写真、美術、デザインに興味ありげな気まま主婦。
38歳で子授かり通院スタートし、40歳になりました。
一昨年2度目の採卵→顕微授精で着床したものの
5週目0日で流産。。。そして2009年10月20日、
初の凍結胚を移植後陽性反応が!
babyに会えるまで、あきらめませ〜ん!

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思えば一年前… [2010年02月24日(水)]
引っ越しの荷物に囲まれながらも
夫バジリコと心穏やかに過ごしている今日この頃。
バジリコの出勤が早く、朝は6時半には起床するので
睡眠の確保が難しいけれど、ゆるゆると無理をしないように
過ごしています。

今回香川に引っ越してきた2月14日。
昨年のその日は流産後初めての胚移植の予定日でした。

朝から天気がよく土曜日だったので
バジリコと少々浮かれながら一緒に病院に行きました。
が、待てども待てども名前を呼ばれず。
呼ばれたと思ったら
移植する部屋ではなく、先生とお話しする部屋。
採卵した卵の受精分割が止まってしまい
移植できないと言われました。

帰り道は二人とも言葉少なく、それでもバレンタインだからと
ケーキを買って帰りました。

その時のことを思うと、妊娠して、
お腹のヒトが順調に育っている今は夢のようです。

人には経験を通して学ぶ順番がそれぞれあるんだと思います。
私も子どもが欲しいのになかなか授からず
もどかしく焦り無念の日々がありました。
私にはそういう日々が必要で、それがあったからこそ
今の喜びをよりいっそう感じられ感謝できるようになったと
思っています。
40歳での妊娠は一般的には遅いけれど
私にはベストなタイミング。
この時である必要があるのです。
10:44 | この記事のURL
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強さの中に秘めたもの [2009年12月08日(火)]
昨日久しぶりに友人Rちゃんからメールが来た。
友達が新居を探していて、私とバジリコが以前住んでいたアパートの家賃が
いくらだったか参考のために聞きたいとのこと。

彼女とは私がバジリコと一緒に住む前の約4年間同居していた。

以前にバジリコと住んでいたそのアパートも、
彼女と一緒に探して決めた部屋だった。

結婚をいずれするというつもりで私がバジリコと同居を決めたとき
私たちが費用を出し彼女はワンルームに移り、バジリコが入れ替わりで
そのアパートに引っ越してきた。

Rちゃんは、私とは全く正反対の性格。
じめっとしたところが全くない、竹を切ったような性格。
あやふやなところがなく、いつも自分の意見を持ち
芯が通っている。
善悪の判断ができ、常識があり、強い女性。
かといって、堅苦しくなくたおやかでものすごく前向き。

彼女のサバサバした性格のお陰で、同居中もいろいろな問題解決ができた。
彼女のお陰で、いいとか悪いでなく、立場によって
物の見え方が全く違うのだということも学んだ。

メールの返事に、私の近況として念願の妊娠したことを伝えたところ
本題をそっちのけで、とても喜んでくれた。

40歳の高齢妊婦なのよね〜と言うと
「人生は60歳から!40歳なんてまだまだよ!
子どもが欲しいくてもできないひともたくさんいるんだから
Pちゃん(私)は大ラッキーよ☆」と言ってくれた。

この『子どもが欲しくても…』のくだりは
実は彼女自身のことではないかと思った。

彼女は自分の生い立ちの話しなどはあまりしないけど、
話しの流れの中にときどきさらっと触れる時がある。

幼い時に交通事故で姉を亡くしたこと。
いとこが自殺したこと。
仲が良かった友達が事故で死んだこと。
近年お父さんが亡くなったようだ。
病気かなんだったか忘れたけど片目はほどんど見えていないこと。
そして、自分は子どもはできないからというようなことを
言っていたことがあったような気がするのだ。

私からすると、こんなに不幸を見てきた人は多くはないと思う。

結婚を望んでいない風に見えるのは、子どもが産めないからという
理由なのかもしれない。

しかし、彼女の言動はそんなことを
みじんも感じさせず、明るく華がある。
辛い体験をしているからこそ、人の痛みがわかり、
生きていることそのものを謳歌しているようにも見える。

