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dekiru桜
能楽堂です [2008年11月30日(日)]
小鼓の素人さんの会に お邪魔してます♪

プロがおシテの舞囃子と能楽を

堪能してます(^o^)

能 猩々 のシテ 可愛いかったです〜!!

これから 能 羽衣

天女の舞を 目の前に観られるんですよ(^_^)

幸せです(^o^)v


写真は 昨日の紅葉

燃えるようでした


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posted at 13:38 | 能楽 | この記事のURL
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老いて舞う [2008年11月09日(日)]
 昨日はお素人さんの能会にお邪魔してきました

お昼頃 ちょうど雨も上がったところを 大阪能楽会館まで

お仕舞い 山姥キリ(やまんば)
舞囃子 玄象(げんじょう)
舞囃子 邯鄲(かんたん)
舞囃子 葛城 大和舞(かつらぎ やまとまい)
舞囃子 西行桜 (彩色)(さいぎょうざくら いろえ)


この中で ひときわ印象深かったのが

西行桜でした

この舞囃子というのは 能楽のもっとも動きのある
クライマックス部分だけを取り出して
能衣装を着けずに囃子と謡だけで舞うものです

西行桜と言う能のストーリーを簡単に紹介すると

西行が花見に訪れる人々を厭わしく思い でもしかたなく共に花見をします
するとその夜の夢に、桜の古木の精が老体の姿で現れ、無心に咲く花に何の咎があろうかと、西行を諭します やがて都の春の有様を讃えつつ楽しげに舞い、夜明けと共に姿を消します


というもので 舞囃子はその最後の部分 都の春を有様を讃えつつ舞を舞い姿を消すところです

で・・昨日は彩色という 小書きが付いていましたので

序之舞はなく グルッと舞台を一周するだけでした

と言うのは 昨日のおシテさんは 80才を超えてらっしゃるような

ご老体(女性)だったのです

序之舞が無くても舞台に立つのは20分を越えます

ゆっくりとたどたどしくも見える 足取り・・・

でもきっと何十年もお稽古を積み重ねてきた方だと思います

歳を経て 立ち上がるのもキツイご様子・・・

でも その姿からは桜の老木の精の姿がお見受けできるのです

あんな老女になりたい・・・って思いました


(響の会 ホームページより拝借)

この写真のように モノクロの墨絵のような能という気がします

posted at 14:59 | 能楽 | この記事のURL
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能 殺生石 [2008年09月26日(金)]
 
昨日の能は 大阪能楽養成会の「殺生石」という能でした

この養成会の能会は プロのが練習の成果を発表する場です

若い方たちが一生懸命舞台を勤めている姿を見るのが好きで

よく出かけます(無料ですし・・)

ストーリー
玄翁という高僧が(栃木県)那須野の原へさしかかると 空を飛ぶ鳥がある石の上を飛ぶと落ちるので 不審に思って見ていると 一人の里の女が現れ(↑の女の人)
「その石は殺生石といい、人畜を害する恐ろしい石だから、近寄らないように」と注意します
玄翁がその由来を尋ねると、女は
「昔 鳥羽院につかえていた玉藻ノ前は 才色兼備の女性で帝もお気に入りであったが 実は妖孤の精であった
帝を悩ませようとしたけれど その正体を見破られたのでこの野に逃げこみ 殺されて その魂が殺生石になったのだ」と詳しく語ります
そして、実は私はその石の魂であるとあかして石の中に隠れます。

<中入>

玄翁が石に向かって仏事を営んでいると、石は二つに割れ、中から野干(狐)が現れます
野干(狐)は殺生石になった有様を語って舞い あなたの供養を受けたので 以後悪事はしないと誓って消え失せます


(写真は2枚とも 浦田家写真館より拝借しました 
↑野干(後シテ)が石の中から現れるところ

前シテの里の女は 実は玉藻の前という妖孤の精(化生の身)ですし

ただの綺麗な女の人・・ではないのですよ

後半は短いのですが こういう妖(アヤカシ)や鬼等が主人公の能は

豪快で派手な動きも多く面白いです

ウチのダンナも「これは面白かった」と言ってました


今回のシテは多久島法子さんという若いお嬢さんで

浴衣会でもお世話になっている方です

しっかり 謡って 舞ってはりました

立派な能楽師になって欲しいです

posted at 11:28 | 能楽 | この記事のURL
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能 巴 [2008年07月14日(月)]
 昨日NHK教育で 狂言と 能 巴 を放送していました

