不妊治療の追憶を記し始めて1年くらい経ってしまいました。
今更書くのか?という気持ちと、
私の人生には欠かせないエピソードでもあるわけで・・・
ということで、最後までお付き合いください
流産の処置が終わり、しばらく実家でお世話になりました。
毎日痛みと不安で泣いてばかりいて、
10月に流産したのに、翌年の2月まで一人で外出できずにいました。
来る日も来る日もアパートに閉じこもって
朝から夜お風呂に入るまで顔も洗わない日もありました。
友達からの連絡にも出ずせずで、ひきこもっていました。
どうしても外出しなければならない日は、
出かける前に何度も吐いて、ある意味気合??みたいなものをいれて
出かけていました。(一人では無理だったので両親か夫とです)
ある日、夫の友人とイチゴ狩りに行く計画を勝手にたてられて
無理矢理出かけ、そのときに一回も吐くことがなく過ごせたことが
私の自信になってまた一人で出かけられるようになりました。
それから1年過ぎ、2年経とうとした頃、社会復帰できました。
当時夫は深夜便のトラックの運転手をしていたので、
夕方でかけて仕事が終わり次第戻るという生活で、
午前8時ころから午後2時ぐらいは寝ているので、
10時から13時まで酒屋さんで事務のバイトをし、
夕方16時〜深夜0時くらいまで求人情報誌の入力のバイトをして
過ごしていました。
入力のバイトは部活みたいでとっても楽しくて、
気がまぎれつつ、遊びつつ、お金を稼ぎつつ、
今考えると本当に楽しい時間でした。
働いてお金ができたので、新しい病院と、
新しい治療法を試してみようという気になって
整体のようなことをするところへ行ってみました。
そこの先生は「今年は妊娠は諦めて、しっかりとした体を作ろう」
そう仰いました。妊娠を諦める?目からうろこのアドバイス。
その時は9月でした。
3ヶ月は妊娠のことは全く考えずに過ごそうというのです。
私は頭が固いので気持ちの切り替えも出来ず、
病院に通うことは止められませんでした。(整体の先生は反対しましたが)
新しい病院で日ごと血液検査をして今まで不妊治療をしてきて
全くわからなかったことがわかりました。
私は高プロラクチン血症という病気で
卵が上手く育たなかったようです。
プロラクチンを抑える薬を飲みながら整体に通い、
病院でホルモン注射を一発打ってから仕事に行く。
そんな生活を2週間ほど続けて、
産婦人科の先生からも、整体の先生からも
「今月は諦めましょう」と言われていました。
妊娠を全く考えない日はなかったけれど・・・
夫との生活が上手くいかず、離婚の危機・・・
私的には妊娠どころの話じゃないくらい
根底のところでグラグラと揺れ動いていました。
何が原因か・・・もう忘れた。
たしか・・・流産のことが引き金になっていたように
記憶しています。
(私は流産当時うちにこもることをして夫に怒りをぶつけることも
何もしなかったと思いますなので、今更怒り爆発??)
私の荷物を殆どまとめて後は運び出すだけ・・・というときに
東京から友達が帰ってくることになって
しばらく友人と過ごしていました。
でも、あまりにも気分が悪いので結局自宅に戻って休んでいました。
もしや・・・そう、医師の診断を裏切り、
私は妊娠しちゃったんです。
妊娠しなかったら離婚していたかもしれないので、
神様は私たち夫婦を別れさせないためにも

を授けたのかな・・・
などとどうしても運命めいたことを考えてしまいます。
子供がいなかったら・・・
そんな人生も考えないこともないけれど、
不妊の終わりは新たな人生のはじまりでした。
不妊のゴールは出産だと思いましたが、
不妊のゴールはなかったんです。
妊娠期間は不安と期待で決していいものではなかったけれど、
(妊娠を安定させるのに先生が頑張ってくれました)

が来てくれてよかった。
悲劇のヒロインを演じ、誰かを妬みひが
みそんな人生だったかもしれない。

は神様からのご褒美だと思っています。
女の子が欲しい私に不妊治療を全くせずに授けてくれたのだから。
最後に・・・
プレママのみなさま。
お子さんを得られるために様々な努力をされていると思います。
でも、「妊娠すること」に縛られることなく
ご自身の生活を十分に楽しんで欲しいなと思います。
ママになったら100%自分の時間なんてなくなってしまうのだし・・・
でも、体は冷やさずに大事にしてくださいね。
一日も早くその手に赤ちゃんを抱くことができますように・・・
心からお祈りいたしております。
長々とお付き合い下さいまして
ありがとうございました