今回のメールを読んで、
改めて彼女の強さの中に秘められているものが
見えた気がした。
16:29 | この記事のURL
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不妊治療の一般認識 [2009年12月04日(金)]
先日ちょっとびっくりしたことがありました。

私が子授かり通院をして妊娠したことを知っている
80代の女性とお話をしたとき。

「出来たんですってね〜おめでとう!
テレビとかでは見るけど、実際に(体外受精で)できるなんてね〜」

とおっしゃいました。

(本当は顕微授精で授かりましたが、認知度が低いので人に話す時は
体外受精と言っています。実際顕微授精は体外受精の一種だしね)


そして、母にそのことを話したとき。
母は友達に私の妊娠の経緯を話すと
必ず驚かれると言っていました。

不妊治療で妊娠に至るということを知らないひとが
いるということに、私は驚きました。

たしかにね〜子どもを産む世代でなければ
昨今の不妊治療なんて、どこぞの人の話。

不妊治療をしていても、友達や親にも言わない人だって大勢いる。

いずれにしても、不妊治療で子どもを授かった人の割合なんて
出産経験がある人の中でもごくごく一部のひとたちなんだろうな。

なんてことを実感したわけです。

冒頭の女性には
41歳近くで初産の予定なんて言ったら
さらに驚いてしまうだろう思って、
敢えて言いませんでした^^;


余談。

私は子授かり通院のことを
両親はもちろん、友達にも話しているので
みんな知っています。
ただ、同じ状況の人がいないので、
友達とかも実際どういうことをしているのかまでは
知らないし、私も特に話しません。
でも心優しい友人たちは、会うたびに
体調は大丈夫?と気遣ってくれます。

今回妊娠してただ今3ヶ月半。
私が動ける状況ではなかったので
友達とはほとんど連絡を取っていません。

妊娠を伝えるタイミングはどうしたものかなぁ
と思案するこのごろです。。。
16:58 | この記事のURL
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凍結精子とスーツ [2009年07月26日(日)]
まだまだ梅雨が明けない九州北部。
先ほどまで土砂降りでした…

先日凍結しているマイダーリンの精子くんの保管期間延長の手続きをしてきました。

その帰り道、信号待ちしているときに何気なくみた紳士服店のショーウィンドー。
展示してあるスーツの下に見覚えのある金額。
さっき払った精子保管延長半年間のための金額と同じー!
31,500円也、チーン!

スーツと同じ金額ということに
軽〜くショックを受けつつも、
精子の方が私たちにとって大切だ
ひとり納得して帰りましたとさ。

ツールドフランスも今日で終わり。
別府&新城がんばれ〜

そして、明日の夫バジリコの2度目のシューカツ面接。
がんばれ〜トンカツで見送りました
12:13 | この記事のURL
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勘違い〜 [2009年07月09日(木)]
昨日届いたお祝いの包丁。
のしをよく見たら「祝御綿婚」と書いてありました。

確か結婚1年目は紙婚で2年目は綿婚だから、
結婚2年目おめでとう、ってこと??

あら、彼女ってば覚えててくれてうれしいわ
とっても嬉しい気遣いに、感激したのでした

その包丁、今日デビューしました
昨日から酢漬けしていた「このしろ」を切りました〜
あ、先日買ったひとパック4匹入150円のやつね

切れ味はさすがになかなか良いです。
こんなに鋭い包丁を使った事がないので、
ちょいと緊張します。

これさえあれば、魚担当の夫バジリコがいないときでも
大丈夫、な、はず
夫の出刃と柳刃は左利き用なので、私使えないんす
23:28 | この記事のURL
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カゴの中身 [2009年07月08日(水)]
ついつい見てしまう。
スーパーのレジで並んでいる時に
近くにいる人の買い物かごの中身。

先日はベビーカーに2歳くらいの女の子を乗せた
若い主婦らしきひと。子どもに源氏パイをあげていた。これって普通なの?
第二子がお腹にいる模様。
カゴの中には2ℓの清涼飲料水数本。他は覚えてないけど
旦那さんが飲むのかもしれないけど、
それにしても体にいいものとは思えない。