巴は去年12月21日にも 舞台で観て を書いているんですが

読み返すと・・・もう一つなので もう一度書かせてもらいます

ストーリー 
木曽の僧が京へ上がる途中 栗津原で
松陰の社に手を合わせ 涙を流している女に出会います
僧は不審に思い言葉をかけます
女は 僧が木曽の人であると知ると
「この社は僧と同郷の木曽義仲を祀っているのです
どうか義仲の霊を霊を弔ってください」と頼み

自分も亡者であると言って 夕暮れの草の陰に消え去ります
<中入り>

 僧が回向しながら夜を過ごしていると
甲冑姿の巴の亡霊が現れ 巴の亡霊は義仲の最後の様子を物語ります

義仲の自害の時 供するよう懇願したものの許されず
形見の小袖を木曾に届けなければ 主従3世の契りを絶つとまで言われ
巴は恨めしくて涙を流します

なおも追いすがる敵を見て、巴は
主 義仲を松陰に置き 一人で奮戦し追い散らします
戦い終えて帰ってみると 主は既に自害して果てています

巴は泣く泣く武具を脱ぎ小袖を被り 義仲の小太刀を抱いて
心を残しつつ木曽へ落ちて行きます


巴は一騎当千の猛将だったと言われていますが

義仲との別れの場面は女性らしい哀愁感がただよい

強い女武者との対比が感じられました

みどころは長刀をうち振るう戦いの場面と言われています

確かに長刀を振り回して敵と戦う場面は後半に少しありますが

よくある男性が長刀を振るう時のような 激しいものではありませんし

あくまで女らしい舞のような戦いぶりです

それよりも この能は 女ゆえに夫であり主従の関係でもある

義仲と一緒に死ねなかった巴の心

恋慕の想いが恨みの情に変わった巴の心情を表した能だと思います



posted at 14:50 | 能楽 | この記事のURL
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能 碁 [2008年07月13日(日)]
 昨日の続きです

まず昨日の 源氏物語のを読んで頂くと 分かりやすいと思います

能 

ストーリー
常陸の国の僧が都に登り、三条京極 中川の旧跡
(源氏の方違えの宿)を訪ねると そこに尼姿の艶かしい女性が現れ 
今宵はこの宿で碁を打ち僧の旅情を慰めようと言う

僧と尼僧が昔この場で行われたという 
空蝉と軒端の荻の 碁の勝負の事を話していると
女性は自分はその空蝉の霊であるとあかして姿を消す
<中入>

 僧が木の下で臥していると、艶やかな姿の空蝉と軒端の荻が現れる
空蝉は碁について語り 軒端の荻と共に『源氏物語』の巻名尽くしの謡
(絵合・竹河・桐壺・箒木・夕顔・玉鬘・真木柱・梅が枝・紅梅)を謡ったのち
碁盤を挟んで対局する
すると空蝉は負け それによって心に動揺が生まれ
過去の源氏の思慕や苦悩が蘇ってきて
悲しい舞 (中之舞)を舞う
そして、その空蝉の名の基となった薄衣を碁盤に脱ぎ捨てて
層の回向と碁の功徳のおかげでその悲しみもなくなりましたと姿は消えうせる



昨日も見ていて・・・?と思ったところ

最後の舞の部分 舞っている空蝉は一体誰なんだ・・・と

光源氏の想いが憑依しているように見えたんですが

今 整理して やっぱりそうだと思いました

シテの空蝉は赤松禎英さん 

ツレの軒端の荻は山本博通さん

緋の長袴をつけて お二人とも綺麗だったんですが

前シテとして登場した尼層姿の空蝉の化身

ぞくっとしました


posted at 09:58 | 能楽 | この記事のURL
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源氏物語 帚木 空蝉 [2008年07月12日(土)]
 今日は能楽を見に行きました

