともだち募集中! こんなわたしで良かったら♪

おすすめサイト

http://www.dhcblog.com/koinochikara/index1_0.rdf
ログイン
Mypagetopに戻る