…でも出来ちゃってるんだよねー子ども二人も。

かたや、毎日の食事には気を使い、
甘いものや添加物の含む物をほとんど買わない私。
その日はこのしろ4匹150円ひとパックのみ^^;

それでもなかなか授からない。

神様は不公平だ

と、つい思ってしまう。

そりゃー彼女にだって大きな悩みがあるかもしれない。
何が幸福かなんてひとそれぞれ違うのはわかってるけどねー


誰を責めている訳でもありません。単なる独白です。


私があと5歳か10歳若かったら出来てたのかなー

とか思ったりもするけど、

そうだったら相手は今の夫バジリコではないわけで、
でもバジリコ以外の人との結婚なんて、
今までの私の経緯を考えるとありえないわけで…

やっぱり私的には子どもを授かるタイミングは
今しかないわけで。チャンスはあと数年あると思ってるけど

     

結婚祝いの包丁が届きました
フルネームの名前入り(笑)
結婚一周年も過ぎていますが、
私も送り主の彼女が結婚したとき一年くらい経ってから
お祝いを贈ったので、合わせてくれたのかな?(笑)
正直、私はお祝い送ったのにあちらからはこなかったら
今後のおつきあいはどうしよう、と思っていたので
ヨカッタ これでおつきあい続けられる


      

来月始めには凍結胚移植に向けての初内診。
凍結胚移植は初めてなので、はたして
どんなことをするのやら。
体がいい状態でありますように。
22:13 | この記事のURL
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就活。 [2009年06月10日(水)]
先日の夫バジリコの面接の結果の連絡があったそうです。

残念でしたとのことでした。

うーん。

世の中うまくいかないねぇ。

外は雨だし、なんだかすっきりしない気分。



昨日は一日ヒッキーを決め込みました。

でも誰にも会わず外にも出ないと言うのは
なんだか虚しい。

昼間寝すぎて夜あまり寝れず
翌朝つらい。

夢の中で、私が言った一言でバジリコが怒り
荷物まとめて家を出て行きそうになりました。
怖かったー。

なんだか負のスパイラルに入った模様??

どこかで打破しなければ。



私とバジリコが結婚式をした神社に初めて行った時に
ひいたおみくじをトイレに貼っているのですが、
読むたびに納得&そう願わずにはいられません。

『ちからある限りに 今を生きてあれば 
            神のめぐみの 幸せは来む』 


夫とふたりで暮らせることが幸せなんですよね。
そういう縁に出会えたことに感謝することにしましょう。

あーインターネットに感謝。 何を隠そう夫とはmixiで知り合ったのです(笑)
09:57 | この記事のURL
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若さと勢い [2009年01月26日(月)]
今日はバジリコと
私が以前働いていたところで知り合った女性の
お宅へおよばれに行った。

そのひとのご家族がそろって迎えてくれ、
とても楽しいひとときだった。

その女性と一緒に働いていたときや
私が辞めてからも、よくご招待してもらっていたが
そのころ高校生だった長女がいた。
イギリス留学志望で、その母であるその女性が
イギリス留学経験のある私に相談してきたこともあった。
長女はとても聡明で、大人びたところがあるな
と当時独身だった私は思った。
30過ぎても結婚相手も彼氏すらいない
自分に自身がなかった私は、
その堂々たる姿がただただうらやましかった。

今日会った長女は
イギリス留学を終え1年前に帰国した24歳。

海外でいろんな経験をしたようで、
とてもいろいろなことを知っている。

以前の聡明で大人びた印象は変わらない。
けれども何かが違う。

自分が体験したこと、自分が思うことが全てであって
人の忠告などをあまり受け入れないのだ。

かつて私が留学を終えて帰国した時のように。

今思えば私は傲慢だった。
少し英語が出来るようになり、
海外でいろんな体験をし
当時はイギリス人の彼氏もいた。
そんなことが自慢だった。

よくも悪くもイギリス風の
自己主張を身につけ
誰に対しても優越感を感じながら
人の意見を受け入れず
今で言う、「上から目線」で接していた。

欧米文化至上主義で、それを体感している
自分は何でも知っており何でも出来ると思っていた。


そういうかつての自分と長女がだぶった。


「若さ」とはこういうことなのか。
その何者もはねのけて先へ急ぐ勢い。
傲慢とも見えるみなぎる自信。



ただ圧倒された。



と同時に
初めて自分が大人になっていることに気づいた。
00:11 | この記事のURL
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願い [2009年01月24日(土)]
いろいろ考えていたら眠れなくなりました。