源氏物語の「空蝉」を題材にした「碁」という

復曲された能楽です

最初に演じられたのは1400年代の金春太夫だそうで

明治と昭和に金剛流によって演じられ 

観世流では平成13年に梅若六郎さんと大槻文蔵さんとで 復曲されました


今日はまず 元NHKアナウンサーの葛西聖司さんと

東大阪が生んだ政治家 塩爺こと塩川正十郎さんとの

碁に関する対談の後(塩爺さんは囲碁6段だそうで今日の舞台で使った

碁盤も貸し出されたそうです)

葛西さんの源氏物語 「帚木」ははきぎと「空蝉」の解説がありました

「帚木」の巻では「雨夜の品定め」という 男の身勝手(笑)な女性評論会があるのですが

それがベースとなり 光源氏が人妻である女性「空蝉」を無理やり犯します


そして「空蝉」の巻では 光源氏は空蝉と義理の娘 軒端の荻(のきばのおぎ)との

碁を興ずる姿を盗み見て 初めて空蝉の顔を見るのです

女性としては軒端の荻のほうが 美しく豊満だった様で

空蝉は大した容姿では無かった様ですが

それでも 源氏は空蝉に恋慕の想いをつのらせ

その夜 二人の寝所に忍び込みます

空蝉は寸前のところで 薄絹を脱いで残し 逃げてしまい

光の君は残っていた軒端の荻を相手に 事に及んでしまいました

まぁなんということを〜 

途中で人違いと気付いても(そら気付くわな。。)

知らん顔で最後まで行ったそうです(何処に行ったなんて聞かないでね笑)

その薄絹を脱ぎ捨てたという事で「空蝉」という名が付いたんですが

この能はこの物語を題材に 作られたのです

長くなりました

能楽のストーリーなどは又 明日にでも

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能 杜若 [2008年06月07日(土)]
 一気に 能 杜若 も


能との出会いHPより 拝借

ストーリー

 諸国を廻る旅の僧(ワキ)が、三河の国にさしかかると、
杜若の花が今を盛りと咲き乱れています
あまりにの美しさに立ち尽くして眺める僧
すると、どこからともなく若い女(シテ)が現れて呼び止めます
女は沢辺にかかる八橋の謂われや、その昔、在原業平が詠んだ歌

 らころも  つつなれにし ましあれば
    るばるきぬる  びをしぞおもふ

を僧に語って聞かせます(歌の中に かきつばた が入っています)
やがて導かれるままに女の庵を訪れた僧の前に
歌にある唐衣を着、業平の冠を着けて美しく装った女が現れ
杜若の精と明かし 舞い始めます
草木の身ながら成仏できたと シテである杜若の精は
そのことを感謝しながら 夜明けのほの明かりへ消えていくのでした


主人公は 杜若の精で
それが 女の姿で 業平の冠をつけて 舞います

夢現の世界を漂ってまいりました

posted at 21:12 | 能楽 | この記事のURL
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能 土車 [2008年06月07日(土)]
 今日は 素人じゃない プロの能を観てきました

能 土車 と 能 杜若 です

まず 土車(つちぐるま)から

ストーリー

深草の少将(ワキ・通小町に出てくる男と同姓同名ですが別人)が
妻に先立たれ、幼子を捨てて出家して旅に出てしまいます
養育係の小次郎(シテ)は、幼子(子方)とふたり
物狂いの遊芸者に身をやつして、主君を捜す旅に出ます
それは人が集まる所で芸を見せれば、会えるかもしれないとの思いからで
土を運ぶ車に幼子を乗せて旅をします
さて出家者が集まる信濃善光寺の前で 
シテは物狂いの舞(仕舞い部分)を舞います
主君深草はその様に気がつき 子どもに名乗りを上げようとしますが 
やはり一度は絆を断ったのだからと思い直し立ち去ります
父に会えない子と家臣は とうとう思いつめて 川に身を投げようとします
そこに諦めきれず 戻ってきた深草の少々が現れ 
二人の身投げを止め 名乗りをあげます



どうにも写真が見つかりませんでした謡本の挿絵です


男の直面(ひためん・面をつけない)の役で物狂い

顔の表情で演技をしない能独特の表現の難しさがあります

今日はかっ鼓をつけた笹の葉を持って舞っていました

普通はお腹辺りにかっ鼓をつけて舞う事が多いようです

二人が身を投げようと 舞台正先まで迫ってきた時・・・ぞくっとしました

今日の養育係(シテ)と主君の子ども(子方)は実の親子なのです

posted at 20:59 | 能楽 | この記事のURL
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能 鳥追舟 [2008年06月05日(木)]
 今日も 先週に引き続き「鳥追舟」の仕舞いのお稽古をしてきました

浴衣会まであと5回お稽古日がありますが

ここで能「鳥追舟のお勉強を

あらすじ

 薩摩の国の日暮某(ワキ)は訴訟の為上京し十数年になる
留守を預かっていた家臣の左近の尉(ワキツレ)は
主君の子の花若(子方)に田の鳥を追わせようとする
花若の母・領主の妻(シテ)がそれはあまりに情けないと止めると
追わないのなら 母子とも家から出て行けと言われてしまう
仕方なく 母子は鳥追舟に乗り 涙ながらに 鳥追いに出かける
帰国した日暮某はその様を知り 左近を斬り捨てようとするが
妻に「長年妻子を捨て置いた 貴方の咎でもあるのです」と
止められて赦す。その後 家は栄えたという



この中の 舟に乗って鳥を追う場面が

「鳥追舟というお仕舞いです

やはり この能の一番の見所でしょうね


 (粟屋能の会HPより拝借)

白いわっかの様な物は 能楽で使う 舟です

お仕舞いの型としては 実際に鳥を追う仕草をしたり

夫が家を出て妻子が捨てて置かれた恨みの日々を指折り数え

涙を流し 想い乱れて しどろもどろに鼓を打ちます
              (鳥を追うための鳴り物ですね)

仕舞いに(狂)と付いているのはこう言う

思いが乱れた様子を舞うという意味ですね
 


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能の型の意味 [2008年05月28日(水)]
能の所作 型の意味

お友達のrie−bさんから 能の所作の意味を質問されました
とても難しいのですが 今の私の思うところをまとめました
ですから 必ずしもこれが正しいとは考えないで下さいね

まず 大きく三つに分けてみます

1・写実的なもの

「シオリ」少しうつむいて掌を目の前の方にかざす・・・涙を押さえる様子

「指折り」左手を前に出し指を折って数える・・・月日を数える事が多い

「聞心」少し身体を前に折る・・・聞く様子をあらわす

「打つ型」 鼓などを打つ型の時に右手で実際に打つ様子をあらわす 
       扇の要を前に持ち替える事も

他にも色々・・・

2・抽象的で意味を持つもの

「ユウケン」広げた扇を右上に跳ね上げる 両手でする事も・・・
       喜びや感情の高まりをあらわす

「足拍子」例えば雷の音を足拍子の音であらわしたり 
      海に飛び込む時に二つ拍子を踏む事も(ド ボンと言う感じ)

「雲扇」扇を広げ右上の方をさす 左手も合わせて左下に広げる・・・
     はるか遠く雲を眺める様子

山を見る時は少し上を見て 川を見る時は少し下を見ます 

能楽は面をつけている事が多いので 

視線だけ眼だけ動かしても何も見えません 

顔全体を動かしたり 身体ごと動かして見ます

他にも色々・・・

3・抽象的で意味を持たないもの

これが一番多くて一番難しいのです

例えば 立って構える この構え方で男か女か

鬼のような強いものかが分かります 

足の運びも同様です (これは2に入るかな?)

さし込み開きは初心者が最初に練習する型です
 
前に出ながら扇を前に出して止り 両手を広げながら3足で下がり

元の構えに戻ります(言葉で言うのは難しい)・・・

これ 特に意味はありません 

このように特に意味の無い型や所作が数多くあります

舞いながらこの型の持つ意味は〜なんて考えてはいません

拍子も2のように意味を持つものと意味の無い物とがあります

謡の調子に合わせて リズムをとっているようなのが多いです


そしてここまで書いて何なんですが 

舞の色々な型はその時々に応じて意味を持ったり持たなかったり 

意味合いが少し変わったりと・・・こうして考えると複雑ですね



それから 能の構え自体でも 身体にとても力をみなぎらせています

ほんと 静かな舞いでも本気で舞えば 汗びっしょりになります

「構え」と「すり足」は 本当に難しいです

とりあえず 今日はこの辺で・・

書き出すとキリがありません

何かご質問があればなんなりと どうぞ〜 

 また 一生懸命考えて

私に分かる事はお返事します



posted at 17:55 | 能楽 | この記事のURL
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