子どもができないことが
かなりのストレスになっていると
感じています。

20代の頃から
将来は子どもを育てながら
自分も成長して行きたいという
「理想」を持っていました。

30歳を過ぎて、
初めて結婚したいと思った人に振られ
その後何年も彼氏すらできず←そりゃ負のオーラを背負った人には近づきたくないわな

ようやく37歳の時今の夫バジリコに出会い
子どもを持つという「理想」に近づいたと
思いました。

でも一緒に暮らして半年以上たっても
子どもができません。

それまでは非常に無知で
排卵日すら知らなかったくらいですから
当然っちゃ当然です。

でも自然にできると信じていました。

1年近くたっても出来ないので
とりあえず、ということで
結婚の数週間前に今通院している
不妊治療専門の病院に行き
検査をしました。

私は卵管造影検査。
バジリコは精液検査。

結果、自然には子どもができないことが
分かりました。

私は卵管閉塞(片方は検査で開きましたが)、バジリコは無精子

ショックでした。

世の中の大多数の人ができることが
私にはできないことが。

この結果を聞いた両親は
私に謝りました。

でもそんなのもちろん両親のせいでは
ありません。なので
謝る必要なんてない、と言いました。
でも言いたかったのでしょう、
私の言葉を遮って、
両親はもう一度謝りました。

唯一のこされた道は
体外受精等でも妊娠できなかった
人たちが最後にたどり着く
「顕微授精」。

その時から
私が思い描いていた
「理想」は「夢」へと変わりました。

かなうかどうかわからない「夢」へ。。。

子どもができないなんて
考えたことがありませんでした。

そのことがこんなに辛いものということも
知りませんでした。

叶うかどうかわからない希望を待つことが
こんなに長く感じるなんて。。。




神様でも何でもいい、

死ぬまでにひとつ願いを叶えてくれるなら

私を含め、全ての子どもをのぞむ人たちに

我が子を抱かせてください。






悲劇のヒロイン状態なのは分かっています。
でもなんだか吐き出したかったのです。
昨晩毒舌本音ブログを読んだ影響でしょうか。。。

















お空に帰ったbabyちゃん、守ってあげられなくてごめんね
今度必ず戻って来てね、もう大丈夫だから
03:40 | この記事のURL
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下界は。。。 [2008年11月17日(月)]
今日3日ぶりの外出(といっても病院だけど)で
外に出た時、
寝すぎた時のように
なんだかふわふわして、
周りを歩いている
日常生活を過ごしている風な人たちの間に
突然わいて出てきたような気分でした。

病院での待ち時間にお腹がすいたので
隣のビルに食べに行ったのだけど、
前に並んで注文をしている
仕事中っぽい若い女性たちをみて、
なんだかまったく違う生き物みたいに
感じました。

毎日朝から夕方まで働く?
職場の人の話をする?うわさ話をする?

今年1月に仕事を辞めて
まだ一年も経っていないのに
なんだか異次元の世界

世の中は私がウチにこもって何をしていようと
おかまいなく動き続けているのだ。
皆それぞれ自分が想像もできないような
いろんな考えを持って毎日いろんなところへ行き
様々なことをしているのだ。

広〜い世の中の、私はほんとにちいさなものに
過ぎないんだな。

あ、そういえば、
23日のピアノの発表会の撮影をしてくれる人が
決まりました
バジリコの仕事関係で写真撮影をしてくれている人
とのことです。
今日本当は顔合わせの予定が、
予想を遥かに上回る病院滞在となってしまって
延期になってしまいました。
ようやく肩の荷が降りたー
22:18 | この記事のURL
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